<社説>オスプレイ配備5年 欠陥機は一刻も早く去れ
提供施設立ち入りを 沖縄県が防衛局に要請 辺野古危惧種サンゴ
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-585885.html
「沖縄が再び戦場となるのを拒否する」辺野古新基地建設で90人座り込み
ナチ絶滅収容所長との対話「人間の暗闇」 ギッタ・セレニー著 岩波書店2005年12月発行
ここにこう書かれている。「自分が彼の立場だったら異なる歴史を導けたはずだ、と私たちは言えるだろうか。」
人類史上最悪の、単一民族(ユダヤ民)と弱小人間群(政治犯、戦争捕虜、ロマ・シンティ、障害者、精神病者、同性愛者等)に対する安楽死、集団虐殺行為、計画され実践された国家ぐるみの組織的大量殺人業務、一人の倒錯的独裁者が欧米共有のどす黒い民族差別思潮を明確に武器化してユダヤ人抹殺を機械的事務的に遂行し、同時にゲルマン民族優秀性喧伝により優生思想を蔓延らせこれに沿わない人群を徹底排除し、アーリア人純血種の第三帝国建設を目途に侵略と強奪のための戦争により世界制覇(アジアへの経済圏拡張)へ突き進んだとき、人は事に当たって決して「正邪」を明確に峻別し「人道的行為」を確実に優先し、置かれた立場に左右されずに人間としての尊厳ある判断、行動を何より心がける、といった不動の意思に立てるわけでないことを、この書は静かに我々に語る。
恐るべき国家企画が「ユダヤ人問題の最終的解決」手段としてナチス幹部の中で決断された。この瞬間彼らはヒトラーの断種思潮を正式に受け入れ、おのれらの血が全てに優越し、これに混血する他の種を抹殺することに同意し、国家的集団殺戮の、組織的に系統づけられた実行機関を通じて、如何に効率的速やかに事を完遂するかという一点で結束し、甚だ暴力的な意思と野蛮な破壊的欲望をエネルギーに、殺戮目的を巧みに隠匿する手段方法により「問題なく」殺人工場へ犠牲者を送り込んでいき、ありとあらゆる残虐的行為の冷血な実践者としてその名を歴史に刻んだ。いずれにしろひとたび国家が決断したことについて、これに携わるすべての労働人に強制的服従を要求することは目に見えているし、各部署で就労する各個人は業務の全体(真の目的)よりも最寄りの部分的業務の遂行に血道を上げるしか方途はなく、国がしようとしていることの意味など考えが及ばないことのように思われてくる。目の前でユダヤ人がチクロンBガスによりもだえ苦しみながら死に絶える様を想像できる立場にあってさえ、人間は日々の活計という言い訳の裡にあってついにこれを閑却看過するということだ。
筆者は辺野古高江での抗議者と官憲の関係を見ていくうちに、同じようなことがここでも行われているという感を深くした。ある意味全国民が見ていると思われるその現場での官憲の在り様は、勿論あからさまには残酷さを印象させない。だがよくよく考えてみると、沖縄県民の民意が常に過半を遥かに超えて反対し、これを確実に選挙結果に反映させているときに、国家が平然とこれを無視して工事を強行させているという目に見えない事実は、残酷な人民淘汰の蛮行としか言えず、そういう国の上意下達の命令に沿って見苦しいまでのリアルさでごぼう抜きに市民を排除する行為は明らかに上述の「不作為の共犯関係」という意味を含ませている。これは再三再四言われてきたことだ。(つづく)
アベノミクス 実感なき「いざなぎ超え」 「賃金・消費は低迷」「企業の貯蓄増大」
(社説)衆院選 対北朝鮮政策 「国難」あおる政治の危うさ
http://www.asahi.com/articles/DA3S13158145.html?ref=editorial_backnumber
いくつもの選挙で明確に示された「辺野古移設NO」の沖縄県民の民意を無視し、日米合意を盾に、強引に埋め立て工事を進めているのは安倍政権である。なのになぜ、北朝鮮問題では「国民の信任」がなければ外交ができないのか。ご都合主義