僕の新しいジャパンタイムズの記事。米国の情報自由法で沖縄基地汚染の報告書をもらった。「那覇市に近いキャンプキンザーで枯れ葉剤ダイオキシン、PCB、DDT等ひどい汚染を発見。」 http://www.japantimes.co.jp/news/2015/09/29/national/foia-documents-reveal-hot-spots-fish-kills-toxic-dumps-okinawa-military-base/ … #地位協定
相変わらず半可通な意見?しか繰り出せないネトウヨどものことはさておいて、相変わらず封建遺制的な対応しかできない米国傀儡国家の日本国政府が、戦後ずっと琉球沖縄に対してしていることの、沖縄の人の神経と感情、感覚、考え方を逆撫でする在り様が、基地負担7割強という現状によってどれほどの精神的生理的苦痛を与えているかほぼ全く理解し得ない彼らヤマトゥの常民レベルの情けなさ、同朋隣人への思いやりに欠けた日本人の国家的でさえあるエゴイズムとして受け止めざるを得ない、同じ日本人たる沖縄としては、いずれにしろ分離独立、自決権確保、最後は民族独立、という方向で闘うしかない、人間的尊厳を守るというギリギリの極みへと移行するのではある。これはオキナワが必ずしも最初から望んだことではないが、闘いの実質的気組みは、傀儡国家で満足する日本国の中で如何にしても受け入れがたい米軍基地偏在の「内国植民地」的立場に押し込められた一日本人として、怒りを込めて本国に「三下り半」を突きつける、ということだ(既にこの国は、その国家施策によって事実上沖縄を捨てているのだから、こんなことは痛くもかゆくもあるまい....ネトウヨどもの過剰反応こそ彼らの非論理的な馬脚を現している)。
既にこの国は、例えば沖縄戦において稀に見る残虐な結果を齎した「(本土防衛の)捨石」として沖縄県民を見捨てているし、敗戦後昭和天皇はその米国依存敗者のおもねり、あるいは国体護持という自己保存本能(天皇身分の保障確保)によって沖縄を軍事植民地として無条件でアメリカに売り渡している。講和条約なる段取り杯により適用除外され27年にわたって沖縄の戦後占領を米国に許した挙句、佐藤栄作は「沖縄返還なしに日本の戦後はない」と言いながら実際は占領体制のまま(基地温存核持ち込み)密約返還をしたのだった(言って見れば「潜在主権」なる奇形領土をご丁寧に顕在化しただけの話だ.....その恩恵に与るべき日本国憲法はこの時すでに逆説的形骸化の惨状、現実的には沖縄だけ適用除外実質をさらしていた)。
政府の言い分には採るべきものはない。軍事戦略(ミサイル戦略)的にも地政学なるまがいもののこじつけでも、「政治的理由」なる馬鹿げた言い訳でも、彼らの言い分には何らの正当性もない。辺野古に関しては、前知事仲井眞弘多が認知症的に陥落した(普天間5年内返還なる条件はたちどころに当の米国が否定しているじゃないか)結果としての埋め立て承認一本の法的根拠を殊更に盾化しているが、実に説得力のない言い分であり、これをもって重大な軍事的、環境的、あるいは人間的影響を及ぼして止まない米国軍隊のための一大軍事基地をぶち上げようというのだから、呆れ返って物も言えない。彼らは既に何の根拠も持たない理由によって沖縄県民の心身を蹂躙しようとしているのだ。これに対して怒らない人は人でない。まして国家責任上重大な過誤としてしか見られない沖縄戦のまさにドンピシャの現場においてこれをしようというのである。あの戦争の体験者が満腔の憤りに震えるだろうことは誰にでも想像がつくであろう。
法廷闘争、というが、安倍晋三配下独裁政権の下での司法の裁定など愚にもつかぬ結果は見え透いている。結局、大浦湾、辺野古シュワブゲート前で工事水際食い止め闘争以外効果はあり得ないということになる。こんな不毛な人間劇を観劇してふんぞり返っているウツケがこの国にはいる。しかも常民レベルでそれは存在する。(つづく)
防衛局、聴聞出席せず 知事、辺野古承認早期取り消しも
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249683-storytopic-53.html
日米、基地立ち入りで環境新協定に署名 米側義務記さず
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249684-storytopic-53.html
9月26日(土)は区の豊年祭だった。折悪しく台風21号周辺の雲に脅かされて時々俄かな降雨に見舞われたが、プログラムは概ね滞りなく進行し、午後10時過ぎに閉幕した。自分たちは中央部分の特等席(雨の恐れがあって前もって準備されなかった)を確保できず、若干見にくい両脇雨除けテント末席にいたので、4年前の興奮や感動そのままとまではいかなかったが、それでも4年に一度の豊年祈願の仕込みに仕込まれた歌舞音曲の数々に魅入られて息継ぐ間もなく、最後まで十分にその伝統芸能の粋を堪能した。勿論これらの芸能につきそのウチナーグチもシマクトゥバも殆ど了解してないのは何とも歯がゆいことなのだが、それでもその演者の所作、勢い、語りの調子から何となく納得しながらの鑑賞でもその雰囲気はよくよく伝わってくるのだった。
メイン幟
道ジュネー(演者練り歩き) 今回は降雨気味で大部分省略され、これは最初の演目「長者の大主」出演者行列
島唄 (群舞)
戻りかご (一種の狂言回し)
あやち獅子(無形文化財措定)
これはほんの一コマで、実際には30演目が用意されていた。因みにこの時季各あざでは連日のようにどこかで豊年祈願祭が執り行われている。RBC(琉球放送)ニューススタッフも雨空を気にしながら撮影に打ち込んでいた。
市民らテントを再設置 辺野古沖作業は確認されず
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249652-storytopic-271.html
独立の正当性強調 琉球独立学会、NYでフォーラム
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249644-storytopic-271.html
防衛局聴聞 知事ら一問一答
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249645-storytopic-271.html
米軍準機関紙・星条旗新聞が「辺野古新基地建設は自由、平等、に反し、沖縄県民の人権と民主主義を無視している」とした翁長知事の国連人権理事会演説を報道した。翁長知事は「沖縄県民の自己決定権と人権が無視され続けている」と訴えた。
Facebookにアップされていた写真。 朝日新聞?に寄せられた声なのでしょうか。 一億総活躍社会と言う言葉がピッタリ!
https://twitter.com/shigesandesu/status/648306162006253568/photo/1
県、防衛局聴聞へ 辺野古取り消し、来月中旬以降
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249624-storytopic-271.html
近来のこうした局面に、この国と沖縄県の立場の在り様が歴然とする。つまりこれは琉球沖縄という一地方自治体が日本国国家と対等以上に対峙しうる唯一の独立的意思を明確に持った存在だということだ。沖縄県は間違いなく琉球処分という不法不当な一種の武断的恫喝に拠って併合され、虐待されている「エジプト幽囚」「バビロン捕囚」並の奴隷的処遇に甘んじている境涯にある、非常に稀な近代的逆説の運命に弄ばれていると言える。
代理署名拒否から20年 県と国、対立構図変わらず
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249628-storytopic-3.html