昨日、ゲームのことを書いたので、もう少し書きますね。
ケン太はゲームにはなんの制限もありませんでした。
もし制限があったとしても、親が奴隷化してしまった時点で破られてしまったと思います。
制限や使用時間のルールなどは、最初に取り決めして継続して守らせているからこそ保たれるものです。
後から制限を加えたり厳しくすることはとても難しいです。
子どもは一度、得た権利を簡単には手放さないですからね。
ケン太はゲームには飽きたと書きましたが、
今は動画など、いろんなお楽しみのツールがありますからね。
不登校になってもいくらでも現実逃避できる世界があるのです。
ゲームをやらなくなってよかった・・にはならない時代ですね。
小学校の時の不登校のことを、数年後に
「学校に行っていない時、結構楽しかったよ」とケン太が言いました。
その言葉を聞いた時、
あ~そうか~
やっぱり・・・ね。
と思いました。
だから不登校を3回繰り返したのかもしれないな・・・と。
家にいたことを楽しかったと記憶に残っているのなら、
何かあった時に、安易に家にいる選択をしてしまうでしょうね。
でも、当時のことを振り返ってみても、決して楽しい生活だったとは思えないんですけどね。
友達をシャットアウト。先生にも会えない。外には出ない。
カーテンを閉め切りボリュームを下げて、
自分の存在がバレないように日陰の生活をしていました。
何が楽しい?・・・と思うような生活です。
ただ、ケン太は不登校当時のことをよく覚えていないのです。
人間、嫌なことは忘れるように出来ているから・・・とケン太が言っていました。
ただ、唯一、楽しかったこととして、
制限なく思い存分、ゲームが出来たことは覚えているのかもしれません。
だから、これからも何かあったら怖いです。
楽しかったという記憶が残っている以上ね。
でも、だからといって、今、当時に戻れたとしても、
ゲームに制限をかけるのはやはりできないと思います。
あの時はあれで仕方がなかったと思います。
変えられるのは未来だけです。
今、ケン太が動けているのは、
自分で稼いだお金で自分の好きなものを買える。
その喜びを感じることができる。
これに尽きると思います。
ケン太は物欲があるので、
家にいて自由にゲームやパソコンが出来ても、働かなければ自由になるお金はない。
そういう環境にしました。
しかし、友達との繋がりは大切なので、そこへの制限はかけずに。
遊びに行く交際費は出してあげるけど、それ以外のお小遣いをあげない。
仕事を探す姿勢を見せているのなら貸してあげるという条件に。
ケン太は、千円欲しさに今のバイトに申し込みました。
条件的にはそんなに乗り気ではなかったけど、どうしても千円欲しくて
その勢いで申し込んだのです。
それが今に繋がりました。
家にいてもゲームができる。
そこへの流れを絶つには、
ゲームより需要度が高いことを見つける。
ゲームより楽しいことを見つける。
・・・これしかないと思います。
ケン太はそれが「お金」でした。
自分のお金で欲しいものが買えること。
これまで、ケン太の物欲でいろいろ攻防戦もあり大変だったけど、
今はそれがあってこそです。
欲しい物を手に入れる喜び。
行き過ぎるのは困るけど、程よく持ち続けてほしいですね。
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ケン太はゲームにはなんの制限もありませんでした。
もし制限があったとしても、親が奴隷化してしまった時点で破られてしまったと思います。
制限や使用時間のルールなどは、最初に取り決めして継続して守らせているからこそ保たれるものです。
後から制限を加えたり厳しくすることはとても難しいです。
子どもは一度、得た権利を簡単には手放さないですからね。
ケン太はゲームには飽きたと書きましたが、
今は動画など、いろんなお楽しみのツールがありますからね。
不登校になってもいくらでも現実逃避できる世界があるのです。
ゲームをやらなくなってよかった・・にはならない時代ですね。
小学校の時の不登校のことを、数年後に
「学校に行っていない時、結構楽しかったよ」とケン太が言いました。
その言葉を聞いた時、
あ~そうか~
やっぱり・・・ね。
と思いました。
だから不登校を3回繰り返したのかもしれないな・・・と。
家にいたことを楽しかったと記憶に残っているのなら、
何かあった時に、安易に家にいる選択をしてしまうでしょうね。
でも、当時のことを振り返ってみても、決して楽しい生活だったとは思えないんですけどね。
友達をシャットアウト。先生にも会えない。外には出ない。
カーテンを閉め切りボリュームを下げて、
自分の存在がバレないように日陰の生活をしていました。
何が楽しい?・・・と思うような生活です。
ただ、ケン太は不登校当時のことをよく覚えていないのです。
人間、嫌なことは忘れるように出来ているから・・・とケン太が言っていました。
ただ、唯一、楽しかったこととして、
制限なく思い存分、ゲームが出来たことは覚えているのかもしれません。
だから、これからも何かあったら怖いです。
楽しかったという記憶が残っている以上ね。
でも、だからといって、今、当時に戻れたとしても、
ゲームに制限をかけるのはやはりできないと思います。
あの時はあれで仕方がなかったと思います。
変えられるのは未来だけです。
今、ケン太が動けているのは、
自分で稼いだお金で自分の好きなものを買える。
その喜びを感じることができる。
これに尽きると思います。
ケン太は物欲があるので、
家にいて自由にゲームやパソコンが出来ても、働かなければ自由になるお金はない。
そういう環境にしました。
しかし、友達との繋がりは大切なので、そこへの制限はかけずに。
遊びに行く交際費は出してあげるけど、それ以外のお小遣いをあげない。
仕事を探す姿勢を見せているのなら貸してあげるという条件に。
ケン太は、千円欲しさに今のバイトに申し込みました。
条件的にはそんなに乗り気ではなかったけど、どうしても千円欲しくて
その勢いで申し込んだのです。
それが今に繋がりました。
家にいてもゲームができる。
そこへの流れを絶つには、
ゲームより需要度が高いことを見つける。
ゲームより楽しいことを見つける。
・・・これしかないと思います。
ケン太はそれが「お金」でした。
自分のお金で欲しいものが買えること。
これまで、ケン太の物欲でいろいろ攻防戦もあり大変だったけど、
今はそれがあってこそです。
欲しい物を手に入れる喜び。
行き過ぎるのは困るけど、程よく持ち続けてほしいですね。
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