沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩296

2011年01月24日 12時48分48秒 | 政治論
 敗戦国日本が戦勝国連合国側に如何様に料理されても文句の言いようのない時代に、反共防共ガチガチのアメリカにより防共列島を仕組まれて否応なく西側陣営に組み込まれ、屈辱の講和条約と日米安保を押し付けられ、その大部分を肩代わりされた沖縄が本土政府によりまた天皇により防共最前線基地化されたことは歴史的事実だ。それをしもたまさか一時的にアメリカ世を満喫したとはいえやがてそのアメリカ支配の実態に気づかされた沖縄は本土復帰の全県運動へ傾斜していく。その返還さえ密約と不平等性に彩られた容認しがたい内容で実行された挙句は本土が拒否した海兵隊まで引き受ける羽目になるわけだ。こうした実情のどこに沖縄の幸福平和人権が準備されるというのか。本土の防衛のためにという魂消た名目がまかり通ることさえ大変な事態なのにこの事実から喜んで基地を受け入れる人間がいるとは到底思えないがどうか。この当たり前の民主的自己主張を捻じ曲げ押さえつけようとするこの国の政府はどう考えても間違っている。この国の本土にとって差し障りなく結構な同盟なら何故本土は基地を縮減し沖縄に掃き溜めたのか。そう、地政学的優位という理由は後だし理屈で最初から沖縄が選択される決定的理由ではない。つまり沖縄なら押し付けやすいという事情によった。そしてアメリカは未だに沖縄戦で分捕った占領地の意識から抜けてない。要は沖縄から強烈に激しく自己主張しないとやつらの言いたい放題、やりたい放題が永久にまかり通る環境に沖縄はおかれている。だからもし民主主義が生きて効果を有している理念なら、沖縄はあらゆる民主的手段を絶え間なく行使しつつ更に非暴力不服従精神を貫いて沖縄的文化的再生へ向け、強烈な自己アピールとアイデンティティの確保を心がけねばならない。

詩295

2011年01月22日 14時26分14秒 | 政治論
 アイヌ問題、問題、朝鮮問題、ユダヤ問題、沖縄問題、人種差別問題、いやはや大学受験じゃあるまいしなんて問題の多い世の中だろうか。問題と名のつく以上は解決されずに引きずっていると見ていいのだろうが、移住者でもある彼にとって沖縄問題は人事(ひとごと)ではない。昨日はなして心が和んだあの人たちが苦しめられている問題であり自身が巻き込まれる問題だ。その問題の本質はどうみても民族差別にあり日本人の差別精神にあり彼らの優越意識にあり近代化を通して新たに生まれた二重のコンプレクスにあり従って日本の近代化自体の問題なのだ。しかしながら琉球処分という沖縄の近代化は沖縄自身の「同化策」がもたらした本土へのコンプレクスという断層を抱えている。集団強制死の悲劇は沖縄だから生じたという逆説も成り立つ。それは単に精神上のバランスの問題ではない。皇民化教育の功罪は今更謂わずともよいが、なまじヤマト化された琉球だから一切の疑念なしに玉砕を受容する環境があった、サイパンでもみられたあの自死を甘受する皇民精神は本土のヤマトゥだったら疑念なしにあり得たのかと思う。戦後の日本人には想像しか許されないが、琉球処分の沖縄行政上の偏頗性は沖縄の為にならなかったことはあきらかでそれだけを取り出せば歴史的評価が民族侵攻の一点で集約されてもなんら問題はない。ところが現今沖縄は民族独立、中国属国化、などという奇妙なアナクロニズムには興味も好奇心もなく次第に醸成された反基地反米反政府的心的状況のマグマが本土政府次第ではいつでも爆発する状態に達しているという、「日本人だからこそ」の意識に貫かれている。一方日本政府は彼らが言うほどには「沖縄の反発」を認識してない。それが自身の発言の矛盾を際立たせている。「負担軽減」は「辺野古断念」なしにはあり得ないのだ。辺野古、県内移設を断念したうえで沖縄の負担軽減がある。あるいはそれも承知でこれ見よがしの「アメとムチ」で揺さぶりをかけているのかもしれない。いずれにしても彼ら本土の日米安保ただ乗り精神にはなんらの内省的改善姿勢もない。その因源は日本人の精神にある戦後日本を不健全に支えた「米軍駐留抑止力」他国軍隊によるあり得ない国土防衛幻想に他ならない。三島由紀夫の諫死は伊達じゃない。狂っているのはお前さんがたの「常識」だ。(中断)

詩294 本土の日本人よ

2011年01月22日 10時24分39秒 | 政治論
 普天間代替施設建設予定地らしい辺野古のある名護市に対して実質的報復としての財政的地方政治介入処置を行った時点でこの国の政府が辺野古移設をあきらめたと受け取っていいのだな。貴様らのしたことは封建政治の中央集権体質をあからさまにしたことであり沖縄に対して民主的大罪を犯したのであり、歴史はこの屈辱を永遠に記憶に留めおくだろう。貴様らの矛盾は懐柔前線基地事務所を名護市辺野古に構えたことに現れている。本土のはねっかえり共なら施設を爆破して省みない事態だが文化的沖縄は洟も引っ掛けない。とはいえこういう国の悪事を断じて黙認できはしない。前原が「おもいやり予算」を名称変更するとかなんとか、この大馬鹿野郎のトンチキ頭をハンマーでかち割りたいが「刀の穢れだ」。所詮戦無派のボンボンにはこの国の屋台骨が腐っていることなど知る由もない。まして精神的な話の通じる政治家などいるわけもない。日米安保は戦後日本を駄目にした張本人であり、破棄するのが名誉であり結果的国防論を本格的に開始するのがこの国を再建し正常に戻す最も本質的実質的有効な手段なのだよ。

詩293 ウチナンチューの方々よ

2011年01月20日 12時25分37秒 | 政治論
 普天間問題の本質は唯一辺野古乃至県内移設は駄目だという沖縄側の反発に対して、国およびアメリカが(あるいはアメリカの意向に沿った日本政府が)辺野古でなけりゃ駄目だという絶対的必要性に関し完全に客観的な検証経過乃至結果をただの一度も出したことはないという、不思議な隠蔽性を脱却してない現状にあるということが、県側の無際限の拒否地元の分断感情のマグマ化など取り返しのつかない事態を醸し出したということだ。つまり事態は恐ろしくこじれているし、恐らく10年単位で長期化する要素を含んでいる。県民とりわけ地元以外の容認派は所詮対岸の火事心理の裏返しにすぎず、論拠のない政府ベッタリ裏切り根性に満ちた愚論を臆面もなくまくし立てている。この人たちをこうしたのは当然14年間動かない辺野古、という異常性を作り出した国とアメリカだ。日米政府はその無神経な政治家根性ヅラを恥さらしに曝しているがお前さんがたのせいでまずはろくなことがない。おまえさんがたが今後いかにきれいごとを並べ立てても沖縄は金輪際信用していないということをそろそろ認めなさい。北沢の馬鹿が「負担軽減につき今まで日米で協議していました」といかにも「沖縄に心血注いでいます」てな顔をみせても笑っちゃうしかない。さすがに仲井真知事も「はいそうですか」とはいえまい。ふざけやがって。

詩292 ウチナンチューの方々よ

2011年01月19日 14時32分50秒 | 政治論
 例えば枝野が「沖縄の理解を得る」という表現をするとき沖縄は最初から「県内移設反対」という世論に埋め尽くされているというのになんという無駄で甲斐のない努力に血道を挙げる政権かと、納税者としては断じて許しがたい議員報酬泥棒呼ばわりの類に堕する事態なのだが、出てくるやつ出てくるやつ誰もかも同じ発言の繰り返しに沖縄はうんざりしているし、こういう効果のない政策方針を聞かされるたびにこいつらは普天間に関し解決しようという意志も意図も持ち合わさずましてや過去の官憲並みに強権振りかざし武力行使するくらいの敵対関係出現さえ恐れているわけで、嘘つき加減もきわまれりといった按配だ。この政権に限らず戦後の日本の政治家がアメリカに物申せぬ体質なのは歴史が証明している。しかしその実質的本体は戦後日本を実質牛耳った官僚たちであり、逆に言えば官僚たちの政策コントロール力に太刀打ちできない政治家本人の不勉強にも大いに問題がある。いずれにしろ怯惰な政治姿勢に貫かれた対米関係をどうにかしない限り普天間は絶対に解決しないし、アメリカは絶対に辺野古から手を引かない。この状況は沖縄にとって政治の停滞としてしか作用しない歴史的愚行であり日本の精神性の問題である。何故この体たらくははびこるか。民主党がマニフェストに掲げた「官僚主導の政治を政治主導に」のまさに政治主導力が欠けていることにしかない。つまり事実関係乃至情報関連の豊富な知的蓄積こそ官僚が得意とする分野であり、そこに政策立案するのは官僚でなく政治家だという認識を政官双方が相互に持する必要がある。普天間に関し、国民には最初から辺野古ありきで進んだ鳩山政権時の政官関係が見えていたのであり、理念もなく政治的主導力もない北沢岡田前原らの情けない対米追随姿勢が一貫して鳩山失政時にはあったのであり、沖縄は愚弄され尽くした。沖縄は政治にアキラメを感じていると思われる。しかし自己の死活を決する辺野古移設を黙認するほど暢気な話はない。政治に絶望しても自己自身に絶望する必要はない。沖縄が日本本土と同等な文化的歴史的精神的歩みを歩んだならあり得ない沖縄独自の風土性に鑑み、この独自性に依拠し、ゆるぎなく絶え間ない歩みをやめない限りは、沖縄の精神的価値は普遍化する。だからこの国の政治には期待せずとも辺野古に新基地は作らせないという意思と抵抗、住民闘争の火だけは決して絶やしてはならない。これは成田闘争とはいささか違って沖縄的民族性アイデンティティが焦点でもある。本国イギリスに非暴力不服従で抵抗して勝利したガンジーの精神は今や非常な価値のある歴史的遺産として沖縄に味方する。見方が甘いといわれるかもしれないが、理念と希望なしに精神闘争は決してできないのではないか。

詩291 ウチナンチューの方々よ

2011年01月19日 00時33分33秒 | 政治論
 仲井真知事が再選されたことによって政局的には伊波氏の政治的敗北が実証され、沖縄の革新的勢力の権力体制に真っ向から対立する陣営が県民意思から疎外されたという局面を形成し、あきらかに政府政権与党にとっては優位な状況が到来したと印象付けるに足る、政策実行推進力となる事態となったと考えられる。こういう実質的根拠を有しない為政者の傲岸不遜な状況判断は新知事を愚弄するに飽き足らず、手段を選ばない強引な強制的住民蹂躪の暴政へと駆り立てていると思われる。恐らく仲井真知事は「県外移設」公約の際どい裏切りを現実のものとする過程ではあらゆる政府の軍拡布石に対して物申すことは一切ない。従って、辺野古から距離的に居住地が遠のけば遠のくほど「辺野古移設反対」の反対運動エネルギーが減退しむしろ政府寄りにすら傾くに違いない民意を、県民意思80%が実質「反対」していたかつての内容に比例して組み換える作業が必要かと思う。議会制民主主義の矛盾は民意の完全な反映として機能しないことの方が多い現状で可能な改善策として「リコール」があるので早めの県知事リコールを提案する。但し、14年間の無作為が果たして住民闘争だけで生じた結果なのか洗い直し、もしそうだとしたなら闘争の内容と形態の更なる強化を目指すことだ。この場合県知事など誰でもよい。過去いかなる首長的行為も無効だった歴史から、辺野古に関し政府がいかに勝手に我田引水しようが結果はいつも住民闘争の抵抗に屈したことは間違いない歴史的事実だ。問題は一にアメリカ乃至日本の官憲が武力的威嚇を伴う強硬な手段を弄して住民排除の挙に打って出るかだがその確率は、甘くも辛くも五分五分の状況を脱してない。名護市長の痛切なコメント(政府は沖縄を説得するのでなくアメリカを口説くことだ)を目にする限りこの国とアメリカは住民を蹂躪した過去のことなど少しも思い出してはいないし現閣僚の誰もそういう事実を念頭に置く者はない。現知事にも過大な信頼は裏切りの落差を痛烈にするだけであり最大の問題は住民闘争のエネルギー減退の事実だ。理論武装しない一切の民衆運動は何らの継続的の力学的物量を備蓄し得ない。今や沖縄の学識者有識者全国の学者有志軍事アナリスト全ての力を辺野古の住民に加担させる必要がある。

詩290

2011年01月15日 12時52分25秒 | 政治論
 枝野?断末魔かな?いよいよ手がなくなったと見られる。ということは間違いなく普天間固定化だ。この若造に沖縄を理解する叡智はないし、沖縄に関する知識も熱意も同情もないことはこいつの過去の言動からもはっきりと見て取れる。今更浅墓な歴史学習したところでどの道外務防衛官僚の意のままに動かされるだけだ。菅が沖縄を政策論議から消し去り、「粛々と」辺野古移設の強健的執行を順次実行させる布陣としたことは明白だ。前原、北沢、岡田、枝野、恐るべき面々だが所詮官僚のパシリにすぎない。国民はそういう実態を知らずに人気投票するからこの国がいつまでも旧大日本帝国的官僚主導の、血も涙もない政治に堕落するのがわかってない。消費税増税のために与謝野を呉越同舟させたが、今更与謝野を取り込まなくともいずれ消費税は上がる。菅の姿勢に強健的傾斜を感じるときこれも官僚の息がかかった結果なのか、官憲というが戦前の特高並みの恐怖政治が独走しそうで、国民は暢気に眺めている場合ではない。沖縄は「銃剣とブル」に対して同様のしっぺ返しを繰り出すことだ。最早この政権には聞く耳がないのだから、今後必死的な抵抗運動に突入せざるを得ない。さて打倒菅政権から解散総選挙と流れてみたところでこの国が劇的に変化することはまずないだろう。この絶望的な政治状況では人は本来的な精神生活を如何に確保するか、あるいは取り戻し展開するか、沖縄の希望とは、この国の絶望から目を転じてあらためて沖縄を見直すこと、それがここならできるということ、その価値を保存したということにある。

詩289

2011年01月14日 17時14分51秒 | 政治論
 ゲーツの軍事費削減方針が日本について言及しない理由は日米同盟のためではなく無理が通用する「思いやり予算」などの日本政府の対米従属姿勢によるが、誰が見ても偏頗でアメリカ拠りのこうした日本政府の方向性について誰も言及しないところに、日米安保沖縄過重負担体制に安穏に乗っかっている日本国民の怠惰で軽はずみな無反省の戦後的無頓着精神がよく現れている。一方ゲーツの軍事費削減を耳にしたウチナンチュー新聞が一瞬沖縄基地縮小の期待感さえみせたのは早計だったろう。現在辺野古回帰の客観的説明がない以上辺野古にする絶対的要件はないとみるのが自然である。専権事項のように嘯いていたくせに有効な、移設の現実的妥結がない以上過去の移設同意は首長たちの愚昧政治姿勢によっていたことは明らかで、実際に居住する住民が拒否する故に14年間進展しなかったこの辺野古の問題は長引けば長引くほど国家の国家的価値を下げ続けることになる。一方アメリカは、「お山の大将」として辺りを睥睨する現今世界情勢のなかでは辺野古なぞ屁でもない。それが沖縄県民の圧倒的反対の中強行されても世界が黙して見ぬ振りするのはわかりきっている。長引けば長引くほどアメリカは普天間固定化を手に入れる結果となる。つまりアメリカにとって、辺野古が「民主主義の問題」ではなく日本政府の「国内問題」にすぎないことはどこまで行っても変わらない。講和と安保の不健全で再考三考すべき実質につき、65年閲してさえなんらの変更も加えなかったツケが汚れたスモッグのように沖縄までの日本列島上空を覆っている。その被害を毎日間断なく被っているのが沖縄住民たちだ。辺野古にする理由もなく合意遵守の態度を変えない日米政府は痛みを知らない為政者としか評価されず、解決する方法を知らない無能無策な政府としか言われまい。だがアメリカのこうした強硬さは当然意図された戦略であり、彼らを「無能」と呼ぶには彼らの想定できない力量を無視するしかないので、我々人民は恐るべきアメリカンエネルギーの餌食にならぬよう、せいぜい弱体な日本政府を叩くしかない。しかしながらアメリカのもう一つの側面、フランクでストレートな意思の尊重精神を学ぶなら、日本政府が自己革新を遂げるべくフランクに率直に「安保破棄」を通告すれば一切は容易に青天白日な気分を味わうに違いない。要は日本政府が基地公害の非人道性排除に立脚して基地の、住民周辺からの完全撤去を目論めば済むことだ。できないのは言い訳に過ぎない。鳩山の馬鹿さ加減はこれを中途で投げ出したことだ。

詩288

2011年01月12日 21時49分57秒 | 政治論
 岡田幹事長のいうことは「政治家の嘘」が国民の前にどう現れるかについて少しばかり示唆する。まず大前提である「辺野古移設」はこの政権の固定された政策課題であり、揺るぎない方針であることは確定しているし、これが覆ることは住民を殺してでもあり得ないという事実だ。彼は「辺野古しかなかった」という表現で背景に「辺野古以外を模索した」という努力の一面を暗に匂わせ、本来外務防衛官僚が初めから自民時代の結論を一歩も出なかったことを隠蔽している。ここにまず嘘がある。そしてこれはこの問題に関心のある誰でも見抜く浅はかな嘘だ。次に名護市、沖縄県の住民を愚弄するかかる見解、「住民のかたが反対されていることは認識しています」住民はこの先を「合意見直し」と期待することは明らかな見解だが、彼はそれには触れず、「理解を深める、乖離を埋める」という表現で恰も「合意見直し」とさえ取られかねないスタンスへ立とうとすることで自己自身に嘘をつこうとしている。そして次の瞬間すばやく「日米合意に基づいて」のスタンスに身をかわす。つまりこれはあらゆる政治家が無意識にする自己保身の言い訳だ。ここで論点は国家対国民の意思不疎通事案が確定したことを告げている。従って県民は、この先の彼の言動には一切希望がないことを認識しなければならない。そして今後民主政権が繰り出すあらゆる懐柔策がすべて「辺野古確定」の足場作りにすぎないことをあらゆる幻想を取り払って凝視しなければならない。そのときこの重大な国家的強圧は全て民衆の敵だという視点に立たねばならない。事は辺野古の住民の、従って国民自身の、ひいてはあらゆる被抑圧住民の問題であり、国家がつこうとした「嘘」を見逃さないための布石であり、民衆が自身の基本的人権を死守するための戦争である。国は住民を捨ててアメリカを取った。この禍根が将来いかなる悔恨を生むのか空恐ろしいのだが先の大戦は明らかに画策された共同謀議ではなく殆ど成り行きで起こったことは今や歴史評価の常識だ、普天間問題の重大性はこれが「国家百年の大計」に大きく影響する実質だ、沖縄県民は成り行きや一時の妥協で敗北したら結局自身の墓穴を掘ることになる。県民にとっては死活の問題だが国民全体にとってはおのれの精神が健全化するか腐敗するかの分かれ道だ。とはいえ本土と沖縄の極端な格差はこういう論の不毛性を「前提事実化」し為政者すら平気で臆面もなく裏切り嘘八百を繰り返す現状では、沖縄の未来は真っ暗闇だ。いや日本の未来が真っ暗闇でウスッペラで到底安穏な老後などあり得ないわけだ。

詩287

2011年01月10日 16時25分49秒 | 政治論
 岡田が謂っていることの字面を追うとこいつ馬鹿じゃないかと思うのはもしかして沖縄タイムスの記事のなせる業かとさえ疑ってしまう。「普天間の危険性除去のためには日米合意しかなかった。本当に申し訳ないがそういう答えしかなかった。」この後普通なら「しかし沖縄県民の民意を慮りこれでは決して受け入れられないと思いアメリカ側に合意の見直しを打診した」と来るはずだ。ところが「日米合意を重視し」と来る。この男、日本語の文脈意識さえないのかと思う。ここで曝している彼の底意は要するに「私は日米政府の意を代表して沖縄辺野古に新基地を作りに来た」といっていることになる。誰が見ても「本当に申し訳ない」という言葉の空虚さと嘘を露呈している。だからその後いかに「負担軽減」を滔々と並べ立てて視察見学しても一切沖縄県民の同意ばかりか関心さえ得られないだろう。大馬鹿野郎の嘘八百を真に受ける沖縄県民はいないしいたら県賊だ。それにしても民主党はよくもこんな理念のない傀儡的政治活動を臆面もなく続けられると感心する。「国民の安全保障」を現実的政治基盤とするのなら日米軍事同盟の非国防性について何故言及しないのか。あるいは防衛費を駆使している以上は自衛隊の正規軍化は自明の流れであり、憲法改正し再軍備へ舵を切りゃ少しは国民の耳目を集めるだろうに。正直さも率直さにも欠けるこの政権は自民政権より内容の薄いダダスベリの芸人並みだ。残念ながらこんな芸人をフォローするお目出度い人間は沖縄にはいない。

詩286

2011年01月10日 14時08分52秒 | 政治論
 敗戦で全てが灰燼に帰した国土に立って、「現実主義者の平和論」から発した他国軍隊駐留による軽軍備経済復興第一主義が執られ、戦後わずかな期間で所得倍増高度な経済成長に成功し列島を網の目のように道路配置舗装し一日回帰可能国家に改造したまではある意味目覚しいこの国の戦後復興の一断面を示してはいる。そしてこの成果に対し一定の評価を与えた学者論者は戦後民主主義の幼弱さ偏頗性を見越した限りでは正鵠をうがっていると言っても差し支えはあるまい。一方三島氏の行動論理を概観すると氏の天皇制礼賛はともかくとして自衛隊を「軍隊」とみなし「国防精神」「愛国心」の精神的発露として捉えたときに、現実の「自衛隊員」に絶望した氏が自死するに及んで本来性回帰のある意味悲劇的諫死と受け止めることは真実に対し強ち遠くはあるまいと思う。問題は精神的価値という視点において戦後を眺めると、三島氏の死は今になってはっきりと根源的な問題提起をしていたといえるのだ。氏が問題提起などという生易しい意思を持っていたとは思わないが、如何せん、日本国民は昭和平成泰平の浮世に現を抜かした罪過を今になって慨嘆する有様で、これも戦後体制を停滞的に持続してやまぬ保守反動政治家どもの「日米安保軍事同盟至上主義」がなせる業なのだ。当然のことながら戦後民主主義の崩壊消滅のさなかあらゆる革新的論者の敗退撤退の風潮が跋扈し世はまさに軍事色一色と化し、日米精神堕落安保軍事同盟の横暴が沖縄を席巻している状況では、識者論者学者からどんな国家百年の大計も聞けないのはいたしかたない。つまりは現今日本の思想的理念的無力さ加減は絶望的というしかない。(中断)

詩285

2011年01月10日 11時09分46秒 | 政治論
 右翼の論理性のないヘタレ意見など聞いている暇はないが、一方岡田の「言い訳」のように聞こえるが言い訳でない「言い渡し」を沖縄県民は「憤怒」をもって返り討ちしなければならない。どいつもこいつもおのれの腰抜け外交を棚上げしながらよくも恥ずかしくもなく沖縄に来れるものだと一般住民は残らず怒っていることを岡田や菅に、又前原などにぶつけてやれ。民主党はすでに死に体なので死者に鞭打つようだがこうした怒りは大概の為政者に共通して言えることなのでますます声を大にして言い募ることだ。しかしながら、死に体とは言えこの政権は辺野古固執を絶対に曲げない以上やつらが強制執行に踏み切る機会をうかがっていることは間違いない。「負担軽減」という恩着せを何度となく繰り返しながら徐々に住民の心理的締め付けを強化し、最後にズバリ強権発動すれば落ちると踏んだあいつらの魂胆は見え透いている。ゲーツでさえアメリカ財政の現状から海外基地の縮小を言い出している以上趨勢はかかる戦争準備発進基地の現実的不要論へ傾いている。所詮日本という国の「他国軍隊依存体質」などその不健全さと愚昧さから未来志向への阻害要因としてしかあり得ず、国民は今まさに「自分の身は自分で守れ」という原点に立ち返って、敗戦の焼け跡に立ち上る煙を透かして、この国の行く末を案じただろう一般庶民の心根に想いを致し、ゼロからの出発に精神集中するときだ。何故なら日米安保は日米政府が幻想的にでっち上げた「抑止力」により君らの国土を守るという「嘘」を実践している奇妙な軍事同盟であり憲法違反であり、その違法精神の対国民的悪影響は根源的とさえいえるもので対教育文化的公害性は計り知れない。(中断)

詩284

2011年01月08日 12時07分12秒 | 政治論
 集団強制死に関し彼らは何が言いたいのか、というと多分沖縄県民は勝手に死んでいった大うつけだというのだろう。それにしても南洋諸島の沖縄移民もまた同様な結末を見せたことがひっかかる。総じて敵軍兵士や砲弾空襲に遭遇したら「誰でも」日本人は「生きて虜囚の辱めを受け」まいと同じような行動パターンを執っただろうと推測するのが自然だし、その場合近接する友軍である日本軍の誰が指示しようが命じようが「起こるべくして起こった」ということこそ重要なポイントになる。そして沖縄県民だけが際立ってかかる悲劇を生々しく演じた事実は否定できない。とすればここで「歴史離れ」を試みる価値が出てくる。一つは琉球処分以来沖縄県を覆いつくそうとした挙げての本土への同化策だが、この狂気じみた自己分解の精神作用が醸成した日本人コンプレクス(複合心理)とおよそ徹底した皇民化教育による自己喪失(アンチアイデンティティ)が悲劇的に県民を内部分裂させた結果、あらゆる戦時的プロパガンダは勿論いかなるささいな変化も全て強制的に死地へ追いやるべく作用したと考えるのが普通だ。ここには県民の不幸な巡りあわせがある。何故か知らん、ナチスの恐るべきユダヤ人絶滅計画を連想する。いったいいかなる狂気の思潮がこうした人々の運命を勝手に玩弄すべくナチスや日本人を導いたのだろう。それを考えると今更ながらゾッとする。少なくともヒトラー始めナチスの悪魔じみたならずものたちは誰が見ても悪そのものだがA級戦犯指定の日本の軍人政治家官僚には極東裁判の居並ぶ連合国要人すら多少の敬意は見せたのだ。「歴史離れ」を加速させるなら結局我々一般常識を持つらしい誰もがある局面においては鬼畜にも悪魔にもなり得るという残忍な現実を突きつけられる。もしここに「歴史の教訓」を見るなら、こうした局面を二度と作り出しては成らないし、論理的止揚を試みればここで言う「平和主義」とは他でもない、現実政治において全てに優先する理念だということは明白ではないか。更に謂えば当然ながら「平和憲法」はこうした過誤罪過を食い止めるために「抑止力」を発揮する絶対必要要件といえる。これが沖縄戦を体験した沖縄県民の率直な感慨だと解釈する。重要なのは「集団強制死」が極めて残酷な悲劇であり際立って不幸な人類史的汚点でありはするがむしろ論点は「住民虐殺」事件を含めかかる人民加虐の大元が国家が犯す過誤によるという重大な事実である。だから国民は、政治の趨勢が軍拡や軍事的展開に流れ始めたならただちに自己防衛の策としての論陣を張り、挙ってこうした動きに反発の声をあげなければ結果的に苦痛を強いられるのが自分だという認識を持つことだ。(中断)

詩283

2011年01月07日 14時23分06秒 | 政治論
 完全な懐疑主義は最後に自己自身を疑うのだろうがデカルトの哲学は疑っている自身は疑えない唯一の存在だとする。彼が専ら幾何学や数学一般に思考の矛先を向けたことは彼のこういう懐疑精神の最終的な純粋自己の論理展開においては最も信用が置ける学問と踏んだからに相違はなく後に批判されるが歴史学や文献学を嫌った所以もむべなるかなといったところか。歴史学は所詮史料の信憑性に力点を置かざるを得ず、論理的思考をいつも苦痛に導く厄介な存在だ。だからいわゆる歴史学的論争なるものは所詮推理作家が大いに興味を持つ程度の余り現代の問題には影響のない遊び(すさび)としてしか評価できない。例の高校教科書問題は明らかに純粋な学問的論争としてありはせず、むしろ政治的胡散臭さに巻き込まれる傾向を示した。ガリレオの「地球は回っている」独言はこういう愚劣で無駄な信憑性の保証がない論争一般を皮肉っているとも言える。

詩282

2011年01月06日 10時57分26秒 | 政治論
 いずれにしろ反対住民というのは危険地帯から遠ざかれば遠ざかるほど減数するのは人情で現に名護市合併がなかったならいわゆる地域住民の民意は決して多数決原理によって希釈されることもなかったわけだ。事ほどさように普天間危険性除去も県内移設の愚策さえなかったなら容易に可能だった話で、最後は議会制民主主義の最大の矛盾に突き当たる。久志住民に始まる局地的闘争が名護市沖縄県と温度差を内蔵したまま拡大希釈され、本土の活動家を巻き込むに至ってはこの国の安全保障全般にわたる再検証さえ求められることになる。しかしながらこれはこの国のあらゆる政治的愚行を意味するのであり、決して沖縄周辺住民の過誤ではないし、かかる政治的アマチュアになんらかの政治的判断を押し付けたこの国の為政者の情けなさを表しているに過ぎない。当然ながら事ここに及んでは普天間辺野古問題は日本全国的問題に変えていく必要があり県民は彼らに下駄を預けてしまってよい。但しこの国がアメリカの言いなりにしかならない現状を正確に認識し彼らを批判しつつ彼らの強硬路線を警戒し、実力行使に対し実力抵抗するしか己が生活を守る手立てはない。ここで流される血はこの国の悪政を物語り憎むべき国情を表しており、同時にこの国の国民の戦後65年で培われた無知蒙昧が明かされる。また国連という機関は少しも国同士が連合していない機能不全のまやかしの連携主体であり、アメリカがこれを無視して単独行動する横暴がまかり通っている限り、国際的にはなんらの補助もないと覚悟するしかない。今や孤立無援の沖縄県民闘争と化した現段階では施政権返還時に舞い戻り、あの条件付密約付返還の屈辱を反芻し、決してこの国に騙されないことを心に刻み、純粋に戦争準備発進新基地を自分の住む豊饒の海近くには許さないと誓うことだ。