とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『RRR』を見ました。

2023-02-27 10:28:21 | 映画
 話題のインド映画『RRR』を見ました。見ている人を飽きさせないアクション大作で、楽しむことができました。

 植民地支配からの解放という強い信念をもった二人の主人公が固い友情を結ぶ。しかしその大義のためにお互いがお互いを裏切らなければならなくなる。そのプロットが複雑でありながら、とてもわかりやすく展開する。後出しされる秘密が見るものの興味を持続させると同時に、その秘密の中にある人間としての矜持に心動かされます。

 そしてなによりアクションがすごい。アジアの映画はアクションがどんどん進化しています。ありえないことが次々おき、その高揚感がすごい。ダンスシーンも見事です。

 良質のエンターテイメント作品であり、大ヒットしているのは当然です。

 ただし、やはり人が死にすぎです。戦争の悲惨さというのはそういうものなのかもしれませんが、娯楽映画でそんなに簡単に人が死んでいくのを見ると心が痛みます。
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『吾輩は猫である』の読書メモ⑥「第六章」

2023-02-24 08:37:16 | 夏目漱石
【暑い夏】
 暑い夏の描写から始まる。毛に覆われた猫にとって、暑い夏は窯ゆで状態だろう。恐らくその年の夏は実際に暑かったのだろう。実際のことを小説にそのまま書くという気軽さがいい。小説は自由でいい。

【迷亭の馬鹿話】
 迷亭がやってきて、勝手に水を浴びている。様々な用途のある鋏を見せびらかしたり、蕎麦の食べ方を指南したりと、おそらく作者の趣味をひけらかす。そして失恋のほら話をする。失恋の話しというよりは怪談話のパロディである。落語と言ってもいい。

【寒月の研究】
 寒月の博士論文の研究が「蛙の眼球の電動作用に対する紫外光線の影響」であることがわかる。蛙の眼球のレンズを作るために大変な労力が必要であることが語られる。そのために論文がはかどっていない。これもまた胡散臭い。

【東風の俳句趣味の劇】
 そこへ東風もやってくる。東風は俳句のような劇の脚本を作るという話をしている。また詩集を作り、その冒頭に例の金田家の令嬢、富子に捧げるという文句を書いている。みんなから嫌われている富子と東風の関係も波乱含みである。

【夏目漱石の「一夜」】
 この章で夏目漱石の「一夜」という小説が東風によって語られる。この「一夜」という作品、わけがわからない。漱石の初期の短編にはこういうわけのわからないものがある。これがどういう意図で書かれたものかを考えていくことが、今の私の関心である。。
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映画『別れる決心』を見ました。

2023-02-23 08:21:00 | 映画
 映画『別れる決心』を見ました。難解な映画で、筋がつかめず不安がよぎるのですが、映像に引き込まれていき退屈はしません。見終わった後に、もしかしたらこういう話だったのかと考えさせられる、不思議な映画でした。

 あらすじ(うまく説明できないので、ホームページの説明をそのまま引用します。)
 男が山頂から転落死した事件を追う刑事ヘジュンと、被害者の妻ソレは捜査中に出会った。取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくる。いつしかヘジュンはソレに惹かれ、彼女もまたヘジュンに特別な想いを抱き始める。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりだった・・・・・・。

 事件の真相を追うストーリーなのですが、事件の真相にせまる刑事ヘジュンと、その容疑者になるソレとの関係がよくわかりません。ヘジュンはソレをストーカーのように追いかけます。ソレは小悪魔的にヘジュンをあしらいます。二人の関係は刑事と容疑者というよりは愛人のようにも見えます。最初の事件のソレの容疑は簡単に晴れてしまいます。それはヘジュンとソレの別れということにもなります。だから再びソレが現れ、事件の容疑者となった時には、再びふたりの怪しい関係が再開します。なぜ再開するのか。それこそが謎を解くカギなのです。

 映像のほうもストーカーのように迫ります。遠くから見ているだけのヘジュンが、映像ではソレのすぐそばにいる映像になってしまうのです。事実と虚像が区別なく現れ、刺激的な映像を作り上げます。

 結局、ストーリーがまるでわからないまま進みのほうが謎です。この二人の関係が事件を解くカギになります。

 ほとんど理解できないまま見終わったのですが、しかし見終わったあと、映像が次々と思い出され、このストーリーの意味が少しずつ見え始めました。きちんと整理するにはもう一度見なければいけません。しかしこの体験にはびっくりさせられます。

 とにかくもう一度見たいと思わせる刺激的な作品でした。
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『吾輩は猫である』の読書メモ⑤「第五章」

2023-02-19 16:30:35 | 夏目漱石
 第四章から少し間が空いてしまいましたが、今回は第五章

【「語り手」の意識】
 小説の語り手は事実をそのまま書いていくわけにはいかない。語り手の意志によって省略したり、説明したり、様々な手法を駆使する。

 第五章の冒頭につぎのようにある。

「二十四時間の出来事を漏れなく書いて、漏れなく読むには少なくとも二十四時間かかるだろう。いくら写生分を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と自白しざるを得ない。」

 漱石が「語り」を小説における語りを意識していたことを示す文であろう。

【泥棒の出現】
 苦沙弥の家に泥棒が入る。犯罪小説の雰囲気があるが、やはり猫が情けないので締まらない。犯罪小説のパロディになってしまう。
この泥棒、なんと「寒月」とそっくりなのである。これは後半の何かの伏線になっているのではないかと思っていたら、結局何の意味もなかったようである。

【落語】
 警察が何が盗まれたのかについて告訴状を書くように命じられる。その時の夫婦の会話は落語調である。読んでいておもしろい。

【多々良三平】
 多々良三平という知人がやってくる。もともとは苦沙弥の家の書生であったが、今では法科大学を卒業して会社勤めしている。実業家の卵だ。泥棒に盗まれた山芋をくれた人物である。泥棒が入っても何の役にも立たない猫を食ってやるという。

【鼠との対決】
 食べられるわけにはいかない。そこで「吾輩」は猫を取らなければならなくなった。しかしうまくいかない。猫と鼠の対決は戦争小説のパロディといったところなのかもしれない。「トムとジェリー」みたいで読んでいておもしろい。
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『千と千尋の神隠し』の分析的読解8「ハンコ」

2023-02-18 08:45:37 | 千と千尋の神隠し
 国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。

 8つ目のキーワードは「ハンコ」。

 『千と千尋の神隠し』で、私にとって今一番わかりにくいのが「ハンコ」です。時系列的に整理します。

1日目
 千尋の家族が新しい家に行く途中で異界に紛れ込みます。千尋がハクによって油屋に連れてこられて、湯婆婆と契約します。ただし名前は「千」としての契約です。

 契約が終わるとハクが再登場します。千尋は最初優しかったハクが千尋のことを覚えていなかったので悲しくなります。

2日目の朝
 2日目の朝にハクが千尋を呼び出します。やはりハクは千尋のことを覚えていたのです。千尋は友達がくれたカードを見つけ、自分が千尋だったことを思い出します。

 千尋は自分の名前を忘れそうになっていたのです。千尋は油屋にもどり、ハクは白い竜になって飛び立ちます。この時、ハクはハンコを盗むために、銭婆のところに行ったことが後にわかります。

2日目の夜
 ハクはハンコを盗んで瀕死の状態でもどってきます。(ハンコを盗んだことも後でわかることです。)ハクを大量の紙の鳥が追いかけてきます。千尋の助けもあり、瀕死のハクは湯婆婆の部屋に戻ります。千尋もハクが心配で、追いかけるように勇気をもって湯婆婆の部屋に行きます。その際、紙の鳥の一つが千尋の背中につき、千尋とともに湯婆婆の部屋に忍び込みます。

 湯婆婆はハクはもう役に立たないから処理するように命じ、カオナシの対応のために階下に行きます。千尋はハクを介抱しますが、瀕死です。千尋にくっ付いてきた紙の鳥が銭婆になります。この時銭婆はなぜか半透明です。銭婆は魔法をかけて巨大な赤ん坊の「坊」を鼠にし、鳥をハエに変えてしまいます。鼠になった「坊」とハエは、この後、千尋と一緒に行動します。銭婆はハンコを盗んだものに死を与える呪いの魔法をかけたといいます。ハクにハンコを返すように言いますが、ハクは怒り、銭婆は消します。ハクと千尋は床の穴から釜まで落ちていきます。

 釜で千尋はハクを介抱します。しかしハクは苦しみます。千尋は川の神にもらったニガダンゴを半分ハクに無理矢理食べさせます。ハクは苦しみ、何かを吐き出します。それは黒いゲル状の「変な虫」に包まれたハンコでした。つまりハクはハンコを飲み込んでいたのです。「変な虫」は千尋が踏みつぶします。そして千尋はハンコを銭婆に返しにいくと言います。銭婆のところに行くには電車に乗らなければなりません。釜爺は片道の切符を見つけます。行くには行けるが帰りがないと言います。電車の切符を千尋に渡します。

3日目の朝
 この後、千尋はカオナシを対峙し、カオナシをおとなしくさせます。カオナシをおとなしくするために残ったニガダンゴを使ってしまいます。そのために両親に食べさせるニガダンゴはなくなってしまいました。千尋と「坊」が変身した鼠とハエとカオナシは、電車に乗って銭婆の家を目指します

3日目の夜
 電車に乗っていると日が暮れていきます。夜に銭婆の家に到着します。千尋は銭婆にハンコを返します。銭婆はハンコに魔法のまじないかけたのに大丈夫だったのかと千尋に尋ねます。千尋は「変な虫」を踏みつぶしたと言います。それに対して、銭婆はその変な虫は湯婆婆がハクを操るためにハクの体の中に住まわせたものだと言います。銭婆は鼠、ハエ、カオナシと協力して髪飾りを作り、千尋に渡します。


 ハクが迎えにきます。白い竜になったハクの背中に乗りながら、千尋はハクはコハク川の神であり、幼いころ自分を助けてくれたことを思い出します。そしてハクは自分の名前を思い出します。

 長くなってしまいましたが、この最後のハンコの呪いと変な虫の部分が大きなポイントのように思えます。銭婆はハンコに呪いをかけました。だからハンコを持っているものは死ぬのです。しかしハクは死に至っていませんし、ハンコをもった千尋はまったくなんともありません。ということは変な虫が呪いからハンコを守っていたことになるのではないでしょうか。とすれば銭婆の呪いからハクや千尋を守っていたのは結果として湯婆婆ということになります。

 そもそも、なぜ湯婆婆はハンコが必要だったのでしょうか。これは千尋と湯婆の契約を成立させるためだと考えるのが一番自然です。「ここで働かせてください。」と無理に頼んできた千尋をここで働かせるために必要だったからです。ただしそれだけだと他の契約の時にどうしていたのかが説明できません。ここはもっと考える必要があります。

 ではハクはなぜハンコを飲み込んでいたのでしょうか。ハクはハンコを湯婆婆に渡したくなかったからです。ハンコを飲み込んで自分が死んでしまえば、千尋と湯婆婆の契約は成立しません。だから千尋は「生の世界」へもどることができるのです。

 ハクは千尋のためにハンコを盗み、それを食べてしまいました。千尋はハクのために湯婆婆の部屋に忍び込み、必死にハクを看病し、自分にとって大切なニガダンゴをハクのために与えたのです。そしてハクを助けてもらうために銭婆にハンコを返しにいきます。釜爺がいった「愛」とはこういうことであり、「愛」の力でハクは助かったのです。

 もう一つ考えられることがあります。湯婆婆はハクを支配するために変な虫をハクの体の中に入れました。銭婆はハンコに呪いの魔法をかけました。この二人の魔法がハクの体の中で戦ったのだと思います。ですから両方の魔法の効力が落ちたのです。二つの魔法の戦いによってハクの体は衰弱しましたが、その戦いによって魔法が決定的な力を失ったのです。

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