退くも地獄進むも地獄の原発再稼動を閣議決定し、首相がしかく宣言すれば直ちに再稼動するものなのか。
野田は再軍備・憲法改悪・核武装論者であることは間違いなく、もしかすると戦後日本の最大の戦犯予定候補といえるかもしれない。
東条英機以下戦犯指名されたA級戦犯たちにあって、キーナン以下検事連がでっち上げようとした「共同謀議」は、事実上立件不可能な事案だったことは周知のとおりだが、個々に有している、「黙認による肯定」という政治姿勢が結果的に文民統制力の消失という悲劇へ誘導したことは否定しようのない事実であり、まるで人身御供のように廣田弘毅一人を文官から処刑場に送ったのだが、恐らくは誤判の謗りを免れないものであろう。
開戦するしかないといわれた太平洋戦争と「再稼動」するしかないという原発はどこか似たような経緯を辿っている。「再稼動」が発信する「原発事故」の免罪化を誰かが画策している。
予測される大事故は、現状頻発する震度3以上の地震と、事実上活断層上の施設といわざるを得ない既存の原発、という条件から容易に現実性を帯びるのであり、当然ながら稼働中の事故は稼動停止状態の場合より危険性が高いといわれている(それはすでにフクシマで立証済みであろう)。
開戦から3年余りで未曾有の大敗に窮まったあの戦争の罪過は、単純に過去の事跡で終わるものではない。「フクシマ」を見る限りその浸潤する放射能影響の甚大さは世界規模で考察されなければならないのであり、あの戦争と同断の、あるいはそれ以上の惨禍を齎すものと想定すべきことだ。この国は同じような「過ち」(多くの日本人が過ちと認めたはずだ)を繰り返すのに違いない。(中断)