沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩491 問題 31 無責任が極まる、ということ

2013年12月31日 14時52分52秒 | 政治論

 琉球沖縄の米軍基地を巡る状況、状態、真相、実態が本土に伝わらないのは何故か、恐らく甚だ単純な理由です。それは琉球沖縄について、グラビア的な知識、関心しか持たない一般的な傾向によるのですが、ある意味、この国の本来的な軽薄さにも拠っているらしい。この軽薄さを大宅壮一はかつての紅白歌合戦フィーバーに関して「一億総白痴化」と称したように、言ってみれば国家国民として総じて醸しだす「浮世」並みインテリジェンスの質の低下なのだと思われます。例えば安倍晋三は辺野古籠絡の前々日には突如いきなり靖国詣で?をしましたが、これなどはこういう軽薄さが一国の首相にさえ容易に垣間見られる一例と存じます。勿論また、沖縄県知事の支離滅裂な記者会見でも、こんな愚劣極まりない首長の判断に県民の命運が委ねられていたのか、と、まさしく唖然としかつ慄然としたばかりです。しかも、どうやらこの県知事を選んだのは我々自身にほかならないわけで、自業自得といわれてもしかたがない。まさにこの県知事の辺野古投げやりは、本土の辺地を抱える自治体の長が、国の押し付け原発を誘致して財政的潤沢を図ったと勘違いしたそれと大差ありません。制度的民主制が布かれればそれで「民主主義」が自動的に精神化し生活化すると思ったら大きな間違いです。そもそも司法的に「違憲状態」「違憲」判断にある選挙にどんな実質的な「民主的な」公平な価値ある代議権を付すことができるのであろうか。そしてこの状態を長年看過しこの状態で法案を通してきた議員で占められたこの国の民は、自分の意見やら主張やらを代弁しようとしない代議員にどんな信託を委ねたというのか。こうした不如意に満ちた状況を顧みることなく政治がどうの、一国の安全がどうの、沖縄負担がどうのと、よくもいえたものだ、とおもうのですが、いかがか。このような政治断面はいたるところにみられるものと推察しますが、最初に「無責任さ」を特徴とするこの国のどん詰まりの政治様態からすれば、こんなことは今に始まったのでないことは、想像が付く。有史以来、最後に投げやるやりかたに、この国の主導的なインテリジェンスの本性を見てしまうのだ。(つづく)


詩491 問題 30 知事の行為の犯罪性 3

2013年12月30日 16時56分28秒 | 政治論

 元福島県知事佐藤栄佐久氏の失脚は、謂れのない微罪による知事降ろしに端を発していたことは既に周知の事実であり、氏が追放された理由が氏の在職中の東電プルサーマル計画断固反対姿勢にあったことは間違いない。概ね氏は東電の経営体質そのものに疑問を呈していたし、現在も反原発思潮に変わりはない。この伝でいくと小沢一郎攻撃も当然国家権力の勇み足であり、しかもほぼ、その政界における彼の無力化に成功している(恐るべきことに)。筆者は憶測だろうがなんだろうが、国家に対する「懐疑」姿勢は持ち続けるし、個人の意見主張はブログだろうが行動だろうが、絶えずどこかに発信すべき「民主主義」の不断な実現努力の一環と心得る。概ね右翼系論調は事大主義であり、弁証法上の止揚に似て似つかぬ暴論的飛躍を繰り返すばかりで、さながら、直接直感的近視眼に似た女性的心境に基づく扇情的な脅威論に終始しているし、その言い振りに論理性は欠片もない。従って、彼らの軍事的な理由付けにとるところはなく、琉球沖縄イジメには殆ど陰湿な女々しい根性が露呈されている(それがどんな動機によるのか見当も付かないが)。とりわけ本土左翼の扇動という根も葉もない言いがかりには、彼らの琉球無知、無関心さが露わになっていて片腹痛い。彼らに「民主主義」の何たるかを説いても彼らは決して理解しないであろう。発狂か逆上か、仲井真知事の言動には今、この印象しかなく、こうした職務遂行に支障をきたす病人に、県政を牛耳らせてはならない。(つづく)


詩491 問題 30 知事の行為の犯罪性 2

2013年12月30日 10時11分42秒 | 政治論

 県知事の記者会見における質疑応答を見聞きする限り、彼が安倍晋三を奇妙に高く評価している根拠に、極めて不透明な臭気を県民は感じたはずだ。かつて彼が対峙した内閣の誰に対しても絶えて用いなかった最上級の賛辞を献呈しているのである。恐らくこの底抜けの楽観論(記者が指摘するように安倍晋三の言質に公的な保障性は皆無である)は、県知事がこれまで持っていた「琉球沖縄」アイデンティテイ(史実に則って培養されつつある琉球の超日本的な、あるいは脱日本的な精神性)に関する彼自身の共感めいたものを瞬間的に喪失した、ということのように見受けた。彼がこの会見で埋め立て承認の県民に対する「説明責任」を放棄していることは間違いない。何故なら、埋め立て承認=県内移設というロジックに対する、県民が誰でも了解する明解な説明を怠っているからだ。承認が、日米政府の軍事的拡大政策に弾みをつけかつ益々居丈高に琉球沖縄県土を蹂躙し、自然環境を破壊し、住民を旧日本軍同様の「共生共死」体制へ組み込む異常事態に叩き込むことになる、ということなのだということを、我々は十分に認識しておかねばならない。本土の日本人である彼ら自身が言っているではないか、日本国のために犠牲になってくれ、と。これは間違いなく、沖縄戦の状況再現であり、この国が琉球沖縄に対して持っている数百年変わらぬ偏頗な偏見的差別的、封建遺制的代官政治的、非近代的な人権侵害精神にほかならない。事は実に由々しき事態に突入したと言って過言ではない。(つづく)


詩491 問題 30 知事の行為の犯罪性 1

2013年12月29日 14時03分31秒 | 政治論

 仲井真県知事の「辺野古埋め立て」申請許可の判断というのは、前政権、野田内閣時、既に決していた「辺野古絶対主義」ともいうべき、軍事的要諦(地政学、抑止力)に沿わない「政治的理由」(森本元防相談)によって下されたものであって、この政治的理由もその実態は日米合意絶対主義であり、これを、根底からやり直す手間を惜しんだ外務防衛官僚の怠慢が、そもそもこの反対者の多い事案を引きずる因源であった。根底からやり直す、ということは民主政権鳩山内閣において首相が力説しようとした「最低でも県外」意思の実現に向け具体的な検討に入るということだが、このとき鳩山氏は強引に期限を切って(2010年5月末)実行しようとして時間切れで失敗した(実現可能な案は九州地区移設だったと、平野元官房長官が非公式にコメントしている)。彼は引責辞任の形で首相の座を降りるが、その後この失敗経験を踏まえて新たに「県外国外移設」実現に向け活動しているらしい。その後自民政権に取って代わったとはいえ、この政権自体、本来官僚主体の、政治性欠如の事なかれ主義政権に過ぎず、最初から「県外、国外」など眼中になく日米合意に戻ってその実現に向けひたすら走りきったというべき今回の地元知事籠絡劇である。問題は、環境アセスの段階であれほどアセス自体論外な内容であることを認めながら、今次「問題なし」とした県知事の欺瞞行為だが、このひとつだけでもこの知事が政府ベッタリ、安倍流国家主義的右傾化思潮の持ち主だということがわかるし、県民が、自身告発的に不信任の声を上げるべき犯罪的な背任行為といえる。彼のしたことは、決して、単なる許認可権に関わる事務手続き上の処理物件につき単純に公印を押したというに留まるはずもなく(こうした官僚的答弁に彼の政治家としての限界が垣間見られる)、それが決定的に、ひとつの、県民意思に反する国家行為に対し、順当な推進力を与え、かつ事実上の環境破壊行為にお墨付きを与えてしまった、という、地元選出首長がしてはならない「裏切り」「売県」「民意違背」行為を犯したことになるし、環境問題化している案件に対し、日米同盟が優先的に考慮され、同盟内行為には無法な主張も理不尽に通用する、という、日本国愧儡性を露呈する結果となってしまった。(つづく)


詩491 問題 29 安っぽい人間の所業

2013年12月28日 19時01分32秒 | 政治論

 戦時中、日本文芸家協会が日本文芸中央会に編制替えし、そのまま、日本文学報告会になった形で大政翼賛会系の文化部門を担当することになった。ここに谷崎も志賀直哉も属してない。小林秀雄は戦中芥川賞授与で火野葦平に会うため中国戦線にまで行っているが、彼の戦時中のいくつかの戦争礼賛ともいうべき文章を読むと、どうもぎこちなく、繊細さが微塵もなく、無理してでっち上げたとしか言いようもない拙劣きわまる内容に終始していた。火野は戦後1960年に睡眠薬自殺を遂げた。小林は文化勲章を受けている。志賀は積極的に戦争協力してないが、それらしい迎合文を書いたりしている。戦争の一事を取り上げて、これにまつわる様々な取りざたを眼にするが、今回の「辺野古」のことを考えると「もうどうでもいい」という思いに駆られる。つまりそういうふうにして国家の大事はそれが拙かろうがどうであろうが、やけのやんぱちになった人民を尻目に実行されていくのだなと。どうもとんだ薄気味悪い「正月」を迎えることになりそうだ。それにしてもなんであんなに簡単に折れてしまうのか、県知事を見ると「人間」の所業が恐ろしく安っぽく見えて、絶望する前に死んでしまいたくなるのだ。(つづく)


詩491 問題 28 沖縄問題の固定化(普天間どころじゃない)

2013年12月28日 10時35分26秒 | 政治論

 沖縄県の県知事が、彼自身の許認可権に関わる「辺野古(公有水面)埋め立て許可」申請に対し承認の公印を押した時点で、国は埋め立てに関わる工事に関する具体的な方向性を獲得したことになり、今後如何様にも実施計画を練ることが出来るわけだ。言ってみれば沖縄県の最後の砦、と呼称された県知事采配によりある種の区切りが付いてしまったことになるのであり、特定秘密保護法が成立してしまったのと同様な強権行使手法に、またひとつ有効性の実例を加えたことにもなる。しかしながら、これまでの国の沖縄対策が踏襲された安部政権による今回の、秋以降に著しい沖縄政界に対する懐柔籠絡作戦は、沖縄における制度的な「民主主義」が全くその実を挙げることがない、ということを、民主政権公約破り以来目の当たりにしてきた県民には、恐らく根も葉もない空中戦という見方でしか受け止められてない。これは民意との乖離ではなく離反であり敵対でしかない。安部晋三ががなりたてる「戦後レジームからの脱却」でなく、まさしく戦後レジームの最大の悪の温床をもう一度掘り出してしまった、ということだ。しかし、成田闘争の愛土心に比しても段違いに強烈で根深い血塗られた体験に裏打ちされた沖縄県民の愛郷心が、戦争を知らない世代で構成されていく政治的効率追求路線によって単純に根扱ぎされることはないであろう。つまりは「沖縄問題」としてもう一度再確認される問題性だけが、普天間同様固定化されるのだ。否、普天間は米国国内事情により浮遊するような根の浅いものでしかなく、「5年以内の危険性除去」なんてものは実に噴飯ものだ。5年も固定するのか、しかも嘘つき安倍政権がこれに成功する確率はゼロに等しい。財政に明るい知事がまあ、計算違いを平気でやるもんだ。いずれにしろ、高江も辺野古も、益々、住民闘争に、効果的な効率的な方法で打ち込まざるを得ない状況になっていく。(つづく)


詩491 問題 27 アウシュビッツ

2013年12月27日 21時49分02秒 | 政治論

 ナチズム時代のポーランド南部、アウシュビッツ絶滅強制収容所では、1940年から1945年までヨーロッパ各地のユダヤ系の人々や、ジプシー、あるいは戦争捕虜、身体障害者、同性愛者などを探索、密告、により逮捕連行して収容し、主に労働力として使役することに始まって、やがてユダヤ人問題の最終解決としての絶滅計画に着手すると、ここではまず、労働力足り得ない弱者、女子供、を排除するため、チクロンBガスによるシャワー室と偽ったガス室での大量殺戮、焼却、遺灰処分を行いつつ、衰弱していく労働要員も次々とガス室に送っていくことになる。こうしたなか、我々にも内実が不明なこれらの労働者のなかに、比較的若くて健康な男たちを選別して特殊任務部隊という、ユダヤ系組織が形成され、おぞましくも酷薄な、生々しい「特殊任務」にあたっていたことを、自身の体験に忠実に、偽りなく披瀝した、体験者のインタビューで明らかにした著書がある。その特殊任務こそ、ガス室で死に絶えた人体を一個一個引きずり出し運んで、これを焼却炉にぶち込み、遺灰化して川などにぶちまける仕事であり、更に死に行く人々が断末魔に排出する汚物やら血液で汚れたガス室を跡形もなく清掃し、石灰でカモフラージュして次の犠牲者の目から事実を消し去ったり、脱衣に手間取り監視官の眼を惹き、結果直ちに銃で撃ち殺されることを防ぐべく強引に脱衣させたり、遺体から髪の毛、義歯、金歯、貴重品を剥ぎ取り倉庫に保管するなど、その行為自体はまさに稀代の国家犯罪幇助に等しいものなのだが、体験して生き延びたこのインタビュー当事者は「ほかにどうしようもないことであり、しなければ殺されるだけだった」と苦渋の表情で述べている。こうした体験談を読んだり聞いたりすると、ナチズムの当事者たちが、殆ど人殺しを楽しんでいるとしか思えず、一体にサデスティックであり、容赦ない様が髣髴としてきて、ここまで人間を間化する国家的な命令系統の空恐ろしさばかり目に付いて、最後は鈍磨し感じなくなる自身の行為に対する正常な判断力を、我々さえもが失うのであろうと想像せざるを得ない。(つづく)


詩491 問題 26 辺野古籠絡と琉球沖縄の県民 3

2013年12月27日 13時19分11秒 | 政治論

 まず、あのチュラ海(美しい海)を埋め立てることに誰でも不快感は禁じ得ないだろう。次に、この地で68年前に繰り広げられた米軍との戦闘が、沖縄本島他に住する一般人を守護しない実質で、軍官民一体で共に生き、共に死ぬという全面的な玉砕戦へ引きずり込まれ、一家掃滅の憂目に会い、本土決戦のための時間稼ぎと称して軍事的位置づけを印象させながら、実態は全面無条件降伏回避のための交渉優位性の保持を目途とし、単なる作戦ミスに過ぎない「沖縄戦」を県民の無残な犠牲を担保として遂行しようとした参謀本部は、結局本土決戦などするはずもない腰抜けであり、国体護持と称して自己保身を図った昭和天皇の思惑通り、出来レースの8月15日を迎えた敗残者であった。

 こうした国の実態は置き去りにされ、打ち捨てられた琉球の民は、死に損の戦禍に巻き込まれたうえに戦後の米軍、日米政府の勝手し放題に蹂躙された県土の片隅に漸く息をつく基地温存の施策に操られ、60有余年を不如意のどん底にあえぐ時間経過のなかで国内最低所得、最低賃金、おまけに最低学力??まで押し付けられ、「基地経済」(県内5%)で潤っているかの喧伝が大嘘なのはわかりきったことなのに、さも県民がこれをおおきに望んででもいるかのように思い込んでいる半可通の本土人がいるという、まことに情けない国情を呈している。彼等のいうことには「これからも日米軍事同盟の体制を維持するために沖縄県民にご負担をお願いしたい」と、さも自分が日米代表でもあるかのように政府ベッタリの愚劣な発言をよしとする馬鹿げた国だ。こんな国に「民主主義」など根付くはずもない。自分の知、情、意で考え、判断し、行動することができない中途半端な「おとな」で埋まった日本国は、残念ながら銭稼ぎだけには長けた3等国のそしりを免れない。

 人は恐らく経験、経験知を通して現在と未来を生きようとし生きていこうとする。琉球沖縄の経験知はまさしく沖縄戦の高すぎた体験に基づく非戦、反戦の意思に結実しているのであり、軍事的軍拡的傾向に対しては人民のためにならないという知を得ているからこそ米軍展開も自衛隊軍事活動も決して歓迎しないのである。ましてやこれから新しい軍事基地を建設しようという、この辺野古のことは言語道断なことに決まってるじゃないか。(つづく)


詩491 問題 26 辺野古籠絡と琉球沖縄の県民 2

2013年12月27日 10時40分01秒 | 政治論

 琉球では魂(たましい)のことをマブイと呼び習わしているが、今回ほど県知事にマブイ落とし(たましいが欠落し異常な言動に走ること....明らかに態度が豹変しかつての面影を失うさま)を実感した瞬間はなかった。これに対し、マブイグミ(たましいを入れ直す....グミは込めの謂い)が可能なのかどうか、仲井真老人は「あくまで県外を求めるが、書類上不備がないので埋め立て申請は承認した」と説明するのではあろうが、詭弁にしか聞こえない。つまり明らかに力点を欠損していることに変わりはなく、自身の政治的立場の擁護にしかならない。もし彼の三百代言が辛うじて効力を維持しているというなら、彼は政治生命を賭けて辺野古回避のために全力で仕事をする必要がある。(つづく)


詩491 問題 26 辺野古籠絡と琉球沖縄の県民 1

2013年12月27日 07時24分39秒 | 政治論

 県知事を籠絡して辺野古を取り付け、米国に思いっきり尻尾振ったはずの安倍晋三だが、調子に乗って突如実行に及んだ戦犯合祀の、「軍国主義」真っ只中の靖国私設神社参拝を、当のアメリカに「失望」の一言で斬って捨てられてうろたえる滑稽な戯画は、日本国の現状、アメリカのポチぶりを遺憾なく発揮している図ではある。この安倍晋三という宰相は、恐らく政治感覚に希薄な稀代の軽薄首相だ。これを担いでいる自民党のしたたかな「まつりごと」はお見事というしかなく、とりわけ今回の辺野古埋め立て沖縄封じ込め作戦は、人間というしろもののどうしようもない「弱さ」に付け込んで、政治理念やら政治倫理など天空の彼方に吹き飛ばして、公約破り、県民裏切り、金銭ばら撒き、ありとあらゆる「汚い手」を駆使し、琉球沖縄の「遅れた未開性」印象定着に責めどころを固定し、その事大主義的県民性を利しながら、全体に秘密警察的風潮を醸し、追い詰め、しみだらけの顔をさらした老人の足腰立たない状態での妄想的自己完結「いい正月を迎えられる」といった、薄気味の悪い前近代的な「代官政治」を現出してみせた。だが、琉球沖縄県民に、このやりかたは通用するのだろうか。本土の他県ならいざ知らず、その歴史的確執の実態に、とうにこの国の性根や正体、その「植民地思想」をまじかに見聞きし体験している人々に易々と、今回の野蛮な強権主義強行路線を黙して送迎する「純朴な」一般大衆を演じるというような果敢ない「民意」現実を自らに許容できるのか、ということだ。(つづく)


詩491 問題 25 真空地帯 11

2013年12月26日 10時25分52秒 | 政治論

 日米安保容認派の仲井真知事が推薦母体たる自公政権に沿う決断を下すのはある意味わかりきっていたことではある(それが売県行為だとしても)。ただ、自身の決断が歴史的流れの中でさして重大なものでないことを彼は熟知している。埋め立て承認してさえ、この工事が難航し、住民闘争を熾烈なものにし、逆の反基地思潮に爆薬を投げ込むことになることを彼は予測しているだろう。多分辺野古埋め立て承認発表とともに責任逃れに辞職をにおわすのであろう(かつて名護市長比嘉鉄也氏がやってしまった前例がある)。福島県で先の参議院選に自公候補を選ぶのは、必ずしも「煮え湯を飲まされた」張本人という意識さえ失った結果ともいえない。この基地と日米政府の民主政潰し施策にどれほど泥水飲まされたか知れない琉球沖縄が何故、保守党の県知事を選ぶのか、同じ根っことしかいえまい。沖縄県民の事大主義的傾向は歴史的実証済みの事実らしいが、福島県で見られる同様な反応に、一体にこの国の大衆はどうしても自己責任に関わる「懐疑」精神や個別に主張しうる「民主制」への信頼感に欠けている、という実態が見えてくる。さて、県知事の選択が誤ったものであることは誰にでもわかろう、ということから、次の戦略はこの決断を反故にする知事公職リコール請求、という段階に踏み込まなければならない。それが無理なら(一年間は解職請求できないらしい)知事不信任案を県議会にだしてもらうしかないが。(つづく)

 


詩491 問題 25 真空地帯 10

2013年12月25日 23時51分21秒 | 政治論

 軍隊の内、内務班と称される言わば「住み込み兵員」間において日常的に行われた階級上位の者による暴力的兵隊支配空間を「真空地帯」と名づけたのだが、琉球沖縄は恐らくそうした真空的な非人間的な暴力的なゾーンと化し、日常、間断なくオスプレイの脅威にさらされ、米兵犯罪の温床となり、逃げ得の軍隊避難所に囲まれて、騒音、爆音の下、国家的軍事要塞プロジェクトに基づくおためごかしの籠絡、懐柔、恫喝、追撃によって、知的、情緒的、理性的自由を基地の柵で囲い込み、さながら、温柔な家畜同然の待遇の中に精神に対する未必の故意ならん冒涜的犯罪性を形成している。(つづく)


詩491 問題 25 真空地帯 9

2013年12月25日 08時14分38秒 | 政治論

 この世の表象は悟性に「懐疑」という種だけを植え付ける。と、デカルト流に言うとすれば、疑いようのない「懐疑する自己」において存在を規定するのであり、これをしも「否定」する働きは当然「外敵」となり、争闘を生み、血が流れる。2010年の鳩山陥落は、彼が自身で設けた判断期限内に決着しなかった「県外移設」「国外移設」の方策を、期限内という限定のなかで捨て去った結果にすぎなかった、という事実がある。平野元官房長官の話では、その実現可能性はあったということだ。仲井眞知事が判断時期を年内としたことにひとつの決意があるのかもしれないが、この時期設定はとりわけ「環境保全」面での疑問にとっては無意味であり、既に不承認の決断でない拙速の判断は差し控えなければならない。もしかするとこれは、単なる「国家対人民」争闘の幕開けにすぎないのかもしれない。(つづく)


詩491 問題 25 真空地帯 8

2013年12月24日 10時43分12秒 | 政治論

 琉球沖縄は、カフカの審判のように、ある日故知らず連行された者、としてある。琉球が犬のようにくたばるかどうかはともかく、この「故知らず」において琉球がこの国で多くの不当処遇を受けていることは言を待たない。この地に就いて一貫してその救済の筋道をつけた政治家はかつて存在しなかった。一方、琉球沖縄にあっては、全てが最初から一貫しているにも関わらず、相手がその時々で理念的論理性を削ぎ落としてしまうが故に、話はいつも振り出しに戻る運命にあった。辺野古埋め立て申請対応の県側知事サイドについても一向に日米軍事殖民行為を断罪して斬り捨てる気概を示す一言がない。一方、本土の有象無象はさながらボクシングタイトルマッチでも観戦している程度の興味で傍観している。つまりここでは、琉球沖縄の非戦反戦意思がまずつんぼ桟敷に追いやられるのは勿論、同じ県内に、より強靭な新基地を造作する行為について(負担軽減??という)疑問符を提示する者もない。理念的論理的矛盾が不問に付され、「故知らず」連行されることを、許容している国家とは一体何か。秘密警察ゲシュタポの暗躍するナチ国家にほかなるまい。(つづく)


詩491 問題 25 真空地帯 7

2013年12月24日 08時50分21秒 | 政治論

 「物取られ妄想」は公務員型患者に多い所謂マニュアル依存人生観の持ち主に顕著に現れるらしい。恐らく公務員の家族にもそういう傾向があるものと思われる。筆者は公務員ではなかったが、親はいずれも教員だった。元来生活パターンは何気に規則正しく、ほぼ決まりきった繰り返しが基調となっている。筆者のそれも似たり寄ったりだ。当然ハメをはずした生活には自然と不安を覚える。こういう心理傾向が、一旦「認知症」を発症すると、自身のボケをいきなり認められず、他人や他の事物に託けてしまいがちになる。つまり誰かに「盗られた」「隠された」というような被害妄想であり、相手にすれば極めて理不尽な言いがかりとなる。解決する気配すらなく、一緒に探してやっても見つかろうものなら「盗って元に戻した」と言い張る。しまい忘ればかりでなく、盗られまいとして隠しこんだ場所を失念する、ということもある。更には部屋に入って私のものを使って何々しただろう、とまで言う。彼の妄想には歯止めがない。ただ「警察に訴えてやる」とか「物のわかる人に相談する」とか言っても実際には行かないし行っても結局「認知症」患者扱いされるばかりなのだが。彼の言動には当然辻褄の合わないことが多くなる。こちらがまともに相手にすればするほど益々居丈高になっていく。まあ、やり過ごすしかない。つまりひたすら台風通過を見送る姿勢だ。しまいには、どうにでもなれという気分になる。(つづく)