とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

鼓童ワン・アース・ツアー2016~螺旋

2016-09-30 18:45:44 | ライブ・コンサート
 9月27日、山形市シベールアリーナ。

 基本的に太鼓だけの演奏パフォーマンスである。太鼓のリズムはなぜか心地よく響いてくる。最初は集中できなくて別のことを考えたりもしているのだが、いつのまにか瞑想状態に引き込まれていく。おそらく音は聞くものの心臓の鼓動と共振し、音の世界に直接つながっていくからであろう。しかし、その鼓動は変化をもたらし、次第にクライマックスに向かう。怒りではない心地よい高揚感に満たされていく。

 すばらしいパフォーマンスだった。
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映画評『ハドソン川の奇跡』

2016-09-29 07:18:07 | 映画評
 監督、クリントイーストウッド。主演、トムハンクス。

 すばらしい映画だった。

 2009年、ラガーディア空港を飛びったったUSエアウェイズの飛行機がバードストライクによるエンジントラブルの見舞われる。左右のエンジンとも作動しなくなり,ラガーディアに戻ろうとする。しかし機長は飛行高度が低く間に合わないと判断する。そしてハドソン川に緊急着水する。乗務員、乗客は全員助かり、機長は「時の人」となる。しかし、事故調査委員会が開かれ、事故調査委員会のメンバーはシュミレーションではラガーディアに引き返すことが可能であったと告げる。機長は自分の判断に自信を持っていた。しかし本当に自分の判断が正しかったのかと不安に苦しめられるようになる。この不安こそがこの映画の主題である。

 人はだれでも自分を信じて行動している。しかし客観的に見ても自分は正しい行動をしているのかと問われると不安を覚える。自分を本当に信じていいのかという心の揺れは、誰にでもいつでも起こることなのだ。この機長のような劇的な体験はしないかもしれない。しかし、この機長のような精神的な苦しみは誰もが経験することであろう。そしてこの苦しみからのがれるためには、やはり自分を信じるしかない。自らに誇りを持ち、自分を信じ切ることが大切だと、この映画は教えてくれた。

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所信表明演説のスタンディングオベーション

2016-09-28 07:40:22 | 政治
 安倍首相の所信表明演説の際、自民党議員がスタンディングオベーションをしたことについて問題になっている。私もニュースで映像を見て大変異様な感じがして、嫌悪感を持った。

 スタンディングオベーションが日本の国会にはなじまないとか伝統がないという意見もあるようだが、私はスタンディングオベーションが本当に感動してのものならばやってもいいと思う。国会だって変わるべき時は変わってもいい。しかし今回のものはあきらかに事前に打ち合わせのあったやらせであった。あの瞬間の安倍氏は金正恩と同じように見えた。いつのまにか日本は安倍独裁が始まったのかと感じさせれたのである。この異様なイメージは後々まで残るであろう。

 スタンディングオベーションが起こったのは安倍氏の
「今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務にあたっています。彼らに対し、今、この場所から心から敬意を表そうではありませんか。」
という発言の後だった。海上保安庁や警察、自衛隊の人たちの貢献に異論はありませんが、国のために働いているのは彼らだけではない。この発言後のスタンディングオベーションには別の意図が働いていたのではないかということが想像してしまう。この得体の知れない権力こそが軍国主義につながっていくのではないかという懸念を持ってしまうのである。

 安倍氏は外交面でかなり頑張っていると思う。しかし経済政策は何も結果をだしていない。なによりも心配なのは言動が「おこちゃま」すぎるということだ。ぜひ、日本人だれからも尊敬される総理大臣になってほしい。

 ついでに言えば、自分もスタンディングオベーションしておきながら、次の日ちゃっかり、
「あれはないよね。」
 と言ってのける、小泉進次郎も「おこちゃま」だね。
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現代文の参考書シリーズ 言語論4 言葉が世界を作っている例3

2016-09-27 21:14:07 | 現代文の参考書
〔具体例3 「愛」ってどんな気持ち〕

 「愛」という言葉があります。「愛」ってどんな気持ちでしょう。

 三省堂の「新明解国語辞典」では次のように説明しています。
「個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情。」
 どうも長いだけで、わかるようでわからない説明ですね。私たちは「愛」という言葉を普通に使っているので、いざその意味を問われるとうまく説明できません。あまりに当たり前すぎて説明できないのです。その「愛」の意味を少し考えてみましょう。

 一番最初に思い浮かぶのが「恋愛」の「愛」です。そして次に「親子愛」とか「動物愛」のような場合の「愛」を思い浮かべます。この「恋愛」の「愛」と、「動物愛」の「愛」は同じ感情でしょうか。どう考えても違う感情ですよね。それなのに「愛」という同じ言葉で表現されるので、共通しているもののように感じられます。確かに「他者をいとおしく思う気持ち」という意味で共通していると言えるかもしれません。しかし、「友情」という気持ち同じように「他者をいとおしく思う気持ち」であり、なぜ、友情に「愛」という言葉を使わないのかうまく説明できなくなるのではないでしょうか。

 こう考えると、必然的な理由によって「愛」という言葉があるのではないということがわかります。友情には「愛」という言葉を使わなかったのは偶然の要素でしかないと思われます。

 「恋人同士」「親子」「動物」に対しては「愛」という言葉を使って、「友達」には使用しないというのは筋の通る理由なんかありません。なんらかの偶然的な理由によって「愛」と表現してきたものと、「愛」という言葉を使わなかっただけなのです。タマタマなのです。様々な感情を「愛」という言葉によって一つのカテゴリーに分類し、一つのものとしてとらえているだけなのです。

 つまり「愛」という言葉によっていろいろな感情の中の、いくつかの感情が一つの感情として存在しはじめていると言えるのです。
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現代文の参考書シリーズ 言語論4 言葉が世界を作っている例2

2016-09-26 19:17:06 | 現代文の参考書
〔具体例2 「灰色」ってどんな色?〕

 似た例をもうひとつ。色のことです。

 「灰色」ってどんな色なのでしょうか。

 「黒」と「白」はだれもがはっきりしているので問題ありません。しかし、その間にあたる灰色は、かなりの幅があります。「薄い灰色」もありますし、「濃い灰色」もあります。「薄い灰色」と「濃い灰色」を並べてみると、明らかに違う色です。イメージも違うし、ファッション業界の人や、インテリア関係の人にとってはその違いは非常に大きなものであろうと思われます。しかし。一般には「灰色」は「灰色」であって、普段その違いを意識しないで、「灰色」という言葉をつかっているはずです。

 ちょっと考えてみてください。「灰色」ということばを聞いてみなさん、どんな色を思い浮かべるでしょうか。おそらく十人十色、みんな濃さの違う灰色を思い浮かべているのではないでしょうか。しかし、その思い浮かべた灰色を特に意識して区別しない限り、みんな「灰色」としてしか意識していないはずです。それぞれの人が思い浮かべた色を具体的に提示して、
「これ何色ですか?」
と、聞いても、だれもが、どの色に対しても、なんの疑問も感じずに
「灰色」
と答えるだけです。

 「黒」と「白」の間に「灰色」という言葉しかなければ、どんなに幅があろうと、私たちはそれを「灰色」としか認識しません。

 これは、言葉(つまり「灰色」という言葉)が、存在(「黒」と「白」の間の幅の広い色)に先立つ一つの例と言っていいのではないでしょうか。

 もし、色に対して違いが重要な社会であったなら、きっと「薄い灰色」と「濃い灰色」に別の名前を与えていたと思います。現実に今の日本の社会では重要な違いです。現実に洋服の世界では灰色を「ダークグレイ」とか「チャコールグレイ」あるいは「ライトグレイ」などと分類し始めています。

 「チャコールグレイ」とは「濃い灰色」のことです。この言葉が定着することによって、ようやく幅の広かった「灰色」が、普通の灰色と濃い灰色の二つに分かれることができそうです。このことは「チャコールグレイ」という言葉によって、すでに存在していた灰色に切れ目をつけて、新たな色を創造したということになるわけです。

 このように、さまざまなこの世の中のものは、言葉によって存在を開始し、言葉によって存在を得ていると言えるのです。
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