長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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TK 小室哲哉最期の真実TETSUYA KOMUROアンコールブログ連載小説1

2013年04月17日 07時59分31秒 | 日記
ドキメント小説
  小室哲哉 最期の真実


   TK                   ~the last success story ~
                ~「こむろてつやの真実!
                   今だからこそ、小室哲哉
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

  08年11月4日、時代の寵児ともいわれ成功を手にした筈の小室哲哉容疑者(被告)が逮捕された……
 それは一大ニュースとして日本中に駆け回った。90年代にかけて、作詞作曲音楽プロデュースで小娘たちを次々とヒットさせて百億円もの大金を手にして富豪となった筈。その小室哲哉(愛称、TK)が5億円の詐欺犯罪を起こした。
 大阪で兵庫県の投資家からありもしない自分の著作権(806曲)を譲渡する見返りとして、10億円もらう算段であった。しかし、その詐欺事件を警察が感付き、マスコミもリークした。小室哲哉はこの時、20億円の借金があったという。
 この小説は小室哲哉とは何だったのか?
 …を問う、最高の書である。
 これを読めば小室哲哉の成功と失敗がわかる筈である。
 物語を通して人間、小室哲哉の人生と成功と失敗を学んでほしい。    おわり
         1 TK 逮捕





 『小室哲哉容疑者逮捕へ』
 時代の寵児として大富豪にして天才音楽プロデューサといわれた小室哲哉(当時49歳)が大阪地検に逮捕されたのは、08年11月4日の朝だった。
 小室哲哉……愛称、TK、先生、小室さん、テツ、テッちゃん……
 90年代の日本の音楽(いわゆるJポップ)の音楽プロデューサとして、そして大富豪として有名だった男である。痩せた身体に、茶色の短髪、少し長い顔と大きな鼻、泣き黒子とツリあがった目尻…特徴的な印象を与える当時49歳の中年男である。
 声は少し『ガマ蛙』のような声だ。
 絶倫でもある。
 彼は3度の結婚遍歴がある。女好きで、絶倫…女好きだけは治らない。
 最初の嫁は元・アイドルタレントで、2度目の妻は同じく元・dosという音楽グループの小娘、そして最期の嫁が、TK・小室哲哉と同じ音楽ダループglobeのボーカル(歌姫)でもあるKco(KEIKO・ケイコ(当時36歳))である。
 Kcoは美貌だし、金髪の長い髪も美しい。
 小室哲哉は美女しか相手にしない。デブスなど相手にしてられない。
 小室哲哉の妻・Kcoは何も事件のことなど知らなかった。だから、この突然の事件発覚に仰天したことであろう。「何てことなの……? あぁ」
 妻・Kcoの痩せた手足や全身を寒気が襲ってきたのである。
 誰かが哲哉と妻の運命のバスタブの蓋を開けてしまったため、溢れた金という色の水が音をたててなくなっていくばかりだ。これはえらいことになった。
 小室哲哉は自分の身に起こっていることが、信じられなかった。そんなことはない。そんな馬鹿なことはない。もっと贅沢を…出来る筈だ。僕は天下のTK・小室哲哉なんだぜ! しかし、そうはいうものの運命とは皮肉である。
 僕が逮捕……? そんな馬鹿な…? おかしいな。しかし、最期の贅沢だと思って大阪の高級ホテルのスウィート・ルームでひとりで一泊した後の早朝、大阪地検の男たちが任意同行を求めてやってきた。小室哲哉は勘づいていた。あの、詐欺事件か…。もう、僕はおわりなんだね…。体中が震えた。……あのときの事か……あの。
 そうだった。小室哲哉の思考は当たっていた。そう、詐欺容疑だ。

  08年11月4日、詐欺容疑で大阪在中の小室哲哉容疑者(当時49歳、もうすぐ50歳)を大阪地検は任意同行を求めた。ホテルから出るときマスコミのカメラが彼を写している。容疑は、兵庫芦屋市の投資家男性から自分に権利のない音楽著作権を10億円で(逮捕時は5億円)売るからともちかけて詐取したものだった。
 茫然と歩く小室哲哉の目にはうっすらと涙があった。
 もう90年代に一世を風靡し、『時代の寵児』といわれたTKはすでになかった。そこには”抜け殻”の只の中年痩男・小室哲哉容疑者(被告)がいるだけであった。他に2人が逮捕された。小室は「音楽配信ビジネスに参入したい」という被害者男性を詐欺し、たくみにまずは10億円のつもりで前金5億円を騙しとったのだ。借金の返済におわれてのことだった。それにしても香港での事業の失敗は大きかった。
 一説には百億円あったとされる財産は、香港での事業失敗で70億円損失を出していたという。その後も、贅沢三昧の生活や、株の下落などと不幸が重なり、落ちぶれた。小室哲哉没落である。債務は20億円にまでなっていた。借金返済の期限までギリギリ…
 もう音楽会社に譲渡して、自分にはないはずの著作権(806曲、Can you SEREBRATE?、Get wild、愛しさと切なさと心強さと…など含む)を10億円で……という皮算用だった。「全部あなたのものですよ」「ぼくはあのマードックとも親しい」「まずは前金の5億円振り込めば、夢の印税生活ですよ」
 金が欲しいあまり、道を誤った。こんな筈ではなかった。そう、ぼくは、TK・小室哲哉は大富豪で…そして成功者、『勝ち組』の筈だったのに。おかしいな。いったいいつから、運命の時計の針が狂い出したのだろう? 小室哲哉は頭を傾げ続けた。
 マスコミからマイクを向けられ、フラッシュを浴びながらも疑問ばかりが浮かんだ。
 何もいいアイデアが浮かばなくなった。現在の音楽創作のように。
  他に逮捕されたのが役員を務めるイベント企画会社『トライバル・キックス』社長、平根昭彦(45歳、当時)=東京都港区(5億円受取り、3,4億円返済。TKが金銭管理を委託している男)と、広告会社の実質経営者・木村隆(56歳、当時)=同中野区の2人。 小室は06年7月の詐欺容疑についていう。
「弁解することはありません。被害者には大変申し訳ありませんでした。深く反省しています。刑事責任を取る覚悟はあります」
 更には事件発覚前に3000万円を口座に振り込むように、被害者男性に要求するメールを送っていたことも発覚した。小室哲哉の敗北である。
 妻のKco(KEIKO・ケイコ)は衝撃で、頭が破裂しそうだった。同じグループでRAPのMARC・PANTHERさん(当時、38歳)は海外にいて連絡が取れない。
 完全たるTK・小室哲哉の最期であった。
 逮捕を受けて、『エイベックス・グループホールディングス』社は11月26日と12月17日発売予定だったglobeのシングル(『Get wild』と『Self control』(いずれもTM NETWORKのカバー曲))の発売中止を決定した。
 更に、インターネットでの小室名義の曲すべての配信も停止した。
 時代はもう21世紀……小室の活躍していた90年代ではなかった。かつて、天才音楽家とか時代の寵児といわれてもてはやされた小室哲哉だった。が、もう昔の話しではあった。 皮肉な事か、事件後には『小室哲哉ナツメロ・ブーム』が起きて、カラオケで彼の曲を歌って昔を忍ぶ若者が現れ出した。(音楽著作権譲渡の為に小室への還元金は無し)
  生活費210万円(月)、東京港区事務所諸経費2千万円(月)……
 香港のRojam株式会社はTK・小室哲哉が、メディア王・リチャード・マードックと組んで設立した音楽配信会社だった。音楽世界進出を夢みたが失敗、盗作や海賊版氾濫などで70億円の損失を出した。かつて年収20億円を越えた90年代、次々とヒット曲を生みだし『時代の寵児』といわれたTK……。
 が、今は昔である。贅沢生活はやめられず、遂に債務20億円…。00年頃から人気低迷してきて、06年8月に2億円の借金返済日が迫り、06年7月詐欺。すべては後の祭りである。 時代は変わった。
 小室は妙な心境で、独房の中へと入った。音楽もなく、寒い。臭いまずい飯と狭い部屋。小室哲哉はおかしいな、と思った。何故、この天才・音楽家、TKがブタ箱に? え?
 すべてがおかしいようにも感じた。そして、同時に「すべてがおわった」と感じた。
 そう、もうおわりなんだ。畜生め! 小室はか細い手で、壁を叩いた。無情感だけだ。
  08年11月21日、小室哲哉被告が保釈された。
 シャバに出られた!
 小室はカメラの前で無理にひきつった笑顔を作り、頭を下げ続けた。
 妻・Kco(KEIKO・ケイコ)が、エイベックス社に頭を下げて保釈金3000万円を払ったのだ。エイベックス社は「昔に恩があるひとだから」と渋々、金を出した。
 午後6時頃、大阪豊島区の大阪拘置所を出るTK。
 黒のタートルネックにジーパン、茶髪姿。やややつれた顔色に映る。200人の報道陣がカメラを回していた。小室は消えるような声で、
「どうもお騒がせして申し訳ありませんでした。これから音楽で償います」という。
「ファンに対して一言!」
 小室は口を閉ざし絶句した。顔がひきつって、寒い風が痛い程である。
 「『小室時代』のピークを2回迎え、生活が豪奢になっていた。誰からも意見されることのない”裸の王様”。そういう生活に疑問を感じながらも続けていた。人生をリセットし、再出発を図るチャンスを与えてもらった。自分には音楽しかない。曲の歌詞でよくチャンスという言葉を使ったが、今思えば軽々しく使っていた。家族とともにできる限り早く罪を償いたい。……ファンの皆様にはぼくの音楽を待っていて下さるのであれば有り難いことです」小室は安っぽいワンボックス・カーに乗り込んだ。身が妙に軽く感じた。と、同時に想像ではガリバー程に大きかった自分の体が、しゅうと音をたてて縮まっていくのも感じた。おわり……か…。もう、おわりなんだ! この糞ったれめ!
  事件を知ってかつての小室プロデュースの小娘・Zoieさんは涙を流してカメラの前で訴える。「先生が……そんな」あとは涙声で言葉にならなかった。
  昔の親友で、TM NETWORKメンバーだった木根尚登さん(当時・50歳)はコメントを発表した。『今だに信じられない気持ちです。でも、罪は罪。償ってもらいたい。彼の音楽へのリスペクト(尊敬)は変わりません』
 また、TM NETWORKメンバーでボーカルだった宇都宮隆さん(当時・50歳)は『罪は罪なのだからちゃんと償ってほしい。その後ならTMの復活もあるでしょう』。
 木村隆被告は同罪で起訴。イベント企画会社社長(45)は『利権がなく、関与の程度が薄い』として起訴猶予になった。TK・小室哲哉の全CDレンタル販売中止へ。
 小室被告についてエイベックス社の若き社長・松浦勝人氏は、東京港区の慶応大学で開かれた学園祭で講演し、「罪を償った上で、協力したい」と情けをかけた。
 こうして、小室時代はおわった。



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ミャンマーの正体 スーチーさん大統領に意欲「ミャンマー完全民主化」へ

2013年04月17日 07時52分21秒 | 日記
 ミャンマー、アウンサンスーチーさん問題 
  
2013年4月13日、ミャンマーのアウンサンスーチー女史(議員)が来日しました。私が尊敬するサッチャー女史・マザーテレサ氏は故人なので、生存する私が尊敬する「世界的に有名で有能な女性」です。正直早く私は有名になって対談できるレベルになりたいです。スーチーさんは大統領に意欲をみせています。「国民民主連合(NLD)」としては完全な民主化を目指すには大統領になるしかない、ということです。ミャンマーでは民主化が進んでいますが議員の3/1は軍人です。これは憲法で決まっていてそれを覆すには大統領になるしかない訳です。2012年11月19日、米国オバマ大統領はミャンマーを訪問し、民主化したミャンマーで演説、中朝をけん制しました。スーチーさんとも会談しましたね。ミャンマー(ビルマ)は人口が多く(6億人で人件費が中国人より4分の1安い)、しかも親日国で、物価も安い。ミャンマーの軍事政権のトップのテインセイン氏が突然「民主主義国家」に舵をきり、世界中から金・物・人がミャンマーに集中して入るようになった。ミャンマーでスーチーさんが大統領になれるか?は今の憲法上はなれません。軍事政権が配偶者はミャンマー人(スーチーさんの亡くなった旦那さんは英国人)であること、軍事知識があることが条件ですから。ですが、憲法はかえられる。だが、スーチーさんがコラソン・アキノ状態になる事もありえる。民主化のシンボル(象徴)でも、政治経験が殆どゼロだからだ。スーチーさんは名誉職の大統領となり、現実政治は優秀な人物たちに任せるのがベストだ。ミャンマーは世界第二位の日本中古車輸入国で、日本はミャンマーに5000億円のODA(政府開発援助)を与えていますが、麻生元・首相は「1970億円は還さなくていい」という。カンボジアの元・国王シアヌーク氏が死去しました。享年89歳。ご愁傷様です。ところで中国は人件費が段々と高くなってきて、「反日デモ」など治安も悪化、そんななかミャンマー(ビルマ)が注目されています。ミャンマーは治安もよく、人件費も安く、仏教国で、親日国でもあり日本のいいパートナーになりそうだ。ミャンマー国会議員・アウンサンスーチーさんとクリントン米国務長官と「改革」について議論をしたといいます。いい議論交流ですね。未来の首脳同士の交流です。またスーチーさんはオバマ米国大統領と会談し、「ミャンマーの民主化」で合意しました。ノルウェーのオスロで、アウンサンスーチーさんが21年前に受賞したノーベル平和賞の受賞スピーチをしました。21年前は女史はミャンマーで軟禁状態で、授賞式には99年に亡くなった旦那さんと息子さん2人が参加したのでしたね。アウンサンスーチー議員が24年ぶりにタイを皮切りにASEANや中国やインドなど国外訪問しましたね。ミャンマーも変わりました。もはや最貧国ではなく新興国としてスタートした訳です。また国王への反逆者が主人公のタイ映画「シェイクスピア マスト ダイ」イン・K監督がタクシン氏を連想させる、国王への侮辱だ、と放映禁止になりました。表現の自由はタイにはないのですかねえ。またスーチーさん初登院です。ミャンマーのテインセイン大統領が来日ですね。25年ぶりに日本はミャンマーに円借款再開です。これは民主化を促す為ですよね。またスーチーさんが20年ぶりに海外に外遊です。だが、本当に彼女はミャンマーに帰ってこれるのでしょうか?昔とは違うというが…。2012年4月1日のミャンマー総選挙でスーチー女史が当選です。NLD(国民民主連盟)は圧勝で43議席獲得しました。スーチー女史は野党党首です。只、スーチー女史は閣僚にはならないという決断です。「軍事政権のパペット化」を防ぐ為です。また女史は建国の父で実の親アウンサン将軍が、少数民族との融和を決めた「パンロン合意」を踏襲して「21世紀のパンロン合意」をすすめるという。でも、具体性は?です。今回の選挙は補欠選挙であるためNLDの議席は軍事政権与党の1%しめているだけです。ミャンマーでは「民主化」が進みました。クリントン米国務長官もミャンマー訪問です。また日本政府はベトナムに「原発(原子力発電所)の技術」を売りましたね。3・11でいろいろあったが、まずはよかった。2011年10月タイが大洪水で水浸しです。首都・バンコクまで汚水だらけです。台風による記録的な大雨で世界第三位の大きさのプミポンダムが決壊したらしいです。タイは「アジアのデトロイト」といわれるほど日系工場が密集しています。ホンダ、シャープ、ニコン、パナソニック、クボタ…何にしろ大企業の工場は億単位の設備です。それが「お釈迦」になれば大打撃ですね。ミャンマーの軍事政権が「政治犯」251人を釈放しました。これは欧米の経済制裁をやめてもらう為にですが、何か中途半端です。ミャンマーのアウンサンスーチーさんが2011年6月19日で66歳になった。バガン遺跡に家族旅行に行きましたね。彼女が生きている内にミャンマー(ビルマ)の自由と民主主義が成ればいいが…。軍事政権はスーチーさんの政治活動の禁止を通告した。地方遊説を規制したいためだそうです。インドのピカソといわれた有名な現代画家のM・F・フセイン氏(95)が病死しました。残念ですね。ネパール首相、シャラ・ナート・カナル氏が辞任しました。憲法草案の策定が出来なかったのが原因だそうです。またミャンマーのテインセイン大統領が訪中、中国と経済協定で合意しました。タイの野党「タイ貢献党」は時期首相候補にタクシン氏の妹、インラッフ・シハフトラ氏(43)を同党首相候補に選びました。与党「民主党」のアシピット首相は反発しています。インドのシン首相がアフガンを訪問して、アフガン政府の「タリバンとの和解」を支持しました。これは反パキスタンだといわれています。またタイが東日本大震災での日本にたいして、「大型発電機」を無償で貸し出す事を決定しました。有り難いことですね。タイ下院が2011年5月10日解散しました。アシピット首相は連立政権成立に自信を見せています。タイとカンボジアの紛争は泥沼化で、インドネシアの仲介も難航しています。インド・ムンバイで「霊能者」サイババ氏(89)が死去しましたね。サティヤ・サイババ(本名、サティヤナラヤン・ラジュ)。ミャンマー(89年に軍事政権が国名をビルマからミャンマーに変えた。スーチー女史は認めていない)のアウンサンスーチーさんが毎日新聞に「東日本大震災への応援記事」を寄稿しています。いいひとですよね。ミャンマーの大統領にテインセイン氏で、ベトナムの書記長にチョン氏ですね。いよいよ2011年4月、ミャンマー軍事政権のテインセイン首相が大統領に就任します。軍事政権下でNLDはまた「蚊帳の外」です。2010年11月7日、20年ぶりのミャンマーの選挙がありました。また形だけのスー・チーさん解放です。軍事政権が勝つときまってた「デキレース」でした。トップはタン・シュエ上級大将。おコメが多くとれ、資源が豊富な国で、北朝鮮みたいな国だが、北朝鮮みたいに貧しくない。スー・チーさんが生きているのは「世界の目」があるから。先進国は日本も含めて経済制裁しているが、天然ガスのために中国・インド・タイは協力している。スー・チーさんは次男・キム・エリアスさん(33)と10年ぶりにミャンマー国内で再会しました。ミャンマーの難民18人が「第三国定住」で来日しました。私はこの閉鎖的で陰湿な国民性の日本で「アメリカ並みの定住」は無理だと見ています。日本とインドがEPA交渉(関税撤廃交渉)で合意しました。中国の胡錦涛主席とミャンマーのタンシェ議長が会談しましたね。ミャンマー(ビルマ)のデモから2年で約7000人の恩赦では政治犯が釈放されましたね。スーチーさんは2010年6月19日で65歳になりました。NLD(国民民主連盟)が強制的に解体されてしまいました。NLDから分裂したNFD(国民民主勢力)が政党登録した。しかし軍事政権は認めない方針です。ASEAN外相会議ではミャンマーの総選挙を容認しましたね。総選挙は11月7日です。実はASEAN諸国のインフラ需要は700兆円といわれていて、韓国やロシア、フランスなどがトップ・セールスで新幹線や原発を誘致しています。日本は出遅れました。タイのデモでは日系企業の被害額は51億バーツ(約3億7000万円)だそうです。2010年5月10日にフィリピンで大統領選挙がありました。アキノとエストラーダとビリアールの戦いでした。コラソン・アキノ女史の息子さんが圧勝でした。アウン・サン・スー・チーさんが2010年総選挙前に釈放されることが決まりましたね。アメリカの経済制裁が利いたのでしょうか分からない。前にも軍事政権は「スー・チーさん解放」といいながらすぐに軟禁しています。到底信じられません。またミャンマーからは大量の政治難民、経済難民が流出しています。そのほとんどは米国に行きます。何故なら日本ではろくな仕事もなく、陰湿な苛めや偏見や差別があるからです。だが、難民の帰還が始まっていますね。韓国では元首相の韓明淑(ハンミョンスク、65)容疑者が収賄容疑で逮捕された。カンボジア政権はブレーンとしてタイ元首相タクシン氏を招聘してタイ政権が反発している。タイ政権の身柄引き渡しをカンボジア政権は拒否しています。タクシン氏って本当に役に立つのですか?カンボジアに行きましたね。またタイの元・首相でタクシン派の復権に努力したサマック氏(74)が死去しましたね。タイのタクシン派の貧困層と政府側(アシピット派)とで衝突しましたね。村本氏というジャーナリストが死亡しましたね。タイ軍はタクシン派を「制圧」しました。まるで戦争です。なぜタクシン元・首相を農村部の貧困層が支持するかというと貧困層に金(税金)を大量にばら撒いたからです。つまり、「夢よもう一度」という訳です。だが、タクシンは政権時代不正蓄財や不正なことをやりました。1252億円脱税で私腹をこらしたといいます。タクシン復活などとんでもないことです。実はタクシンは政権時、タイの水戸黄門「プミポン国王」にあい外交に外国に行っているあいだに軍部クーデターで失脚しています。その後、タクシンは外国で亡命、軍事政権(反タクシン派)が選挙をします。しかし、反タクシン派165議席に対しタクシン派は233議席と大勝します。ですが、タクシン派のサマック首相やソムチャイ首相を罷免して、都市部のエリートや軍部の反タクシン派のアシピット首相が政権につきます。で反発している訳です。なお赤のシャツを着ているのがタクシン派、黄色のシャツを着ているのが反タクシン派です。タイで貨物機から大量の北朝鮮製武器が発見されましたね。またキャンベル米国国務次官補がミャンマーの首都ネピドー入りして、軍事政権のチョーサン情報相と09年11月3日会談した。続けてスーチー女史と会談した。女史は軍事政権に態度を軟化していますね。それにたいして亡命政権は好評価しています。中国がミャンマーの軍事政権にたいして900億円の「天然ガスパイプライン」の支援をしていることが明らかになりましたね。ミャンマーの最大都市ヤンゴンで7月19日、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(国家防御法違反罪で拘置中)が書記長をつとめる最大野党「国民民主連合」(NLD)の党員ら数十人が拘束された。19日は1947年にスーチーさんの父アウン・サン将軍が暗殺された「殉難者の日」(享年32歳)でセレモニーを行っていて、軍事政権の制服さん達が暴れて、NLD幹部らを拘束したそうです。酷いです。彼女自身だけでなく民主化運動者を弾圧しています。ミャン
マーでは少数民族コーフン族1万人が難を逃れようと中国に越境しました。また軍事政権が5年以内の核兵器保有国を目指していることが明らかになりました。どうやら北朝鮮から技術力をもらうらしいです。日本はこの軍事政権に金を与えています。これでは民主化運動者達がかわいそうでしょうか。まずは軍事政権に金を(ODA・政府開発援助)与えないことです。これはシリアやスーダンでも同じレベルです。ODA提供の約束は「民主化」です。民主化して国民が自由になったら、政府開発援助を増額してやればいいと思う。弾圧している国には(北朝鮮も含みます)一円もやらないことです。条件は民主化がいいですね。日本は金を戦略的に遣うべきではないでしょうか。民主化条件はいいですよね。民主化しなければ一円もやらないことですよ。これはグローバルな戦略です。頑張ってください。
スー・チーさんはミャンマー(ビルマ)の民主化運動のシンボルです。89年から20年間軟禁されています。
が、その前にミャンマーという国の説明致します。人口5300万人で国土は日本の1・8倍です。軍事独裁政権国家です。
軍部が政権をとってビルマという国名をミャンマーにしました。軍部政権が国連に登録しましたので世界中は「ミャンマー」と呼んでいます。
アウン・サン・スー・チーさんの父親はアウン・サン将軍ですね。戦後前はビルマはイギリスの植民地でした。第二次に日本軍がビルマを「植民地にしようと」して傀儡政権を作って操ろうとビルマ人達を中国の海南島(当時の中国は日本軍に侵略された)で日本軍が「軍事訓練」をしました。で、その30人のビルマ人達と日本軍は戦いイギリス人達を追い出しました。で、日本敗戦(終戦記念日のこと)です。
ビルマはアウン・サン将軍がリーダーになりビルマ建国式で彼は暗殺されてしまいました。まだ32歳の若さでした。新生ビルマは彼がいない中で建国しました。が例の30人の中の不貞な輩がクーデターを起こして軍事政権を敷きます。経済はガタガタです。国民は怒って「民主化運動」をしはじめます。まあ、後述しますけど民主化運動家達のシンボルに彼女が選ばれた訳です。スーチー女史は母親がインド大使であったことからインドを訪問して「ガンジーの非暴力運動」を知るのである。女史はイギリスに留学して国連にも就職し、イギリス人と結婚して子供をふたりもうけます。イギリスで長い間暮らしてました。が、母親の病気見舞いにビルマ(ミャンマー)に戻って、帰りかけに(新聞記事の小さな女史母親見舞い帰郷をみた民主化運動家達に)民主化運動のシンボルにされました。
軍事政権は「いつでもイギリスに帰っていいですよ」というが、二度と戻ってこれないし民主化運動家(かなりの数)は女史がイギリスに帰ってはシンボルがなくなります。女史は自分をしたってくれる民主化運動家達の為にビルマ(ミャンマー)に残りおかげで、夫の病気見舞いにも行けず旦那さんは病死しました。ノーベル賞も息子さんが出席しました。あの「演説」は自宅軟禁されている門からです。国民は民主化を望んでいます。が、口にすると殺されます。沈黙は金です。軍事政権は前に女史を刑務所にいれたことがあります。が、世界中が反発して抗議して女史は自宅軟禁されてしまいました。ミャンマーの民主化運動家達は武器を持たないです。一方の軍事政権は訳がわかりません。急に首都をヤンゴンからネピドーという森の中に移動させました。実はミャンマーと日本はかなり深い関係です。女史の父親のアウン・サン将軍は日本の京都大学で学び日本名も持っていました。女史も息子さんも京都大学で学んでいます。日本語はかたことは話せるそうです
。女史率いるNLD(国民民主化運動)と軍事政権は一度選挙をしています。が、大差で民主化運動家達が勝った為に軍事政権は「この選挙は無効だ」と宣言して一度も「国会」も「議会」も開いていません。また軍事政権は親日派閥が多いです。日本はビルマに援助しています。後は中国と北朝鮮です。北朝鮮は金がありませんのに?ですか?それは「核兵器開発技術」と引き換えにビルマ(ミャンマー)に「資源をよこせ」ということです。
ミャンマーの軍事政権はポリシーや確固とした何かがありません。
そしてここに至ってミャンマーの軍事政権が北朝鮮の技術支援で核兵器を開発していることが明らかになりました。アジア諸国ではその情報でもちきりです。
アジアの中のお金持ちは日本人が一番のような感じです。が、違います。世界の100万ドル以上持っている人は日本24人、インド36人ですから。またインド自動車の「nano(ナノ)」20万円などあります。インドは急激に経済成長しています。(*菅首相は25日、インドのシン首相と首相官邸で会談し、経済連携協定(EPA)の締結で合意しました。また、経済や安全保障など広範囲な分野で連携する「戦略的グローバル・パートナーシップ」を強化する方針でも一致。両国の閣僚による「経済対話」を設置し、政府間のハイレベル交流を進めることも申し合わせました。インドは元々民主主義国家ですし、日本との関係性には心のわだかまりがありません。ゆえに、これから一気に関係性が強化される可能性もあるでしょう。インド経済の特徴としては、例えば中国の製造業のように、極端に強い業界がないという点にあります。だから、今回インドとの間に経済連携協定(EPA)を締結しても、「実害」は少ないはずだと日本側は判断していると思います。
 ただ、ソフトウェアやメディカルの領域で自由化が進むと、日本にとっても無視できない影響が出てくる可能性はあると私は見ています。インドの主な輸出入品を見ると、輸出では「宝石・宝飾品」が1位になっています。これは国内で作った「宝石・宝飾品」をUAEなど中東向けに輸出している結果です。ドバイやアブダビでは、アラブのお金持ちがインドで作られた宝飾品を大量に買い付け、それを自宅に飾っています。
一方、輸入は「原油・石油製品」、宝飾品を作るための「金、銀」、「電子機器」が多くなっていて、輸入相手国は中国が1位、UAEが2位となっています。
 日本は輸入相手国・輸出相手国として、どちらも11位になっていて、インドとの関係において「出遅れている」と言わざるを得ないでしょう。
 輸入相手国としては、韓国(10位)にさえ今の日本は及びません。韓国は、インドに対して積極的に自動車や電子製品を輸出していますが、日本勢では唯一スズキだけが80年代からインドで現地生産を始めるなど先行しているに留まっています。
 日本のインド進出については、まだまだこれからといった状況ですが、今後の可能性については注目すべきでしょう。菅首相とベトナムのグエン・タン・ズン首相は31日、ベトナム南東部で計画されている原子力発電所の建設について、日本が請け負うことで合意しました。
 原発を初めて導入する新興国で日本が建設を受注するのは初めてです。また両首相は、中国から輸出制限を受けているレアアースについても共同開発することで合意しました。
 日本とベトナムの関係が一気に強化されたような印象を受ける人もいるかも知れませんが、まだ現段階では「決定的」ではないと私は思います。ベトナムはロシアから2基の原発の輸入をすでに決定していて、日本が原発を輸入する初めての国というわけではありません。また今回の原発の発注にしても、ズン首相は戦略的なパートナーシップ関係の構築のため、日本から原発を購入すると述べていますが、最終的な値段は未決定という状況です。最終的な値段がいくらになるのか、日本から何を輸出できるのか、現地生産比率をどのくらいに定めるのか等、決めるべき事項は未だ沢山残されています。
 色々と条件を加えられた挙句、交渉がご破算になる可能性もないとは限りません。
 また菅首相は、ラックフェン港建設をはじめとする5案件に対し約790億円の円借款供与を表明しています。この円借款について、私は一つ懸念を持っています。それは今後の日本経済の行方次第では円がハイパーインフレを起こす可能性があるということです。
 その事を踏まえるとリスクをヘッジする意味で、私としてはユーロと同じようなアジアの通貨バスケットを作ってはどうかと思います。もしハイパーインフレが起きてしまったら、「円」で返済されても意味はありません。円借款は「円建て」になることが一般的ですが、これを契機にベトナム通貨も含めてアジアの通貨バスケットを検討する価値は大いにあると思っています。*は大前研一先生講演より引用)インドの面積は3293km、日本の8・8倍です。人口11億人、首都ニューデリー、通貨はルピー、1ルピー2円くらいです。インドは急激成長しています。これから発展する国はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)です。また日本は2010年いっぱいか2011年あたりで中国インドにGDPで抜かれます。実は今はG730兆円BRICs10兆円です。が、2039年にはBRICsがG7を抜きます。インドの成長率はIT産業などです(あるひとは(自称・インド人)インドのITはGDPの5%だ。と言う。誰もIT産業だけでインドが経済成長したなんて言っていません)。ITとはイ
ンフォメーションテクノロジーです。プログラマが増えています。
何故かというと過去のカースト制度(階級制度)が関係しています。カースト制度は1950年に禁止になりました。カースト制度はピラミッド体型で、上から「バラモン(僧侶)」、「クシャトリア(王族や軍人など)」、「ウ゛ァイシャ」、「シュードラ」などです。
1950年に廃止になりましたけど地方ではまだ残っています。ITはカーストが決まってないからチャンスがあるとプログラマが多くなる訳です。国会議員や俳優も自由になれるけどIT産業はビックチャンスがあります。インドドリームです(自称インド人のかたのコメントでカースト制度の枠外つまりカースト制は経済発展と関係ないと言う。が、違います。確かにカースト制度はとっくに廃止されたものの地方でまだ残り臭と言うかやはり自由のない社会が残っていて、だからカースト制でビジネスチャンスを狙ってプログラマになるひとが多いって意味付けです。それにしてもコメントは本当にインド人の方でないです。またイタズラコメントの酒井正己や外務省関係者です。それに文句があるなら情報源の池上彰さんに言ってください)。またIT産業のインド人の強みは「数学力」です。日本なら9x9ですがインドは20x20とか18x15とか99x99とかすぐに答えられる「数学力」を持っています。
インド政府も99年にIT産業省庁がつくられ、IT産業技術者を増やしています。インド工科大が有名です。
インドはヒンズー言語が公用言語ですが、22言語も別にあります。が、一番は「英語」です。(インドは昔イギリスの植民地であったから)英会話ができる訳です。英会話ができればアメリカカナダでもビジネスができる訳です。
またインドの強みはアメリカ合衆国とインドの時差が12時間あるということです。例えばアメリカ合衆国のシリコンバレーで夕方eメールをインドに送って、(インドは朝)アメリカ合衆国シリコンバレーで早朝出勤するとインドからプログラムが出来てeメールで送られている訳です。インド人の人件費も安いから充分にペイする訳です。またアメリカ合衆国のコールセンターラインはインドにあります。英語が堪能なのと人件費が安いからです。インドにはアメリカンドリームのようなインドドリームがあります。日本は少子高齢化社会で団塊の世代や団塊の世代の子供しか人口が増えていません。中国も「ひとりっ子政策」で子供がかなり少なくなっています。しかし、発展途上国のインドは若い子供の人口が増えています。かつて、日本も高度経済成長期にはそうでした。
またインドの暮らしですが、かつては経済格差が激しかったが年収40万円の中間層(日本の物価の1/5)
日本の高度経済成長期と同じです。三種の神器(テレビ、洗濯機、車)…インドが今その状態ですね。インドドリームがあります。人口は日本の10倍…数は力なりです。インドでは日本製品や中国製品も売れているが、インド製品の携帯保有者は4億台、5年には9億台になる訳という。年収40万円の中間層は1億円以上です。都市部ではショッピングモールが増えています。ミネラルウォーター50円、鉛筆10円です。またインド製品の自動車「nano」は運転席の隣の席のミラーやバックミラーがありません。何故なら車の渋滞が多いからです。日本では安全性の問題で販売出来ないと思う。野良牛もいますね。何故ならインドではヒンズー教で偉い神の乗り物ということで牛は食べないからです。だから牛が増える訳です。またインドは中国と昔(中印戦争1954年から62年)戦争をしていました。だからインドは核兵器を開発します。なお、カシミール紛争を抱えて仲の悪いパキスタンも核兵器を開発する
訳です。だが、今のインドと中国は和解して仲良しになりました。またインドは親日的で第二次世界大戦終結後(ナチスドイツ帝国日本の敗北)でアジア諸国は「日本は謝罪金を払え」というけどインド政府は払わなくていいといいました。インドはなんら被害を受けていないかららしいです。かなりインドと日本は仲良しの国です。
 

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