沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

この国の終わり 6月23日「慰霊の日」が沖縄にとって意味するところ

2022年06月22日 13時37分13秒 | 政治論

 6月23日、この日は条例で、沖縄県および沖縄県内の市町村の機関の休日となっている。勿論祝日、と言う意味でそうなのでなく、沖縄戦等で没した日本の軍官民と異国人(全戦没者)に対し慰霊の意を全県挙げて体し、併せ追悼の意を表する日とされる(そのあとの永遠平和を祈念するというのは付け足しか?)。当然先の大戦と15年戦争で死没した人々に世界中の国々が関わっているわけで、この慰霊の意には沖縄という日本国における一地域の、特別に限定された含意が込められているというものでもない。これが本土の日本人には誤解されやすいところでもある。

 しかしながら、歴史的客観に付された「沖縄戦」は戦略的には「無駄な戦争」であり、「本土防衛の捨て石」「本土決戦の時間稼ぎ」と言いながら結局勇ましかるべき大和民族の「本土決戦」自体がなかったし、ポツダム宣言受諾は天皇の身の安泰が約された結果として、無様な無条件降伏を呑んだ意味としかとられず、「沖縄戦」で無差別に殺された沖縄県民はいかに糊塗しようと本土国民と天皇の「人身御供」「人柱」つまりは犬死にだった。そのためには県民の4人に1人が、鉄の嵐の艦砲砲弾と容赦のない戦闘機爆撃の下、無数の死者たちの血と泥の中で悶死しなければならなかった。

 つまり本来なら沖縄戦で死没させられずにいなかった沖縄県民、一般市民の慰霊祭であるべきところ、戦後様々な経緯の中で広島原爆や長崎原爆の慰霊祭同様、何か重要な核となるべき「問題点」や声を上げるべき真実が希釈され、一過性の約束事のようにこの日を過ぎれば「はい、解散」とでも言いたげな扱いに堕していったというのがこの国の、先の大戦にまつわる殆どすべての事案の成れの果て、意味も礼節も何もない空しい空砲という運命を辿った。

 最も罪が重いのは昭和天皇裕仁であり、沖縄県民の言わば不倶戴天の敵と言える。彼が例えば近衛文麿の進言を受けて敗戦間近のこの戦争を「沖縄戦」なしに終わらせられたら、そして戦後マッカーサーなどの覇権的言辞に惑わされず西側陣営の極東の防波堤論などに加担せず、沖縄軍事要塞化を拒否するメッセージこそ発していたなら、戦後沖縄の悲劇的悲惨な境遇は聊かでも緩和できたろうに。しかし彼は日本国憲法で言うところの「政治的発言」を沖縄島嶼に関してわざわざ、異国への「売り渡し」実質で発したという歴史的事実は、今でいえば間違いなく憲法違反、従って直ちに削除訂正すべきものだと言える。戦後巡行が沖縄に及ばなかったのは彼の見え透いた罪悪感のせい以外考えられない。

 勿論、この天皇の罪悪は根本的に免責できない質にあり、東京裁判などという、戦勝国復讐裁判の茶番劇では決して「本質」を穿つことはできず、司法取引などで済まされるような質の犯罪ではなかった。一国の国民全体が完全に巻き込まれ従わされた結果としての戦争行為であり、統帥権以前の問題が厳然としてあったのだ。最高責任者としての大権、統帥権は軍部の暴走などという言い訳じみた話などとは関係がない、実際に御前会議は都度開かれ、参謀たちが言上するところ黙って見過ごしたはずはない。1941年12月東条が「開戦の詔勅」というとき、それはまさに天皇の意思が戦争を進んで望んだとしか解せず、全責任は明らかに昭和天皇裕仁にあったと証明している。

 国民は「おおきみの辺にこそ死なめ」という玉砕精神に逆上させられ、「生きて虜囚の辱めを受けず」などと、最後は自決しろという教訓を教え込まされた。「悠久の大義」に生き死にすべきは軍人でしかないのに、沖縄第32軍司令官牛島は自決の夜に言わば一般市民に他ならない沖縄県民に対してそれを押し付けたのだ。この司令官の中には軍官民共生共死の沖縄戦が既に総力戦のめちゃくちゃな戦争だという認識しかなかっただろう。こうして沖縄県民は狂った国の「大義」のために県土中を這いずり回り、あるいは集団で自決させられ、スパイ呼ばわりされて背後から銃殺され、食料も奪われ、壕を追い出され、投降さえままならなかったわけだ。

 勿論本来、こういう死に目に合わせた張本人である本土、ヤマトウの日本人の代表が、内閣総理大臣が、その他の閣僚たちが、「辺野古唯一」以外何も言えない連中が、この慰霊の日にわざわざ来沖して県民の神経を逆撫でする行為というのは、三流ドラマによく顔を出す「お代官様」やその他の悪党たちのそれと大差ない。県民は怒声を浴びせて怒っていいのだし、「二度と来るな」と言い募って構わない。ここにあるのは、通常理念的理想主義的文言を出ない「平和主義」「反戦思想」というのが、動かしがたい現実性を帯びて存在する事実だ。多くの首長たちが、政治家が、変節し右寄り、本土すり寄りを見せているが、残念ながら彼らはおのれの保身のために県民を裏切っている、どうしようもない忘恩のやからで、例えば歴史的真実は彼らのことを決して高くは評価しない。わかりきったことだ。

 ただ、彼らの裏切り、変節、経済主義が現代沖縄の若年層をじわじわ汚染し、理由なき事大主義を標榜し始めるご時世になってきた。かつてしばらくは8割がた反対していた日米安保体制を逆に肯定する県民が増殖し、今では何も知らずに容認する意見に支配されるようになってきた。

 この沖縄の現状はそのまま日本の現状に裏返され、日本国はあの敗戦とともに「終わったのだ」と実感させられる。その終わった国にへばりついて誇り高き非武の邦、琉球民族は一体どんな輝かしい未来を夢見ているのか?筆者にはまるで見えてこない。