沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩596 沖縄タイムス ツイート 辺野古現在

2016年04月30日 19時41分04秒 | マスコミジャーナリズム

5 時間5 時間前

4月30日14時45分、キャンプ・シュワブ沖では2隻の船がフロートの一部を陸地に引っ張っていく作業を始めています。大部分のフロートと大型作業船、スパット台船は残ったままです。 

https://twitter.com/times_henoko


詩596 沖縄タイムス記事 辺野古 新基地建設に反対する市民ら約30人がゲート前行進

2016年04月30日 09時28分32秒 | マスコミジャーナリズム

辺野古 新基地建設に反対する市民ら約30人がゲート前行進

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=166117

「琉球王国」認めない 日本政府との歴史認識に深い溝

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=166050

国連が規定する「先住民族」は、一般的にイメージする、いわゆる「部族」や「原住民」などとは大きく異なる。一方的に土地を奪われ、植民地支配や同化政策 を受けた民族的集団を指す。国連が勧告などで「先住民族」という用語を使う場合は、権利を奪われた人々の権利回復ための枠組みという意味合いが強い。(抜粋)




詩613 沖縄ほか雑感 2

2016年04月30日 09時23分12秒 | 政治論

 それにしても、1万票余りの接戦とは言え敗戦危機感に支えられた自民党(と公明党創価学会、経済団体)の組織票とりまとめ能力、集票能力はすさまじいほどに強烈強固だ(北海道衆院5区補選......だがこれもどうやら不正開票実態があるようだ......どこまでも腐りきった安倍政権である)。これがある限り集団マインドコントロール下のカルト教団王国は、米国傀儡の戦後保守政治天下を謳歌して止まないであろう。その他は故知らぬ苦役に日々をやり過ごす奴隷でしかない。奴隷の身分も戦後70年を閲しては実に長持ちする代物だと言える。魯迅「賢人と馬鹿と奴隷」は今、この国の民にもすんなり当てはまるらしい。但し、「馬鹿」はいよいよ希少化してきた、「賢人」は無力である。「奴隷」は......我々自身だとさえ気づいてない。

 「奴隷」は檻の中で、日々なんとかしようともがくのだが、己の寄る辺を知らないので如何ともしがたい。そのイメージは度々、度し難い自身の境遇の再確認以外にはない。

 我々の中の奴隷的煩悶を根こそぎ取っ払って辺野古崎に行く、米軍や日本の工事関係者の動きを監視し、いれば抗議し、さっさとフロート、掘削機、台船等撤去しろと叫ぶ。沖縄では「黙っていては始まらない」「行動しなければならない」という。これを「馬鹿」というのだが、こんなにも普通にしかも躊躇なく、老若男女問わず行動が取られる場所はヤマトゥのどこにもありはしない。そのことを先ず不思議に思う。「奴隷化」しようと言う動きもある。むしろ諦めてそうする、というのが現状だ。石破が何事かがなり立てている後ろに鎮座ましましている、居並ぶ沖縄県選出の自民党国会議員の、苦み切った渋面を我々は見ている。そこに自民党本部と沖縄県の自民党の関係性がにじみ出ている。こんなにはっきりと現象する「権力の暴力」をかつて見たことがない。

 国家権力は当然沖縄県民を「奴隷化」することに躍起となっている。しかし、振興しきらない振興予算(振興の実態が見えない)さえ削ろうとする政府は沖縄県民の抵抗力を侮れない、と自ら認めて恫喝、いやがらせをしてるのだ。だが彼らは、これを自ら公言できない立場にあるので沖縄から見れば「虚仮の一念」としか言えない「辺野古唯一」を繰り返すだけで、いかにそれが愚劣で堕落した「思考停止」だと言われようがやめようとしない。彼らは「馬鹿」ではない。しかし「愚劣」である。勿論安倍政権は「賢人」でもない。彼らに知性はない。彼らは「奴隷」である。しかし、「奴隷」でありながら別の力に尻尾を振る「奴隷頭(かしら)」を任じている。別の力、アメリカ合衆国という成上がりものに。

 沖縄はヤマトゥによって誤解されている。この誤解は単純な誤解ではない。造られた誤解、政治的に企図されたものだ。しかも常識化した誤解という信じがたい実情にある。振興予算は「振興」ではない。手続き上簡素化した通常の予算配分法に過ぎない。その多寡は決して突出して厖大ではない。先ずそこに誤解がある。そしてこの誤解を政治家が意図して利用し沖縄は基地の見返りとして他県にない恩恵を受けている、と喧伝している。実にあきれた国だ。ここにも「奴隷」のくせに「奴隷頭」になって別の力に媚びるこの国の政治実態がある。

 基地経済過剰評価が流布されている。県経済実態でそのシェアは今や5%程度に過ぎない。一方、基地公害ともいうべき爆音騒音の日常的被害は犯罪的だ。米軍基地は既に沖縄の癌である。戦闘機、ヘリ等の墜落危機感、米軍戦争発進現実としての意図せぬ「戦争加担」心理が沖縄県民に望まざるストレスを加え続けている。日本国家の安全保障が沖縄県民の望まざる負担によって支えられている、という幻想的な誤解。米軍は沖縄どころか日本国そのものを守る気などさらさらないのに。又、現代ミサイル戦略現状からすれば、沖縄は米軍基地のおかげでいつでもどこからでも標的とされ、いつでも「沖縄戦」の再来があり得る場所となっている。冗談じゃない。

 あいつらのために犠牲になどなってたまるか。「保育園落ちた、日本死ね!」は、国民による現在の政治批判の代表であり、沖縄にとっても他人事ではない。この国の政治的不作為、不如意によって殺されるのは「奴隷」である我々だ。「奴隷」が速やかに「行動する馬鹿」になるには、メデア・マスコミ・ジャーナリズムがこぞって体制批判、正確な情報の流布、正しい論評を加えることだが、肝心の編集部辺りが政権体制に阿り顔色を窺っていてはどうしようもない。彼らの利己主義はしかしこの国の戦後的腐り方によっている。そして何より、アメリカ合衆国の傀儡国家であるためにこそ矛盾即離反という現象が常態化している。

 我々は残念ながら「奴隷」である。しかし「賢人」よりましだ。こいつにだけはなってならない。政府の御用学者、原発ムラ、財界の愚物ども、あるいは所謂「有識者」「コメンテーター」などなど、「賢人」は知ったようなことを言っては国民を騙して自らは多大の利益を得ている。「日本死ね!」と同時にこいつらも処刑だ。(つづく)

 


詩596 琉球新報社説 <社説>「先住民族」撤回要求 併合と抑圧の歴史直視せよ

2016年04月29日 08時37分20秒 | マスコミジャーナリズム

<社説>「先住民族」撤回要求 併合と抑圧の歴史直視せよ

http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-269308.html

米、仏、蘭3カ国と修好条約を結んだ国際法上の主権国家である琉球王国を日本政府が武力で併合したというのが琉球併合(「琉球処分」)の実相だ。「国際法違反」という研究者の指摘もある。(抜粋)

自民党政治家には歴史学的な見地はない。彼らの反知性は非知性と変わりがなく自らの不勉強を棚に上げて暴言暴論を繰り返す街宣右翼並の遠吠えである。こいつらが政権をほしいままにしている限り沖縄は決定的徹底的に権力体制と闘うことになる。いずれ政治家は似たり寄ったりで、結局は常民レベルで蔓延る「沖縄差別」こそ打ち崩すべき最大の対象となるのだろうが。

<社説>事実誤認教科書 訂正なければ不使用運動を

http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-269307.html

このようにこの安倍政権には学究的な意味の歴史認識はない。女々しい主観性に基づいて事実や史実を捻じ曲げ、できるだけ居心地の良い安住の椅子にふんぞり返りたいわけだ。こいつらの稚拙で悪辣な、腐った根性の犠牲になってはならない。



詩596 琉球新報記事 基地周辺校の空調補助、一部廃止 防衛省が通知、理由説明なし

2016年04月29日 08時17分55秒 | マスコミジャーナリズム

基地周辺校の空調補助、一部廃止 防衛省が通知、理由説明なし

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-269316.html

「差別許さない」 4・28「屈辱の日」、那覇で300人集会

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-269321.html

<「屈辱の日」>重なる「普天間」と「4・28」

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-268878.html

シュワブ陸上で出土、新たに7点を文化財申請 名護市教委

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-269322.html

国連の一連の勧告等につき日本政府の執っている態度には全く真摯な、誠実なものが感じられない。元々、日米安保体制、、地位協定には法的な正当性がないのでこの政府姿勢は当然の悪辣な開き直りではあるが、それが通用すると思い込もうとするところにこの国の劣化、政治の堕落が現れている。アメリカ合衆国の大戦後世界戦略は少なくとも事実上、覇権的には凋落傾向にあり、平和的対等外交路線への周到な切り替えこそ世界情勢に合致していると言える。この段でいくとアメリカに傀儡的に追随している日本国国策は必ず世界的には孤立化の一途を辿ることになる。軍産複合の戦争主体の経済主義はその人民排外的な本質から世界理念としての「民主性」に逆行し矛盾即解体の憂き目にあうだろう。従って、現今安倍政権が「決める政治」の虚仮の一念を闇雲に押し通そうとすれば、必ず戦後民主主義の、幼弱乍ら根強く浸透してきた結束力の反攻にあい、二度と政治的主流の地位には立てなくなるに違いない。いずれにしろ、市民運動民衆闘争のたゆまぬ持続的拡大化深化により、理論武装と隙間のない権力監視、体制批判、正確な情報共有によって、今後とも何らかの国家的暴走、軍国化、民衆弾圧、力によるコンプライアンス破壊行為等の潰滅打破再構築のムーブメントが自然発生するものと思われる。