とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

教員という仕事に魅力を取り戻すために必要なこと

2023-06-29 08:48:01 | 教育
 中教審(中央教育審議会)の「質の高い教師の確保」特別部会は6月26日に第1回会合を開き、そこで貞廣斎子部会長が「(教員の働き方改革について)直ちに取り組むべき施策に関し、他の検討事項に先だって整理を行うことにしたい」と述べたという。おそらくこれまでと同じように理念だけを語り、現場に丸投げする改革案に終わってしまうだろうと懸念されるが、まずは見守りたい。緊急に実効性のある改革をやってもらいたい。

 一方で「教員がいかに魅力的な仕事である」ことを緊急提言で発信すべきと述べる委員もいたという。それは無理だ。魅力がないから成り手がいないのだ。魅力がないものに魅力があるといったらうそになる。やらなければいけないのは教員に魅力を作るということである。

 教員になりたい人間の多くは、大学で専門的に学んできた分野の学問が好きな人である。そしてそれを教えることが好きな人である。だとしたら必要なのは教員になってからも勉強する機会が十分とれるということである。具体的には週に1回大学で勉強することができるとか、夏休みに研修する期間が十分とれるなどということだ。

 大昔、教員の魅力は夏休みがあるということだった。実際大昔は夏休みは教員はのんびりと自分のやりたい勉強していた。しかし夏休みにもいろいろな仕事が増えすぎてしまい、現在は十分に休める教員はいない。ましてや研修なんかできっこない。

 この改革に必要なのは、もちろん教員の仕事量の軽減である。さらに研修のふりをして仕事をさぼる人間を厳しく罰することである。

 やる気と能力の高い教員を教育現場に戻すためには、やる気と能力の高い人材に魅力のある仕事にしなければならない。そういう視点での改革が必要である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎は「普通の演劇」です。(「この物語は壮大な歌舞伎なのかもしれない」ってどういうこと?)

2023-06-27 18:27:36 | 社会
市川猿之助さんが逮捕され、切ない気持ちになります。猿之助さんも犯罪を犯したのだから非難されるのはと当然だとは思いますが、とは言え事情が複雑で、簡単にコメントを出している方々の気持ちが理解しがたいところがあります。「猿之助」の名跡について今いうべきことではない。

ネットを見ていたら東国原英夫氏が市川猿之助さんの逮捕について「この物語は壮大な歌舞伎なのかも知れない」とツイートしたというニュースが出ていました。何を言っているのでしょう。「歌舞伎」を何だと思って言っているのでしょう。

以前、私は「風の谷のナウシカ」を歌舞伎が行った公演を厳しく批判しました。しかし一方ではこの公演を評価しているコメントがはるかに多数目にしました。「歌舞伎だからこそできた」というような言い方をしている人も多くいました。歌舞伎が特殊な芸能だと勘違いしているのではないかと思えてきました。

確かに歌舞伎は大げさですし、普通ではありえない筋のものもあります。古典作品の多くはセリフの聞き取りも難しく、しかも意味も理解しがたいものも多くあります。内容がわかりにくくとっつきにくいと感じている人も多くいると思います。

しかし歌舞伎は普通の演劇です。人間を描いています。現代にも通じるから上演しているのです。歌舞伎の中の人間は、現代人と同じです。これからの歌舞伎はどうあるべきかは別次元の問題としてあるかもしれませんが、決して特殊な古典芸能ではありません。

猿之助さんの逮捕が「壮大な歌舞伎」だという発言は何を言っているのかわかりません。歌舞伎をバカにしているようにしか思えません。もっとわかりやすく言い直していただきたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を見ました。

2023-06-26 05:14:49 | 映画
映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を見ました。公然と行われていく性暴力に戦いをいどむ女性たちの映画でしたが、現実離れしていつように見え、あまり入り込むことができませんでした。

2010年。アメリカの特殊な古い生活をし続ける村の物語。その村では女性たちが男性に性暴力が頻繁に行われていました。男性の暴力に怒りを覚えた女性たちはその対応を投票で決めようとします。「男性たちを許す。」「男性たちと戦う。」「逃げる」の三択です。「男性たちと戦う。」と「逃げる」が同数になります。対応を三家族が討論をして決めることにしします。女性たちの討論がはじまります。

私はこの設定に無理を感じてしまいました。現代のアメリカの社会でこのような事件が起きるとは考えにくい。実際調べてみるとボリビアでの事件を題材にした小説を基にして作られえているようです。さらには大げさに出ていく女性たちを引き留めようとする男性たちの姿もありません。絵空事のように感じられてリアリティを感じないまま終わってしましました。

おそらくそれは監督がねらったものだったものだとは感じます。途中で大音量で「デイドリームビリーバー」を流しながら村を訪れる国勢調査の車の不思議なリアリティがそれをしめしてはいます。しかし私にはしっくりきませんでした。

現代の女性たちの立場の映画となっていたのか、逆に男性が自分を相対化し社会観念を顚倒することができるのか、その点から考えてみても、私にはすっきりとはしない映画でした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスメディアの広末涼子さんへの「いじめ」

2023-06-24 11:38:47 | 社会
 広末涼子さんが不倫をしたということで大騒ぎになっている。マスコミの対応が見苦しい。

 私は広末さんのファンではないし、ひとつひとつのネット記事の中身やワイドショーも見ていない。だから詳しいことはわからないが、明らかなのは広末さんは犯罪を犯したわけではないことであり、だとすればそれは家族の問題だということである。それぞれの家族はそれによって大いに苦しんでいるはずである。しかしネットやワイドショーは大騒ぎをやめようとしない。一体なぜそこまでしなければいけないのであろう。

 これを書くためにネット記事を2,3確認してみた。するともはや週刊文春の記事をもとにした憶測記事でしかない。そして広末さんをたたけばいいという態度しか読み取れない。日本人みんなでの集団いじめとなっている。ここまできたら広末さんよりも、マスメディアのほうが見苦しい。憶測で人間を中傷すればそっちの方が大問題だ。

 これまでも不倫についてはマスメディアが大きくさわぐことがあった。そのたびに日本の集団いじめ状態を非難してきた。今回も同じだ。もっと問題とすべき話題はたくさんある。それなのに「いじめ」に手を貸す日本のメディアの態度は改めていただきたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教員の多忙化がようやく大きく取り上げるようになってはきたが

2023-06-21 09:23:19 | 教育
 教員の多忙化、教育改革の必要性については何度かこのブログで書いてきた。私のブログなどはあまり多くの人が見るわけではないが、数多くの人が教育現場の現状の悲惨さを訴えることによって、ようやく大きな事件なのだということに気づき始めたようである。しかし、問題の本質を見誤ってはいけない。今の教育の一番の問題は小手先の改革ではどうしようもないのだ。必要なのは教育予算の大幅な増額なのであり、それなくしての改革は意味がないということである。

 きょうも
「学級崩壊、教員の多忙化、理不尽な保護者、ブラックな学校を変える唯一の方法」
というタイトルのJBPressのネット記事が出ていた。そこでは有名な教育学者の佐藤学氏の意見が紹介されていた。

 記事を引用する。

 質の高い教育をすべての子どもに提供するには、探究と協同を中心とする「協同的学び」が不可欠だ。
 同時に、学校改革を進めるには、学校という場を保護者や地域に開放し、保護者や地域との協同を進める必要があると教育学者の佐藤学氏は説く。
 疲弊する教育現場にはシニシズム(冷笑主義)が広がっているが、そこから抜け出すには、実践を通して新しい事実をつくる以外にない。

 佐藤氏が言っていることは正しいのかもしれない。(実は私は本当に正しいのか疑問に感じている。「協同的学び」はいいと思うのだが、東大の教育学の連中が無理やりにいろいろなところでそれを広めてしまったから、現場の混乱が起きていたのも事実である。理論を実践するのはそう簡単ではないということを、インテリ教育学者がわかっていないというのも大きな問題なのである。)しかし、それを実践するには時間と労力が必要である。とくにこの場合は現場と保護者と地域をつなぐコーディネーターが絶対に必要になる。これができる専門の職員を雇わない限り、成功するはずがない。

 もはや現場は限界にあるのだ。小手先の改革ならば多忙化を推進するだけだ。現場が崩壊するだけなのだ。まずは職員を増やし、いらない仕事をなくし、教員がやりがいのある仕事になることを最優先していただきたい。そのためには教育予算の大幅な(総理の好きな『異次元』のという言葉をつかってもいいので)増額が必要なのだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする