沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩549 認知症

2014年07月31日 08時30分42秒 | 政治論

 老人の認知症は、彼の数10年に及ぶそれなりの人生が培った彼の人格からくる様々なノウハウや教訓あるいは感覚的習性、性格、などが渾然と一体になってその言動に恐らくは如実に現れるものなのだという認識に立たないと、彼の周辺で彼を物心両面で支えている気でいる介護補助者にあっては自身の精神的な自律性を保持し続けることの困難さばかり際立って、必ず何らかの抗し難い「悪意」に自ら取り込まれてしまう、ということになる。

 国がどうやらこの認知症に罹患したような場合、こちらがわにとっては恐らくは「テロリズム」「無政府主義」「革命意思」といった「善意」よりも破壊以外に意味のない「悪意」のほうが勝ってしまう、つまり相手の「姑息さ」や「見るから直接的な態度」などに絶望的に対抗しようと、墓穴を掘るような低レベルな言動に走るというようなことが往々にしてある、ということだ。

 こうした「取り返しのつかない」言動で切迫した現実に直面したときどうするか、実はそこに特効薬などないということが先ず知られなければならない。「復讐するは我にあり(劫罰は神の領域だ)」は信仰へ誘う目くらましだが、いずれにしろ「復讐」は愚である。しかし同時に、始められたそれは完遂するしかないとも言える。だから始めなければいいのだ。始めるのは衝動であり必ず引き金が用意されている。例えばコンプレクス、とか貧困、あるいは出世欲といった世俗的欲望、我執、など。

 琉球沖縄にとって、自国の認知症的頑迷にどう向き合うか、ということは、かくしてむしろ本土以上に総合的に検証されなければならない。(つづく)


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 12

2014年07月30日 16時02分22秒 | 政治論

 ひとつには、現在沖縄の南方海上に台風11、12号が相次いで発生していて、特に熱低から格上げした12号は今夜以降8月2日頃まで沖縄の海域をかなりの強風域に巻き込む可能性があり、更に沖縄の南東、マリアナ諸島付近にある11号も2日以降まもなくに日本列島に接近する予想があり、旧盆近いこともあり、海が大荒れの中、沖縄防衛局の海上作業は8月中旬以降に大きくずれ込むことは間違いない。様々なむしろ幼稚とも言える姑息な手段で沖縄市民の民意を封じ込めようという防衛局、警察関係、海上保安庁の動き(目取真俊氏ブログ「海鳴りの島から」や氏のyoutube投稿動画を見よ)には、所詮トップダウンで下達される命令に絶対服従の、末端に至る機械的な業務遂行の効率的実践が何よりも求められる、こうした組織系統の性格が一警官、一職員の行動を隙間なく規定していることは見て取れるが、彼らも間違いなく業務を離れれば沖縄県民乃至日本国市民の一人一人であり、彼らが内心に抱えるかもしれない微妙な不安の揺れ動きこそ、あるいはこの国の民心そのものとも言えるわけではある。一方、何げに高江の2基目ヘリパッドは完工したらしい。8月には供用開始となるはずで、高江の住民に対する騒音攻撃、墜落危機ストレス攻撃は人間でない所業が公然と米軍訓練として図々しく繰り広げられる。返す返すも残念な話だ。彼らの脳天に琉神の劫罰は下されないものか。(つづく)


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 11

2014年07月30日 06時52分21秒 | 政治論

 この事態(折角設置したはずの浮桟橋撤去引き上げが29日行われた、波が高い状況では作業に支障をきたすと判断したらしい、現在沖縄のはるか南方海上には熱低やら台風が発生していて影響は既に辺野古の海にもはっきり現れている)と似たような経緯があったのはかのオスプレイ普天間配備の時(2012年10月)でこのときも台風のために配備予定が延期になったのだった。しかし彼らはいずれにしろ台風明けには予定通り強行配備を、大混乱のゲート前騒擾などどこ吹く風で事も無げにやってしまった。「事も無げに」、この表現が日米政府と琉球沖縄の関係性を明瞭に語っている。彼らは沖縄に関しては何が何でも思い通りにやり遂げようとするのだ。そこに一切の配慮も躊躇いすらない。何らかの言い訳もない。口から出てくるのは全て大嘘である。しかも誰でもその嘘に気づくような嘘を厚顔に、平気で顔色一つ変えずほざくのだ(防衛局局長どもの白け切ったツラの記者会見には嘔吐を催す)。日本政府は何事に付け情報開示が不透明で、多くの場合米国側真相を恐らく意味もなく隠蔽する傾向にある。意味があるとすれば後出しジャンケンの謗りを敢えて甘受してでも、米国政府のやりたい放題を強行進捗させるがために県民をだまくらかすということだ。そのだまくらかしの最たるものがこの辺野古新基地建設詐欺である。これを推し進める政府間合意とは、地元民のことは差し置いて勝手に「お偉いさん」が戦争のための殺人訓練準備施設を、環境破壊しようが地元民が騒音に悩まされようがどこ吹く風で作ってしまおう、という合意である。魂消た前近代的犯罪的暴力的蛮行もあったものだ。世界を主導しようという国家とその国民がやっていることなのだ。

 目取真俊氏ブログ「海鳴りの島から」参照(つづく)

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 10

2014年07月29日 09時14分37秒 | 政治論

 沖縄タイムスあるいは琉球新報(所謂地元紙と言われる2紙 本土の有力紙はここでは日経以外毎朝は見ることができない)が伝える報道あるいは社説、あるいは住民の声などは、右翼系の囂しい讒言によって一種の偏向報道のように本土には見えているようだが、実際はまさしく現場の声としか言いようのない、例えば辺野古のことなど現場に張り付いて逐次変化の跡を追って電子版等で概ね生(なま)の情報を時々刻々伝えるので、辺野古のことが気になる人たちにはなにより有難い報道体制かと思われるのだ。筆者が標題のように掲げて本土の人たちが知りえないここでのリアルな有様をお伝えしようというのも、とりわけこの国の政府官僚がやっているここでの理不尽な暴力的権力行使の実態を少しでも本土の同朋にリアルタイムに近い時間関係において周知してほしいと願うからだ。そういう情報共有がなければ、この国の政府官僚がとりわけ過疎地辺地においてやっていることの実態から知らぬ間に望まざる共犯関係にされているという自身の立場に気がつく、というようなことが一生ないということになる。少なくとも、日米安保体制においての本土と沖縄の対比は、尋常ならざる不平等不公平差別的処遇の事実を浮かび上がらせる。しかも何度も何度もこの実態を訴えているのに、恐らく全く聞く耳を持たないのがこの国の政治だ。最大の国家犯罪は「負担軽減」という文言が実体を伴ったことなど一度もない、という事実だ。この「普天間返還」は「負担軽減」という触れ込みでありながら、実際にやっているのは辺野古という地に新しい多機能軍事基地をぶちあげようという、米国植民地政策の全きいけ図々しい実践そのものだということ。当然この国の政府官僚はこのことに気づいているくせに、「傀儡国家」たるがゆえに何も米国に物申すことができないでいる。あまつさえ「思いやり予算」「地位協定」遵守という恥も外聞もない媚びへつらいでポチ並みにしっぽを振っているわけだ。何のために?知らない。しかもあいつら内閣を占める戦後戦無派の連中にあって、この屈辱的立場を打開しようというような気概が示されたことなど一度もない。2世3世議員どもはオヤジの意見を振り切ってでもこの国の情けない実情を変えようというような情熱すらない。言ってみれば高収入サラリーマン議員で定着してしまったってえところさ。

 実際この地に住み着いてみると、ここの人たちが置かれた境遇を我が身に置き換えたとき「血を吐くような怒りの声」という表現の大げさでないことを実感せざるを得ない。(つづく)


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 9

2014年07月28日 20時50分43秒 | 政治論

 気象庁予報天気図では、沖縄の南南東の海上には熱帯低気圧があって西北西に毎時20キロで台湾乃至与那国、石垣あるいは本島へ向かって進んでいるらしい。週間天気予報によると那覇の晴天は29日まででその後は3日ほど上記低気圧等の影響を受け、ぐずつくようだ。但し海上は既にやや波の高い状態が続いており、辺野古でも例外ではなく、ブイ設置やその後のボーリング調査にも影響を与える模様。

 目取真俊氏ブログ「海鳴りの島から」参照されよ。


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 8

2014年07月28日 08時24分19秒 | 政治論

 青森県平川市の不正選挙にみるように、人情の雪崩現象は公職人材さえ押し流し公務を私的利用媒体にするという、代議制の理念的存在理由を破壊する悪しき因習さえまかり通ることになる。仲井真現知事が3選を目掛ける、という居直り強盗まがいの宣言を発し、自民党本部がこれを追認しようという動きがある、と言えば、官房機密費(過去に実例はある)は当然に使われるし、米国仕込みの選挙マフィアたち(米国関係情報通には常識的にその存在が知られている)が暗躍するのは目に見えている。これは不正選挙だけの話ではなく、国が一地方自治体を好き勝手にいじくりまわす憲法違反の重大な国家犯罪にほかならない。この、仲井真知事が3選される可能性は(彼ら自民党本部の本音からすれば)殆どない。公明県連が「辺野古反対」を公約堅持で押し通そうという立ち位置から降りない限り、自民単独でどんな汚い手を使っても、というわけにもいかないのである。現在、彼らは11月天王山が敗色濃厚と踏んでいるに違いなく、従って、物々しい辺野古頂上作戦による住民市民活動家封じ込めは徹底的に行われ始めた。調査段階での時間的ずれ込みは11月決戦次第では致命的な意味を持つ。彼らは必死に業務遂行至上命令に従って、玉砕覚悟で、辺野古の海浜を騒乱の場にし、希少生物棲息(新種発見が相次いでいる)環境をぐちゃぐちゃにしようとしている。(つづく)

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 7

2014年07月27日 12時26分57秒 | 政治論

 7月27日付け琉球新報社説にあるとおりである。問題は岸内閣時、全国的反対運動がありながら強行可決された日米安保闘争のことが、孫の安倍晋三の念頭にあって、こうした強権政治に活路を見出すのがこの政権の行方を決定づけている、ということだ。

 あの戦争が侵略だったか侵攻だったかあるいは自衛だったかなど知ったことじゃない。これを論うのは必ず右翼政府系保守主義者かノンポリ達に限られる。彼らは、あの戦争が侵略戦争で、誤った国策から来た避けうべき国難であり、これを防げなかった当時の為政者の政治的機能不全こそ責められる、とする左翼系定説に対して攻撃的にこれを覆すがため論難するばかりだ。何のために?ここからは同一地平である。右も左もない。

 9条含む「平和憲法」が取り立てて論考されるのは、これに限らず、根本的な自国内「敗戦処理」が決定的になされずに戦後を経過した一種の「反省」に立っていると思われる。それが立派な「過去を顧みる」という真摯な姿勢に貫かれていれば誰もが傾聴するに違いないが、実際は実証性を欠いた飛躍する論理によって強引に結論づけることで、ある意味時代錯誤、あるいは歴史への反動といった傾向へ落ち込んでいくのである。これを聞き捨てならぬとして抵抗勢力が声を上げる。現在この国にひしめいているのは大方こういう関係性だ。そして琉球沖縄でこの国が勝手に!!やろうとしているのが「無反省」の歴史観からきた安倍晋三率いる政権による島嶼の浮沈空母化策であり、10数年その実際上の工事を一歩も進めさせなかった市民運動の経過と結果を度外視し議会決議や選挙によって示された民主的反証の結実を無視し、強引に新軍事基地をぶちあげようというのが、この辺野古自然破壊環境浸潤暴挙である。当然にこれを推進させたのは仲井真知事による「公有水面埋め立て」許可以外にない。前回の失政倒閣の轍を踏まないためには、一国の長たる権威に一切を吸収してしまうほかないと彼安倍晋三は考えただろう。この故にたかが一地方自治体の県知事を籠絡するのは必然詐欺まがいの手法で行われたので、ありとあらゆる空約束を並べ立てて執拗に裁可を迫ったってえわけさ。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 6

2014年07月25日 15時02分17秒 | 政治論

 「夜陰に乗じて」は、この国の防衛省、防衛局とその手先たちには常套手段と化している(それだけ国民に対しやましいことをしでかしているということだ)。昨夜午後9時半頃(これまで深夜12時以降にあった搬入パターンが変更されたわけだ 市民活動の意表をついて)、ブイ設置資材等がトレーラー約20台で第一ゲートから搬入され、これを目撃し抗議の声を上げた男性が警官隊10名に取り囲まれたらしい(抗議の声をあげただけで何故警官が一般市民の行動を規制するような陣を敷くのか理解に苦しむ)。その後駆けつけた反対住民らのスクラム抗議、警官隊との激しいもみ合い、などあり、現場は大混乱に陥った。安次富浩氏がマイクで、基地前に列をなす警官隊に抗議し、「どこの国の警察か」と言い、その後全員で「これ以上の物資搬入など許さないぞ」といったシュプレヒコールをあげ、更なる夜間待機を継続する方針を決めた(琉球新報 記事と映像アリ)。ブイ設置用桟橋は27日ころ完成し、28日以降天候の頃合を見ながら順次ブイ設置作業に入る見込みとのこと。(つづく)

 

 

 

 

 

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 5

2014年07月25日 10時58分46秒 | 政治論

 ABCD(米英中蘭)包囲網による経済封鎖で国としての行き場を失ったがために日本国は米国と戦端を開いた、というのは、現時点で太平洋戦争の原因として定説となっているらしい。筆者は、この世に確実にあるだろうと思われるのは「民」という存在だと認識している。一方、誰も疑いなく信じきっているように見かけるのが「国」というものだとも思っている。つまり突き詰めれば「民」があって、しかる後に「国」のようなものがある、というのが筋道だ、ということだ。そしてこの筋道からすれば、「民」の生活生存環境に関し技術提供し管理し最善の整備を組織的系統的効率的に実行する機関総体としてあるのが「国」というものの機能的存在理由だろうと想像する。「国」は「民」に先駆けない、というのが、両者の関係性を良好に維持するために必要なルールだ。(この点では辺野古のことはルール違反そのものと言える)

 「国」が「民」を先駆ける、という思想を国家主義と名付けよう。今まさに安倍晋三内閣がやっていることはこの国家主義的政治である。例えば、日米安保体制に関してその基地負担を国内74%引き受けている沖縄県が世論調査上90%以上の反対意見を持っているのに対して、負担が残り26%に過ぎない他県においてほぼ過半数の現状維持派を数えるという事実から、異国の軍隊がそこに存在する、訓練する、危険なオスプレイを配備する、来て欲しくない海洋に新基地を作るといった現状に際しては「民」がこれをほぼ誰でも忌避する心情に立ち至る、ということが言えるわけだ。まさにここ沖縄では「国」が「民」を先駆け、「民」の心情を損ない、凌駕し無視し、住自然環境破壊を積極的に推進しているのである。しかも第一に、日米安保による米軍駐留は現実には国内誰もそれを引き受けようとしないにも関わらず、ほぼ差別的に押し付けが効く沖縄県に集中的に偏在させ、新設、増設のための予算を「国」が進んで計上している。ここには「亡国」と称すべき、「民」の存在しない、為政者の頭だけの国家主義がまかり通っている。

 太平洋戦争は残念ながら15年戦争の終結点に過ぎず、ABCD包囲網は必然的墓穴を掘ったのだが、国家主義者はそうではなく、太平洋戦争は米国ルーズベルト体制の陰謀であり、そもそも陸軍の大陸進出には「大義」があり、大東亜共栄圏構想に基づく東亜の解放を目途とし、欧米列強の手で植民地化され搾取されているアジア諸民族の全面的救出が戦争目的だった、と言いたいのだ。「大義」としては成り立つし、歴史的な裏付けも取れるだろう。しかし国内一億の民の「大義」でないことは明白だ。「欲しがりません勝つまでは」「打ちてしやまん」「贅沢は敵だ」などの標語は所詮(物量物資不足の国情からきた)軍部の差金であり、東條の「生きて虜囚の辱めは受けるな」こそ一億玉砕の逃げ場のない一本径を指し示している。沖縄戦の「集団強制死」がこうした国家主義の「民」における明瞭な罪過をいやでも証明しているであろう。(つづく)

 

 

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 4

2014年07月24日 09時24分35秒 | 政治論

 ネット右翼はもちろん、所詮右翼と称されるやからはいずれも自身に根を持たない、論理性もなく理論もないただの騒ぎ屋にすぎないのだが、彼らの矛盾に満ちたはなしを見聞きすると、これを利する権力側の策動、策謀が何げに連想され、大方はこの国の保守停滞主義の中に浮き沈みするゴミ芥、こびりつく滓、というのが正当な評価?であろう、と思われるのだ。しかしながら、彼らが垂れ流す根も葉もないデマ、中傷、個人攻撃、あるいは議論のための議論といった類がもたらす根拠のない不安感、疑惑、色眼鏡などは、偶々、いくつかの正当でない情報と化して人心を惑乱、混迷に陥れ、誤った固定観念、偏見性を助長することも被害的に存在することを見逃すわけには行かない。なぜなら人心ほど流動的で軟性なものはなく、従って、身勝手な主張に説得されてとんでもない方向へ蝟集する現象が幾度となく世間を騒がせてきた例が、身近にも多数見かけられるからだ。彼らの多くははっきり言って社会の敵、ダニ、愚連隊、放擲すべきゴミと言える。

 これらの矛盾に満ちた悪たれどもが、琉球沖縄でも大暴れしていることは、この地にとって決してタメになることでないことははっきりしている。しかし安倍晋三配下の日本国政治絵巻が、これらと同等かそれ以上の生臭い悪臭を放っていることは、彼らが現在この地にやっている、やろうとしていることからも明らかではある。台風巻き添えの海上の波乱含みは、あいつら(防衛省)の悪の公共工事にけちをつけ、遅々として進まない業務の行方に焦燥感を募らせている。11月知事選まで、どうにもならない状況に追い込まれるだろうが、卑劣なあいつらは手段を選ばず何でもアリの暴挙に打って出る、と見ておいたほうがいい。(つづく)


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 3

2014年07月23日 07時13分31秒 | 政治論

 「辺野古埋め立て着々 陸上で準備作業」(沖縄タイムス)

 昨日所謂ブイ設置のための浮き桟橋を作る準備作業を行った、ということ。現在台風10号は台湾海峡を北北西に進んでいて、気象衛星の映像では台風の雲が沖縄島嶼周辺に大きく広がっているのだが、本島で風、雨ともに急激な変化は見られない。来週中にはブイフロート設置作業に取り掛かるのだろう。沖縄タイムスはこの事業を最早はばかりなく「新基地建設」と表現している。この事業は「移設作業」どころの話ではなく、北部訓練場と一体になって一大軍事基地をここ名護市辺野古にぶちあげようというのである。従って明らかにあらゆる「負担軽減」の言辞は本土向けの大嘘にほかならないのだ。本土の半可通どもがこれをまともに信じ、政府官僚どもは、まるで実際に「負担は軽減されつつある」ような印象操作で日米安保の国民的支持を盛下げまいと画策しているわけだ。オスプレイ佐賀移転ばなしもこれに近い。どっちにしろアメリカが素直に受けない話であり、辺野古のカムフラージュは間違いない。大体がこれで何か、沖縄の負担は軽くなるか、と言えばむしろ益々その精神的負担と物理的負担は加増されていくばかりなのだよ。(辺野古浜通信ブログ参照されたし)(つづく)


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 2

2014年07月22日 13時20分12秒 | 政治論

 負担軽減、というまことしやかな言辞が、この国の政府官僚の薄汚れた口を通して語られること久しい。あらゆる本土向け報道を通して、これらの施策がさながら軽減策そのものとして喧伝されるが、その実態は、いずれにしろ負担は決して軽減されてない、という沖縄県民の正直な意見を聞けば、自ずとその欺瞞性を本土向けに糊塗している、日米安保の沖縄過重負担は益々明確にされていくのがわかるのである。第一に、負担軽減どころか、いよいよもって本格的な基地負担を永久的に押し付けようというのが、「普天間飛行場返還」の名を借りて米国が画策した、軍港並び兵士住環境整備付帯の巨大軍事基地を新たに名護市辺野古辺野古崎に作るという、この悪辣極まりない、軍隊論理そのままの強行計画だ。この計画に併行して、隣村、東村高江に集中的に設置する(既に6基中2基目が完工しその共用開始が目前に迫っている)のがあの悪名高いオスプレイその他のためのヘリパッド建設であり、ここでは160人の住民と有志活動家が必死に座り込み、監視、抗議活動を絶え間なく続けているものだが、あろうことか、本来住民を守るべきはずの日本国政府が、所謂スラップ裁判(立場上、力関係のうえで上位のものが下位のものを訴えるという理念上逆転した訴訟)まで起こしてこれに圧力を掛けているという、情け容赦もない対米追随軍隊論理の恥知らずな横行だ。どこに負担軽減があるのかね。本土並みの報道で、嘘の事実を教えられている本土の諸君、君らは実に優雅な我関せずの平和ボケ状況を戦後ずっと謳歌してきたし、している、これからも?ということさね。先のオスプレイ普天間配備では、県警と座り込み抗議デモのひとたちとの、同県人同士のにらみあい、バトルさえあった。何のために?この島のあらゆる代議員並び首長たちが「オール沖縄」で政府に提出した「建白書」は完全に無視されたし(その後自民党県関係議員の絶望的転向は見るも無残な民主的敗北を見せつけた)、地元名護市市長選で反対派の稲嶺氏が圧倒的大差で当選してもこれに一顧だに与えず、即座に辺野古移設業務に関する入札公告を防衛局は「粛々と」やってのけているのである。対米追随国家官僚政府、ということだ。しかもこうした許しがたい反民主的国家施策が、この沖縄県だけにはどうしてかくも強引に通用させられるのか。???(つづく)

 


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体

2014年07月22日 11時02分32秒 | 政治論

 軍隊(至上命令一下、絶対的命令遂行、人殺し業務に邁進する鉄の組織)を持たない?(ことになっている)日本だから、軍隊というものが沖縄戦でやりまくったとんでもないことをここで声高らかに開陳し、「軍隊は住民、市民、国民を守ることはない」ということをよくよく本土及び県民に知らしめなければならない(琉球島嶼に展開する米軍自衛隊は、この島嶼の住民のためには戦時危機をもたらすだけで、本来本土の有象無象のための防波堤に利用するだけである)。守らないどころか、投降しようとする一般人を背後から銃で撃ち殺し、住民が方言をまくしたてれば(本土の兵隊にはチンプンカンプンなので)「異邦語を話すスパイ」とみなして即刻銃殺、食糧難から畑に生っている野菜を盗んだとて朝鮮人軍夫を処刑し、島に無数にあったガマ(防空用壕として使われた鍾乳洞)が満杯になれば「俺たちはおまえらを守るために戦っているのだから、この壕から出て行け」といっては無辜の民を追い出し銃弾砲弾空襲の真っ只中に放り出す。同じ壕の中で赤児が泣き叫べば米軍に見つかるといって「うるさいから絞め殺せ」と母親に強制する。こうしたことは実に沖縄戦実態にあっては実例に事欠かない。この辺野古新基地建設はまさしく軍隊論理で事が運んでいるのである。つまり、そこに住む住人のことはそっちのけでやっているのだ。しかもどう考えてもこの島はこの島の住人のものだ。呆れ返ったものだが、米国アングロサクソン征服民族の野蛮さ丸出しの70年に及ぶ暴力的侵略行為なのにもかかわらず、この国の政府と官僚は、昭和天皇メッセージ以来確定的な構造的差別観に基づき、この島が他国の軍隊に蹂躙されるがまま、「思いやり予算」まで提供して「米軍さまさま」でもてなし、そのかわり決して島の人の言に耳を傾けようとしない。

 第一に、危険極まりないと言われるオスプレイがために拵えられる基地空港であり、よくよく聞けば軍港機能や兵士保養住居環境まで完備しようという、恐れ入った図々しさでまかり通ろうという魂胆らしい。これで琉球の民が怒り心頭に発するのは当たり前ではないか。オスプレイにあっては、普天間配備以来所謂日米合意飛行ルールなど守られたためしがない。辺野古はじめ名護市では平気で市民の頭上を滑空する姿が見られるに違いない。怒りはアメリカ合衆国大統領バラク・オバマに行き着く。この、ある意味人権派の大統領の支離滅裂な演説を有り難そうに拝聴しておられた方々には申し訳ないが、この人は残念ながら、現実には何一つ実現できない三流政治家である。彼は安倍晋三が大嫌いだが、沖縄県民は彼らが同じ穴のむじなだと知っている。

 第二に、とにかく必要のない軍隊のための施設を、ジュゴンはじめ多種にわたる希少生物生息環境破壊にしかならない場所に持ってこようという愚劣な発想こそは軍隊論理ならではのめちゃくちゃさだ。

 第三に、琉球沖縄の民をばかにおしでない。県民にとって米軍との人権戦争は、歯がゆいばかりに解決不能な原発腫瘍と化している。それもこれも政府官僚のアンバランスな地政学的誤解によっていて、勉強不足はもちろん、同胞意識のなさというしかないていたらくだ。

 第四に、つきまとっているのは対中対北対テロ意識であり、中国の軍拡脅威を論うほどに日米安保、米軍プレゼンス、その補助部隊たる自衛隊配備を強行し、相変わらず根拠のない「抑止力」で誤魔化して産軍複合実質を糊塗しようと憲法違反の軍拡競争に加担している。(つづく)


詩547 国としての体質と「民」

2014年07月21日 09時47分23秒 | 政治論

 筆者は不可知論の立場だから、どこからも攻められていないはずの軍事的危機意識なんざ持ち合わせない。大体が右翼系論者の言いたいのは具体的に存在しない仮想の敵をでっちあげて危機意識を扇動することに決まっている。そもそも人間の歴史に戦争の歴史がなかったことはない。従って、無防備な日本国の戦後70年に及ぶ戦無状態をどのように解釈するか、という問題は確かにあるといえよう。そして日本国の為政者は、これを維持したのはアメリカ合衆国という大樹のおかげだ、ということに結論付け、その担保たる日米安保体制に全面的な堅持意思を確認する。しかし、日本国の国民たる我々は、こうした寄らば大樹のこそばゆさをどこかで必ず感じているのである。それは何故か。自分で自分を守らない状態が、如何にも独立した人格にとっては申し訳ないのだ。それは別に米国に対してそう思うのではない。自分自身に対してそう思うのだ。だから、平和憲法が戦無を作った、対外的に軍事的な敵を造らずに済んだ、という意見も功利的な意味合いがあることを素直に認めるしかない。我々は何か抗し難い怠慢の中で平和ボケしてきた、ということを反省するのである。

 この国は、近代化の時点で歩むべき道を踏み外した。近代化とは欧米化だと為政者は思った、そして欧化することで近代日本に脱皮すると真剣に思ったのだった。富国強兵、殖産興業、内需拡大こそ近代日本が全力で取り組むべき課題、目標、手段だと考えた。そこに欠けている「民」のことを忘却したのは、こうした国家方針の主導者がいずれも「官」体質だったからだが、この頭でっかち状態の秀才連中が「打ちてしやまん」でしでかした15年戦争の泥沼は、明らかに「民」にとっては地獄の責め苦以外ではなかったはずだ。この戦争が物理的に勝算のある戦争だったなら、今頃米国頼みの自身を当然に恥じ入ったに違いない。物理的に敗色濃厚な玉砕戦を強行できたのは、皇民化教育で「民」をコントロールし「大君の辺にこそ死なめ」という心境に陥没した人心を誤誘導したためにすぎない。戦争末期、避けうべき「沖縄戦」と2個の原爆を避けようとしなかったこの国の天皇はじめとする為政者に何らの抗弁する資格はない。彼らは結局「民」を決して守ろうとしなかったからだ。

 この国の「民」は戦前も戦後も結局はこの国の「官」体質に牛耳られるがまま己の主たる人権を損なってきたのだった。(つづく)

 


詩546 軍事論理で突き進む安倍晋三配下の辺野古攻撃

2014年07月21日 07時32分01秒 | 政治論

 軍隊は住民を守らない。

 そもそも日米安保体制は吉田ドクトリンの「軽負担経済(戦後復興)優先」方針によって言わば憲法9条にできるだけ齟齬しない方向で暫定的に執られた国防施策のはずだが、初めは日米相互扶助的な内実で進んでいきながら結局米国防共安全保障体制という西側陣営の軍事同盟に強引に組み込まれる内容に名実ともに変貌する歴史であった。従って今では日米安保体制は、明白な軍事的な意味合いの片務的同盟としてはばかりなく公言される、公然たる憲法違反事案そのものにほかならない。勿論自衛隊組織もこれに同類と見做さなければならない。いずれにしても日本国は、米国が主導的に理念づけたはずの日本国憲法のコンプライアンスを、米国自ら打ち砕く戦後史のなかで、これに唯々諾々と付き従う傀儡国家たる道を歩むこととなった。

 こうした米国従属国家における辺野古新基地建設欺瞞は、その行為が至るところで住民無視、不意打ち、夜討ち朝駆けの騙し討ちが習い性になっていて、この数年でその強行路線は一気に具体的現実的な触手を伸ばすところまで加速された。そのどの行為をとっても夜陰に乗じて、といった軍事的な論理、つまり住民に対して敵対行為の様相で進んでいる。沖縄戦はこうした軍隊の実相を余すところなく実例として悲劇的に住民に開陳して見せたのだった。

 軍隊は住民を守らない。日米安保は国民を守らない。自衛隊は災害救助隊以外の存在価値を持たないし、軍隊となった場合国民的支持は決して得られず、またその士気は到底軍隊の実質的継続的業務(人殺しということ)を全うし得ないであろう。

 現在、沖縄県名護市辺野古に展開するこの国と米国の、住民を無視した軍事行為は完全に悪辣な非民主的行為であり、その行為に正当性は微塵もない。だから彼らはこれに関し、全てを秘密裏に進めようとし、情報開示を拒むのだ。これも軍事論理であり、憲法の精神に著しく背理する。安倍晋三の「決める政治」とは、本来熟議を尽くし、国民的支持を取り付けた事柄に関し慎重に具体化するべき案件を、彼の独断で決定具現化するということにほかならないが、我々の見るところ、彼の「決める政治」には多くの識者、専門家、市民、がこれを疑問視するものしか見当たらない、という状態にある。にも関わらずマスコミマスメデアなどはこれに対して緊急的危機感を欠き報道の責務を全うしていない。原発再稼働もこれに同じい。

 普天間飛行場無条件閉鎖を肯んじない米国の支配者意識が作り出した「辺野古移設」の大嘘は今や傍若無人な大手を振って辺野古崎、大浦湾の自然破壊を躊躇なく「やっちまおう」としている。こいつらに一般的良識はなく単なる軍事論理でしか物事を顧慮しない輩であるから、言ってみれば愚連隊、チンピラ、ならず者国家という目線でみるのが妥当だ。現場で炎天下、座り込み、監視、抗議活動をする方々の、健康状態が何よりも心配される。(つづく)