沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩330

2011年06月28日 20時24分57秒 | 政治論
 福島の双葉郡といわれた郡部に大熊町というのがあってここに東京電力の第一原子力発電所があった。その隣の隣町になる楢葉というところに第二原子力発電所がある。いわきや郡山の測量設計会社に籍のあった彼は県内各地の主に土木関連の仕事をしていた関係で現在いわゆる警戒区域ないし避難指示区域とされるいくつかの町村にも何度となく足を運んでいたのだが当然ながら大熊にも楢葉にも測量くいを打ち込んだ因縁から原発見学も何気に実行していたわけで当時は大熊なども立派な舗装道路やはこものに潤沢な原発特需を満喫しただろう証拠には、実際関連会社の業務にも多大な反映が垣間見られるのであった。とはいいながら、絶対的安全性の保証をめぐる東電または国対一般住民の信頼関係はどうみても住民に見えないリスクを負わせることで成り立っていたというしかあるまい。これこそ普天間の抱える重大な問題性である。ここにはそれは目に見えるリスクとしてある。従って国とアメリカに対しての信頼関係は皆無である。にもかかわらず「普天間固定化」を標榜するこの国の政府は「てめえらの命などしったことじゃない、辺野古に新基地を作らせないなら永久にそのままでいろ」といってはばからないわけだ。こういう国を愛することは到底できないし、こういう国は国として認めるわけにはいかない。というよりもアメリカと日本政府はかれらがイラクやアフガン、リビアに対して実行している無差別殺人と同様に福島沖縄において「人道に対する罪」を繰り返そうとしていると断罪しなければならない。福島が広島以上に危険なのは現にこの事故が少しも収束せずますます危険性が増大しつつあるという事実だ。しかも県民と国にはすでになんらの信頼関係もないし自己保存手段として基本的人権を主張すべき相手さえ失いつつある現状では瓦礫をまえに茫然自失するか不気味に浸潤する放射能の脅威に身をすくめて生きるしかない。国会の阿呆どもは到底この国のためになるとは思えないし、今はとにかく住民市民国民が結束して生存の場を確保し最低限の生活媒体を得ることだ。また既存の政治家どもの過ちに満ちた施策を間違っても無批判に是認しないこと。何事も起きてからでは遅いのだ。これが少なくとも国とのかかわりでこの大震災から汲み取らねばならない教訓であろう。(中断)

詩329

2011年06月26日 23時58分50秒 | 政治論
 こんな国がうまくいくはずがない。沖縄は戦後日本を底辺で支えたというかも知れないが沖縄はこの国を支えたつもりはない。基地負担だけをいうのなら、この基地から戦後世界各地に発進した戦争のためのアメリカの行動を支えた奇妙な協力実態は沖縄を人間の住まないアンタッチャブルゾーンとしか印象付けまい。ところが押し付けられた基地の間近に普通の市民が普通の生活を続けている、こういう状態を図にするなら世界は住民居住空間に割り込んだアメリカ軍というこの図の題名に納得するだろう。「人殺し集団」と評価しても違和感があるまい。為政者の理屈はすべてかかる場合ただの言い訳にしかならない。沖縄はアメリカの覇権主義に協力する気はないし、これに追随する日本政府に従うつもりもない。日本全国どこにも新基地受け入れ許容地区がない以上安保条約は破綻したのだ。沖縄は日本人の安易な安保依存の保守停滞路線を倫理的にも論理的にも決して支えてはならない。近代日本は近代化を根底で誤り民衆的地盤を常に置き去りにしてきたのであり国家の名の下に執行されるあらゆる施策の非統制体質は到底救抜し得ない泥沼に落ち込んでいる。従って国民は大震災大津波原発事故におけるこの度の政府の体たらくに証明された、現代日本の政治的不毛をいやでも承知しなければならなかったはずだ。声を上げても届かない、(届かぬはずだ、政治家は政争に明け暮れていて緊急事態的対応など夢にも思わない有様)これでよくもまあ民主主義などといえたものだが、残念ながら今やこの国の統括的実態は敗戦で全ての根幹的モラルの背景を喪失した不能腑抜け甲斐性なしということになろう。自己嫌悪は劣等生の個人的感情かと思ったが国がこれでは国家嫌悪に落ちても不思議はあるまい。所詮愛国心など望むべくもない。愛国心のないところに国防意識があろうはずもなく従って9条改悪はいよいよ地獄行き切符の大安売りである。(中断)

詩328

2011年06月25日 10時45分21秒 | 政治論
 沖縄が有する特殊な歴史的運命は日本史における薩摩侵攻、琉球処分、皇民化教育、同化策、本土防衛の捨石としての沖縄戦、集団強制死、昭和天皇によるアメリカに対する沖縄防共軍事基地化の要請と戦後沖縄の根源的「人質化」、米軍占領統治、つかの間の「アメリカー世(ゆ)」、軍事統制による強支配実態、米兵による非人間的犯罪と日米地位協定による沖縄の隷属的待遇、核抜き本土並みの嘘にまみれた沖縄返還、本土が嫌った海兵隊の沖縄押し付け、負担軽減とは名ばかりの一向に進まない普天間返還、といった一連の永続的な差別的不公平状態に置かれ、憎んでも憎みきれない遺恨を残して止まず、今なお継続して帝国日本の思い上がった優越意識が産んだ犯罪的国家的過ちにより絶え間ない敗戦後遺症に悩まされているにも拘らず、戦後日本が優先した軽負担国土防衛路線による経済復興と高度成長は沖縄にいよいよ過重な基地負担を被せるべく安保体制強化に邁進し防共最前線という揺ぎ無い鉄壁の砦を構築したのだった。つまり日米の殺人的戦争愛好家たちはこの橋頭堡を絶対の対中対北人間防波堤として倦むことなく脅威を煽り軍事費を毟り取り多くの利権を貪り大震災大津波原発事故に乗じてはまさに戦時想定訓練の絶好の機会と捉えて海兵隊を派遣、国民をだまくらかして「トモダチ」作戦とやらをでっちあげ「普天間固定化」を脅迫文句に辺野古絶対死守的「日米合意」推進の歩みを一歩たりとも退くことなく今日の保守停滞根性に収まりかえったというわけさ。いずれにしても事沖縄に関しては通常の「良識」は機能しない。マスコミマスメデアにはなんらの意思も垣間見られない。昭和天皇のアメリカに対する沖縄無償譲渡発言は結果的に彼の罪過を証明してしまった。沖縄は彼を金輪際許さないだろう。と同時に返す刀で沖縄は本土の日本人を容赦なく斬り捨てるだろう。日本の無様な為政者にはただただあきれ果てているばかりだ。敗戦国の負うべきあらゆる責務を「基地負担」という実質で沖縄に肩代わりさせた安保体制は根本のところで民主主義に反する実態となっている。朝日新聞の社説(6月23日)を本土の「良識」と位置づけるなら彼らはまさしく日本常民の根源的な罪(昭和天皇の罪に重なる)をなぞっていることになる。(中断)

詩327

2011年06月21日 00時25分03秒 | 政治論
 それにしても沖縄県民8割の県内移設反対、名護市県会県知事の県外国外移設要求、米国上院軍事委員会の辺野古移設不可能認識といった明らかな世論の趨勢に関わらずなお「日米合意」を強硬に押しまくる日米政府というものは覇権主義とその追随者という構図にあることはいうを待たず地域主権や民意尊重の流れに逆らう強権主義であり同時に敗戦国と戦勝国という関係性を怯惰に維持する時代錯誤そのもの、とりわけ日本政府にあってはいわば本土において自己負担すべき敗戦国としての地位の大部分を沖縄に肩代わりさせているのであり、昭和天皇の敗戦直後の沖縄関連発言に依拠する沖縄防共軍事基地化の日本民族全体における暗黙の合意という恐るべき反民主的犯罪的民族差別コンセンサスを形成したのである。沖縄に米軍基地を国の75%分存置させる合理的必然性を立証するなんらの根拠も確立しない以上一般的に見てこうした偏頗な国の対応を批判するにあたりこれを根本的に根源的に論ずるしか問題の題意を把捉できないと判断せざるを得ないのだから事はこの国において犯罪的に実在する差別精神こそ徹底的に洗い出さなければならないということになろう。この差別精神は当然優越意識に根差すがこの優越意識があきらかに妥当性に基づく根拠を示すかといえばそんなに単純な脈絡にはないのだ。この国が大東亜共栄圏を設定したときアジアは欧米列強の植民地でありいち早く近代化を成就した日本はまさにアジアの頂点にあったがゆえに日清日露の戦役に曲がりなりにも勝利し神国日本と思い上がり、途轍もない優越意識にのめり込んだのは自然な成り行きで歴史はこういう事例を日独伊3国において全体主義国家と措定し槍玉にあげる結果となったわけでつまり基本的にはこうした国家的優越意識が辿る破滅的運命につき絶えず警鐘を鳴らしているといえるのかもしれないが話は思うほど単純なものでないことはすでに周知の事実でアジア対欧米の対立軸を比較文明論で定立させても一種の単調な力関係で説明するばかりでは埒が明かないし意味もない。世界史的価値観からアジアが欧米を凌駕するのは抵抗闘争独立成長という一連の運動を通じて自身の運動エネルギーを確保し更に理念的淘汰を経た国家哲学乃至文化の樹立をもって単一のアイデンティテイを獲得したときであろう。こうした世界史的評価は同じアジアが下すものでもなく勿論欧米が何気に判定するわけでもない。もし誰か全くの第三者がいるなら彼はどうみても未来からタイムスリップした未来の歴史学者に違いない。かかる事由にある価値観に関する基準の蓋然性からわれわれは便宜的に振り分ける図式や地勢図の欺瞞性を慎重に暴かなければならない。沖縄県が置かれている国内他県との比較的な不公平性は国の沖縄に対する誤った意識傾向によることも間違いない。この誤った意識が未必の故意であることは徐々にわかってきている。今や世界は混沌という次元の価値を除外するならアジアも欧米もないのだが、残念ながら残存する成長発展しない第二次大戦勢力図から野放図に活性化する中国インドブラジルなどが唯一世界史的価値観を新規に立ち上げてきそうな気配だが、一方こうした可能性の選択的自由と力学的蓄積を要請されるはずの日本は「現実主義」的には欧米に両足を置き「仮託」的安住をやすやすと享受した戦後を統括総括し、「未来志向」的には日本独自の文化的再生を図らねばならないのだし総じて日本全体が持っている戦後病弊を一律に快癒しようという展望に立たねばならない。病根は根深そうだがどうやらその末期症状が沖縄に集中して現れているという現状を凝視せずにはいない。(中断)

詩326

2011年06月07日 18時47分47秒 | 政治論
 僻遠の地やんばる今帰仁村が産んだ芥川賞作家目取真俊氏の大震災大津波被災地巡りがブログに公開されている。氏の日頃の活動につき逐次紹介されているのでおおよそこの国の生(なま)の実態惨状など垣間見られ種々啓発されることが多い。氏の作物は本土時代や移住後の図書館通いで少しばかり食いかじったが、リアルに同時代の俊英文人を経験できる幸運に恵まれ、また氏のような鋭敏な批評精神を間近にできる僥倖に接し実に感慨深い。沖縄の背負っている受難の歴史は母性の持つ深遠な包摂力を予感させ現今日米政府やヤマトウの沖縄特殊視又は差別心理の有する劣悪な人間性がいかに単純で内容のない軽薄な残酷さを持つか、移住5年にしてようやく気づかされたという情けない実情にあるとはいえ、氏の存在が補償するところは妥当性への仮託を可能にし随分と心強い。実際こんなブログでなにができるのか全く見当もつかず何事かを為す自信などありもしないので「いいたい放題」とはいいながらすこぶる怪しい「自由」という綱渡りに心臓もはかばかしく動いてくれない。晩年に差し掛かって「自由」はいよいよ「勝手気まま」に変貌し、更には「タブー」や「良識」なんてものにも全く頓着せず専ら胎のうちが透けるほどに自ら抉り出して古傷後遺症トラウマPTSDなんでもござれの大盤振る舞い、もし今生のうちに何がしか意味が発生したら大成功であろう。苦痛のどん底に叩き込まれた人々に真っ先に機能すべき国政がこの有様では義捐金救援物資が宙に浮いて彼奴らの政争権力闘争に稀に見る劣悪な茶番を見なけりゃならない日本国民は今、実に歯がゆく遣り切れない思いを味あわせられている。もしかして瓦礫と残骸のままに大震災が風化するなんてことが想像できないこともない。この期に及んで大連立だと抜かしやがって、貴様らの恐ろしく狭苦しい経験の中には「惻隠の情」にまつわる経験はなかったのか、それとも君らの目は節穴か。目の前に瀕死の国民がいるというのにご丁寧に「泥縄」を綯っている訳だ。やっぱり国政のリストラしかない。国は企業ではないが最低限の算盤はなければならない。国民が自腹を切って残業しているとき機能しない組織は無駄である。いらないのだ。曖昧な情報操作で混乱を助長する大本営は蹴飛ばすべきだ。(中断)

詩325

2011年06月04日 10時58分17秒 | 政治論
 菅君の現実主義はここでも発揮されたのかな。内容はともあれこのたびの政局はなかなか面白い。まず東日本大震災と銘打った現今非常時に、ありふれた通常時の政争はこの国の政治家における意識なり倫理観なり政治感覚の非常識ぶりが剥き出しになっていることは間違いない。従っていかなる政局も結局語るに落ちるに決まっている。要はこの国の絶望的政治状況を大所高所から再確認するだけなのだが、菅君が政権にこだわり国民国会議員をだまくらかしてでも成し遂げたい政治責任を、それこそ「歴史的心眼」をもって凝視したらいいんじゃないのか。といっても担がれたミコシに過ぎない彼の手腕など国民は全く興味もないし期待もしないのだし、明らかに失望を予定している実態とは思うのだが(原発に関する彼の本音は聞くに堪えぬ)。なににしろ男一匹一国の首相がおのれのアイデンテテイを強引に披瀝したいというのなら、その他の政治家も腹をくくって彼がしようとするところに決死の諫止なり叱咤なり協調なり大同団結し国民目線で打ちあたっていくべきじゃないのか。それにしても中学校の学級委員(彼らには失礼だが)じゃあるまいし国民への必死的メッセージ一つ発し得ない政治指導者っていったい何者なのだ?選挙のときだけは確かに必死に、当選させろと訴えているが、その先はまさに国民からすれば「死んでいる」、ただの党派を組んだ烏合の衆に堕落する。つまりはこの国の民主主義とは「自由」というのは名ばかりの党派に限定された条件付の民主主義であり実質は多数決原理による統計的データを最良最善の選択材料と勘違いしやすい、多分機能不全の文民統制としか思えない。国会は所詮数の論理最優先の出来レースにすぎず彼らは論議と悟性による徹底した透徹した取捨選択をしていない。菅の「最少不幸」は究極菅自身の一人の不幸にまで極限しなければならない。もし国民のたった一人が最後に不幸ならその一人の前で腹をきって見せろ。(中断)

詩324

2011年06月01日 17時58分20秒 | 政治論
日系上院議員ダニエルイノウエというのは 幼少期学習雑誌のとあるページに写真入りで紹介されていたのをはっきり覚えている。半世紀にわたった米国議会での活動を一概に悪評をもって決定付けるがものではないが少なくとも事「普天間」に関しては結局日本人的穏健さよりもむしろアングロサクソン的覇権主義を予感させる気がされる。彼の中に沖縄県民に対する日系人としての多少の同胞意識があるなら、自身の発言行動が今や国民人民民衆から極めて低い支持しか得ていないこの国の為政者と少しも変わらないことを知る必要と、リンカーンの「人民の...」的理念を学びなおす義務がある。だが彼に偶然以上の期待を寄せる理由もない。彼の中の日本人は沖縄県民ではなくヤマトウと言われる差別国家の差別国民にほかならず、昭和天皇同様に置き去りにされた少数派を踏みつけて顧みないこの国の誤った近代精神の自由や民主主義を無責任に標榜しているだけだ。彼は日本国民ではないし彼が「愛している」のは無地の国家としての日本にすぎず祖先の母国、実体のない名目にほかならない。彼から沖縄県民が期待できる政治的有効性は一切ない。彼が米国議会の重鎮なら彼を取り巻くブレインがもう少し彼の無知さを彼に気づかせてもいいのだが。