人並みに年の瀬も押し詰まった日々には、2013年12月27日仲井真前知事が辺野古大浦湾公有水面埋め立て申請の承認をしたと発表し、2014年12月5日政府(沖縄防衛局)が申請していた辺野古移設大浦湾公有水面埋め立て工事の関連工事変更3件のうち2件を承認し、同月27日全面的承認を裁可(公務上逃げきり承認と言われる---この年の11月には翁長現知事に大差で敗れ去ったのにもかかわらず)したことが思い出される。
(仲井眞)知事の声明は法律の適合性についての根拠が曖昧なほか、安倍政権の基地負担軽減策を恣意(しい)的に評価しており、詐欺的だと断じざるを得ない。(2014年12月28日付琉球新報社説)
ウチナンチュのはずの仲井眞弘多氏があのとき何故あのようなでたらめをぶつけてきたのか評価は分かれるが、元財界人の氏にあったのは基本的には振興予算高額回答獲得という、知事退任の花道だった(承認の翌2014年1月に反対派稲嶺名護市長が当選し11月の知事選に彼は翁長現知事に大敗している)ことは間違いない。しかし氏の2013年弁明会見内容からするとどうもそれだけでは収まらない根底的なものがあると、ウチナンチュが歴史的に負っている醸成された風土的性格、性質としての「事大主義」が見え隠れしていると思われる。つまり、容認から県外移設に転じ時宜を得て知事選を勝ち抜いてきた彼が、普天間問題に関し彼なりに考察しきった結論がこの事大主義的逃げ切りだったわけだ。このことは極めて重大な意味を我々に示唆する。
20年以上引きずっている普天間返還事案は、代替施設と銘打って同一県内である辺野古に新基地を建設するという国家的国際的詐欺行為が堂々とまかり通り、まことしやかな風情で政治の堕落、官僚の業務懈怠を隠匿し日米合作の頭越し合意を強引に推し進めようという、前近代的な外交政治問題と言える。
米国はいざ知らず日本政府は国として日米安保の国策上日米合意の案件を速やかに粛々と具体化するという以外何らの意図も有しない。ここで問題は、国は、沖縄の負担軽減という意思、意図、理念の遂行について決定的な思考停止、愚者の選択を敢えて犯している、という事実にある。
沖縄の負担軽減という現実の発想は、少女暴行事件とこれに関する県民の数万人規模の抗議集会に対する直接的な危機感---日米安保体制の沖縄における安定的維持継続に対する危機感---だったが、これ(負担軽減)はすくなくとも日本政府のポーズとしての意味しかなかったということがわかる。ここにこの普天間返還辺野古移設事案が持つ重大な国民(県民)背信(裏切り)の犯罪性が、国民(県民)の前に確置されたということになる。これに対する沖縄以外の国民(メデアマスコミジャーナリズム他)の反応の鈍さは到底民主国家のそれではない。
国が犯した愚者の選択とは、上記のように、米国の言うなり(政府間合意とは名ばかりのもので実質は米国主導のいかさま合意にすぎない)に国民(県民)に対し申し開きの出来ない、理念性に矛盾した国策を「愚かにも」(誰が見ても客観的に正解でない答えを)選択し、この、国の愚かな選択を前にして県民(民意)と行政担当者(各関係首長その他)が図らずも分断される政治的環境を用意したと言える。これが沖縄県の、戦後にあって返還後最大の、日米両国による軍事植民地見做し自治体へののっぴきならぬ一本道だった。
今、ここで展開している世界的な問題性は、「人民対国家」「戦勝国対敗戦国」「軍産複合体対平和外交」「世界的理念性対大国エゴ」である。
一地方自治体がこれだけの問題性を抱えている、抱え込まされている、日米寄ってたかって押し付けている、という事実は勿論言語道断な話だが、沖縄の多くの首長たちはこういう問題に直面すると思いあぐんだ挙句必ずと言っていいほど「事大主義」的な答えを導き出す。伊波普猷が指摘している通りである。
沖縄学の大家伊波普猷も、自著『古琉球』で沖縄人の欠点として「事大主義」「忘恩気質」を挙げ、他府県人から侮られるのは、言語風俗が異なるからではなく、このような県民性であるからだとし、「彼ら(沖縄人)は自分らの利益のためには友を売る、師も売る、場合によっては国も売る」[要ページ番号]「沖縄人は市民としても人類としても極々つまらない者である」と強く批判している。(wikipedeaから)
この自己卑下に近い県人批判は言い過ぎだとも思えるが、辺野古問題の長々しい引きずりはいささか辟易するものがあり、一体沖縄はどうしたいのか、どう決着させたいのかさっぱり見えてこないジレンマが、沖縄を援護する者の疲弊感を助長する。ヤマトゥ本土の日本人はほぼ良識的に「琉球独立」以外解決策はない、と見るのだが、そういう(自立や独立の)動きは実にマイナーなものとここでは見做されている。(琉球国は)日本国属領だ、と言われても仕方がない状況下、決然、立ち上がって独立の狼煙をいつ上げるか、ある意味固唾をのんで見守っているというのが移住者である筆者などの本音でもある。
いずれにしろ、沖縄県民は国が、アメリカが何と言おうと米軍基地撤去、戦争反対、軍民同居拒否の姿勢を変えてはならない。ここではそれが国内唯一切実で正当な理念的精神的主張として生きている、人間の、最後の矜持の砦とさえいえる。(つづく)