沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩 50

2008年09月26日 14時04分21秒 | 手記

 この出来損ないが神の復讐を甘受したとき大凡下の稀代の懊悩はいよいよそのありのままの姿を現した
 こんなつまらないものに誰が振り向こう、しかし神が復讐したとき神は自ら告白したのだ、「彼」はいったい彼のなにをそんなに恨んだのか

 あらゆる犯罪者は彼の犯罪の多寡をその罰によって計る、ある種の犯罪者はそこに彼自身の自尊心を実感する、彼がもしそこにその意味というものを見出したとしたら「ラスコーリニコフは自分だ」と思うだろうか、いずれにしろ件の罰もまことに彼自身にふさわしい量刑となって質とともに下される、そこに過不足はない、かくして一生はこの判決によって決定的に客観化されるのだ、