どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

佐理さんの「離洛帖」

2021年10月12日 | 日記

今月に入ってから暑い日々が続いていたが 雨模様の今日は一転 やっと涼しくなる

 

日本史は国風文化のところまできた

日本史といっても 政治史もあれば経済史・外交史など色々あるが 私は文化史が一番好き

それでも 反射的に固有名詞と時代と簡単な説明が結びつけばそれで十分といった暗記重視の学び方だったので 今 あちこちにひっかかり 立ち止まりながら進むことが面白い

今日は 三蹟についてちょっと楽しいものを見つけた(楽しいものを見つけるのが一番の目的かもしれない)

三蹟というのは 前世紀に活躍した能書家三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)に対する新御三家 小野道風(みちかぜ・通称とうふう)・藤原佐理(すけまさ・通称さり)・藤原行成(ゆきなり・通称こうぜい)をいう

小野道風は 花札の11月の札(雨)に 柳の枝に飛びつこうと試みるカエルとともに描かれていることでよく知られている

小野妹子の子孫でもあることから 彼は有名人だけれども 他の二人に関しては名前だけ記憶しておけばいいやという程度だった

 

前世紀の空海は 弘法大師として「弘法にも筆の誤り」という言葉で誰もが知る人だけれど 「風信帖」というと知る人は少なくなるかもしれない

空海が最澄にあてた手紙が「風信」から始まるからで 「風のごときお便りを開いて読むと 雲や霧の晴れる思いがします」と書いているのだが 正直 私はそこまで知らなかった

空海は最澄よりも年下だが この格調高き書状の始まりには相手に対する尊敬の念と静謐な空気を感じる

のち 最澄と空海は互いの思想から相容れない関係になるのだが・・・

 

それはさておき この「風信帖」と肩を並べる現存するものが藤原佐理の「離洛帖(りらくじょう)」(これも知らなかった)

後世にも名を残すような能書家は いったい何を書いたのか

これが傑作

この人 大酒飲みの怠け者 失敗も数々あるようなお人で そのせいだろうか 大宰府へ飛ばされた

京都を離れて赴任する時「藤原道隆さんに挨拶するのを忘れたから どーかひとつ 謝って宜しく言っておいてね」と 甥の藤原誠信にあてて書いた詫び状の始まりが「離洛」

こんなものを国宝にされて 天国でどう思われています? 佐理さん!

残っている5通の書状のうちの4通は こうしたお詫びやら愚痴やらだと聞くと 能書家であったことが良かったのかどうか

カエルが柳の枝に飛びつこうと何度も挑戦する姿に 僕も頑張らなくっちゃ と思う小野道風はなかなかとは思うけれど ダメダメ公務員でも筆をとらせたら超一流という佐理さんだって どこか憎めなくて愛らしい   

コメント (2)
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