沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩145 日本人よ

2010年07月31日 18時57分35秒 | 政治論
 怒る気にもならないが、保守的なとは、このようなてこでも変えない辺野古崎という石頭連中にかかっては身もふたもない。彼らのこの妙な自信はどこから来るか。しかし13年間一歩も進まなかった移設計画につき強制執行強制排除以外手はないのだから、彼らはやるかもしれない。もしここを回避すればあとは日米合意見直ししかない。国民の民意を超える国家的重大案件などこの世には存在しない。その国家はどこか人のいない孤島でしか成立しない。国家は国民と別に厳然とあるわけではない。戦争が国家と人民を対立軸におくのは国家執行主体と人民が対立関係にあるからでしかも同等な意思主体として対立するので、このときは人民は国家に運命を握られ国家は人民に君臨する。平時では国家は国民の集合であり国民なしに存在しない。従って、日米が国家間で合意したことにつき国民が対立したときこの合意は無効となる。日米が戦争を前提して合意したなら始めに9条合憲を国民投票で決定しなければならない。その後に初めてこの合意につき有効無効が決定する。つまり平時の日米合意に関して国民が反対するこのケースでは合意そのものが無効なのだ。今普天間固定化を脅迫的に口にするならかかる不良同盟は抹殺すべきだ。このやくざ連盟は国民の住空間から徹底的に排除すべきだ。

詩144 日本人よ

2010年07月31日 11時12分33秒 | 政治論
 毎日の社説は沖縄普天間問題の混迷をまるでその辺の三流記者のような取ってつけた筆先で扱っているが、朝日にいたっては相変わらずだんまりを決め込んでこの問題の本質から眼を背けている。こうした大新聞の低調な社説に業を煮やし、この問題を扱っている他のメデアをさがしてみるが見当たらない。誰が見ても決着してないこの問題を鳩山辞任以来打って変わって無視し始めたこの国のメデアマスコミは、自己のジャーナリストとしての感覚の異常に気づかないのか。あるいは見て見ぬ振りが習い性になっているのか。沖縄タイムスは権力抑制機能としてのジャーナリズムの危機とまで言っているが.....

詩143 日本人よ

2010年07月31日 07時31分50秒 | 政治論
 腐れ縁としかいいようがない、この日米同盟。敗戦国日本は占領体制のなか究極の手段として選択したのだというのだが、押し付けられたという感覚のなか憲法9条を擁し、背理する軍事同盟を選択したこの戦後を無条件に肯定するわけには行かない。つまりこの功罪のうち沖縄問題、近代化検証、もしくは山積する教育問題、閉塞する精神的状況、自殺の問題、労働問題、不健全な育児環境、破綻に向かう社会保障、定まらない政治状況、つまり一路線が生産する矛盾を確認し、統括的に洗い直し、主たる原因を特定し改善するというのが本来人のする行為対応形態である。そこに既得的価値観があっては良好な改革は望めない。「日米同盟堅持」という宣言は単に対アメリカ服従宣言にすぎない。何故ならこの同盟には不平等協約が継続的にあり占領体制のままきたツケがまわってきている。最も効果的な政治解決は日米同盟解消という選択だ。普天間失政で急落するかと思った民主党のV字回復は沖縄の民意と相違する本土の民意(民意でなく無関心だが)を露骨に示したが、80%以上の「県内移設反対」を表明する沖縄県民の比例配分を加算すれば民主党の参議院選惨敗の30%程度は普天間辺野古回帰への失望と捉えなければならない。そして実質上この普天間不満の過半数は日米同盟嫌気である。にもかかわらず朝日毎日他各紙ともこの点には一切触れなくなった。こうした本土のマスコミメデア対応を沖縄は愚昧政治の予備軍としか評せない。

詩142 日本人よ

2010年07月30日 07時54分39秒 | 政治論
 あらゆるモダンイデオロギーの課題は理論と現実の整合性に集中するだろう。空想から科学へはマルクスに限らない。誰も非現実的な合理性など求めはしない。現代が優れて歴史的バランスを実現し国際的協調を得たかというと必ずしも肯じないのはしかたがない。では国連も無力として国家が安全保障を最優先課題とし軍拡競争のなかにあらゆる国家的アイデンテテイを注ぎ込んだとして、例えば戦後65年を経過した日本のような場合吉田ドクトリンの評価は高坂のいう「現実的な平和論」として生き続けるものだろうか。戦後焼け跡からの出発はまさに究極のリアリズムであったろう。敗戦は日本において又国際社会においてのっぴきならぬ現実であったし国家が生き延びることも避けようのない必然的行為にちがいない。しかし日本の敗戦は連合国の勝利だったしこの立脚するものの決定的な違いこそ日本の国家的主体性の可能性だったかもしれないとはいえないか。歴史の蓋然性を今更評しても仕方がない。問題は日米同盟が負っている運命的な関係性だ。経済的繁栄と経済現象学的リードオフマンの役目は非軍事性らしき国是に彩られながら、曲がりなりにも一時代を完全に閉幕した、と思われる。にも拘らず何故この同盟は軍事同盟として不変的に持続しているのか。敗戦国対勝者、防共協定の同盟国、第2次防共同盟国、この日米関係はまるで確定的既成関係として論を待たない究極の路線のごとく連綿と受け継がれるようだ。今や軍事費さえ増額を要求されているし、グアム移転の予定破綻の尻拭いまでさせられる状況だ。内政干渉の様相は露骨になり広島まで愚弄されようとしている。被爆関係者が沖縄県民同様、吹き上がる憤怒を静かに燃え滾らせながらオバマや米大使の「現実的平和論」を苦々しく聞くだろうことは容易に想像できる。こうした明瞭に人民と乖離した「現実主義」こそ非現実主義ではないのか。菅よ、あんたの先生の永井陽之助はもう過去の人ではないか。吉田ドクトリンも過去の遺物ではないか。今こそ21世紀の現時点の現実を直視し君の本来的な「現実主義」を宣言したらどうか。

詩141 日本人よ

2010年07月28日 20時19分14秒 | 政治論
 つまりこの新安保懇は首相の私的諮問機関だから鳩山の私的公約「最低でも県外」弁明同様、この政権の公的決定力は最初から度外視していいのだろう。憲法解釈から出発するこの試みは旧政権のスタンスを持続する決して「新」と名のつくものでなく、方向性は軍拡路線であり再軍備につき憲法9条を無視している限り国民的容認は得られまい。だから個々の提案の幻想性に辟易する一方、これを防衛大綱のたたき台とする菅政権の見識を疑う。そもそも「革命」と曲がりなりにも評された当初の民主党の国民的期待の一端に沖縄問題を含めた対米追随国家の見直しがあったはずで、いつのまにか旧自民党と同じ方向を明示し始めた段階で国民はこの党の詐欺体質をみてしまったが、ここにきていよいよ国防問題に差し掛かり、同じ旧路線の「新安保懇」が示す提案にタダ乗りするのは許しがたい。いずれにしても「新安保懇」は唾棄すべきけがれた存在だ。この国を駄目にする最低のやからだ。何故こいつらに存続を許したのか。この政権にはほとほとがっかりさせられる。

詩139 日本人よ

2010年07月26日 18時11分30秒 | 政治論
 はっきり言ってこの政権(民主党政権)はまさに精神年齢12歳といわれても仕方がない、史上稀に見る幼弱な政権であるが今更元の自民の濁りを恋しがるのもお笑いねたにしかならないし、国民は失望とあきらめのハザマでこの政権の教育係というありがたくない役割を担わされ、忍耐の限界に挑戦するはめになった。しかしながら真の大人でない民主党に初めから成心ある政治成果を強要しても失望と幻滅以外帰って来ないのは眼に見えている。一方財源のないマニュフェストは別として、骨格たる基本姿勢が崩壊するのはどうしたわけか。政治主導、日米関係の見直し、行政刷新、他種々の売りが根こそぎ崩壊していくとき国民は裏切られたと実感するのだ。この政権は明瞭に裏切った。普天間において安保日米同盟堅持という理由で、沖縄を裏切った。これは一人鳩山の問題ではない。民主党の土台の問題なのだ。アメリカ次第で国民を裏切るその体質の問題なのだ。そのことに気づかないこの無神経さが問題なのだ。そしてこの裏切りがどれほどの意味があるかを認知しないその軽薄さが問題なのだ。かくしてこの政権は本土の日本人がいかにかばいだてしても到底許しがたい罪過を沖縄に対して為したということである。何故これを繰り返し言うかと言うと、沖縄がこれまで置かれた立場境遇待遇を考慮すると、どうしても何度でも繰り返さないとすぐに忘れてしまう本土の日本人がいるという歴史が絶え間なくあったということである。絶望は大声で叫ぶしかない、希望に眼を覚ましてもらうために。沖縄は今絶叫する。悲鳴を上げる。これ以上我々にアメリカ基地負担を押し付けるな、と。

詩138

2010年07月26日 12時17分26秒 | 政治論
 日本人の中のsuperiority complexは対アジアにおいて歴史的に顕著に見られた。背後にinferiority complexがあり対欧米であることは自明である。人の心理状態としてはいずれにしても対人的アンバランス状態にある。国家においては外交局面でこのアンバランスが非対等な関係を生む。琉球王国が事実上無血開城したとき(薩摩侵攻か琉球処分かはわからない)以来この非対等関係が対沖縄において醸成されたことは容易に推察できる。そして日米同盟は対アメリカにおいて不平等関係を内包した。この対極的アンバランス状況を沖縄とアメリカに同時に抱えたとき、本来中心にある日本政府が最も主体的にこのバランスを操作できるのに何故自己改革のチャンスをむざむざ放棄するのか。complexの克服というチャンスを。いわば偶然にも今や西太平洋情勢やアメリカの事情について日本は極めて客観的視野を得たのだ。中国の経済的発展による国力の増進、日本自身の停滞下降傾向、あるいはインド、ブラジル等新興国の発展上昇傾向等により、いよいよ活発化するグローバルなダイナミズムに際して国際バランスを得た視点から内政外交努力を惜しまないという、本来的な主体性を取り戻せるのである。その一歩が対米関係改善であろう。(その一環として対沖縄に関する差別的待遇改善が当然ある。)この普天間の問題は日本の国家的自己克服という難題を含んで極めて重要な課題として扱わねばならないのだが、いち早くアメリカに重心を置く宣言をしてしまった。なんという余裕のなさか。マスメデアの論調がアメリカとの信頼関係に重大な支障という煽りを入れた。つまり沖縄の信頼は同時に失われる結果を生んだのだが、これは明らかに日本政府のまれに見る失政であり現実主義もへったくりもない。まして今や民意を越えた国家的優先課題などあり得ようもないのは歴然としている。(同時進行としてはあり得るが)この政権に期待しても失望しか得られないとはわかっていても言わずにはいられない。

詩137 本土の日本人よ 

2010年07月25日 23時38分11秒 | 政治論
 北沢の「合意案は知事選後に絞り込む」という見解、岡田の「沖縄県の理解なしに一歩も進めない」というクリントンへの示唆、仲井真知事の名護市議選反稲嶺派の支援表明、この文脈だと名護市議選容認派の勝利と仲井真新知事の元での辺野古合意再現という流れとなる。官房機密費を大いに駆使しどちらの選挙もむしろ圧倒的容認派勝利という図式が見える。すでに沖縄に関してはこういう周到な黒い動きは過去の事例からも容易に想像できよう。国家挙げて大々的不正がまかり通るのが沖縄だ。天皇がアメリカに沖縄を売り渡して以来この基本スタンスには何の変更もなかった。密約外交と基地の固定化は安保の核心である。今度はグアムのインフラ整備の遅れで2014年の移転は事実上先送りときた。日米双方で普天間が空中浮遊している。地元は勿論振り回される県民もたまったものじゃない。しかし辺野古移設反対派の切り崩しは日米共同で軍事的排除に至るのだろうか。

詩136 本土の日本人よ 

2010年07月24日 17時40分02秒 | 政治論
 どこかで「アメリカは不沈空母」と誤解しているところがあるらしい。日米安保が抑止力を持っているという神話?はいつからできたのだろう。吉田ドクトリンはすでに現実主義の定義から遠のいたのではないかという反省は、官僚や政治家の中から出てこないのだろうか。占領体制から一歩も進まなかったこの国の自律的国家運営の在り方が、もう一度敗戦直後の焼け跡に戻って考え直されねばならない時期にさしかかったのではないか。自民党がすでに時代遅れだということはこの党が戦後日本の対米依存体質をどこまでも維持し続けようという党方針から一歩も前へ進まない保守停滞主義だからであり、吉田ドクトリンはすでに現今の世界情勢のなかで完全に後ろ向きな指針としてしか機能しないという事実が昨8月の政権交代によってはっきりしたのだが、鳩山は常時駐留なき安保という不完全な対米政策によって自ら墓穴を掘ってしまった。2大政党時代などという幻想的政治情勢を偽装しようとしてもこの国の保守政治は最早風前のともし火である。そしてここが肝心だが、非常に残念なことに「革命」などとのたまっていた民主党の本質は所詮未来のない中途半端な保守修正主義にすぎない。期待するだけ裏切り感が大きい。日米安保堅持と言ったときこの党の命運は尽きた。少なくとも国民の失望だけを助長する党になってしまった。安保破棄と財政立て直しを軸に国家予算の完全な洗い直ししか方法はない。

詩135 本土の日本人よ 

2010年07月24日 10時17分30秒 | 政治論
 名護市議会で容認派が多数派になり知事選で現職が再選となるとどうなるのか。政府は待ってましたとばかり容認派に説得工作し知事は許認可権を行使し事態は金に物言わせて現行案の実行段階に突入するだろう。60年安保再現第二の成田は避けられない。一方時代の推移はアメリカの軍縮が進み財政立て直しに予算換えが行われ各国米軍基地は縮減傾向に拍車がかかり、日米同盟は在日米軍基地はその異常に突出した対米追随の従属根性がむき出しになる。政権が持たない。この日本政府のていたらくを誰が許容するのか。

詩134 本土の日本人よ 

2010年07月23日 10時42分29秒 | 政治論
 国家対人民の対立軸が最も鮮明に現れた沖縄問題の経緯は、普天間において辺野古拒否という力点を持って結果した。人民は政治的駆け引きを用意しないがゆえに拒否の結果が他県他国への移設だとしても、ここまでの過重負担の歴史からすれば負担分担という形もやむをえないと考えるのが自然だ。グアムサイパンテニアンは沖縄移民の島でもある。いかに受容が歓迎されても基地負担は二重被害に近い。従って理念的には米軍基地無条件全面撤退を要求するのが最も純粋な形である。しかし、現在日米で外交力学的に取りざたされているのが沖縄の負担軽減のための普天間返還である以上、その返還条件の拒否という闘争形態をとらざるを得ない。つまり実質上普天間から敷衍するアメリカ覇権主義への抵抗ないし世界軍事展開への反戦運動というものは世界レベルで思想検証を行わないと単なる反対のための反対にしかならない。だから国防問題含めて自律する安全保障機能に対する国民レベルの議論が是非必要になってくる。普天間問題は日本の一地域の問題ではなく日本全体の差し迫った国家未来の選択という重大な問題なのである。

詩133 本土の日本人よ 

2010年07月23日 08時24分13秒 | 政治論
 図らずも普天間問題がクローズアップされて素人にもわかったのは、日本の安全保障や国防に関して又は日本が世界に発信しなければならない平和に関するテーゼについて日本国及び日本人は今の今まで何一つ統一的見解を共有する状況に至っていなかったということである。これは一体どういうことなのか。出発はどうやら吉田ドクトリンらしい。そしてこれが日米安保の日本側のレーゾンデートルになる。経済的発展繁栄のための軍事費の極小化という考えは明瞭な合理的方針だ。しかし憲法9条はもっと明瞭に戦争放棄を謳っている。日米軍事同盟が自衛隊が明らかに憲法違反だということは今更論を待たない。日本は戦後出発の時点で自家撞着に陥った。そしてその状況は戦後65年を経ても何一つ変わらない。ある意味でこれは非常にわかり易いことではある。つまりもしこの自己矛盾を解消したいなら、まず日米安保の破棄、自衛隊解体編成替え(出動目的の限定武装放棄)を行えばよい。あるいは又憲法9条を改正し、......だが待て、誰が見ても、理想理念を語る憲法9条は条文を完全廃棄しない限り、憲法の改悪性を明示する事になる。要は現行憲法が実に見事に人類的抱負の代弁を示していると言う事実だ。そこでいみじくもオバマ大統領は正義の戦争を肯定し、核の放棄は理想だが段階をふまねばならないとかいった。この演説はノーベル平和賞授賞式で行われ全世界が聴取した。いかなる評価が世界からされたか知らないが、偶々沖縄問題を抱えていた日本ではある種の違和感を持って聞かれたのではないか。絶対平和主義、ガンジーの非暴力主義についても彼は言及したが、多分(一国の首長たる大統領の責任においては)現実にはその立場は執りえないという趣旨の説明であったかと思う。多分誰でも正義の戦争はあり得ると考えるに違いない。核の放棄は現実には段階的にしか進まないだろう。絶対平和主義も非暴力も一見不可能と思われる。問題のひとつは、正義の戦争というが、誰が正義か悪かを見極めるのか。何故手段としての戦争が正義でなければならないのか、ということだ。古来正義の戦争として始められた戦争はあったのか。いやむしろ正義の戦争として始めなかった戦争はあるのか。正義ではなく正義だという主張にすぎなかったのであろう。だからおためごかしの戦争とその現実的悲惨を人民は学んできたのだ。つまりどう転んでも戦争は現実には一般民衆の又無名な兵士の苦痛と死と取り返しのつかない不幸を生んできたのである。例えば正義は必ず勝つのか、戦後において勝者が敗者を裁く事の是々非々が問題になったことがある。この時人は不図ヨーロッパ列強がアジアを侵略し植民地化したことを思い出す、ピサロがインカを滅ぼした事を。これらを正義とは誰も言うまい。だが見方を変えればいち早く近代化を成し遂げたヨーロッパがアジアの近代化に一役買ったともいえる。アングロサクソンは各地で人間狩りをしながら世界規模で文明を開いたともいえるかもしれない。しかし又ベトナムではアメリカの機械文明をもってしても一民族の執拗な抵抗に勝てなかった、防共のイデオロギー戦争は正義ではないのか。だから負けたのか。大量破壊兵器を持たなかったイラクへの攻撃は正義ではなかったのか。連綿と続くテロによる殺人は何をもたらすのか。もしオバマが国家的責任者は自己責任において正義と判断したなら、やむを得ず戦争することもあるというなら、人民は自己責任において徴兵拒否の判断をしても許されるという論理になる。ここに生じる国家対人民という対立軸は戦争の本質を明瞭に物語っている。

詩132 本土の日本人よ 

2010年07月21日 16時25分59秒 | 政治論
 沖縄移住者にとって「学べば学ぶほど」沖縄は異常な社会である。米軍基地の75%を押し付けられている事実は勿論だが、先次大戦で「本土決戦の時間稼ぎ」として軍民一体となって対処させられ一家全滅や集団自決を余儀なくされ、県土の大半を焦土とされ、戦後復興の初めにはアメリカの統治下におかれた。その歴史を眺めると沖縄の悲哀が見えるのだが、感じられる異常さは今なお戦争の傷跡が残りかつ半ば生き生きと脈づいておりしかも県土には生々しい戦争に係わる証言の数々が日常的にありふれている光景にある。もしこれが異常なのでなくむしろ戦争の話が全く出てこない本土の光景こそ異常だとしたら。戦後の日本本土はあの大日本帝国の先頭を切った優等生たちと同様に過去を一辺倒の評価で片付け復興回復繁栄のみを闇雲に追及してきたのだとしたら、今この国はやっぱり誤った戦後を経過して現今誤った為政者の選択により、取り返しのつかない現代史を準備しているのではないかと危惧する。あの戦争がアメリカ誘導包囲網に引っかかった日本の必然な自衛的反攻だとしても、そこにいたった大日本帝国の爬行的近代化は文民統制で軌道修正すべき重大案件だったことにはかわりがない。それができなかったことはあらゆるこの国の政治家並び政治を志す者が徹底的にその原因を検証し解決しなければならない重大問題にちがいない。今一人の移住者は沖縄の異常さが実は本土ないし日本全体の異常さだということに気づかずにはいない。沖縄差別はここにきてまず第一に感じた異常事態だった。そして沖縄で起こっている事は本来日本が日本人がまず第一に負わなければならない過去の負の遺産であり、その意味でも日本人は現況の閉塞状況を沖縄問題を通して考究するのが最も効果的と感じる。

詩131 本土の日本人よ 

2010年07月21日 00時47分48秒 | 政治論
 北朝鮮が核兵器を保持し中国が太平洋を窺っている、まあ女子供がそれだけ聞けば「あらこわい」となり沖縄はここで一番好位置にありアメリカがこの脅威から日本を守っている、といえば「しっかりお願いします」というわな。沖縄から海兵隊が出て行きますなんて言ったなら「どうか出て行かないでください、沖縄のかたどうか我慢しておいてやってください」というだろうて。しかしこれは本土の女子供に限られる。65年の間ずっとアメリカの軍隊に占領され爆音騒音墜落の危険流れ弾米兵の治外法権内の犯罪(ひき逃げ、強姦傷害殺人、窃盗など検挙されもしない数多の犯罪)公害垂れ流しの状況を殆ど集中的に沖縄が負ってきたことをまず何よりも慨嘆してみるがいい。おまえさんがたのそのぼけきった平和は長らくのほほんとなんの心配もなく続けられてきたかもしれないが、一方には沖縄の過大な負担をなんの痛みも感じないでいた日本という情けない国が人がいたことを思い出すがいい。そう、あんただ。あんたが無神経に無情にこの現状を無視してきたのだ。見て見ない振りをしてきたのだ。シカトしてきたのだ。この沖縄の過大な不当な負担と待遇は第2次大戦、沖縄戦といわれる日本唯一の、住民を巻き込んだ地上戦から始まる。皇民化教育で洗脳した結果護国の鬼と化した県民は本土決戦のための時間稼ぎでしかないこの戦闘に旧日本軍共々玉砕覚悟で撃ちあたったがアメリカの物量には到底及ばず「鉄の暴風」ともいう間断ない艦砲射撃や空襲に曝され無残に女子供老人が殺された。このアメリカの無差別攻撃は人道的にも許しがたい戦争犯罪でありその点だけでも許容の限界を超えているが、しかしまた友軍と沖縄県民が呼んだはずの旧日本軍までもが中国大陸で中国人に対してした蛮行を沖縄の人々にもしたのである。信じがたい事だが一部の良心的な兵隊は別としてとりわけ上級クラスの軍人では沖縄差別が当然のように実行された。その醜悪な民族差別は今も本土の人間に連綿と受け継がれている。そう、おまえさんだ、おまえさんが沖縄差別を黙認しているのである。通常ならばこの75%基地負担の現状に鑑み、よろしく対処するはずの日本政府がみずからあらゆる可能性を放棄してアメリカのいうなりに今度も辺野古に移設すべく机上の空論をぶち上げているのさ。沖縄県民はこの児戯に等しい茶番劇をあきれ返ってみているわけさ