社説を書く論説委員がその報道機関の総括的頭脳という立ち位置にあるだろうことは想像できる。と同時に、その機関の良識を代表するという意味でこの論説を担当する立場だ、ということもなんとなく感じられる。一方新聞読者があえて恒常的にこの社説に期待し常に目を通すかと言えば恐らく過半数のかなり遠いところにしか確実な読者を見つけられまい。そういう意味では社説の書き手は、限られたある意味特殊な読み手を想定しつつ客観性に苦慮し主体的な意見をない混ぜながら、日々大概は時局に沿った話題につき最大公約数を書き連ねるわけだ。
しかしいかに最大公約数とはいえ当たり障りのないところを100万語費やして書いてみたところで、彼が日常に見聞きし収集する知識情報の積み重ねの中でおのずと培った彼の思潮の底辺というのはなんとなく読者にはわかってしまうものなのだ。
29日の朝日新聞の社説は、一人の沖縄の読者には恐ろしく暢気な本土の大新聞の、何か救いがたい低俗さ、無理解さを見せつけられたようで、遣り切れない思いばかりが募ったことを告白する。
彼ら本土の識者にとっての戦後65年は、アメリカの核の傘、在日米軍基地による抑止力という「幻想」に忘我し、経済復興に邁進、世界第二位の経済大国まで登りつめた末、バブル崩壊リーマンショック、嘘で固めた政権交代の後、現今の旧帝国官僚的亡国政治の時代に突入、米軍とともに再度編成替えして仮想敵を捻出し、いよいよ軍拡再軍備路線をひた走らんという有様ではないか。
戦後民主主義の堕落が究極したこの民主政権を絶望的に眺めるのは、敗戦と天皇と日本の近代化について歴史学的にさえ一定の評価を下し得ず、未来に向け国家的にも国民的にもなんらの展望も付与できず、対米従属的国情の改善も覚束なく、総じてこの国が精神的価値という視点を完全に実質的に喪失したとしか思えないからだ。
かかる評言を揶揄する向きには沖縄と本土との戦後回想の段違いさが少しもわかるまい。沖縄戦後65年は沖縄戦に絡んでまさに「血塗られた」65年であり、米軍基地に絡んでいよいよ絶望的な苦闘の65年なのだが、「平和ボケ」という表現しか思いつかぬ本土と沖縄の天地ほどの格差は、彼らが強制的にでも学ばなければならない沖縄琉球の歴史的屈辱という精神史にある。もし彼らが本土並みに沖縄を捉え、沖縄含め日本全体の視野を得たと言うなら、75%の基地を押し付けている不公平(非人道的)に対して自己矛盾を感じない鈍感さに驚くというものだ。(中断)