どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

庭で終わった今週末

2010年10月03日 | 日記
昨日と今日にわたって 庭師が入った

私は 至極単純な希望を述べて あとは彼に任せてしまう

髪を切りに行った時と同じで こざっぱりとやってくれ それだけ

あとは お三時のお茶菓子を出した時に ちょっと会話をする程度だ

それでも 彼が我が庭を奇麗にしてくれているかと思うと 私も午後から飲んだ呉れるわけにもいかない

家事に専念した

おかけで この二日間でかなりはかどった(しかも 労働者の気分も抜けなかった)


私は今 子供の頃の庭に戻そうと考えている

小学生の子供が8人ほどいて 缶ケリを楽しめるような庭だ

門から玄関 そこを境に庭に

そうしてそこには昔 小さな木戸があって その上にはバラのアーチがあった

あれは いつから無くなったのか


砂場があったのも はっきりと覚えている

そばにはブランコもあって それは公園のものと遜色ないものだった

新宿からこの地に越した父にとっては 当時は相当未開発な場所だったに違いない

娘たちが この狭い土地の中でも十分楽しめるようにと 全て作ってくれたものだ


父が結核から生還したあと それが母にうつったのだろう(生還しなければ 私はこの世には居なかったのだ)

母は 検査をしたり寝込むことが多かった

ある時 お留守番のご褒美に 白いクマのぬいぐるみを買ってもらった

それを幾度 そのブランコに乗せてこいだことか

落ちるたびに あんたってだめね~と思いながら 土を払って 何度も何度も乗せた


私たちが少し成長してから 父は ブランコの鉄柱に鉄棒をつけてくれた

そこで 逆上がりだの 懸垂だのをした

元々小柄で身軽だった私は 得意のものだった


夏休みの仕事は 庭の水撒き

何箇所も蚊に刺されながら(今では一箇所でもおぞましい程なのに)

はっきりとは覚えていないのだが 水量と角度に関することで 夏休みの自由研究を提出したこともある

いい加減な独創性が災いして校長賞をもらい その時の実験材料を持ってこいということになって・・・ 

慌てて 錆び付いた 新潟のお土産の柿の種の缶を持っていった記憶がある

恥ずかしいこと この上なかった


今では 子供の頃には無かった木が かなり繁っている

そういえば 父が セミの抜け殻だの どんぐりだの・・・とても嬉しそうに話していたのを思い出す

ガマちゃん(ガマガエル)が出てきた なんていうのも 大事な我が家のニュースだった

雑草は別にして 父は この庭で生まれる命全てに 等しく愛情を注いでいた

(それで 私は今 非常に難儀しているのだが)


此処に居を構えたばかりの頃 まだ30歳にもならない母が いつか この庭で孫も遊ぶのかしらと父に言ったら

馬鹿馬鹿しいという様な顔をしたといって 後年まで根に持っていた母だったが

まぁ どうあれ 甥っ子はこの庭で遊んだ
 

私にとっては こういう庭なのだ

どんなに多く見積もったところで 50年を待たずして消える

今では私がどうしたところで 誰からの責めも受けないのだが 面倒でもあり ありがたくもあり 

まぁ そんなこんなで 私の今週末は終わりのようです
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一日仕事の墓参 | トップ | あまり賢くはない似た者親子 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事