沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 日刊ゲンダイ記事 佐川長官「辞めろ運動」が拡大 第2次署名3日間で1000超

2017年09月16日 18時44分39秒 | マスコミジャーナリズム

佐川長官「辞めろ運動」が拡大 第2次署名3日間で1000超

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/213738

国税庁長菅というポストは国家においては最大級の重責を担う役職の一であろうから、これが多くの国民の反感を買い、その職に相応しからずと断じられた人物が慣例的通常の昇任を許容されるということはあってならないことであろう。つまりこれを許容した安倍晋三政権の大きな瑕疵と言わざるを得ない。


詩596 沖縄タイムス辺野古高江ツイート

2017年09月16日 18時26分29秒 | マスコミジャーナリズム
 

9月16日午前9時半、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では、雨が降る中、新基地建設に反対する市民約60人が座り込み抗議活動をしています。  


詩596 琉球新報辺野古高江ツイート

2017年09月16日 18時21分02秒 | マスコミジャーナリズム
 

雨にも関わらず、約100人が集結しました。16日午前10時10分、ゲート前では、ゼミで訪れた立命館大学の学生たちがあいさつしています。 「ニュースなど報道では違う現実知ることできる」「来てみると威圧感がある」などと話しました。


詩596 AERAdot.記事 「やはり国策捜査だった森友疑惑。特捜部はやる気なしで財務省は逃げ切り」郷原信郎・元特捜検事

2017年09月16日 11時01分01秒 | マスコミジャーナリズム

「やはり国策捜査だった森友疑惑。特捜部はやる気なしで財務省は逃げ切り」郷原信郎・元特捜検事

https://dot.asahi.com/dot/2017091500082.html

悪質であっても捜査をするのは警察。大阪地検特捜部が出てくる事件ではありません

 担当職員が起訴されることはないでしょう。背任の成立は「自己や第三者の利益を図る目的で損害を与えた」ことが必要です。担当職員が、自分の利益のため不当な値引きを行って、国に損害を与えたことを立証できなければ、背任容疑で刑事責任を追及できません。

本気で捜査するなら、特捜部は近畿財務局を強制捜査をしているはず

「籠池夫妻=悪党」を世間に広め、「籠池夫妻が昭恵夫人の名前まで使って脅してきたので、不当な値引きに応じざるを得なかった」というストーリーに持ち込みたい

このまま籠池夫妻に「悪党」のイメージを広めるだけで捜査が終結してしまえば、検察は一体何のためにこの事件でしゃしゃり出たのか、という疑問を持たざるを得ない。そうなれば、特捜部が国民から批判を受けるのは避けられません


詩596 LITERA記事 官邸と産経が煽動する東京新聞・望月記者バッシングがヒドい! 卑劣な報道圧力に、メディアは即刻抗議せよ!

2017年09月16日 10時53分18秒 | マスコミジャーナリズム

官邸と産経が煽動する東京新聞・望月記者バッシングがヒドい! 卑劣な報道圧力に、メディアは即刻抗議せよ!

http://lite-ra.com/2017/09/post-3456.html

産経新聞が、望月記者の発言をめぐって抗議文を東京新聞に送りつけた  官邸が望月記者の質問に対して注意喚起の文書を出していたことが公になったのは、翌2日付の産経の記事が発端

〈官房長官記者会見において、未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は、当室としては断じて許容出来ません。貴社には再発防止の徹底を強く要請します〉

官邸が問題にしているのは、望月記者が加計学園の獣医学部設置認可について8月25日の会見で「認可の保留という決定が出ました」と発言したこと。文科省が認可保留を発表する前だったため、「決定」という発言を〈未確定な事実や単なる推測〉だと攻撃した  認可保留の決定については、8月10日の時点で産経も含むほとんどの新聞・テレビがすでに報じていたことで、また望月記者が質問したわずか数時間後には文科省も正式発表しており、〈未確定な事実や単なる推測〉などではまったくない

政府が正式発表したことしか質問できないとなれば、報道の自由を著しく侵害するもの

望月記者への「殺害予告」

 この異常な事態を受け、望月記者は14日の会見で、「注意文書のことが産経新聞になぜリークとして出て、記事が出て、またこれまでの官房長官とのやり取りもいくつも記事にされていた」と言及。「言論弾圧を助長するかのようなネット上の誹謗中傷、ネット以外の誹謗中傷等々について、政府としてはいまどのように受け止めていらっしゃるのか」と菅官房長官に質問

(以上抜粋)

恐るべき悪の巨魁が日本の政界を我が物顔で牛耳っているということがこういうことからはっきりする。まさに勧善懲悪ドラマの「越後屋と悪党ども」のワンシーンを彷彿とさせる。そしてこの日本人向けのお涙頂戴浪花節的、古色蒼然たるチャンバラおはなしが21世紀の日本人には普通に歓迎され(忠臣蔵の人気は未だ衰えを見せない)、「お代官さま」の言い分が何よりまかり通り(水飲み百姓は無力故に耐え忍ぶしかなく)、一般大衆は黒頭巾の正義の使者を待望しつつ長い物に巻かれろでお茶を濁す。こうしてメデアマスコミジャーナリズム挙って馬鹿になって先の戦争は何食わぬ顔で始められ、一般大衆はひでえ目にあわされたというのだが、それに懲りずまたまた同じ歴史を繰り返そうというのだから、馬鹿も休み休み言えと言いたくなる。



詩631 沖縄を生きるということ、とは 5

2017年09月16日 08時56分46秒 | 政治論

 堀川恵子著「永山則夫」 封印された鑑定記録 2013年岩波書店

 「無知の涙」以下永山氏が著した作物を筆者は恐らく全く読んだことはない、恐らく、というのは記憶が曖昧で、読んだはずの印象もほとんどないからだ。ジャン・ジュネもフランソワ・ヴィヨンも刑法罰を受けながら文学的才能を開花させたヨーロッパの詩人作家だが、永山氏もまたある意味、そういった時代を超える才能を抱えた深刻な魂の生き方を示したのであろうか。

 生まれてより非情な運命は柔かいひだを成す彼の精神に殆ど何らの容赦もなく襲いかかってきた。石川精神科医の鑑定と録音テープは我々に、こうした運命に対する人間の強烈な無力感と、悲運に見舞われる者の完全な脱力感を伝える。そして彼に悲劇的に起こった4件の殺人という究極の行為は丁度「異邦人」のムルソーを連想させる不条理性に始る。「金欲しさ」も怨恨もそこになく、ただ殆ど偶然に立ち現れた排除すべき「敵」と見做された対象に彼は銃弾を浴びせる。但し明らかに殺すことが目的であり数発の銃弾(一発でなく)がその事実を立証する。そして警官と見誤った対象に第二の殺人が行われる。要は、ほぼ偶然に手にしてしまった拳銃と銃弾が、これまで彼を苦しめ不幸にして止まない彼の中にある弱さや無力感を躊躇いもなく撃ち殺したのだった。金貸しのばあさんを斧で抹殺したラスコリニコフのように(永山はそのとき偶然に「罪と罰」第一巻を読み終えていた)自らおのれの精神に手を下したということ。しかし、その後の二つの殺人に最早偶発性はなく、......

 堀川氏は永山事件の真相を永山の家庭問題や家族関係に究極させたが、その見方は皮相である。そこに極まると途端にどこか矮小化されたありきたりの虞犯性に堕す。確かに二つの殺人は「兄弟家族への当てつけ」という言い回しが適当するような印象を与える。(又故意に避けられているのか常識的な意味での社会問題性は一度も俎上に挙がってない)しかしそこに象徴されているのは誰かに対する憾みや憎しみ、愛憎半ばする複相心理よりも、それ以前の殺人によって恐らく完全に閉塞し終結した彼自身の生に対する決定的な自棄意思であろう。自殺行為としての殺人、あるいは死刑以外何も望まぬ者としての行為の最終決着。最近世間を騒がしている若者による無差別的動機なき殺害行為に通底する何かがある。

 彼らはその殺害行為によっておのれの生に決着を付けている。自ら社会やその常識を抹殺することで当の社会や常識の手で反対に抹殺されることを望むという、一種の他力本願、自殺より他殺を要求する奇妙な倒錯性、あるいは「甘え」。

 不図筆者は連想した。この安倍晋三一派やヒトラーナチスに見る野放図な右翼的思潮が持つ玉砕的似非美学には一種の他力依存性(米国頼み)、究極的「甘え」(恣意的な個人的野心)があり、自殺する勇気(敗戦国としての永遠的な武装放棄)がない代わりに他殺的環境造出に至る戦争誘発行為(北朝鮮、中国への異常な牽制)を旨とし、これらが「様々なる意匠」を凝らして今日本全体を一つの方向へ引きずって行っていると。

 つまりこれが永山事件の社会的問題性なのだ。