沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩506 文民の怒り 11の1

2014年01月31日 18時23分27秒 | 政治論

 所謂「プライス勧告」に抗議して沖縄県内全域で始まった「島ぐるみ闘争」という民衆運動が、現在の「オール沖縄」運動につながるのだという森宣雄氏の指摘(「島ぐるみ闘争」はどう準備されたか....森宣雄・鳥山淳編著 不二出版2013年10月10日初版)は正しいかもしれない。時代が風化させた面は否めないにしろ、琉球沖縄史の中に通底している同根の精神は、この島嶼が日琉関係史上絶えず「弱者」「マイノリテイ」として権力構造と対峙する局面に立たされてきた事実からしても、それが揺ぎ無く受け継がれてきたことは間違いなく、とりわけアメリカ世以後の米軍政府民政府が殖民行為として実施した軍事要塞化計画に沿った民有地接収のあこぎなやり口(銃剣とブルドーザー)は、異国の暴力的な圧政が琉球人に襲い掛かって止むことなく民衆を虐待した野蛮な戦後史の端緒を形成することになったわけで、その後日米合作に変質した沖縄イジメこそ、「オール沖縄」の基本的な情念を、又動機ある理念を立ち上がらせたのだった。(つづく)


詩506 文民の怒り 10

2014年01月30日 23時22分50秒 | 政治論

 飽くまで沖縄タイムスと琉球新報が報じる記事に拠る。

 糸数慶子参議院議員他訪米要請団が現在滞米中だが、既に上院議員を引退しているウェッブ氏が米政府、議会と沖縄の架け橋になっていい、という申し出をしたと伝えた。ウェッブ氏はレビン(勇退を示唆している)、マケイン氏らとともに辺野古案に懐疑的な発言をしてきた議員だが、仲井真知事の埋め立て承認以後、こうした上院議員が承認賛同に転じる傾向を示している(マケイン氏)中で、引退している同議員のこの申し出は希望の光だと報じている。ニューヨークタイムズ社説も辺野古移設を難じた論説を展開している。軍事論理は、理念的対極を前にしても往々にして自己論理の完遂に向けて直進する。当然、政府国防総省への説得には困難さが伴う。しかしながら、要請団にあっては米国の辺野古傾斜を重大視する余り、正当性の主張が持つ重みを過小に評価しないことだ。とりわけ現在続々と声明を発表している世界の識者が指摘する、名護市長選で「海にも陸にも基地は作らせない」と宣言した稲嶺進氏が再選されたことは「歴史的な勝利であり安倍政権不信任に相当する」という、この事実の掛け替えのない重みを忘れないことだ。人民闘争の歴史の中で、このように民意に沿った理念的勝利が鮮やかに示されたことは稀なのだ。このことを世界の識者が認め、理念性を失墜している21世紀的末期症状の精神界に英雄的な一歩を記した、といえるとする。

 ガンジーの精神衛生....失望を味わったなら、常に「歴史上最後には必ず愛と真実は勝利する」と信じることだ。(つづく)

 


詩506 文民の怒り 9

2014年01月30日 09時18分19秒 | 政治論

 仲井真弘多沖縄県知事の背信、背任、公約違反乃至公約めいた欺瞞言辞駆使行為の意味

 彼は、民主政権への政権交代までの数年間は、稲嶺県政を引き継いでウチナンチュの言い分を加味しながらも県内移設を明らかに容認していたし公言もしていた。しかし政権交代後その言辞からは容認言辞は消えうせ、あまつさえ2期目の知事選では県外移設を唱えるに至り対立候補伊波氏を抑え再選された。事実上、県外移設をもって2期目を踏み出したと言えるのであろうが、彼の雰囲気からは既に、とりわけ相手伊波氏が県内移設絶対反対の立場にあるため、どちらかと言えば流動的な情勢を醸しだしていたともいえる。彼の政治的志向傾向は、政府からの沖縄振興予算分捕りであり、県内移設に関しては絶対的な反対の立場は決して執らなかったように見えていた。ここに彼の「公約違反」実質の根っこがあり、県民意思からの決定的な乖離がある。つまり当初から、沖縄振興予算が要求以上の成果を挙げるなら県外移設はいつでも捨てる気でいたということになる。もしこのことを彼が、確信的に自己認知していたなら埋め立て承認はかくもいい加減になされることはなかったかもしれない。しかし彼は無邪気な浮かれポンチにすぎなかった。名護市長選の結果に仰天したのは当然である。ところが彼には政治家としてのモラルさえ欠如していた。議会の辞任要求を意に介さなかったのだった。

 語るに落ちてお話にならないのでおわり。(つづく)


詩506 文民の怒り 8

2014年01月30日 07時41分08秒 | 政治論

 普天間飛行場返還に伴う辺野古移設のこと

 普天間飛行場返還は、1995年の米兵による少女暴行事件にからみ沸き起こった反米反基地県民思潮に対処し、日米政府が沖縄県側に譲歩する形で提示した返還計画につき、当時の大田知事が返還端緒としてあげたひとつであり、全面返還の取っ掛かりにすぎなかったのだが、その後の日米政府の在り様は必ず返還について代替施設を条件化させた経緯がある。この児戯にも等しい米軍思考法はありていに言えば基地の「県内たらいまわし」に過ぎず、彼ら日米政府が事ある毎に言い振る「沖縄の基地負担軽減」などは真っ赤な偽善、欺瞞言辞であることは、誰の眼にも明らかなことである。辺野古移設は米軍基地縮小の謂いではなく、在来基地との一体化によって一大軍事基地を新設する行為であり、かくして北部訓練場、キャンプシュワブ併せ、沖縄県北部地区一帯を、オスプレイ飛行訓練、タッチアンドゴー、など大規模に展開する軍事訓練場にする計画であり、併せ、自然遺産候補地たる南西諸島の一角を真逆の人為的自然破壊の修羅場とする環境保全上の犯罪的行為の是認にほかならない。

 上記要約に表出される返還+移設式「負担軽減策」は、国家的外交的詐欺行為といえるが、この世界理念に違背する行為が、日米政府によって沖縄県に「我が物顔」で行使される、ということに疑問を感じないものはいないであろう。これをここでは「構造的差別行為」と断じているが、この実態に関する本土日本人の危機的切実さで応じる関心度は頗る低い。これを「対岸の火事」心理だけでなく「同胞愛」の欠如、沖縄異属視、「沖縄基地押し付け放置怠慢」「安保ただ乗り」などとこきおろされても、一向に効果はなく、この国の人民的資質の低劣さとさえ言わざるを得ない。

 しかしながら今回の名護市長選で「辺野古の海にも陸にも基地を作らせない」と断言した稲嶺進氏が、4千票以上の大差で推進候補を寄せ付けなかった事実は、世界中の共感とシンパシーを呼び起こし、今や大々的に抗議声明(その賛同者は各国の知識人数百人にのぼる)が発せられつつある。こうした理念的知的センセーションに関わらず、政権中枢の幹事長辺は、まことに愚劣極まりない発言を繰り返している。同じ日本人として恥じ入るところではないか。(つづく)


詩506 文民の怒り 7

2014年01月29日 23時25分22秒 | 政治論

 松永伍一という人を、確か「日本農民詩史」で知ったのは20代だったと思うが、氏の「一揆論」は知らずにいて、そのなかに、およそ一揆などというのは死を覚悟してやるもので、そうでなければ一切沈黙したほうがよい、というようなことを書いている、と末井昭氏が言っている。権力者、為政者、とりわけ理不尽な反動政治に加担する連中に対しては、沈黙のほうが効果的だということで、成程と思った。彼ら(権力者)は抵抗し、反抗する力に対してはいくらでもその弾圧の手口を心得ている。ところが次々と繰り出す施策に対し、どこからも抗議の声や反論が沸き起こらない状態で推移すると、むしろ彼らは不安になる。今安倍政権に対して、中国や韓国がかなりの頻度で抗議や攻撃的言辞、反論の声を上げているが、こういうのはこの政権にとってむしろ弾みをつける斥力の意味しかない。米国の勧告さえ無視して靖国参りをした男だ。粋がりこそすれ、決してめげるが物ではない。

 国の内外で主だった知識人の沖縄包囲網的声明が発表されているが、この安倍政権にどれほどの統制力を発揮するのか未知数だ。結局は地域住民、有志、が骨身を削って座り込み、調査工事妨害、市長許認可権行使フル稼働、反対者糾合の国内規模でのオルグ、等が要求される。(つづく)

 


詩506 文民の怒り 6

2014年01月27日 23時50分35秒 | 政治論

 県内県外の有識者ジャーナリスト65人が辺野古断念、普天間早期閉鎖を求める緊急声明を発表した(琉球新報)。名護市長選の結果を受けての声明で安倍首相、オバマ大統領、ケネデイ大使に送付された。辺野古にしろどこにしろ、新基地は恒久施設であり、とりわけ沖縄県内の場合、「これ以上軍事施設を置かない」という強固で根深い県民意思への重大な挑戦であり、同時に代議制民主主義の有名無実化を意味し、もしこれ(辺野古埋め立て、基地建設)を強行した場合「血で血を洗う」前時代的惨状を呈することは間違いない。県知事の埋め立て承認がこうした事態を招いた、ということになる。これはれっきとした政治責任問題だ、彼に今求められているのは自身の承認を撤回し、環境アセスの重大な欠陥を指摘し、併せて県民意思に沿った日米合意見直し、地位協定抜本改定、返還作業の速やかな進行を強く日米政府に要求することである。米国のベトナム戦争時の状況に近いものがある。当時、ジャン・ポール・サルトル、バートランド・ラッセルなど主だった世界の知識人が米帝国主義を糾弾する国際軍事法廷を開いたことを想起する。今こそ世界中の知識人が、仲井真県政とこれを操る安倍政権及び親玉オバマに鉄槌を下す時満ちた。(つづく)


詩506 文民の怒り 5

2014年01月27日 09時17分02秒 | 政治論

 人口10万人当たりの自殺者数をランキング化すると、秋田、岩手、青森、新潟といった県が例年上位を占め、死亡者数に占める自殺者の割合でもこれらの県が当然上位なのだが1位は沖縄である(前者においても沖縄は10位くらいにいる)。この結果が何を意味するかは専門家にも判然しないらしいし、遺伝的要素も裏付けられてない。自然的社会的環境が影響しているのかも知れないのだがおよそ自殺は個人的個別的な性格の強い行動であり、一概にデータ化され類型化されても、それで何か事足りるといったものではないということは言える。青木が原樹海ではボランテア的な探索者がいて毎年何百人という死人が発見されるらしい。これは何を意味するかと言えば、我々が普段少しばかり意識的に他人に注意を向けたりすると、意外に、何かしらの救助信号が発信されていることに気が付くかもしれない、ということだ。我々の微妙な心的活動が他人の繊細な精神の揺らめきを察知する、ということ。

 知事の辺野古埋め立て申請承認の判断にはっきりノーを突きつけたのが、地元名護市の市長選挙であり、これに4000票以上の大差で「辺野古の海にも陸にも基地は作らせない」と言った稲嶺進氏が圧勝したことは、もはや承認無効を宣言したも同然の意味あいになる。

 当時を知らない者にはその内容規模熱意のほどはうかがい知れないが、理不尽に強行される国家権力、米国の支配者意識露出が顕著になると、琉球沖縄は「島ぐるみ闘争」を展開する。今ここでは「オール沖縄」という標語になっているが、その基礎にあるのは歴史的深化と理念的培養を経た人権奪取意志であり、本土にはない「草の根」的エネルギーを保持している。それが、市長選の結果を全く無視し辺野古埋め立て業務に着手した防衛局の強硬姿勢に対し、真っ向から対立し対抗する運動へ転化するのは当然で、沖縄県で今オスプレイ配備に反対する「建白書」提示時の「島ぐるみ」的状況へ回帰すべく、県議会中心に県民意思の組み立て直しが行われている。自民党の国会議員西銘、島尻が真っ先に「肩の荷を降ろす」ように県内容認に変質し、次いで他の国会議員も屈服し、自民県連がへし折れたのは、彼らの弱さだ。自己利益を優先させた代議員にあるまじきアンモラル行為だ。彼らにどんな言い訳も許されない。しかし、明らかに自民党的強圧になで斬りにされたという印象が際立つ。彼らの本心がどこにあるかは想像は付く。一方、自民議員のなかにも3割は造反者がいるようで、連立相棒公明党県連は自主投票したし「県外」方針に変更はない。つまり、現在のこの国の、安倍政権という「望まれざる反人民、資本家優遇」体制の強圧的な反映としての県知事裏切り、自民議員陥落実態にみる、不安定多数状態(違憲状態)が局面で横行していることを十分に認識し、民衆はより強固に結束していかなければならないのだろう。(つづく)

 

 


詩506 文民の怒り 4

2014年01月25日 23時56分08秒 | 政治論

 「沖縄県知事、異例の否定(石破、菅との密会事実)」、という見出しはこれ自体異例ではないのか。実際は「あからさまな隠蔽意思」ということであって最早県知事のありようではないのがわからないかね。少なくとも彼の辺野古埋め立て承認によって名護市長、市民、辺野古住民に更に急迫した心的ストレスを加え、県民の思いを無慈悲に打ち捨てることになった、これは米軍機騒音、爆音、オスプレイストレス、と同根の国家ぐるみの住民軽視、であり、犯罪的人民敵対行為だ。防衛局は引き続きボーリング調査の入札公告を出した。まさに事務手続きの、肩で風切るお通りだね。こうしてこの国の軍国主義はアイヒマン的事務屋の冷徹な職務遂行に従い、順次黙々と住民の息の根を止めていく。(つづく)


詩506 文民の怒り 3

2014年01月25日 09時27分01秒 | 政治論

 筆者は、7年前に移住した程度の琉球沖縄住民であり、殆どウチナーグチもしゃべれずシマクトゥバも知らないので、どちらかと言えば怠慢な県民に過ぎない。で、もう少し若ければ、言葉としてのアプローチももっと真剣に打ち込むことが出来たろうと錯覚している部分があるが、琉球沖縄の言葉はもはや方言の一種ではない。勿論外国語でもない。その成り立ちを知らないが、隣の字(あざ)でさえ別種の言語を用いているというような複雑さを有し、到底駆け出しのウチナーには対応できないのが実情なのだ。

 そういう県民にとっても、県知事は同胞視せずに済ませるほど本土化しているとは思いたくないのだが、こと辺野古のことに関しては、彼の言動に、看過できない異常さを嗅ぎ付け、その臭気に耐えない部分が相当頻度と濃度で迫ってきた。

 県民がこのような知事を望んでいると言うのなら、筆者はこれをしかたもなくよしとするだろうが、少なくともこの安倍政権の片棒を担ぐようなウチナーは到底許容できないということになる。簡単に言えば、米国の大戦後覇権主義が世界中に撒き散らした軍事的害毒の半端ない量的概観からすれば、辺野古崎沖に出現する巨大軍事施設だろうが「たいした問題じゃない」、そう一般の日本人は思い込まされている気配がある。そう仕向けたのは当の米国国家安全保障体制にほかならない。盲目にこれを容認し、米国が日本国を守っていると思い込み、不動に固定化している日米同盟の60年以上改善されない実質「植民地扱い」のことなど全く認知してない日本人など、赤子の手をひねる程度の存在でしかなく、「おまえたちの国内問題だ」とばかり鼻であしらわれて事足りている。これが安倍政権の実態であり、確信犯的な米国追随保守停滞主義の権化だ。

 安倍政権がしようとしているのは、先の大戦の惨禍をなきものにし、敗戦の痛みを忘却し去り、もう一度「リセット」して戦前の日本に立ち戻り、戦争の出来る国民皆兵の「普通の」一群小国家になろうということだ。そのために憲法を改悪し、集団的自衛権を容認し、特定秘密保護法を制定し、核武装準備原発関連施設を増設、再稼動を目論見、原発技術セールスに赴き、辺野古に是が非でも新軍事基地を作って米国に献上し、返還と同時に代替施設を新設し(プラマイゼロだな...つまり負担は絶対に軽減されず、代替施設先の住民を新たに苦しめることになる)、おかげで沖縄は振興予算で潤沢になるかと思えば、雇用増進は一時的だし、工事請負業者は特化して独占され殆ど本土ゼネコンに仕事も金も持ってかれ、後に残るは余計な維持費がかかる無用の箱もののそこだけ立派な景観ぶち壊しぜいたく品だけだ。

 実際新都心やその他の返還後の跡地利用によって雇用は数十倍、自在都市計画や環境整備によって、いわば基地がなくなるおかげで懸念材料は払拭され、豊かさを取り戻す方向性が生まれる例は多々ある。当然ながら、それをしも県民は望んでいる。基地経済は押し付け隷従経済にすぎず、県民の福利厚生に何の貢献もしていない。

 沖縄戦では、(君たち本土の日本人は1冊でもいいからこの戦争の記録を読むがいい)友軍と呼ばれた旧日本軍が沖縄住民を差別的に処遇し壕から追い出し、スパイ視して処刑し、県民に軍隊の実態を悲劇的にもつぶさに示したのだった。その後戦後米軍にあっては米兵犯罪がひきもきらず、「銃剣とブルドーザー」で強引に有無言わさず私有地を分捕り飛行場を作った。県民は軍隊が何も住民のためにならないことを知っている。基地など誰も望んでない。君たち日本人と米国が勝手にやっていることだ。いい加減に非を認めまともに考え、現状を変えろ。

 筆者は元本土人として発言しているのであり、真にウチナーが沈黙しながら見ている先に一体何があるのかについてはわからないし、その意味では今後何が起こるのかと、空恐ろしくもある。(つづく)

 


詩506 文民の怒り 2

2014年01月24日 07時20分15秒 | 政治論

 国家的認知症状態に置かれたこの国の、一地方自治体である沖縄県、その中でも更にツンボ桟敷に放置された辺野古、高江、嘉手納、普天間など「基地問題」を抱え込まされた地域は、日常的にこの国の認知症的症状の発現に悩まされ生きた心地がしないでいることなど、本土の多くの日本人は全く知らないか関心がないか、あるいはこれを無視している。何故それができるかと言えば、全ては「対岸の火事」、おのれに火の粉がかからねば「痛みを感じない」むしろ、何事があってもいつも傍観者でいられると安心しているからだが、もし彼らの言う「国体」というものが仮にあるというのなら、その国体たる身体の一部が痛みに苦しんでいることを何故彼らは放置できるのか。それは彼ら自身が認知症という病気にあえいでいるからに他ならない。そのあえぎの発現が今、この安倍政権に如実にかつ「タカ派」的にみられるのだが、同じ病態にある国民は、「文民」としてこれを統制すべきなのに一向に立ち上がらない。というより、この異常を普通の感覚で異常と感じなくなっていると言うことだ。それは当然戦争実感の希薄化、70年で減衰しきった敗戦の痛み、侵略的事実の自己消去、自虐的近代史観の忌避、極東裁判弾劾、ホロコーストへの無感動、ヒトラー再来願望、残虐性へのサド的嗜好、など、およそ「文民」に不相応な性格付けが今進行中なのだ。(つづく)


詩506 文民の怒り

2014年01月23日 19時06分59秒 | 政治論

 文民統制は殆ど機能してない、と思われる。12月末日の県知事による辺野古埋め立て申請に対する承認から、彼の記者会見乃至承認理由の説明、今年に入って9日以降に行われた県議会説明まで、彼はさながら雲上人のように振舞っていた。つまり彼は個別の記者なり質問者に居丈高にしゃべっただけで県民に向いては全く回答していないのである。県民はこう聞いている。「あなたのしたことは、決して単なる事務手続きではないし、あなたの判断によって、沖縄県内の辺野古に新しく軍事基地を建設することになるのに関わらず、何故あなたは誰も望みもしない県内移設がらみの振興予算を手放しで喜び有史以来最大級の恩典とまで言い募り、安倍晋三の言質を過大に信用して辺野古住民を切り捨てたのか。」と。この質問に彼は全く回答していない。安倍晋三のどこを見れば歴代首相と比較しても地方自治を尊重する信用性の高い政治家、と判断できるのか。「あなたは以前、10年も返還されなかったら固定化と同じだと言っていたことがある。で、今回あなたは普天間5年で運用停止、といったそうだが、アメリカが言下に否定したのにどうして安倍晋三がこれを覆すことができると思うのか。」この質問には彼はどういうわけか答えられてない。議員が質問するたびに中断時間を設けて、公室長や土木部長にふって到底回答たりえないきまりきった事務的な応答をさせていた。あの異常な時間と空間は、県民にどう映ったか、彼らは考えないのだろうか。彼は安倍晋三に言い含められたに違いない。「この承認印を押したとしても、あなたの県外移設要求が途絶えたわけではないのです。」と。「だから公約違反に当たらないし、追求されたら、私は一度も辺野古ノーといったことはないといえばよろしい」後のほうは彼が自分で考えたのだろうが。いずれにしろ県民に明確な説明ができてない県知事は早急にリコールされ不信任に付され、琉球沖縄の県政の場から永久に強制退場してもらおう。ことほどさように矛先は石破、菅、安倍、に対しても向けられなければならない。(つづく)


詩505 不可解な認知症 3

2014年01月23日 16時59分41秒 | 政治論

 彼は通常、いたって普通に生活し、むしろ、かなり合理的な生活形式さえ編み出すほどに、健常な振る舞いに終始する。しかしこれが一旦「認知症」を発症すると、途端にその全人生の否定、全人格を喪失したのではと思える程に異常な興奮状態を示す。この状態は長くても一日、短ければ数時間で収まる。だが、発症間隔はまちまちで、絶え間ないといっても数日間何事もなく過ぎることもある。この病気は、「物取られ妄想」と呼ばれ、探しきれないとか、しまい忘れ、勘違いによって生じた物品紛失状態を、単に他人が盗んだ、と思い込む病気で、介護保険認定の要支援や要介護の審査において重要なファクトたりうるのだ。と同時に、当然だが、「物取られ」の、物を取ったと目される周辺人物(身内、介護者、隣人など、ごく近しい人が多い)が抱えるストレスも考慮され、同居や近辺生活者状態での不如意の緩和という要件も目的化される。介護サービスは、生活空間の共有乃至これに類似する状況下で、両者が協調的に生活できるような、患者の「リハビリ」的社会性回復を目途として作業療法や手仕事、歌舞、共同食事、運動などを通じて「介護」するサービスである。その基本的な理念は、介助であり、この、助けると言うことの中には幅広い意味が含まれるし、狭隘な経済観念で対処するとその役割の根幹を切り崩すことになりかねない。別に介護サービス業者の売り込みをしているわけでなく、極めて漠然としているが、その有益性は全人的な見地から評価される必要があるということだ。この意味では、所謂介護福祉士の使命感に期待する面がある。(つづく)


詩505 不可解な認知症 2

2014年01月23日 10時21分34秒 | 政治論

 認知症と言われる老人病(若年性もあるが)の根幹は脳機能の著しい低下という病根である。萎縮、軟化、欠損など、物理的にも現象化するとされる。今、この話をしながら、今般名護市長選で辺野古移設絶対反対の稲嶺進氏が当選したというのに、その2日後には調査設計の入札が防衛局に公告されたという報道に接し、彼らがかくも「確信」をもって国政業務意思を県民に突きつけるのはなぜかと考えたとき、この「認知症」という名称が自然に脳裏に浮かんだのだった。「代議制民主主義」の根幹は何度も言うが「民意」というものに沿った執政運営にある。頭越しの、地元抜きの政治は確実に異常な執政である。だが、この国は先の大戦に敗北し、米国の予定通り「傀儡国家」となった。これにより戦前的軍国主義はその命脈を絶たれたし、憲法もその線で言わば「現実政治に齟齬する」内実でありながら基本的には効果的に機能してきた。普天間返還が無条件に合意されず辺野古代替施設設置で決したのは、住民投票に見るとおり地元の、名護市の民意に沿わない形でされたのだが、日本国は戦後一貫して米国の方針に盲目に従うことを強いられてきたのであり、国是のように理屈抜きで推移し今日にいたったわけで、簡単に言えば、思考停止つまり認知症的確定性に固定化されたのだ。現実には名護市長の許認可権行使に基づくいじましい抵抗という形になるが、実質は米国国防方針、国家安全保障意思との対決にほかならない。(つづく)


詩505 不可解な認知症

2014年01月23日 09時11分35秒 | 政治論

 先ずそれは他人(自分以外の)を疑うことから始まる。彼の脳髄のなかでは、「物がなくなる」という目の前の事象は、「盗まれた」という他人の行為によって生じた、という結論を生む、と同時にここで思考は停止し、次に恐らくこのことを何度も反芻し、「確信」へ固まっていく。ここでは「失くした」という自己回帰が全くないか素通りされていることがわかろう。最近の体験では、彼は、「盗まれる」前に隠しておこう、と考え、恐らく自分でも気が付かないような場所に隠しこむのであるが、ややあって、このことを忘れてしまい(記憶の亡失、海馬の萎縮)、「また盗られた」と判断し、ひとつの確信のもとにその他人のところへ行き「盗ったものを出せ」と息巻くのである。図らずもこの他人が偶々その「隠した」場所を見出し「ここにあるじゃないか」と突きつけるのだが、「確信」に達している彼の口からは「何時の間に元に戻した!」という信じがたい言葉が発せられる。つまり、ここで彼とその他人乃至周辺がひとつの謂れのない不快、不安、怒りに巻き込まれ多大のストレスを生む、という繰り返しだ。要するに、問題は彼に生じたこの根拠のない「確信」のことであろう。何故この確信は可能かだが、恐らく、極めて単純な脳の働きが導き出した、出口のない自己完結論理に見られる、論理のための論理、未来性が欠けた独特の死に至る病なのだろう。絶望、という病である。(つづく)


詩504 戦後政治の概観 9 アイヒマン的な人間群 3

2014年01月22日 16時46分13秒 | 政治論

 およそ国家主義的、全体主義的な傾向が見えてくると、途端にとりわけ政治家はその相貌を、矛盾し複合するいくつかの形態に仮託するようになる。平たく言えば「責任転嫁」「無責任放言」として現象する。彼らが全人的に人間として活動しているとすれば、重大な欠陥人間として社会化するはずだが、あらゆる意味での責任感を喪失した場合、その言動は一応まともなものとして成立し多くの善人乃至好意的人間の目を欺くことができる。学識経験者や有識者、科学者でさえ欺かれ取り込まれ、この国の誤った選択や判断、行為に進んで加担した実例をいくらでも数え上げられる。先の大戦でのこの国の文民は、統制の利かない国家に翻弄され懐柔され恫喝されて、むざむざと幻想的神国日本の気違いじみた盲信にのこのこつきあい、墓穴を掘った。それが敗戦という結果であり、米国の傀儡国家運命の招来だった。ところがこうした国家的過ちを認めず女々しく戦前回帰を図ろうとしているのがこの安倍政権である。つまりあの戦争の惨禍はなかったことにしようというわけだ。これを現代的に言えば何事も「リセット」できるということになる。リセットして「戦争ゲーム」を始めよう、というより、始めたいのだ。(つづく)