長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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前田利家とまつ 加賀百万石・秀吉の盟友の人生ブログ連載1

2012年01月20日 08時07分20秒 | 日記
小説
   前田利家とまつ


                 まえだとしいえとまつ~天下のNO2~
                ~「律義者」前田利家の戦略と真実!                        今だからこそ、前田利家

                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

   this novel is a dramatic interoretation
   of events and characters based on public
   sources and an in complete historical record.
   some scenes and events are presented as
   composites or have been hypothesized or condensed.
        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ

       前田利家とまつ   あらすじ
  利家が尾張に生まれたとき、時代は群雄かっ歩の戦国の世だった。利家は何度か謹慎や左遷された。そして、やがて織田信長の家来に。桶狭間合戦で、大国・駿河の大将・今川義元の首をとる信長。そして、秀吉は墨俣一夜城築城をつくる。利家は先をこされる。 だが、利家はその律義さで絶対的信用を得る。そして、さらに奇跡がやってくる。足利将軍が信長の手元に転がりこんできたのだ。信長は将軍を率いて上洛、しかし将軍はロボットみたいなものだった。将軍は怒り、諸大名に信長を討つように密かに書状を送る。信長は、妹・お市を嫁にやり義兄弟同然だった浅井らにうらぎられ、武田信玄などの脅威で、信長は一時危機に。しかし、機転で浅井朝倉連合に勝利、武田信玄の病死という奇跡が重なり、信長は天下統一「天下布武」を手中におさめようとする。彼は鬼のような精神で、寺や仏像を焼き討ちに。足利将軍も追放する。しかし、それに不満をもったのは家臣・明智光秀だった。光秀は謀反を決意する。そして、中国・九州攻めのため秀吉と合流しようとわずか百の手勢で京へ向かう信長。しかし、本能寺で光秀に攻撃され、本能寺は炎上、織田信長は自害、すべてが炎につつまれる。秀吉は光秀を討つ。続いて柴田勝家もやぶる。関白になり、家康とも同盟し、秀吉は天下人に。利家はまつの内助の功によって豊臣室のNO2に。しかし、秀吉が死に、利家は病に倒れる。悲劇の最後であった。

 第一章 利家とまつ





         1 利家



         尾張のイヌ



  つい前にNHKの大河ドラマ化されるまで「前田利家」は日陰者であった。
 秀吉や信長や家康となると「死ぬほど」主人公になっている。秀吉は百姓出の卑しい身分からスタートしたが、持ち前の知恵と機転によって「天下」を獲った。知恵が抜群に回ったのも、天性の才、つまり天才だったからだろう。外見はひどく、顔は猿そのものであり、まわりが皆、秀吉のことを「サル、サル」と呼んだ。
 が、そういう罵倒や嘲笑に負けなかったところが秀吉の偉いところだ。
 利家は律義者で、策略はうまくなかったが、うそのつけない正直者で、信長に可愛がられた。秀吉の才能を見抜き、真の友として、一生支えたのもまた利家の眼力だった。
利家が尾張(愛知県)に生まれたとき、時代は群雄かっ歩の戦国の世だった。
 利家の恩人、織田信長は尾張の守護代で、駿河(静岡県)の今川や美濃(岐阜県)の斎藤らと血で血を洗う戦いを繰り広げていた。
  信長は苦労知らずの坊っちゃん気質がある。浮浪児でのちの豊臣(羽柴)秀吉(サル、日吉、または木下藤吉郎)や、六歳のころから十二年間、今川や織田の人質だったのちの徳川家康(松平元康)にくらべれば育ちのいい坊っちゃんだ。それがバネとなり、大胆な革命をおこすことになる。また、苦労知らずで他人の痛みもわからぬため、晩年はひどいことになった。そこに、私は織田信長の悲劇をみる。
 この戦国時代、十六世紀はどんな時代だったであろうか。
 実際にはこの時代は現代よりもすぐれたものがいっぱいあった。というより、昔のほうが技術が進んでいたようにも思われると歴史家はいう。現代の人々は、古代の道具だけで巨石を積み、四千年崩壊することもないピラミッドをつくることができない。鉄の機械なくしてインカ帝国の石城をつくることもできない。わずか一年で、大阪城や安土城の天守閣をつくることができない。つまり、先人のほうが賢く、技術がすぐれ、バイタリティにあふれていた、ということだ。
 戦国時代、十六世紀は西洋ではルネッサンス(文芸復興)の時代である。ギリシャ人やローマ人がつくりだした、彫刻、哲学、詩歌、建築、芸術、技術は多岐にわたり優れていた。西洋では奴隷や大量殺戮、宗教による大虐殺などがおこったが、歴史家はこの時代を「悪しき時代」とは書かない。
 日本の戦国時代、つまり十五世紀から十六世紀も、けして「悪しき時代」だった訳ではない。群雄かっ歩の時代、戦国大名の活躍した時代……よく本にもドラマにも芝居にも劇にも歌舞伎にも出てくる英雄たちの時代である。上杉謙信、武田信玄、毛利元就、伊達政宗、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長、そして前田利家、この時代の英雄はいつの世も不滅の人気である。とくに、明治維新のときの英雄・坂本龍馬と並んで織田信長は日本人の人気がすこぶる高い。それは、夢やぶれて討死にした悲劇によるところが大きい。坂本龍馬と織田信長は悲劇の最期によって、日本人の不滅の英雄となったのだ。
 世の中の人間には、作物と雑草の二種類があると歴史家はいう。
 作物とはエリートで、温室などでぬくぬくと大切に育てられた者のことで、雑草とは文字通り畦や山にのびる手のかからないところから伸びた者たちだ。斎藤道三や松永久秀や怪人・武田信玄、豊臣秀吉などがその類いにはいる。道三は油売りから美濃一国の当主となったし、秀吉は浮浪児から天下人までのぼりつめた。彼らはけして誰からの庇護もうけず、自由に、策略をつかって出世していった。そして、巨大なる雑草は織田信長であろう。 信長は育ちのいいので雑草というのに抵抗を感じる方もいるかもしれない。しかし、小年期のうつけ(阿呆)パフォーマンスからして只者ではない。
 うつけが過ぎる、と暗殺の危機もあったし、史実、柴田勝家や林らは弟の信行を推していた。信長は父・信秀の三男だった。上には二人の兄があり、下にも十人ほどの弟がいた。信長はまず、これら兄弟と家督を争うことになった。弟の信行はエリートのインテリタイプで、父の覚えも家中の評判もよかった。信長はこの強敵の弟を謀殺している。
 また、素性もよくわからぬ浪人やチンピラみたいな連中を次々と家臣にした。能力だけで採用し、家柄など気にもしなかった。正体不明の人間を配下にし、重役とした。滝川一益、羽柴秀吉、細川藤孝、明智光秀らがそれであった。兵制も兵農分離をすすめ、重役たちを城下町に住まわせる。上洛にたいしても足利将軍を利用し、用がなくなると追放した。この男には比叡山にも何の感慨も呼ばなかったし、本願寺も力以外のものは感じなかった。 これらのことはエリートの作物人間ではできない。雑草でなければできないことだ。
  信長の生きた時代は下剋上の時代であった。
「応仁の乱」から四十年か五十年もたつと、権威は衰え、下剋上の時代になる。細川管領家から阿波をうばった三好一族、そのまた被官から三好領の一部をかすめとった松永久秀(売春宿経営からの成り上がり者)、赤松家から備前を盗みとった浦上家、さらにそこからうばった家老・宇喜多直家、あっという間に小田原城を乗っ取った北条早雲、土岐家から美濃をうばった斎藤道三(ガマの油売りからの出世)などがその例であるという。
 また、こうした下郎からの成り上がりとともに、豪族から成り上がった者たちもいる。   三河の松平(徳川)、出羽米沢の伊達、越後の長尾(上杉)、土佐の長曽我部らがそれであるという。中国十ケ国を支配する毛利家にしても、もともとは安芸吉田の豪族であり、かなりの領地を得るようになってから大内家になだれこんだ。尾張の織田ももともとはちっぽけな豪族の出である。
 また、この時代の足利幕府の関東管領・上杉憲政などは北条氏康に追われ、越後の長尾景虎(上杉謙信)のもとに逃げてきて、その姓と職をゆずっている。足利幕府の古河公方・足利晴氏も、北条に降った。関東においては旧勢力は一掃されたのだという。
 そして、こんな時代に、秀吉は生まれた。
  その頃、信長は天下人どころか、大うつけ(阿呆)と呼ばれて評判になる。両袖をはずしたカタビラを着て、半袴をはいていた。髪は茶せんにし、紅やもえ色の糸で巻きあげた。腰にはひうち袋をいくつもぶらさげている。町で歩くときもだらだら歩き、いつも柿や瓜を食らって、茫然としていた。娘たちの尻や胸を触ったりエッチなこともしたという。側の家臣も”赤武者”にしたてた。
 かれらが通ると道端に皆飛び退いて避けた。そして、通り過ぎると、口々に「織田のうつけ殿」「大うつけ息子」と罵った。
  一五五二年春、信長のうつけが極まった頃、信長の父・信秀が死んだ。

  前田利家はこの頃まだ十代、歌舞伎者で顔を白く塗り、主色の紋用を書いていた。いつも汚い服を着て、世間の評判など”どこ吹く風”であった。
  利家は尾張の荒子城主・前田利昌の四男で、長男の利久には女房もなく、いつも利家を可愛がってくれたという。尾張(愛知県)の農道を信長の一団が行軍していた。
 周りはほとんど田んぼや山々である。その奇妙な行進を村人たちは物見遊山でみていた。「うつけ(阿呆)! うつけ! うつけ!」童子たちが嘲笑する。
 織田信長は美濃(岐阜県)の斎藤道三と会うために行進していた。
 信長のお共の者は八百人くらいだ。ところが、その者たちは片衣どころか鎧姿であったという。完全武装で、まるで戦場にいくようであった。家臣の半分は三メートルもの長い槍をもち、もう半分が鉄砲をもっている。当時の戦国武将で鉄砲を何百ももっているものはいなかった。田仕事をしていた利家の母・たつは泥に汚れながらそれを見ていた。たつは唖然としていた。「あれが…信長さまかえ。まさにうつけじゃ」呟いた。
 たつはにやにやして馬上の若者を見た。
 茶せんにしたマゲをもえぎ色の糸で結び、カタビラ袖はだらだらと外れて、腰には瓢箪やひうち袋を何個もぶらさげている。例によって、瓜をほうばって馬に揺られている。
 通りの庶民の嘲笑を薄ら笑いで受けている。たつは圧倒された。
「噂どおりのうつけ者じゃ」たつは笑った。
 道三にあいにいくのにまるで戦を仕掛けるような格好だ。しかも、あれは織田のほんの一部。信長は城にもっと大量の槍や鉄砲をもっているだろう。鉄砲の力を知っておる。あなどれない。
「うつけ! うつけ! うつけ!」村人たちが嘲笑する。
 たつは、あらっ?と思った。行軍の横の草むらに利家がいる。鮮やかな色彩の服を着て、顔を白く塗った…あれは犬千代(利家)だ。わたしの息子だ。
 利家は汚い垢や埃だらけの格好で、大根をほうばっている。
「犬千代! 犬千代!」たつは笑った。大声で呼んだ。
 利家は大根をほうばり、奇声をあげている。「うつけ者!」信長はちらりと馬上から利家を見た。不思議なものを見るような顔だった。なんだ、この歌舞伎者の小汚ないのは……
「犬千代! 今までどこにいっとった?」たつは大声で尋ねた。是非とも答えがききたかった。どうしてたのか? 母はハンサムな息子を気遣った。
「母上、わしはうつけを見物に見にきたのよ!」利家は大声でいい、また大根をほうばった。すると、農民が「この盗人」と利家を追いかけだした。どうやら大根は盗んだものであるらしい。追っかけっこが続く。
    しばた かついえ ごんろく           
 馬上の柴田勝家(権六)もそれを見て笑った。
 なんだ、あの歌舞伎者は……。勝家は、この男が天下NO2となり、自分の側近となるとはこのとき想像もしていなかったであろう。


  昼間の河辺で、どじょうを泥から取って、鍋で食べていた利家に、まつの乳母うめが声をかけた。うめは幼い孤児のまつをつれて、諸国を行脚し、仕官の道を探しているところだった。まつはずんぐりとした体躯であり、服は行脚のためか汚れていた。
「そのどじょうを……少しわけてはくださりませぬか?」うめは頭をさげた。
「あん?」利家は”なんじゃい?”という顔をしたが、やがてにやりとして「いいとも」といった。「食べい、食べい」
 まつは頭を深々とさげ、「ありがたいことです」といった。そして続けた。「昨夜から何も食べておりません。ありがたいことです」
 養女のまつは利家の白い歌舞伎顔を見て「こわい」と泣きそうになった。
「あ! これはすまんすまん!」利家は川の水で化粧を落とした。
「どうだ? これで怖くなかろう?」
「はい!」まつはにやりと笑った。
「あんたさまは侍かね?」乳母のうめが利家にきいた。
「只の田舎城主の息子だ。まぁ、いずれは大きな城持ち大名になってみせる。城持ち大名よ」と壮大な夢を語った。利家は泥だらけ垢だらけで、夢を語った。
 うめは笑わなかった。冗談ではなく本気だとわかったからだ。
「城持ち大名? それはいいですわ」
「人間はのう…」利家は言葉を切った。どじょうをほうばった。
「人間というものは努力と知恵と幸運でどんなものにもなれるのよ。ちがうか?」
「………その通りかも…しれませぬなぁ」
 うめは感心し、静かに頷いた。この男はただものじゃない。彼女は、利家の中のなにかを発見した。ただのハッタリ男ではない。光るものがある。
 この男は……ただものじゃない。
「わたしはうめと申します。こちらの子はまつ」
「わしは犬千代(利家)。前田犬千代……しかし、皆はわしのことを、イヌ、イヌ、と嘲笑する。へん! ってんだ」
 利家は無理に笑った。その顔はイヌそのものであった。
「それは?」うめは利家のもつものに目をとめ、「それは鉄砲かえ?」といった。興味津々であった。うめは目をぎらぎらさせた。
「さよう。南蛮鉄砲……種子島だ」利家は包み袋を開け、中の鉄砲を取り出してみせた。「これからは、鉄砲の時代になるぞ、なぁ? まつ」
「さようでござるか」
 うめは大きく頷き、黄色い歯を見せてほわっと笑った。





         立志


  犬千代(利家)は実家にもどった。
 利家の実家は茅葺き屋根の粗末な木造の荒子城で、大変汚いところだ。百姓だか、武門だか、よくわからない。さらに悪いことには狭い。家には父・利昌がいた。このずんぐりとした中年男と利家は仲が良い。
 利家は粥をがつがつ食べた。
「たつ、水、水」利昌が当然のようにいった。
「はい、ただいま」たつが桶の水を汲もうとすると、利家は「水くらい自分でつがんかい」といった。それは反抗期の顔だった。
「犬千代。信長さまの家臣になったからっていい気になりおって」
 利昌がいうと、利家は「何もいい気になどなっておらん。わしの夢はもっと大きいぞ」と夢を語った。
「どんな夢じゃ?」長男・利久が不思議そうな顔できいた。
「城持ち大名よ! 大名さまよ! 百万石よ!」
 利家は目をぎらぎらさせていった。にやりとした。すると一同は大爆笑して、利家を嘲笑した。「馬鹿だねぇ」「百万石の城持ち大名?! あははは」
 利家は「笑うな! 城持ち大名になるのじゃ! わしは!」と激しく怒った。しかし、一同はにやにや笑うだけだった。……百万石の城持ち大名?! あははは。馬鹿なことを。


  幼女・まつは荒子城にいくため、午後の田んぼ道を歩いた。誰もいなかったが、乳母のうめだけは付き添いで連れ添って歩いていた。
 うめは「いいか? まつ。世の中コツコツ努力して仕事したものが勝つんじゃぞ」と諭した。まつは「はい!」といった。
「あの前田犬千代さまは必ず大きな城持ち大名になる!」
 うめは笑った。そして「もしかしたら、おみゃあは本当に大名の奥方になれるかもしれん」
「……大名?」まつは真剣な顔になって尋ねた。ふたりは足をとめた。
「おうとも」うめはにやにやした。まつもにやにやして「わたしは必ず城持ち大名の奥方になる!」と強くいった。
「そして……」まつは続けた。「そして…天下人の奥方に!」
「天下人の奥方?! 馬鹿じゃねぇおみゃあは」
 ふたりは笑った。

前田利家は通称・又左衛門。槍が得意で「槍の又左」ともよばれた。
 いわゆる「かぶき者」で「かぶき者」とは「傾く(かぶく)」からきている。または「ばさら者」ともいわれた。「ばさら(婆娑羅)」とは「仏教の教に背く者」という言葉からきている。まあ、現代の「ヤンキー」みたいな存在である。つまり「不良」だ。


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