長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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【池上彰の世界情勢(中東篇)2024】池上彰が複雑な中東情勢を徹底解説「池上解説で中東の歴史と事情を知ろう!」

2024年01月14日 15時14分48秒 | 日記

















    中東情勢『世界情勢2024』~中東のすべてを括目せよ!~中東の歴史
 ここで少し、中東の歴史について触れてみたい。
 中東といえば反ユダヤ。ユダヤvsパレスチナ・アラブ人…という構図が誰でも思いつく。 そこで、ユダヤ人国家・イスラエルとパレスチナ・アラブ人、中東の歴史について触れてみたい。
 ヨム・キップル(しょく罪の日・9月下旬から10月上旬にかけて)から始まる一連のユダヤ教の祭。その期間中はお祭りの真っ最中であり、10月8日は、ユダヤの祭『スーコット』である。スーコットの日は、家族の元にユダヤ人兵士のほとんどは戻り、警備は手薄になる。治安警察に残るのはベドウィンや、ドゥルーズ教徒たちが大半だという。
 その頃、パレスチナ人たちによるインティファーダ(民衆蜂起)が多く起こる。大勢がデモで奇声をあげ、ユダヤ人たちに大きな石を山ほど投石する。そして、ユダヤ人を殺そうとする。ユダヤ人兵士も催涙弾や警棒で応戦する……。という、いつもの光景である。
 テンプル・マウントという聖地の生い立ちを知らなければデモの狙いを理解できない。
 ユダヤ人によるダビデ王国建設は、紀元前10世紀にさかのぼる。ダビデ王国の領土はヨルダン側両岸にわたったが、その歴史は古代アッシリア、バビロニア、ペルシャ、さらにはローマと、絶えず他国の侵略を受ける苦難の連続であった。
 ローマ軍に侵攻されて紀元70年、ソロモンの宮殿を死守すべく、エルサレムに追い詰められたユダヤ兵士はそこで戦闘を展開した。
 やがて神殿は炎上。王宮も占領されてダビデ王国は消滅した。以来、かつてダビデ王国のあったその土地にイスラエル国家を建設するまで、2000年にわたってユダヤの民は流浪を続けることになった。
 テンプル・マウントは、かつてソロモンが建立し紀元前6世紀にバビロニア人によって崩壊させられた第一宮殿、およびローマ人によって破壊された第二宮殿のあった場所だ。 わずか一枚遺された第二宮殿のただひとつの遺構で文字通り、「嘆きの壁」であるという。ユダヤ人たちはこの壁に頭をうちつけ、敬けんな祈りを捧げてきた。
 ユダヤ教の聖典である「トーラ」(律法書)には、「この地に第三宮殿をつくることがユダヤ教徒の任務である」……と記されてもいる。が、壁の向こうへ足を踏み入れることはユダヤ人は絶対にしない。
 壁の向こうには、イスラム教の開祖モハメッドが昇天した地といわれる聖所ハラム・アッシャリフがあり、岩のドームとアール・アクサ・モスクが立っているから。
イスラム教徒たちがローマ帝国からエルサレムを奪いとったのは637年のことだ。
 しかし、ユダヤ教原理主義者からみれば、つい昨日、イスラム教徒たちがモスクを建立したのでしかない。しかし、そこに足を踏み入れればイスラムの聖地を汚したことになる。それで、ユダヤ人達や異教徒は絶対に岩のドームにはいかないのだ。
 これまで宗教戦争をイスラエルもアラブもしていない。イスラエルの「宗教を政治にもちこまない」という政策のため、ビンラディンのようなテロリストが「ジハード(イスラム教徒による聖戦)!」をいくら叫ぼうと宗教戦争にはならない。(イスラム過激派たちはデモや自爆テロなどをやるだろうが…)
 もし、イスラエルが宗教を持ち出せば、対立は泥沼化するだけだ。だから、考古学者たちが「テンプル・マウントの丘を掘りたい…」といってきてもイスラエル政府は断固として拒否してきた。しかし、ユダヤ教原理主義者たちが組織する「神殿の丘忠誠団」はそこでデモをするという。それをアラブ過激派は利用しようとしている。
 ユダヤ対アラブの対立の絶えない和平は、もはや地に沈んでしまった。そして、ビンラディンやISによるテロその後のイスラエルVS.ハマスのガザでの紛争…。悲惨な時代だ。ビンラディンは殺害して、ISもほとんど殺したが、トランプ米国大統領(当時)が「エルサレムに米国大使館をおく」と馬鹿なことを決断したため中東和平はもうめちゃくちゃだ。さらに内戦中のシリアも泥沼化、トランプ大統領は米軍をシリアから撤退させるという。本当に撤退したらどうしようもなくなりますね。

 そして、ふたたび中東の歴史に触れよう。
 まず、スエズ動乱の主役・ナセルからその後についての歴史…。
 サダム・フセインの野望はハッキリしていた。彼はかつてのエジプトの伝説的英雄、ガマル・アブデル・ナセル以来、ずっと空席となっていたアラブの盟主の座を狙ったのであった。オサマ・ビンラディンもまた〝アラブの盟主〟に憧れていたという。
 かつてナセルは盟主の座を維持するため、自分と肩を並べようと台頭してくるアラブの指導者たちを次々と暗殺していった。また、殺すことはできなかったが、サウジのサウド国王やイラクのカセム、ヨルダンのフセインさえも狙っていたという。
 ナセルの死後、後をついだサダトこそ、真にアラブの盟主たる資質に有する大政治家であったが、リビアのカダフィとビンラディンの操るイスラム原理主義者(エジプトの「ジハード団」)によって暗殺されてしまう。
(アンクル・エル・サダト。1970年、ナセルの死に伴って大統領に選出されたエジプトの第二代大統領。73年10月の第四次中東戦争でアラブの英雄となる。1977年11月、電撃的なエルサレム訪問後、アメリカ大統領ジミー・カーターの仲介のもとで、イスラエル首相ベギンとの間で単独の平和条約(エジプト・イスラエル中東平和条約)を結び、78年のノーベル平和賞を受賞。だが、81年10月6日、これに反対するイスラム原理主義者の手により暗殺された)
 リビアのカダフィはナセルの後釜を狙っていた。しかし、いかんせんリビアは小国であり彼に政治力も軍事力もない。カダフィは野望を達成できなかった。
 そこで名乗りをあげたのがサダム・フセインであったのだ。
 そして、ビンラディンも2011年5月銃殺された。カダフィ大佐も核放棄後、内戦で殺害された。いわゆる「アラブの春」での内戦で抹殺された。

 サダム・フセインがクウェートに侵攻したときも、オサマ・ビンラディンがNYのビルに旅客機を突っ込ませたときも、アラブの民衆は狂喜乱舞した。
「アメリカに死を!」
 と、町中で歓迎ムードであった。
 こうしたメンタリティを知るには、何世紀にも渡って異民族に支配されてきたアラブの歴史を知らなければならない。
 六三二年の建国のサラセン帝国は、イスラム教徒のアラブ人によって建国された。とくにムハンマド(マホメット)の死後続いたカリフ(ムハンマドの代理者。後継者の意)制の時代をいい、正統カリフ時代…ウマイヤ朝…アッバース朝と続く。サラセンとは、ローマ人、ギリシヤ人がアラブ人を指した名で、中世以降はイスラム教徒の総称となった。 が、一二九九年から第一次大戦終結後の一九二二年までの六〇〇年以上にもわたって、アラブ人は中央アジアからやってきた異民族トルコ人に制圧されてオスマン・トルコ帝国の支配に甘んじた。
 第一次大戦後、オスマン・トルコ帝国にとって代わり、アラブを支配したのは欧米列強。今後、アラブの何者かがアラブ統一を成就できれば、サラセン帝国以来、実に七〇〇年ぶりの悲願達成となる。
 サダム・フセインが、自らをアラブの盟主としてアピールするため、七〇〇年もさかのぼってアラブの伝説的英雄サラディンを引っ張りだしたのにはそういう理由であった。長い異民族支配のよるアラブのコンプレックスを利用しようとした訳だ。
ISやシリアのアサド大統領もハマスも同じようなことを言っていた。
 アラブにとって、アメリカもユダヤ人国家イスラエルも〝異民族〟であり、〝敵〟である。だから、その国家の抹殺のためなら、アラブは積年の恨みを全身にかき集めて一丸となって理屈抜きで戦う。たとえ昨日まで敵同士であってもだ。
 アラブにとって、アメリカもユダヤ人国家イスラエルもサラディンが打ち負かした十字軍の再来であり、七〇〇年近くにわたって屈辱をなめさせられてきた異民族支配のシンボルである。オイル・メジャーに蹂躙された屈辱を晴らすため、栄光を取り戻すため、アラブはそれらの国を破壊することに執念を燃やす。
 03年の「イラク戦争」でハグダッド陥落のとき、イラク人たちは喜んだが、アメリカを歓迎した訳ではない。ただ、独裁体制崩壊を喜んだだけだ。そして、テロ続発……
 オサマ・ビンラディンが、アラブ国民に「十字軍気取りのアメリカなどにジハード(聖戦)せよ!」と、アルジャジーラTV(中東のCNN)で訴えた理由もここにある。


 
  ふたたび、中東の歴史について述べたい。

 現在、世界の原油確認埋蔵量は、一兆バレル。七十パーセントが中東に集中している。なかでも湾岸五ケ国に集中し、サウジは世界の二十六パーセント、イラクや、UAE(アラブ首長国連邦)、クウェート、イランはそれぞれ十パーセントほど埋蔵量がある。
 湾岸では、少し砂漠をボーリングするだけで、アッラーの恵みの石油が勢いよく噴き出す。世界の七十パーセントの石油は、まちがいなく我々先進国にとって生命線である。
 いまの流行りのEVシフト、脱炭素化とはいえ、すぐに石油がいらなくなる訳でもない。
近代文明は間違いなく中東の石油に握られている。しかし、シェイルオイル燃料で束縛から逃がれよ(だが、OPECは米国などのシェイルオイルより石油価格を下げて戦略でシェイルオイル業界をつぶした)。太陽光発電だの風力発電だのまだまだこれからの発電であり、原子力発電所も危ないと皆思っている。これまでも、中東の石油を握った者が世界の覇者であった。石油メジャーや欧米列強に蹂躙されたアラブの悲劇がここにある。
 1990年、イラクのサダム・フセインがクウェートに侵攻し占領した際、「クウェートは歴史的にもイラクの一部である。それを取り戻したまでだ」と宣言した。
 この主張を理解するためには、歴史を知らなければならない。
 現在のクウェートの歴史は250年前にさかのぼる。18世紀なかばにクウェートで貿易、漁業、造船、真珠採取を営んでいたバニ・ウトバ族は有力者会議を開いた結果、サバハ家の家長サババを首長に選んだという。クウェートとは、アラビア語で小さい城の意味である。
 19世紀に入るとクウェートはオスマン・トルコ帝国の支配化におかれるが、その後1888年にイギリスの保護下に入った。この当時、まだ石油は出てなかったが、英国にとってペルシャ湾の奥地を占めるクウェートは戦略的価値があった。
 翌年1889年2月、第七代首長のムバラクが英国と独占条約を結び、シークダム(土候国)の安全をイギリスに委ねた。その後、クウェートの石油が発見され、1938年から石油によって豊かな国となった。(本格的な採掘は第二次世界大戦後)
 クウェートは1961年、英国の統治から正式に独立する。そのとき、イラクのカセム首相は「クウェートはオスマン・トルコ帝国の支配地であったのだから、オスマン・トルコのバスラ州に属していたクウェートはイラクに帰属すべぎだ」とイチャモンをつけた。
 だが、イラクという国が1920年に地図の上に登場するまでは、そこはメソポタミアと呼ばれていた境界のあいまいな地域であった。しかし、そのころからクウェートはすでにシークダム(土候国)として国の体をなしていたのだ。
 イラクが正式国家となって独立するのは1932年の第一次世界大戦後である。
 第一次世界大戦後、オスマン・トルコ帝国崩壊のあとに、アラビアのロレンスとともにダマスカスに入ったハシム家の三男ファイサル(二男はヨルダンの支配者となったアブドラ)が、シリアを追い出されて与えられたのがイラクだった。その歴史でみれば、フセイン(サダム・フセイン。イラク戦争で捕らえられ処刑)のいった「クウェートはイラクの領土」という主張は通らないのである。
 そもそもイラクの国境というよりアラブ全体がそうだが、そのほとんどが歴史や地理とは無関係にきめられたものだ。250年前からペルシャ(現イラン)とオスマン・トルコ帝国との国境だったイランとの国境を除き、国境はすべて列強により人為的、ご都合的に作られた。
 南のクウェートやサウジアラビアとの国境、西のヨルダンやシリアとの国境も勝手にイギリスとフランスが砂の上に真っ直ぐ線を引いて決めたものだった。
 トルコとの国境も、人為的という点ではかわりない。
 なぜ列強は中東に執着したのか?
 二つの理由があった。
 まず、戦略的重要性。中東にプレゼンスを確率できればロシア、ペルシャ、アジア、アフリカへのアクセスが得られる。イギリスやカイゼルのドイツがオスマン・トルコ帝国に対して、鉄道建設や企業設立をもってアプローチした理由はここにあるという。
 しかし、19世紀から20世紀初頭にかけて、重要性は増す。
 いうまでもなく石油である。
 第一次世界大戦のとき、戦略物資として石油の重要性は確認された(それまでは石炭を使っていた)。
 こうした理由で、列強は中東の土地の分捕り合戦を、国際会議の名のもとくりひろげてきた。たとえば〝サイクス・ピコ協定〟。これは当時のイギリス外務大臣マーク・サイクスとフランスの外相ジョルジュ・ピコとの間で秘密裏に交わされた協定で、戦後はフランスがシリア、レバノンを統治下に置き、イギリスがメソポタミア(現イラク)とパレスチナを統治下に置くというものだった。
 第一次世界大戦のとき、イギリスは戦況を有利にするためアラブ人の協力を必要としていた。ドイツと組むオスマン・トルコ帝国を撃破しなければならなかったからだ。
 そのためイギリスは、イスラムの聖地メッカを治めていたハシム家のフセインに協力を求める。協力の見返りとしてイギリスは、戦後アラビア半島と東アラブ全域にわたって”アラブ王国”を建設させることを約束した。
 フセインはこれを信じ、兵を率いてオスマン・トルコにたいして反乱をおこす。
 このフセインにつかえたのが英国情報部の軍事顧問、T・E・ロレンス…つまり、アラビアのロレンスであった。(トーマス・エドワード・ロレンス。イギリスの考古学者というカバーでアラブに入った英国情報部員。1916年からアラブ独立運動のゲリラ戦を指導した)
 が、戦後のサン・レモ会議でイギリスは自国の勢力圏に入った南アラブを分割した。
フセインに対する約束を反古にしてしまう。これにより生まれたのがヨルダンとイラクだった。ここでもまたアラブは裏切られたのである。
 そして、悪名高き〝赤線協定〟…。
 イギリス、フランス、アメリカ各政府およびロイヤル・ダッチ・シェルなどの石油会社で1928年に結ばれたその協定は、旧オスマン・トルコ帝国の石油開発についての同意をうたってものだった。
 出席者のエゴむき出しの会議となり、協定は決裂しそうになった。しかし、ある男の執念により協定は実る。
 男の名は、カルーステ・サルキス・ガルベンキヤン。一匹狼のアルメニア人のプロモータ兼ネゴシェーター兼ブローカー。彼が執念を燃やしたのは、協定が成れば今後、この地域の石油の5パーセントもの権益が得られるようになっていたからだという。
 だが、出席者の誰も旧オスマン・トルコ帝国の境界線がわからなかった。なにせ、600年ものあいだアフリカやペルシャ、インドあたりまで拡張につぐ拡張をしてきた巨大帝国なのである。
 あわや会議が決裂かにみえたとき、ガルベンキヤンが出席者全員の前に中東の地図を広げ、持っていた赤鉛筆で一気に線を引いた。そして、悠然と自信満々な顔でこういった。
「これが1912年当時、私の知っていたオスマン・トルコ帝国だ。私にはちゃんとわかっている。なぜなら、私はここで生まれ、育ち、ここの政府に仕えてきたのだから」
 あまりに自信満々な態度に、誰も文句はいえなかった。
 こうして〝赤線協定〟は成立してしまう。ガルベンキヤンはおかげで途方もないほどの富を得、以来〝ミスター・ファイブ・パーセント(ミスター5%)〟と呼ばれることになったという。
 このときもアラブ側には何の相談もなかった。
「帝国主義者によって勝手に引かれた国境線を正しく引き直す!」
 湾岸戦争のおり、アラブ民衆がサダム・フセインを支持した理由はここにある。

 米国がサウジに軍(女性兵士やユダヤ系兵士が大勢いた。アラブにとってはタブー)を駐屯させたとき、サダムやビンラディンは激怒した。アラブのタブーを犯したことで、民族主義とイスラム原理主義が一致してしまったのだ。
 ところで、サダム・フセインが口にした「アラブの大儀」やビンラディンやISやアサド大統領の「ジハード」とは何なのか?なにしろカダフイがアラブの盟主を狙ってきたかと思うと、今度はフセイン、そしてビンラディン、アサド、ハマス…と野望を抱く。彼らは強硬なスローガンを叫びつづけるうちにそれに酔ってしまい本当にそう信じ込む。そして、自分は神のような存在と思いこみ、民衆を地獄の底へと道ずれにしてしまう。それでも彼らが自分たちだけで争っているうちはいい。危険なのは彼らのメンタリティに西側ハイテク兵器がくわわったときだ。
 馬鹿になんとか……というが、これほど怖いものはない。
 こうしたメンタリティの中で、指導者はサラディン願望をもち、そのレトリックのひとつがサダムが口にした「アラブの大儀」やビンラディンやハマスの「ジハード」となる。
 サダムが死んでも、ビンラディンが死んでも、第二、第三のサダムやビンラディンがでてくるだけだ。まるでモグラ叩きのように……。IS(イスラム国・イスラミックステート)やタリバンやアルカイダやハマスみたいなのが…。


         アラブの歴史~part2



 ここからはユダヤ、PLO関連の歴史について触れていきたい。
 イスラエルのユダヤ人兵士たちは、休日でも肩にM16かウッズィ機関銃を携帯している。また一般市民も懐に銃を忍ばせている。だが、それは法律で定められた彼らの義務だ。
彼ら彼女らは、一大事がおこればすぐに基地に駆けつけなければならない。
 また、イスラエルには核シェルターや猛毒ガス用のシェルターがいたるところにある。これも、耐えず戦争ととなりあわせのイスラエルの現実である。
 なぜこれほどまでに、イスラエルのユダヤ人たちは国家防衛につとめ、必死になるのか?それを知るためには歴史を知らなければならない。
 エルサレムにヤッド・ヴァーシムと呼ばれる建物がある。ナチス・ドイツのヒットラーたちによって虐殺されたユダヤ人たちの追悼のための記念館である。
 ホロコーストによって殺されたユダヤ人たちのため、アメリカに住むユダヤ人実業家の寄付によって建てられた記念館には、惨たらしい写真や遺品が並ぶという。
 ……日本の広島長崎原爆追悼記念館みたいなものだ。
 ユダヤ人は家族を大切にする。
 当然だ。なにせ2000年におよぶ流浪の民なのだ。頼れるのは家族と金だけだ。……シェークスピアの『ベニスの商人』などで、主人公のシャイロックというユダヤ人の主人公は金に汚い人物として描かれている。当時のユダヤ人観だ。
 だが、国をもたない彼等にとって頼れるのは家族と金だけだ。それが現実ってもんだろう。国をもたない以上、金や宝石にたよらなければならないのだ。何かあれば、それをもって逃げる。お札は論外。紙クズにかわる恐れがある。金は重くて持ち運べない。なら、宝石だ。何万ドル、何百万ドルの宝石が何個かあれば、それで命が助かる。
 いくら高価な宝石をもっていても、死んでしまったら何の意味もない。だから、ナチスから匿ってもらうために宝石を何個も使ったというユダヤ人もいっぱいいる。宝石がなければアウシュビィッツ行き……。宝石で命が助かるなら悪くない。
 ともあれナチス・ドイツの迫害と世界的差別を物語るエピソードがある。それは、セントルイス号がたどった”絶望の航海”だという。
 一隻のドイツ客船が1939年5月13日、ハンブルクを出港した。乗客は九百七十三人のユダヤ人たち。二度とドイツに戻らないという約束で出港したのだ。
 やがて、かねてから約束していたキューバへ船が着く。しかし、キューバ側は入国を拒否した。仕方なく船はアメリカへ向かう。しかし、当時のルーズベルト大統領は「船が港に近付いたら砲撃する」と、入国を拒否。どこにいっても拒否され続けた。(これはナチスの画策で、どの国も受け入れないユダヤ人を虐殺してもいいというOKサインがほしかったからである)
 結局、船はハンブルグへと帰港する。彼等にまっていたのはアウシュビィッツやダッハウなどの収容所であり、最終的にはガス室であった。今先進国と呼ばれている国は、ユダヤ人が国をもたないという理由で、ナチスの虐殺を黙認したのだ。
 だから、1947年11月の国連決議で、わずか一万マイルの不毛なパレスチナの地を提示されると、ユダヤ人たちはすぐに受け入れた。いや、しがみついたのだ。
 パレスチナには、ユダヤ教の四大聖地があるという。ガレリア湖のほとりにあるタイベリアス、今はアラブの町になっているヘブロン、そして、サーファエット。もうひとつがエルサレムである。旧約聖書のシオンの丘は、エルサレムにある。
 彼等がパレスチナに祖国を建設してから、おびただしい血が流れたという。
 彼らの頭の中には、自分たちを守れるのは自分たちの祖国しかないという観念がある。「ホロコースト・コンプレックス」である。

 彼らは長い歴史を通して常に厳しい現実に直面してきた。
 六百万人の同胞が殺されたホロコーストであり、イスラエル国家を抹殺しようという敵に囲まれていることであり、建国後、戦った五つの戦争であるという。
 負ければ、イスラエルという国家は地図上から消え、またユダヤ人は流浪しなければならなくなる。そういう戦争を建国以来、五度戦い、五度勝った。数千年も流浪を続けた彼らの「もう国を失いたくない」という激しい決意の結果であった。
 その気持ちは、もうひとつのコンプレックス「マサダ・コンプレックス」に裏打ちされる。ローマ軍に侵攻されたエルサレムに追い詰められたユダヤ兵は、ソロモンの神殿を死守すべく2000年前、紀元70年、ローマ軍を相手に1ケ月にわたる死闘を展開した。しかし、その年の8月29日、神殿は炎上。王宮も占領され、ダビデ王国は消滅…。
 だが、戦いは終わらなかった。ユダヤ軍の残党は家族とともに死海沿岸に築いたマサダの砦に立て籠もり、三年にわたってこの要塞で最後の抵抗をこころみた。ついに弓矢尽きたとき、自らの髪を切り、それで弓をしつらえた……と史書にはあるという。
 そして、兵糧が尽きた日、クジ引きによって十人が選ばれた。彼らに与えられた任務は、降伏を拒絶して自らの死を選んだ仲間たちの首をはねることだった。生き残った十人は首をはねおわった後、再びクジを引いてひとりを選んだ。このひとりは、九人の首をはねたあと、自ら自決して果てたという。
 ローマ軍が入城してみると、女子供をふくめ九百六十人の死体があったという。かくして、マサダの砦の壮絶な戦闘と自決を胸に刻み付け、ユダヤの民は世界を流浪することとなる。
(紀元前数世紀に、ユダヤ人はローマから予言者モーゼとともに約束の地カナン(エルサレム)に逃げた。その際、モーゼが海をまっぷたつにさいて逃げ道をつくった…という有名な神話がある。モーゼは十戒を示した。「神はひとつである、偶像を崇拝してはならない、神の名はみだりにつかってはならない、安息日を守れ、父母を敬愛せよ、ひとを殺してはならない、姦淫するな、盗むな、偽証するな、貪欲になるな」…ユダヤ教の誕生である。そして、数千年後、ローマに占領される。そこでユダヤ人の中からひとりの男が現れる。イエス・キリストである。しかしユダヤ人にとって「神はすべてに平等で、民はすべて平等」という宣教は〝反ユダヤ主義〟と映る。そこでローマ軍に密告し、キリストを殺させる。以来、ユダヤ人は流浪をつづけ「キリストを殺した民」として迫害を受けることになる。
 ユダヤ人は、キリスト教国のヨーロッパで迫害を受け続けた。職業の自由さえあたえられず、ゲットー(ユダヤ人移住区)に隔離され、なれるのは「金貸し」だけだった。
 しかし、ユタヤ人たちは次第に財産を設けて、発言力を強めていく。
 そして、1789年のフランス革命によって、ユダヤ人差別やゲットーや職業の自由が保証され、ユダヤ人たちは頭角を現す。…詩人ハイネ、作家プルースト、経済学マルクス、精神医学フロイト、音楽家メンデルスゾーンとビゼー…。)

 そのユダヤの流浪の歴史は、迫害と差別に苦しめられた歴史だった。
 ユダヤ人たちに対する迫害がとりわけ過酷だったのは、ロシア、フランス、東欧だった。そのなかから、祖国の回帰が叫ばれはじめる。「シオンへ帰れ」………シオニズムである。当時は、「シオンに導いてくれるのはメシア(救世主)だ」と流浪するユダヤ人たちは考えていた。シオニストはその役目を神から、ユダヤ人の肩にのせたのだ。(シオンとは聖地シオンの丘のことで、その地域に国を創ることをさす。ちなみにエルサレムとはイエル・シャラーム……「平和」という意味である)
 1903年、当時超大国だった大英帝国は、世界シオニスト組織に対して、最初にシベリアはどうか?と話をふった。もちろん、そんなところに国家をつくるためのシオニズムではない。次にアフリカのウガンダはどうか?とオファーされた。もちろんこれも拒否。 この頃から、バルファ宣言にもとづきユダヤ人たちのパレスチナ移住が始まる。
 ユダヤ難民の多くは「自由の国アメリカ」へ向かった。その数300万人。(現在、ユダヤ人はアメリカに580万人、イスラエルに420万人、全世界には1400万人いるという)アメリカに渡ったユダヤ人たちはそこで出世していく。銀行家ジャコブ・シフ、先物取引考案者で銀行王レオン・メラメド、通販会社シアーズ創始者ジュリアス・ローゼンウォルド、ジーンズの生みの親リーブァイ・ストラウス、新聞王ジョセフ・ピューリッツア、CBS創始者ウィリアム・ベイリー、NBC創始者デビッド・サーノフ、パラマウントのアドルフ・ズッカー、MGMのルイス・メイヤー、20世紀FOXのウィリアム・フォックス……。また、世界的映画監督のスピルバーグ。ジョージ・ルーカス。

 やがて、第二次世界大戦が始まり、ナチスが迫害や殺戮を始めると、英国はユダヤ人のパレスチナ移住を5年間、一万五千人に定める。これはユダヤ人にとって到底飲める話しではなかった。なぜなら、ナチスの手から逃れるユダヤ人を見殺しにするようなものだからだ。そして、1948年5月14日、パレスチナの英国統治が終り、事実上、ユダヤ人国家イスラエルが国連決議62号にそって建国された。

 国連決議を拒否したアラブ諸国は、イスラエルの建国の翌日、一丸となってパレスチナ・アラブをバックアップし、イスラエルに挑みかかった。これがイスラエル独立戦争であり、第一次中東戦争だった。
 エジプト、シリア、トランス・ヨルダン(現ヨルダン)、サウジアラビア、イラク、レバノンの軍隊がイスラエルに侵攻。目的はイスラエル国家の全面崩壊のただひとつ。しかし、武器とマンパワーを誇ったアラブは勝つことは出来なかった。
 1948年に勃発した第一次中等戦争は、1949年に終結。イスラエルは七千人もの犠牲を強いられた。当時のイスラエルの人口からみれば、アメリカ軍の三十万人に匹敵するものだという。この戦争で、エジプトはガザ地区、ヨルダンはウエスト・バンクを占領した。
(ちなみに、イスラエルの情報機関の存在は戦争勝利の要点として大きいので簡単に説明したい。イスラエルが独立したとき、イスラエルの情報機関は五つあった。まずシャイ。これはハガナ(パレスチナ移住のときの防衛組織)の情報機関で、ハガナが軍に吸収されたため独立した。そして、アリア・べット(アラブ諸国から逃げてくるユダヤ人の救出機関)。そして、シン・ベット(国内情報をあつかい、イスラエル国内の反乱分子を調査)。そして、モサド。設立されたのが1951年であり、イスラエルの情報機関の中で一番有名である。現在は、モサド、つぎにアンマン(軍情報部)、国内治安をうけもつシン・ベット、警察、外務省情報部が主だ)
 1956年10月のスエズ動乱とともに始まったこの戦争、第二次中東戦争のきっかけは、エジプトによるイスラエルの唯一のアジア、アフリカへの海路、アカバ湾に封鎖であった。同月29日、イギリス、フランスとともにイスラエルは参戦し、ガザ、シナイ半島に侵攻。シナイ半島の大部分を占領した。国連決議により、4ケ月後イスラエル軍は撤退、国連軍が派遣された。
 そして、第三次中東戦争…。
 1967年5月、エジプト軍は国連軍に撤退を要請した後、シナイ半島に進み、同時にシリア、イラク、ヨルダン、サウジアラビアの軍隊がイスラエル国境に迫った。イスラエルはアメリカに先制攻撃の承認をうけたうえで、6月5日未明、エジプト空軍基地を攻撃。この戦争で、モサドからの忠告を無視して闘ったヨルダンのフセイン国王(当時)はウエスト・バンクと東エルサレムを失い、シリアはゴラン高原、エジプトはシナイ半島とガザ地区を失った。
 そして、第四次中東戦争…。
 当時のイスラエル女性首相、ゴルダ・メイヤーはモサドから寄せられた戦争情報を無視し、アンマン(軍情報部)の〝戦争はない〟という情報を信じたため、緒戦の敗退をまねいた。1973年10月6日午後のことだ、エジプトとシリアがイスラエルを攻撃したのだ。イスラエルでは最大の祭り(ヨム・キップル)の真っ最中であり、アラブはラマダン(断食月)だった。この奇襲で、イスラエルは当初大敗を喫した。
 エジプトとシリア軍に国内を蹂躙されたメイヤー首相は自殺まで考えたという。しかし、思い直すと、ただちに首相は核爆弾による報復を決定。ジェリコ・ミサイルを積んだトラックがネゲブ砂漠にあるイスラエルの原子力研究センターへ向かう。
 だが、この核使用を断念させたのは、フロリダから飛来してこのトラックの映像をとらえたアメリカの超高速戦略偵察機SR71Aから報告をうけたニクソン大統領、それにソ連首相ブレジネフだった。ユダヤ人はいざとなればトコトンやる。ふたりは驚愕したという。
 しかし、10日25日、戦争に勝ち、ハルマゲドン(世界の破滅)は回避された。
 話は違うが、あのアブ・ニダル(アブ・ニダル…本名サブリ・アルバンナ。1937年、現在のイスラエル・テルアビブ近郊の裕福な仮定に生まれ。パレスチナ解放機構(PLO)主流派ファハタに加わったが、同組織の穏健路線を批判して脱退。74年にイラクの支援を受けてバグダッドで過激組織「ファハタ革命評議会(通称、アブ・ニダル・グループ)」を設立した。70年から80年にかけてイラクを拠点にハイジャック、イスラエル人暗殺事件など計約100件にのぼるテロを起こして約900人を死傷させた。80年代にアメリカと手を組んだイラクを批判し、追放。その後、リビアにかくまわれたが、やがて追放されイラクに戻る。享年65)はイラクによって02年8月16日、暗殺された。イラクは自殺だとしている。また、08年末から09年や2023年におけるガザ紛争はハマスが悪いのだ。
 最近はイスラエルとUAEやクェートなどが国交を結んでいる。
 アメリカのトランプ大統領がイスラエルの支持をして、なびいた形だ。
 だが、シリアは今も内戦が続く。少しは停戦出来ればいいが。

 ここで少し、イスラム教について触れたい。
 イスラム教は、紀元7世紀に予言者ムハマンド(モホメッド)により創造された。その当時アラブはバラバラの宗教を唱えていて、そのことに嘆いていたムハマンドは洞窟で修行していたという。そのとき大天使ジブリーヌ(ガブリエル)がやってきて、「アッラーの神の声を広めよ」といった。そこで彼は神からの使者として、また予言者としてイスラム教を作ったのだという。
 コーランはそのマハマンドのいった言葉がかかれた聖書で、コーランとは、アル・クルアーン「読誦されるもの」の意味である。
 イスラム教徒は世界で12~16億人ともいわれる。世界の5人にひとりはイスラム教徒だ。
 ここで、PLOについて触れてみたい。
 パレスチナ・アラブ人がナショナリズムに目覚めたのは、1950年代だという。当時、アラブ諸国で冷戦が極限に達していた。エジプトやイラクはパレスチナ人問題の主導権を握ろうとしていた。そして、パレスチナ人が大半を占めるヨルダンでは、あらゆるパレスチナ・アラブ人に対して市民権を与えた。これがパレスチナ人のナショナリズムに火をつける結果になる。
 PLOが結成されたのもこの頃だという。1958年、クウェートとカタールにおいてアル・ファタハが組織され、4年後の1962年にはアルジェで事務所が設立された。
 その結果生まれたのが、PNV(パレスチナ民族評議会)とPLO(パレスチナ解放機構)だった。1965年、PLOはエジプトの支援によってパレスチナ解放軍(PLA)を組織。さらにパレスチナ解放人民戦線(PFLP)が、そしてそれがパレスチナ解放戦線(PLF)と結ばれる。が、長続きはせず、PFLPは真っ二つに割れてしまう。
 シリアの支援でできたのが、パレスチナ人民解放戦線総司令部(PFLP=GC)。
 1969年に、PFLPは再度分裂し、イラクのバース党支援で、パレスチナ解放人民民主戦線(PDFLP)とアラブ解放戦線(ALF)が生まれる。そして、人民闘争戦線(PS=ポピュラー・ストラグル)が生まれる。
 だが、けしてPLO組織は一枚岩でもなく、PLOがパレスチナ・アラブ人の意見を代表している訳でもない。
 93年オスロ合意で、イスラエルのラビン首相(当時・故人、95年11月5日暗殺)とPLOのアラファト議長(故人)がラビンが何秒かためらってから血に染まったアラファトと握手し、パレスチナ暫定自治合意が成った。ラビンの狙いはアラブを分裂させイスラエルの安全を守ることだった。アラファトがガザとエリコを欲しがっているのを狙ってのものだった。彼が浮き草と化して、PLO指示が揺らいでいた。結論は只ひとつ。アラファトに権力と富を約束し、不屈の英雄という名誉を与えればいいだけだった。イスラエルにとってテロの温床地区と化していたエリコとガザを暗い顔で握手提供するという老獪なユダヤ外交を見せた。〝身を切られる思い〟という演技で。世界も識者さえも騙された。ラビンにはもっと知恵があったろう。が、その後、ラビンがユダヤ人同胞に暗殺され、ふたたびイスラエルとパレスチナの戦闘が続いている。アラファトも死んだ。これがなによりの中東世界である。ISやPLOやハマスやジハード団という武装組織との訣別までパレスチナには金を与えないことだ。
 アラファトはパレスチナを代表してなかった。単なるテロリストだったのである。
 しかも、エイズか何かで04年11月11日にパリの病院で病死した。享年75歳。……
 そして、PLOはただのルーザー(負け犬)である。
 中東和平が混沌化している。
 イスラエルではイスラム原理主義集団による爆破テロが続く。ハッキリいうとアラファト(故人)はPLOを代表してなかった。なぜアラファトがPLOを代表できていたのかといえば、金庫をしっかり握っていたからだった。パレスチナ援助金で本来組織のものであるカネを私物化して、部下たちを手なずける道具にしていた。PLOでは今まで内部分裂闘争が絶えなかった。しかし、カネの力で抑えていたのだ。
  だが、カイロでサインしてしまい、ウエストバンクでこれまでアラファトを支持していた穏健派グループも愛想を尽かし、公然とアラファトを非難するようになった。ガザではイスラエルに魂を売り渡した人間として憎悪の的になった。彼はテロを抑えられなかった。反発され殺されるだけだったからだ。
 イスラエルはアラファト議長を交渉相手失格として攻撃を加えた。こうして、歴史的なオスロ合意は水の泡となったのである。米国も、ハマスやPLOの自爆テロの続発でアラファトをリーダー失格として、アッバス首相をPLOから選出させた。それで、中東新和平案(ロード・マップ)を提出し、シャロンとアッバスは『パレスチナ国家樹立』を合意。しかし、テロはおさまらず、暗礁に乗り上げている。現在は壊滅状態のISやハマスの影響下でのテロだ。2023年のイスラエルの『ガザ侵攻』については後述する。
 中東での暴力の応酬・連鎖に歯止めがかからない。パレスチナ・イスラム原理主義者によるテロとイスラエル軍の報復軍事行動…。オスロ合意からラビン暗殺以後、中東は地滑り的にケイオス(混沌)へ陥ちた。しかし、日本にとって中東情勢は〝他人事〟ではけしてない。
中東の石油に七割も依存するわが国は誰よりもこの地域の安定が大事なのだ。
 万が一、第六次中東戦争が始まり、例えばイランと衝突するようなことになればイスラエルはただちに、ホルムズ海峡を封鎖するだろう。ホルムズ海峡は底が浅いから大型タンカーを横に沈めるだけで簡単に封鎖できてしまう。現在のような世界不況の中、石油がストップすれば世界経済は大打撃をうけることは間違いない。だが、日本の政治家のようなレヴェルの人々に中東和平など出来る訳がない。だが、米国政府と連環し、両者に「和平交渉のテーブルにつかなければ援助金をゼロにする」というべきだ。
 また、今の政治力が落ちたアメリカなんかに発展途上国の復興はできない。中南米やフィリピンの例をみてもわかる通り、アメリカという国は復興が出来ない。早めにイラクの武装勢力というよりテロリストを駆逐して、軍はいいが民間人は撤退することだ。アメリカがコミットして復興したのは日本だけ。日本の繁栄は「アジアの奇跡」というより「アメリカの奇跡」なのだ。
 米国がイラクやアフガンから出ていって、イラクやアフガニスタンは第二のフィリピンになった。そういうことである。
 アメリカは中東へも欧州へも関与すべきでない。フィリピンみたいな国(実態は国民の生産性や勤務性が高いが汚職や麻薬が蔓延している)がバッコするだけだ。
 アメリカはおせっかいな癌みたいな国だ。だが、私はこの日本という国も癌だと思う。経済は確かに優れており、国民の学力(ここのところ低下の一方だが)や知識もそうとうのものをもっている。その経済力は落ちたとはいえ技術力は米国さえ恐れさせている。
日本人は政治家や官僚が悪いから生活がよくならないと思っているが、現実は違う。他人のせいにしているだけだ。
官僚や政治家の汚職は今に始まったことではない。が、いっぽうでここのところその自慢の経済力もペテンではないか? と世界から訝しがられている。
大手証券会社による株の損失補填、高級官僚と大手商社との五〇年にもおよぶ共謀談合、大手メディアの不祥事、日本企業のペテン人事、ニッサンという会社がカルロス・ゴーンなる外国人にでしか改革できなかった事実、そしてゴーンの亡命、外国人に「投資してほしい」などといいながら、結局は金儲けしか考えてないくせに、どいつもこいつも安っぽい正義だけはふりかざす。
安っぽい日本のテレビやコメンテーターの意見をきいても怒りを覚えない国民……(そもそもそんな常識があるなら、安っぽい番組に感動したり真剣に視聴したりしない)ハッキリいって日本より中国に投資すべきだ。
 また中東アラブや東欧〝反体制〟メディアが、ステレオタイプのオーソドックスなプロパガンダをここのところ流しつづけている。ハッキリと私には典型的な『憎悪プロパガンダ』だとわかる。戦争で手を失った少年、目がみえなくなった少女……虐殺現場……
 だが、このプロパガンダを分析できるものは少ない。よほどの分析力と世界観をもってないとわからない。だからアメリカでも主婦が「自分の息子が戦死した。イラク戦争は間違いだったのよ」などと煽られて一大ムーブメントを起こす有様だし、イギリスの選挙でも馬鹿な女性が首相に「あなたは嘘つきよ」などと迫った。
 はっきりとこのプロパガンダの意味している『目的』は、まさにそういう行動をとらせて、西欧(とくに超大国アメリカ)の世論をズタズタに分裂させることなのだ。が、無知で感情にもろいひとたちには『憎悪プロパガンダ』は効果を上げ続ける。
 国民の世界観や世界を見る能力が高いといわれている欧米人でさえこの有様なのだから、日本人などプロパガンダなのだということさえわからない。
 世界に冠たるピンボケ日本マスコミは「かわいそうに…」と報道し、わざわざ『60%』なる数字まであげて、「イラクでこれだけの数の罪のない子供が被害にあっていまも苦しんでます。私たち取材スタッフはこの映画(プロパガンダなのだが)のスタッフに出演者を探すのは大変だったんじゃないですか? ときいたんです。そしたらイラクには傷ついた子供たちがうようよいるっていうんですよ」とぬかす。
 ハッキリいってプロパガンダに踊らされているし、積極的に陰謀に手をかしているだけなのだが、ピンボケなので分析できない。そもそもインテリだと自負している日本の高級官僚自体が何もわかってないし、ピンボケだ。
元・外務官僚(しかも中東専門家)が馬鹿みたいに「イラク戦争は間違いだ!」などとぬかし、外務省を辞めて野に下り、本を出す。そして、そのピンボケメンタリティのまま、選挙に出て落選… 
日本人同様に世界がみえてないし、みようともしない。「イラク戦争は間違いだ!」という意見とアクションは、調べでは私が朝日新聞に投書した『イラクの〝大量破壊兵器がないという主張〟を米国が否定して戦争準備している態度は、トンキン湾事件と酷似している』という趣旨の指摘を受けてらしい。
 私は米国が「悪魔だ」などと主張したい訳でも、「ペテンだ!」などということをいいたかった訳でもない。現実として戦争は間違いなく起こるし、それは軍産複合体の利益のためである……という現実をいったまで、である。
 だが、誰もわからない。戦略とは常に最悪を想定してたてるものだ。
だが、日本人はそんな現実など知らないし、知ろうともしない。それが今だに、騙され、プロパガンダだと分析もせずに報道しつづける〝無能〟ということだ。
最近では安倍晋三(2022年暗殺)と森友学園・加計学園の桜を見る会への官僚の忖度(そんたく)と安倍昭恵婦人の政治的関与………まさに阿呆国家だ。


2023年10月7日の早朝、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム武装勢力ハマスが、イスラエルに大規模な無差別攻撃を仕掛けた。ガザ地区から大量のロケット弾で攻撃。ロケット弾の数は、二○○~五○○○発以上ともいわれており、イスラエルの持つ強力な防空迎撃システム・アイアンドームの能力を優に超えていたようだ。
その日、ハマスの戦闘員がガザを取り囲んでいる壁を越えて、イスラエルに侵入。目につく人々を無差別に銃撃し、殺害し、人質を取った。
イスラエルとガザ地区の境界には、高さ八メートルのコンクリート壁と約六○○メートルの緩衝地帯がある。無許可でイスラエルに近づくことはできない。
だが、イスラエルはその日、一週間にわたるユダヤ教の祭りが終わった後の安息日で、兵士も警察官も多くは自宅で過ごしていた。その隙を突いた攻撃だったのだ。
今、イスラエルがガザ地区を攻撃し、ハマスの殲滅作戦をやっている。確かに、罪もない子供や女性や老人が大勢、犠牲になっているのは心が痛む。
だが、ハマスはイスラム教徒テロ組織だ。イスラエル軍は民間人を狙っている訳ではない。
ハマスが民間人を〝人間の盾〟〝人質〟としてハマスの武器庫や基地の近くに民間人を配置しているからこそ、無辜の民間人が大勢犠牲になっている。
 悪いのはハマスなのだ。
『憎悪プロパガンダ』で、心が痛むのはわかるが、(イスラエル軍の誤爆もあるかも知れないが)イスラエル軍は「民間人を攻撃」しているのではない。
 ターゲットはあくまでハマスであり、ハマス組織の壊滅だ。
 紛争に反対するなら、そういうことをきちんと考えることだ。
 ただの感情論では何も動かない。
そういう認識をきちんともった上での言動をしていくことが重要だ。
むろん、人道や人命がなによりも大事である。
なら、イスラエル軍の攻撃より、ハマスの〝人間の盾作戦〟こそ、憎むべきで、あろう。




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