とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『ヒトラーに盗られたうさぎ』を見ました。

2021-01-31 08:53:55 | 映画
 映画『ヒトラーに盗られたうさぎ』を見ました。ドイツに住むヒトラーに批判的だったユダヤ人家族が、亡命し引っ越しを繰り返すお話です。出会いや別れの中で、成長していく姿が描かれています。とてもいい作品でした。

 原作はドイツの絵本作家ジュディス・カーが少女時代の体験を基につづった自伝的小説「ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ」です。

(あらすじ)
 1933年。ベルリンで両親や兄と暮らす9歳のアンナは、ある朝突然、「家族でスイスに逃げる」と母から告げられる。新聞やラジオでヒトラーへの痛烈な批判を展開していた演劇批評家でユダヤ人でもある父は、次の選挙でのヒトラーの勝利が現実味を帯びてきたことに身の危険を感じ、密かに亡命の準備を進めていたのだ。持ち物は1つだけと言われたアンナは大好きなピンクのうさぎのぬいぐるみに別れを告げ、過酷な逃亡生活へと踏み出していく。その後、家族は生活のためにパリ、イギリスへと居を変えていく。それぞれの土地で出会いと別れがあった。

監督 カロリーヌ・リンク
出演 リーバ・クリマロフスキ、オリバー・マスッチ、カーラ・ジュリ。マリヌス・ホーマン

 戦争という暴力は人間を分裂させます。人間関係を分裂させるとともに、一人の人間の心も分裂させてしまいます。自分を維持していくのが難しくなります。主人公の少女もたくさんの別れがあり、それが自分を粉々にしてしまう思いに感じられたはずです。

 しかし彼女はなんとか自分を維持し続けます。主人公の少女がスイスから離れる時、友達になった少女に「亡命には別れがつきもの。」と言います。自分の境遇に不満を持ちつつ、それを前向きにとらえようとする少女の姿がとてもせつなくいとおしく感じられます。

 彼女を維持させてくれたのは家族の愛であり、そして周りの人たちの愛です。つらい時こそ人を慈しむ心が必要になるのだと改めて感じさせてくれる映画でした。
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間宮中尉の手紙(『ねじまき鳥クロニクル 第2部予言する鳥編』を読みました。その1)

2021-01-28 17:27:48 | 村上春樹
 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル 第2部予言する鳥編』を読みました。心に引っかかったところを書いておきます。その1回目。

 第2部に入ると「僕」の妻が姿を消します。同時に様々な謎の中に「僕」は導かれていきます。

 「僕」は妻の兄の「綿谷ノボル」と会います。もともと「綿谷ノボル」と「僕」は相性が悪かったのですが、ここでもやはり「僕」は「綿谷ノボル」の言動にうんざりします。

 「僕」は「下品な島」の話を始め、「僕はあなたを見ていて、その下品な島の話をふと思い出したんです。」と言います。そして次のように続けます。

「ある種の下品さは、ある種の淀みは、ある種の暗部は、それ自体の力で、それ自体のサイクルでどんどん増殖していく。あしてあるポイントを過ぎると、それを止めることは誰にもできなくなってしまう。たとえ当事者が止めたいと思ってもです。」

 「僕」の言う下品さは、私には「権力」に思われました。つまり綿谷ノボルは「権力」のメタファーのように思われます。

 困難なことを成し遂げようと思えば権力があれば便利です。ですから人は権力を求めます。しかし権力は人間を歪め、世界を歪めてしまいます。一度出来上がった権力は暴走してしまい、手に負えなくなるのです。国家の暴走が始まり、戦争に向かいます。ここは権力のいびつさを語っている場面のように感じられます。
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映画『声優夫婦の甘くない生活』を見ました。

2021-01-25 17:35:48 | 映画
 イスラエル映画『声優夫婦の甘くない生活』を見ました。環境が変わると思うようにいかないことが多い。そんな中で何を大切にすべきなのか。第2の人生について考えさせられる映画でした。

監督 エフゲニー・ルーマン
キャスト ウラジミール・フリードマン マリア・ベルキン

(あらすじ)
 イラク戦争の影響でソ連からイスラエルへ移民したヴィクトルとラヤ。2人はソ連に届くハリウッドやヨーロッパ映画の吹き替えで活躍した声優夫婦だった。第2の人生を謳歌するつもりで移民をしたものの、イスラエルでは声優の需要がないという現実に直面してしまう。生活のためにラヤは夫に内緒でテレフォンセックスの仕事に就き、思わぬ才能を発揮し、一方のヴィクトルは、違法な海賊版レンタルビデオ店で再び声優の職を得る。なんとか生活を軌道に乗せはじめた2人だったが、妻の秘密が発覚したことにより、お互いが長年気付かないふりをしてきた夫婦の本当の声が噴出し始める。

 私たちは自分の環境の中で自分たちの居場所を見つけます。その居場所で自分の生きる術を模索するのです。若いうちならばまだ方向転換もできます。しかしある程度年を取ると、自分の生き方を変えるのは困難です。定年後の生活がうまくいかない人が多いのもそのためです。

 人間は自分の能力を生かして自分独自の仕事をしたいと考えます。たとえ環境が変わっても、人間の価値観はどこでもかわらないと思ってしまい、多少時間はかかってもうまくいくと思ってしまうのです。しかしそううまくはいきません。世の中のためになるような仕事をしたいと思いながら、それができない時、自分を見失います。それはつらいことです。そんな時にどう自分を立ちなおしていくのか。自分の今後の生き方を考えさせられた映画でした。

 登場人物の人生の機微を感じさせるいい作品です。

 この映画の製作者たちは、それでも映画の普遍性を信じています。映画製作者の思いも詰まった作品でもありました。

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間宮中尉の長い話(『ねじまき鳥クロニクル 第1部泥棒かささぎ編』を読みました。その3)

2021-01-24 08:22:30 | 村上春樹
 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル 第1部泥棒かささぎ編』を読みました。心に引っかかったところを書いておきます。その3回目。

 第1部の最後は「間宮中尉の長い話」です。間宮中尉というのは「本田さん」とノモンハン事件のあった満州とモンゴルの国境付近で、とある作戦に参加させられ危険な目にあいながら、「本田さん」とともに奇跡的に生還した人物です。「本田さん」は「僕」とクミコの結婚を後押しした人で、予知能力がある人です。

 間宮中尉は「本田さん」からの遺書を受けとり、「僕」のもとへ形見分けに訪れます。そこで戦争時代の思い出を語ります。

 ナラトロジーの視点で言えば、この語りは、「僕」の一人称語りに入れ子型で取り入れられた一人称語りになります。

 間宮中尉の語りはこの小説で異質です。戦時中の体験談であり、非常に重く厳しい内容です。人間の皮を剥ぐシーンなどは、読んでいて気持ち悪くなります。

 この中でやはり注目してしまうのは井戸のシーンです。井戸が伏線としてあったからです。井戸が何を表しているのか。読者は井戸がこの小説の解くカギとなっているような気にさせられます。間宮中尉はロシアの将校に見つかり、カラ井戸に放り込まれます。間宮中尉は死を見つめながら井戸の底にいます。結局「本田さん」が間宮中尉を助けて帰国することになります。この井戸のシーンは何か大きな意味を求めざるを得ません。
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オリンピックの中止はもう決まっているのでは?

2021-01-23 08:40:22 | 社会

 最近オリンピックの中止の報道が海外から発信されている。政府やIOCは否定しているが、実は本当に決まっているのではないかと思われるふしがある。私がそれを感じたのは野村萬斎さんなどの開会式の演出チームが解散したということである。これはオリンピック中止の流れができたからであろう。

 世論調査でも中止はやむなしという意見が圧倒的に多い。多くの人はオリンピックを開催することは望ましいが、現実には無理ではないかと考えている。そもそもオリンピック開催に反対の人もいる。しかし圧倒的に多いのはオリンピックを楽しみにしていながら、今年の開催に否定的に考えている人だ。その考えは新型コロナウイルスの状況を見る限り妥当である。だとしたら経済的な損失やアスリートに対する最低限の配慮として早く判断したほうがいいに決まっている。

 しかし政府としてはオリンピックの中止は支持率の低下につながる。だから、政府は支持率をさげないような姑息な努力をしているのではないかという懸念も出てくる。中止やむなしという世論を作り上げ、政府としてはやるつもりだったが世論に従う形にして責任を世論に押し付けようとしているように見えるのである。オリンピックの1年延期という安倍政権の決断であった。もし中止になってしまえば日本政府の判断ミスであったということになる。その判断ミスを何とかごまかそうとしているのである。

 海外からの報道では、日本が2032年にオリンピックを開催するということも併せて紹介されている。それはそれで一つの案である。しかし日本の思惑だけで決定できるものではない。日本政府は国際世論を2032年日本開催に誘導しているのかもしれない。

 まさかとは思うが、もしかしたら今年のオリンピックは中止して、2032年にオリンピックに立候補するということを宣言し、この是非を問う形での衆議院解散を考えているのかもしれない。こんなえげつない方法でも取らない限り、この政権を維持できるとは思えないからだ。

 オリンピックが中止になるとすれば残念ではある。選手の気持ちを考えればいたたまれない。しかし多くの人が新型コロナウイルスで振り回され、さらに経済的な打撃を受けているのだ。オリンピックだけを特別扱いにするわけにはいかない。
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