沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩278 朝日新聞の社説

2010年12月31日 11時58分20秒 | 政治論
 社説を書く論説委員がその報道機関の総括的頭脳という立ち位置にあるだろうことは想像できる。と同時に、その機関の良識を代表するという意味でこの論説を担当する立場だ、ということもなんとなく感じられる。一方新聞読者があえて恒常的にこの社説に期待し常に目を通すかと言えば恐らく過半数のかなり遠いところにしか確実な読者を見つけられまい。そういう意味では社説の書き手は、限られたある意味特殊な読み手を想定しつつ客観性に苦慮し主体的な意見をない混ぜながら、日々大概は時局に沿った話題につき最大公約数を書き連ねるわけだ。
 しかしいかに最大公約数とはいえ当たり障りのないところを100万語費やして書いてみたところで、彼が日常に見聞きし収集する知識情報の積み重ねの中でおのずと培った彼の思潮の底辺というのはなんとなく読者にはわかってしまうものなのだ。
 29日の朝日新聞の社説は、一人の沖縄の読者には恐ろしく暢気な本土の大新聞の、何か救いがたい低俗さ、無理解さを見せつけられたようで、遣り切れない思いばかりが募ったことを告白する。
 彼ら本土の識者にとっての戦後65年は、アメリカの核の傘、在日米軍基地による抑止力という「幻想」に忘我し、経済復興に邁進、世界第二位の経済大国まで登りつめた末、バブル崩壊リーマンショック、嘘で固めた政権交代の後、現今の旧帝国官僚的亡国政治の時代に突入、米軍とともに再度編成替えして仮想敵を捻出し、いよいよ軍拡再軍備路線をひた走らんという有様ではないか。
 戦後民主主義の堕落が究極したこの民主政権を絶望的に眺めるのは、敗戦と天皇と日本の近代化について歴史学的にさえ一定の評価を下し得ず、未来に向け国家的にも国民的にもなんらの展望も付与できず、対米従属的国情の改善も覚束なく、総じてこの国が精神的価値という視点を完全に実質的に喪失したとしか思えないからだ。
 かかる評言を揶揄する向きには沖縄と本土との戦後回想の段違いさが少しもわかるまい。沖縄戦後65年は沖縄戦に絡んでまさに「血塗られた」65年であり、米軍基地に絡んでいよいよ絶望的な苦闘の65年なのだが、「平和ボケ」という表現しか思いつかぬ本土と沖縄の天地ほどの格差は、彼らが強制的にでも学ばなければならない沖縄琉球の歴史的屈辱という精神史にある。もし彼らが本土並みに沖縄を捉え、沖縄含め日本全体の視野を得たと言うなら、75%の基地を押し付けている不公平(非人道的)に対して自己矛盾を感じない鈍感さに驚くというものだ。(中断)

詩277 

2010年12月28日 23時54分21秒 | 政治論
 沖縄に対する政府の欺瞞性は丁度高齢者の懐をねらって口説きにかかる詐欺商法の多くと大差ない印象を受けた。例の「オレオレ詐欺」の「俺」は実体は肉親でも係累でもない日本政府だが「沖縄の為に」肉親以上に骨身を削る有難い人徳者であり、「沖縄」翁の肉親の情に訴えて「本土の人々が安心して眠れるように」お前さんの持っているその「辺野古」を直ちにアメリカ基地銀行へ振り込んでくれ、というわけさ。しかも「オレオレ詐欺」より手が込んでいるのは「おまえさんの子や孫が生活に困らんように」と「振興策」と名づけた目くらましも用意している。この「目くらまし」だが子や孫にでなく「本土の子や孫」に行くような仕組みになっている。つまり「沖縄」翁の子や孫にはなんらの恩恵もないってわけさ。騙し騙されて400年、琉球王朝から今日まで、日本政府のいいように操られ、「本土」の放蕩息子たちのためにせっせと人命を捧げてきたという歴史。政府の詐欺商法はまだまだ続く。前原の提言が何故受けられぬか。当然ではないか。嘘に嘘を重ねた政府をどうごまかせば信用できるのか。己の心情を捻じ曲げて捻じ曲げてそうして「何のために」彼奴らの詐欺にまんまと騙されるのか。どこまで自尊心を削ぎ取れば本土の人間はまともに基地を分担してくれるのか。米軍基地は本土から追い出されて沖縄に流れ着いた世界のあぶれものだ。そんな連中を飼い馴らすためになんで沖縄が骨身をけずらにゃならんのかい。百歩譲ってこいつらが沖縄を戦争の危険から保護するというのなら、なんで尖閣で中国が理不尽絵に描いたような茶番劇を演じたときに海兵隊は彼らを威嚇することさえしなかったのだい?なんで自国の領海で安心して漁もできない事態を野放しにできるのかい?なんで北朝鮮が砲撃したとき米軍はなにもしなかったんかい?まあどっちでもいいや。どうせまた適当なごまかしを繰り返すだけさ。

詩276 本土の日本人たちよ

2010年12月28日 11時08分15秒 | 政治論
 歴史的事実関係の詮索は学者の調査情報収集等による史料的確定という経過の中で意識的に実行される行為だが、その意味では大田昌秀氏の傾向は「歴史離れ」を意図するように感じられる。これをしも氏の散文家精神の表れとするなら大いにそうだというしかない。彼の「鉄血勤皇隊」が戦記として駄作か秀作かはわからないが、これこそ「歴史其の儘」だったわけで、彼の一連の「平和主義」的な著作の根源は彼自身が少年時に体験した沖縄戦だということは誰も否定できないだろう。そして沖縄戦に関する史料的確定作業は、現代史であるにもかかわらず高校教科書問題(集団強制死等に関する一連の問題)にもみるように未だにその決定的評価を世界的に又は国内全国的にさえ得ていない実に嘆かわしく情けない現状にある。概して沖縄琉球に関する学術的考究のマイナー性又は不当に差別的軽視傾向はナイチャーが沖縄にて感じる最も甚だしく馬鹿げた非近代性として経験する事実だ。数人のナイチャーが日本の諸問題または重大問題の多くは基本的に沖縄問題の解決を通して解決されると断言している。その謂いは本土と沖縄の乖離性が歴史的にも事実上明白である現状から同じ日本民族、国民、人種という意識的親和性向に自然的に傾く人間的真実を見据えるなら、歴史的乖離状態のなかで沖縄琉球人が培ってきた普遍的人間的人生観こそナイチャーが根源的に希求し学習すべき内実を有するということだ。本土決戦を経ずして沖縄だけが被った地上戦としての沖縄戦、戦後統治を異人種によって国内単独に受けた27年、潜在主権というふざけたスタンスで75%の基地を平気で押し付けられた戦後65年間、政治怠慢に過ぎない普天間問題を県民市民住民の苦渋の判断に丸投げされた辺野古の14年間、沖縄を沖縄から捉え返して日本を47都道府県一体となって見直さない限り、この国は決して対米従属植民地状態から脱却できないだろう。

詩275 本土の日本人たちよ

2010年12月26日 17時29分28秒 | 政治論
 原爆が終戦を準備し数百万の人命を救った、という言い訳、米軍が日本による圧政から沖縄を解放したという大嘘。日米安保と米軍駐留が戦後日本の繁栄を支えたという宣伝文句。その後のアメリカとその下僕日本政府が繰り返した日本国民を洗脳する数々の偽善欺瞞。元はキリスト教国アメリカの倫理観の矛盾から来ているのは明白だが、この矛盾が当のアメリカ人には容易に理解できない事実がある。何故こんな自明のことを彼らは理解しないのだろう。彼らに言わせれば、人間の多面性、絶え間ない戦争、など軽視すべからざる現実がある、だから「正義の戦争」はあり得るというわけだ。一応納得できる言い訳だが、この単純な反信仰精神は不徹底な信仰態度と言っていえなくもない。いまさら彼らの精神生活を云々しても始まらないが、所謂被害国被害民からしてみればこれらの言動態度は人権蹂躙人命軽視などに該当し就中自己正当化として捉えたときには極度の反感忌避の念に駆られるのは当然であろう。恐らく現今沖縄対米軍基地はこういう対立関係を永年引きずってきた結果として著しく悪化した状態にあると思われるが、その悪化を助長しているのが日米関係に従属追随受容姿勢でしか対応しない日本政府の沖縄住民感情軽視無視蹂躪行為だった。今、普天間基地と辺野古崎は飛行場危険除去と環境配慮、対米県民感情の悪化、対日本国政府不信、戦争絶対反対、戦争関連施設忌避、沖縄戦体験県民の反戦意思、米兵犯罪被害の不当処理抗議、といった内容で沖縄の象徴的名辞となった。ところで移設先とされる辺野古では移設容認というより歓迎という人々もいるにはいるのだ。議会制民主主義、多数決原理、世論調査、住民投票など、正当少数派切捨て矛盾はある。主に移設に伴う財政的向上を云々するのだが、その移設バブルは実質があるのかという議論。危険性拡大と引き換えの振興策が大多数を説得する力を持っているかは疑問だとして、こうした意見に関する「つまずきの石」論を問題にしないと本来かかる民衆闘争は意味を成さない。総じて「賛成反対含めて沖縄」というスタンスにいないとむしろ官憲の思う壺だ。つまりはこの闘争が「人民による」本質から逸脱しないために。事実は国内で報じるほど単純な内容ではない。住民分断という基地被害を生じたのはまさに国家が理念を持って問題に立ち向かわないそのアメリカ追随姿勢からきた。重大案件を住民判断に押し付けたこの国の政治家の態度は無責任きわまりない。(中断)

詩274 本土の日本人たちよ

2010年12月25日 19時28分01秒 | 政治論
 名護市と政府の米軍再編に依拠する確執はタイミングをはかった政府の切り崩し作戦が所詮札びらはためかせて人心を玩弄する時代錯誤な唐変木どもの官僚国家的発想しか見えてこないがゆえに、なんともうそ寒いこの国の精神荒廃状況をこれ見よがしに見せられている国民は、いよいよあきれ果てていよいよ絶望感を深めていくのだった。仲井真知事の再選は彼らの沖縄懐柔強行路線の予定された前提事実なのだが、これは知事が「県外移設」を公約としたにもかかわらず実行されたということからわかるように、明らかにこの知事を「柔軟なる交渉相手」として100のうち51くらいは辺野古方向へのシフトを可能にすべく籠絡できうる軟弱政府寄り知事と踏んだ官僚どもの舌なめずりという有様を暴き出している。汚らわしい。米軍の犬どものこうした醜悪なる非民主的非理念的非現代的封建的圧政をこの国の民はいかに見るのか。国家と地方、国家と人民、強者と弱者という構図の中でしか人民は国家に太刀打ちできないのに、何故この国の民は知りもせず感じたこともない国家なんぞの反人民的行為を盲目に正当化するのか、理解できない。全ては「お上のいうことにまちげえはねえだべから」という、かの時代の因習なのだろう。しかしそれは国民にとって自殺行為を準備しているのだ。彼らはいずれ特措法を断行するに違いない。専決事案として公有水面埋め立て許可権限も掠奪し、辺野古に殺人部隊を配し、無辜の人民の掛け替えのない命の火を惨たらしくかき消すこの国とアメリカ大偽善国家の人殺し共。こいつらこそハトの仮面を冠った悪魔なのだが、国民は盲目に従わされている。(中断)

詩273 本土の日本人たちよ

2010年12月25日 11時15分08秒 | 政治論
 アメリカのいう基地による恩恵、主に経済的なものが沖縄を生活苦から救済したということや、米軍統治で「民主主義」が根付いたとする見解、米軍駐留による日本国の高度な経済繁栄という僥倖を在日米軍の抑止力証明根拠とするなど、彼らのある意味勝手な都合のいい解釈の結果、戦勝国の敗戦国占有施設保持を正当化する背景を形成していった。自国友軍の末期的悪行により逆説的敵意を内在させた沖縄が、日本の圧政から解放される実質で米軍の救済恩恵に浴したとアメリカ人は思ったとしても無理からぬことではあったが、所詮軍事統治が民意を反映しない現実は米軍政府への失望を買うのに左程時間を要しなかった。「正義の味方」月光仮面的ミッション意識はキリスト教国の面目躍如だが、彼らの中の悪魔と天使が自家撞着もせずものの見事に同居している姿は、原爆やベトナムイラクアフガン等でさながら影絵芝居をみるように鮮明に黒白をつけて現代社会のど真ん中に投げ込まれている。人工調節機能としての酷薄な側面を持つ戦争という文明史観は解釈学の域を出ない。現代のラスコリニコフは内面的省察を欠いた非文学的無機質人格に審美的愉悦を覚える隠れた狂気としてしか現前しない。我々はそこに、大事なものをどこかに忘れた偏頗な精神病理を見る一方、神の惨たらしい手によって荒々しく転がされる「いたいけな」神の子という神話に妙な郷愁さえ感じるというわけだ。21世紀はドストエフスキーさえも魂の領域で凌駕するというのか。それとも精神の世界は最早現代人から無縁な皮肉な「あてこすり」でしかないのか。いずれにしても戦争グルメを気取るアメリカは悪魔だ。彼らの悪魔的世界征服計画を無批判に受容する日本国政府は悪魔の手先だ。その連中がする沖縄不沈空母化強行路線は沖縄県民を死地へ追いやり、ナチスさながら一民族絶滅企画を悪魔的に実践しようとしていることにほかならない。実質固定化に成功している普天間問題は彼らの悪魔的本性を曝している。彼らは一向に進まないこの問題を政治遊戯に利用し、不断に生命の危険に曝される住民の上に更なる牙城を築かんとする。グアムインフラ整備遅延をでっち上げ、固定化を促進するのは彼らだ。中国北朝鮮脅威を計画的に煽り、自己の軍拡実質を隠蔽しようという現在の米軍自衛隊の独走部隊は南西諸島を我が物顔に駆け回り、住民意識を軍靴で蹂躙している。あの連中の悪魔的本性を見誤るな。

詩272 本土の日本人たちよ

2010年12月23日 16時38分05秒 | 政治論
 そもそも防共というきわめて煽情的な言辞が今でも使われていることに驚かされるが、このような偏頗な思潮にグウーの音も出ない団塊戦後民主主義世代の元過激派(菅はじめ政権中枢)とは一体どういうでたらめの結果なのか。彼らがいかにmotiveのない思想遊戯に興じていたか目に見えるようだ。そして彼らが自己のヘボ信条の後付コジツケ現実主義をでっちあげいかにその理念的精神を失ったか。千年革命の大理想は彼らのたかだか現今人気取り選挙至上主義路線の大矛盾などとうの昔に見抜いているに関わらず、おのが保身に汲々とする余り道を見失っている無様な姿に、日本の学歴エリートたちの相も変らぬ空回り周辺迷惑不幸社会が戦前同様復活するのかと愕然とする。

詩271 本土の日本人たちよ

2010年12月23日 12時34分47秒 | 政治論
 全国知事会って一体何だ?こんな何のメリットもない妙チキリンな集会で仲井真君が「安保負担の全国展開」を訴えたところで、あの馬鹿知事共が少しでも気に留めるとでも思ったのか(公費の無駄だ)。沖縄戦の惨状についてたった1冊の本でもいいから読めというしかあいつらに投げる言葉はない。これは本土のあらゆる日本人についても同じだ。君らは沖縄戦、米兵犯罪、に関するレポートの類でもいいから読むべき義務がある。何故なら、普天間固定化の原因の一つに君らの無関心無理解無視があるから。つまり君らの頭上に毎日毎夜ときに深夜あの戦闘機の爆音を聞く生活につき少しでも想像力を働かしてもらうために。おのれの生活の場に新基地を建設されるということはどういうことか少しは考える機会とするために。米兵の車両にひき殺されても正当に文句も言えない理不尽さを知るために。オバマアメリカがどれほどきれいごとを並べたか知るために。彼の演説、ノーベル賞がいかに嘘でかためられているか知るために。国連がいかに連合機能を有しないか認識するために。現代世界がいかにアメリカによっていいように利用されているか知るために。日本政府の無為無策がいかにアメリカ世界戦略の片棒担ぎに拠っているかを知るために。日米同盟と自衛隊と基地がこの国の憲法を蔑ろにしている実情を知るために。そしてあらゆる戦争煽情情報がアメリカの恐るべき情報操作機能によってこの国の大部分を洗脳していることを知るために。(中断)

詩270 本土の日本人たちよ

2010年12月22日 23時21分21秒 | 政治論
 敬意と憎悪を込めて、本土の日本人たちよ。あなたがたは、沖縄に対して「日本の安保のために甘受しろ」という仙石官房長官の本音についてどう思ったのか。
 まず第一に、国民の過半が不要といっている日米安保を「堅持」し、安保ありきで一人ごちる為政者の驕りはもちろん、何故沖縄がその憎むべき安保のために犠牲にならねばならないのか根拠がないのに関わらず、さも一切があらゆる意味で沖縄を犠牲にすべきと決定しているかのように、阿波の地元が受け入れないから他県も無理とか、大体今の日本国民が犠牲的精神などあるわけないのだしそのことさえ恥じ入るべきことなのに、沖縄負担の論理的根拠のごとく吹聴する、この現今日本政治界の倫理的劣悪さ。と同時に沖縄は、政治のトップの認識がこの程度とわかってしまったので最早金輪際辺野古に新基地は作らせるものかわ、と思うに決まっているだろうが。
 破顔一笑する普段の菅が渋面を作って、沖縄に基地を作らせろと言っているあの苦々しい場面は、日沖400年の歴史的関係の真の内実を露骨に表現していた。かく言う筆者も元は移住者、ナイチャーにほかならない。そしてついこの間まで彼らと同等の無関心さ、差別精神にドップリと浸っていた。
 本人の意思とは別に、国は戦後日本をそのように始め、現在のていたらくを準備した、という言い訳はできる。が、ちがうのだ。過去現在未来にわたって沖縄はこの国の罪過の犠牲に供され、理屈抜きで差別されてきた。この現状からすると日本国がアメリカに優越され、肘鉄喰う理由は明白におのれの差別精神優越意識に拠ってくることはわかろうと言うものではないか。この優越差別連鎖こそ冷戦構造後の現代世界精神の底流に流れるおぞましい実態といえよう。
 コザ暴動はアメリカ支配の統治実態につき、友軍が鬼畜化した沖縄戦で救世軍のようにやってきたアメリカさんに解放されたという感謝も束の間、恐るべき軍政によって緊縛せんとする彼らの本性が見えてから急激に悪化しついに爆発したのだった。
 最早、沖縄は(そういうひとつの象徴的人格があるとすれば)アメリカも許容しないし日本政府の大嘘にも乗せられない存在になった。日米両政府は、この普天間解決を成功させることは永久にできない。彼らは彼ら自身と戦わねばならない。彼ら自身が持つ優越劣等の感情的齟齬により永久に相互に無理解の闇に落ち、結局最後の手綱を離してしまうだろう。
 政府は辺野古合意を堅持し、手は振興策と負担軽減により偽善的欺瞞性に満ちた懐柔に限定される。この政治の滞留は国民にとって許しがたい事態である。にもかかわらず沖縄限定問題と多寡をくくったこの国はそういうことには無頓着だ。大体この沖縄問題こそ安保と国防憲法など最も根幹的な重要案件なのにそれにさえ理解力がない。(中断)

詩269 ボンクラ宰相と本土の日本人よ

2010年12月20日 11時41分52秒 | 政治論
 あの馬鹿首相の訪沖で沖縄は一時的に汚濁した。汚らわしくてやりきれない。鳩山と同じような背信行為に明け暮れる菅仙石民主政権の本質は沖縄に関して「安心してこれまでの愚昧政治を踏襲できる政治懸案」というスタンスに立っていることは明々白々だ。つまり「普天間固定化」だ。この国のていたらく政治家のノウテン政治は最も重大な深刻な問題については「無力無気力無策」な本音を決して隠さない。だから沖縄県民は「不当差別」と言うのだが聞く耳持たぬあいつらには馬耳東風といったところだ。アメリカ主人の飼い犬どものご機嫌伺いなどしている暇はないが、辺野古強行を阻止すべく県民一丸となって行動を起こさねばならない。奇しくも40周年を迎えるコザ暴動以来沖縄と米軍米政府は一触即発の関係にありその予兆がないこともないし、日本政府が慌てふためいたときにはすでに遅く、という事態が招来される状況になりつつある。

詩268 

2010年12月19日 17時56分12秒 | 政治論
 この国の宰相が来て、辺野古がベターだといったということは決定的ではないが政府の方針が辺野古確定を示唆したと県民は受け取るだろう。「お上のお達し」と言えばまさに封建時代のたみが口にするさながら奴隷的屈従を表す言辞だが、これが現代にそのまま通用するならこの国は時代錯誤を犯しているわけだ。但し「ベター」という表現は自らベストとは思っていないと言うことだから、彼が自己の政治生命云々したならこの問題につき命を賭けた県外国外移設に舵を切る行動こそ沖縄はじめ国民が十分に納得する「宰相」としてのベストな姿勢として肯くところであろう。従って、彼がかつて市民運動家として行動した自己の過去を理念的に購う唯一の選択肢は県外国外移設の一点にしかない。それをしもなし得ないとすればこの国の未来は暗澹たる道を指し示すことになる。彼の宰相としての責任は単に一国の安全保障だけに限定されるのではなくむしろこの国の本源的未来志向を政治的に支える役割のほうがはるかに大きいと思われる。彼がその師永井陽之助を真に学んだのなら理想のない現実主義は元々形容矛盾だし実質あり得ない道だと知るべきだ。そしてここからが重要だが、現今の軍拡志向は確実に危険な道、アメリカ自身が最も警戒した日本再軍備の道であるし、沖縄を人身御供にした戦後史をそのまま踏襲し、南西諸島を軍事要塞化する本格的非人道行為だと認識しなければならない。法治国家たる本分を弁えずなし崩しに断行する違憲そのもののこういう軍事的思考転回は矛盾だらけの現状を無視して見切り発進する戦前の軍国化を再現するかのようだ。沖縄県民は先の大戦から経験的に学んだ戦争の惨劇につき生々しく本土の人間に警告しているのである。辺野古闘争は、一地域の住民闘争に限定しているのでない、この国の平和希求を実践し、学習し向上しベストな日本の未来を掛け値なく選び取る勇気こそ奮い起こさねばならないといっているのである。一方彼はどこまでも日米同盟を国民的合意の最善の安全保障だと言い切っているが、これは実質ブルジョア的階層のための最善であり決して市民自身の合意でないことはすでに世論調査に現れているのであって、かかる情報的認識不足は致命的な総合力欠如と指摘されても文句は言えまい。だから「一国の宰相」として求められるベストな姿は国家的強権的強行姿勢ではなく、一方に偏する情報によらずあらゆる多方面な情報と知識と判断に基づく総合的な論理展開を国民の目の前に開示することそのものなのだ。沖縄は新基地建設を拒否している。いかなる条件を付与してもこの要求は呑めない。沖縄は根本的に経済自律の機会を基地によって奪われている。本来国が国民の厚生福利として基本的に実施すべき施策についてさながら基地負担代償のごとく扱われている不当性は一般国民レベルでの不公平を意味し容認しがたい。したがって沖縄振興策は普天間問題とは全く別次元の扱いとしなければならない。基本的には普天間問題は安保の問題であり同盟のみを重視すれば県民を蔑ろにし、移設反対に同調すれば日米関係の悪化を招くというわけだが、アメリカのことは真に外交の問題であり普天間は国内の問題だから、二者択一といった単純な分類に収まるようなものでもなく、双方ともクリアしなければ確実には決定的といえずかくして14年間一歩も進展しなかった理由は自明のことだ。しかるにこの国の政府はアメリカとはクリアしたとして逆に地元が決して受容しない条件で合意するという片手落ちを繰り返している。これが超エリート官僚の主導的施策というなら「君らはなんて頭が悪いのだろう」と言うしかない。こいつらは消費税や歴史教育など多くの事案について実に愚かな失政を戦後日本において繰り広げてきた憎むべき張本人たちだ。なんといっても敗戦総括と旧体制の解体を怠ったつけが今になって露骨になったという事態につき識者は警告しなければならないのだが、あらゆる学者たちが「われ関せず」の無関心派や「お説ごもっとも」の御用学者で占められている昨今、いったいどこにこの国の良心を見ればいいのだろう。

詩267 民衆の敵

2010年12月18日 12時03分29秒 | 政治論
 表現しようのない脱力感無力感、そして言いようのない憤り、この首相には沖縄に関する知識収集、情報整理、思考経験練磨、などありきたりな政治家でも弁えた準備行為がなかったのか。あるいはポットでの若造が初めてのプレゼンでもする気でここにきたのだろうか。あるいは(これが実態だろうが)自分の政権で普天間解決は不可能と踏んであと3年をノラリクラリやり過ごそうとしているのか。それともこの首相は中国北朝鮮脅威を本気で信じているのだろうか。あの合同演習がいかにも後付これみよがしなものだということを国民は皆知っている。米軍が日米米韓軍事同盟維持の危機感に駆られ、策謀陰謀渦巻く東シナ海工作をしてることは、誰が見ても明らかだ。先の大戦などアメリカの情報操作の徹底した作戦実行体制はアジア諸国が太刀打ちできるレベルではない。いいようにアメリカ世界戦略の机上ゲームに載せられて日本も韓国も自律できる軍事的戦略的状況にはないのが実情だろう。こういう時局で何故国内問題に関し、アメリカ抜きでの思考展開ができないのか。明らかに客観的事実が示すこの問題の正確な解決法は最早、専決事項という隠れ蓑では回避できないことはわかりきっているではないか。だから沖縄は最早この政権にはなにも期待しないし決して妥協や緩和策など持ち出さない。何故なら今までもこれからも沖縄県民はこの沖縄にしか生きていけないし、この沖縄にしか生きる場がないし、その生活の場をかき乱している連中についてはただただあきれ果てているだけなのだ。

詩266 民衆の敵

2010年12月17日 11時49分50秒 | 政治論
 地元沖縄の大半が反対し、し続けているこの現状に関する正確な情報がこの首相には、多方面に渡る忠告も含め伝わっていないとしか、沖縄では受け止め得ない。つまり地元が引き起こしている重大懸案に関する戦略的意味も含めた総合的判断材料に不足しているとでも言うしかない。それは同時に彼をバックアップすべき防衛外務官僚たちが戦略性を欠いた思考回路しか持ってないと思われてもしかたがないという、戦後解体解散すべきだった旧帝国官僚組織のまま、戦後の官僚体制が戦後日本を牛耳っていった結果として、防衛経済文教政策の重大な失政を助長したことはすでに識者が指摘するところだ。こんな官僚を排除して政治主導を掲げたこの政権が自ら日本官僚的愚昧さに落ち込んでいった事実はまことに残念なことではないか。しかもこの陥穽に気づかない現政権の命運は尽きた。彼らはこの国のありのままに見た惨状を少しも斟酌しない愚かで卑怯で情けない連中だ。そしてこの国の政治の中枢を担っている限り明らかに民衆の敵である。

詩265 民衆の敵

2010年12月16日 12時16分51秒 | 政治論
 辺野古への移設に関する予算計上、思いやり予算5年間現状維持、沖縄県民の神経を逆なでするこういう民主政権の民意無視強行姿勢が徐々に意思としてはっきり示されてきたということは、当然菅の今回の訪沖は知事に対して辺野古移設方針の不動なることを印象付けて沖縄の辺野古移設反対運動に一定の打撃を与えその勢力を削ぎたいということだろう。いずれにしろ日米同盟における対中対北仮想敵国指定の方向性は軍事展開戦略練成の段階へ踏み込んだことを意味する。アメリカの圧力が優柔不断な菅政権に加えられたと見られる。知事選結果を我田引水して評価の誤りに気づかぬまま「こいつなら懐柔できる」と踏んだことはまちがいないが、沖縄県民が知事の変節を黙認するわけがないだろうに。かつて知事が容認方針をぶち上げて辞職した前例のある沖縄とは現在180度内容を異にしている。どちらにしても自民政権時には首長が容認しようが何しようが辺野古移設は14年間少しも進まなかったのである。逆に言えば彼らの焦りに比して、沖縄は何年かかっても撤回させるという意思に変わりなく、普天間固定化の脅しも効かず、振興策ちらつかせて札びらはためかせても県民はすでに経験上これがなんの恩恵も齎さないと知ってしまった以上、彼らの対米追随へなちょこ精神ではなにひとつ有効打は望めないだろうに。今や民主政権は沖縄の人民の民衆の敵である。この政権を打倒することが沖縄県民の総意だ。朝日新聞の世論調査でも日米合意見直しは過半数が支持している。すでに対沖縄不当差別政策は全国的に確認された。「民主」とは名ばかりの詐欺集団に国が牛耳られている日本の歳末は不幸な吐き気を催すいやな新年を予感させるが、沖縄県民はこぞってこうした権力の圧力にノーを言い続けなければならない。

詩264 人民への挑戦

2010年12月15日 13時47分10秒 | 政治論
 阿波の踊る阿呆が口を滑らしたという感じより多分菅の援護射撃の積もりだったのだろう。それにしても日本の学識エリートの見識のなさには愕然とする。こういう勉強不足の連中がかの大戦に国民を引きずり込み、日本の歴史に壊滅的惨状を来たしたのだった。沖縄に移住し、沖縄戦を学べば学ぶほど、いよいよこの国が沖縄に対してして来た人道上の犯罪行為を、いやでも確認することになった。そしてますますはっきりしてくることは、米軍基地の県内移設は天地がひっくり返ってもできない相談だということである。沖縄県民に対してしてきたことを具に見ていく限り、菅ごときナマクラが上辺で「おわび」をしたところで却って反感を買うだけだ。むしろ火に油を注ぐが如き今回の菅の訪沖は、彼自身のためにも取りやめたほうがいいだろう。いずれにしても、一億総愚昧の道をひた走る日本国の醜態は、当然近隣諸外国の失笑を買っているに違いない。シンガポール高官の言は一国民として聞けば不快だが、客観的には思わず納得せざるを得ない。普天間問題が示している国家対国民という奇妙な対立軸は次の事実を示唆する。沖縄県民はもし何らかの揺れ、ブレを感じるのなら、国は今国民に「おまえさんがた沖縄県民の命の保障はできないが、日本国民全体の安全だけはなんとかなる」という触れ込みで辺野古に新基地を作らせてくれといっているのです。これは先の大戦で沖縄が本土決戦の時間稼ぎに利用され、数十万の県民が惨たらしく殺された挙句、大本営は本土決戦の前にのうのうと降参の旗を振ったあの歴史の再現なのです。そればかりではない、この国は、その首魁たる天皇がおのれの保身のために沖縄を防共最前線にすべくアメリカ戦勝国側へその県土を無造作に譲渡したのです。戦後65年間、便乗怯惰の日本政府もアメリカも平気でこの天皇メッセージを利用し、なんらの住民保護対策もしないまま戦争準備兼戦争発進基地として我が物顔に図々しくも県民本来の土地を横取り占拠収用しその間断ない基地公害をばら撒きながら、犯罪集団が県土を闊歩し、戦闘機が爆音を響かせながら県民を恐怖のどん底に突き落として憚らない、という実情にあるのです。こういう状況にあって政府の要求を呑むことは、沖縄県民の精神をずたずたにし誇りを踏みにじり、日本国民として基本的人権を放棄することなのです。県民の長として知事は絶対に政府のごり押しに屈してはなりません。もし彼が懐柔され辺野古へ舵を切ったら県民は直ちに彼を罷免しなければなりません。