沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩593 戦争と日本人 12 沖縄と日本3

2015年05月31日 23時23分10秒 | 政治論

 10年以上前から全く見なくなったものの、相変わらず「朝まで生テレビ」のいい加減さは健在らしいが、この不毛なデスカッションの存在価値は既にゼロだと実証済みのことで今更とやかくいうつもりもない。所詮、現代日本の「戦後民主主義」はこの程度だということであり、根本的な立ち位置からは見る価値がないとわかった。ということは、5月29日「沖縄基地問題と日本」をyoutubeで後からところどころ垣間見た挙句到底全部を見る気にはなれなかったというはなし。

 筆者は移住者で、恐らくいかに逆立ちしても現実の琉球沖縄には到達しないという感触乃至意識を常に持ち続けている。そうでないと、たった10年足らずそこに住んでいる程度の底の浅い体験で、所謂ヤマトゥと称される一塊の常民と何ら変わりのない認知力により、過去現在、琉球沖縄で起きていること、起きたことを躊躇いもなく切り裁いてしまう、暴力的な植民地主義が無意識にも横行し始めるのである。

 ヤマトゥの為政者、識者、あるいは広く常民と言うべき一般の日本人に決定的に欠けているのは、どう考えても、琉球沖縄の人々に対する通常考えられる他者尊重の基本的な心構えにほかならない、ということだ。だが、事態はもっとはるかに深刻な齟齬を呈している。

 この齟齬こそヤマトゥ 対 琉球という因縁めいた確執において、いよいよその一般住民に「島ぐるみ」と名付ける以外ない状況を招来した一国家の国内分離派誕生という繰り返される悲劇あるいは喜劇である。ごまかしと偽善、欺瞞と糊塗、まやかしと裏切り、未必の故意的殺人予備軍集結、かかる形容においてしか語れない、この国の対琉球姿勢。そしてそれは全て、アメリカ合衆国における彼らの国家エゴに基づいてのみ機能する安保体制により日本国を傀儡化し手玉に取り、辺野古を「おまえらの国内問題」と切って捨て、一国の宰相が尻尾フリフリ「辺野古が唯一」と嘯くことで完成する既得の利権確保と軍産複合戦争経済主義のふてぶてしい居直りに拠っている、というわけだ。

 よくよく考えれば、40数年前の祖国復帰島ぐるみ闘争というのは、琉球沖縄が独立国家琉球国を完成させるがための初期段階だったということであり、これまでのあるいはこれからの米軍基地関連闘争を通じて、あの初っ端から空文化していた「祖国復帰」がかました、この国の大嘘を全琉日交渉史の本質的な欺瞞のうちに苦々しくも再発見し、いよいよもって本来の「祖国」に向かって歩き始めている現在があるということらしい。(つづく)

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2015年05月31日 07時10分59秒 | マスコミジャーナリズム

「島の自然守れ」 奄美で新基地フォーラム 沖縄と連帯論議

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-243606-storytopic-3.html

久辺3区長、国に個別補償再要求 地域振興で初会合

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-243608-storytopic-3.html

二つの塔に不戦誓う 今も眠る遺骨700柱 読谷村喜名

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-243607-storytopic-1.html


詩593 戦争と日本人 12 沖縄と日本2

2015年05月30日 18時59分15秒 | 政治論

 筆者の住する沖縄県国頭郡今帰仁村では昨夜、降りしきる雨の中、決して大収容とは言えない地元の小さな公民館を満杯にする約120名の住民が駆けつけ、所謂「島ぐるみ会議今帰仁村」決起総会が開催された。

 共同代表の一人、今帰仁村村長与那嶺幸人氏、あるいは名護市選出玉城義和県議、又、本部町住人ながら大浦湾で海上活動を展開する若き船長など挨拶があり、最後に沖縄返還島ぐるみ闘争の時うたったと言われる「沖縄を返せ」の大合唱と「がんばろう」三唱で幕を閉じた。勿論筆者は「沖縄を返せ」という歌など知る由もなく手拍子するばかりだったが、その歌の調子に、あらゆる人間的な感情の表出にあっては、怒りや憤懣も音楽的に格調高く表現されるものだと感心した次第であった。

 この島ぐるみ会議は各行政単位ごとに20数か所で既に結成されつつあるのだが、掛け声と雰囲気で大げさにお祭り気分を演出する、といったものではなく、沖縄琉球の人々が個々に抱いている郷土への思い入れが自然に湧き出でる形でできていったものであり、まさに「草の根」「島ぐるみ」「オール沖縄」的な規模で広がりを見せる民衆運動という質のものだと思われる。

 元ヤマトゥの人間としては、どうしてもその効果といったところに目が行くのだが、米国の傀儡国家である日本国とこれに覆いかぶさる米国という実情にあっては、一体どこに風穴を開けるのかという尽きない疑問に逢着せざるを得ない。沖縄の戦後史によって培われた拭いがたい政治的絶望感から、辺野古現場での水際阻止作戦以外何の効果も期待できない、という感じさえする。勿論あらゆる試みは全くの無駄ではない。積み上げ努力という点では必要不可欠の物には違いない。「チルダイするな」は最後の砦かもしれず、渋面をほぐすヒューモアこそ、最もシビアな現状を乗り切る原動力なのであろう。

 安倍晋三という戦争気違いを国の最高権力者に戴いた日本国の政治環境は、かってない低劣なアンチインテリジェンスに覆われ、これに取り込まれた脆弱な「民主精神」の旗手たちがこぞってその軍門に下り、批判精神を武器とすべき真っ当なジャーナリズムは崩壊した(と思われる)ただ、かつて鳴り物入りで政権交代を果たした民主党が瞬く間に頽れた(くずおれた)ことからも言えるように、ありきたりの生半可な覚悟ではこの国を土性骨から変えることなどできはしない。何故、琉球沖縄の闘いがこの国にとって重大なテーゼ又はアンチテーゼになるかを、ヤマトンチュもウチナンチュもよくよく考えなければならない。(つづく)


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 元宜野湾市長伊波洋一氏

2015年05月29日 22時15分44秒 | マスコミジャーナリズム

「米軍基地はもういらいな~辺野古の海を守る人々」インタビュー・ビデオには、辺野古バス引率者の大城さんのインタビューも入っている。公開20日で2000人近くが視聴。沖縄の声を多くの人に知ってもらいたい。

https://twitter.com/ihayoichi/status/603885790586875904?t=1&cn=cmVjb3NfbmV0d29ya19kaWdlc3RfdHJpZ2dlcmVk&sig=838516be2b11d4c4d49168de3b653183d4292060&al=1&refsrc=email&iid=e85a80a8c5204884aead55d6102ddced&autoactions=1432892776&uid=3118806138&nid=244+123