とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

シネマ歌舞伎『坂東玉三郎・鷺娘』を見ました

2019-06-30 09:16:20 | 映画
 坂東玉三郎さんが2005年5月に歌舞伎座で上演した「鷺娘」と、2005年10月に上演した「日高川入相花王」がシネマ歌舞伎として復活した。

 玉三郎さんの「鷺娘」については次のように紹介されている。

 1978年の初演以降、圧倒的な美しさが国内外で評判を呼び、玉三郎の代表作のひとつとなった演目だが、高度な技術と数十キロに及ぶ衣装や鬘をつけて踊り続ける体力を必要とするため、09年の上演を最後に、全編を踊ることはないと言われている伝説の一作。

 今回、玉三郎自身の監修の下で最新技術を駆使して補正・調整を行った「サウンドリマスター版」が公開された。両作品とも30分程度なので合わせて1時間ほどの上映。値段もシネマ歌舞伎としては安い1100円である。

 「日高川入相花王」は人形浄瑠璃の雰囲気をそのまま歌舞伎にしている。つまり人形の動きを踊りに取り入れている舞踊劇である。ロボットダンスのようなものだ。歌舞伎の伝統はあらたなものを取り入れて新たな表現を作り上げてきたものだということがよくわかる演目である。人形的な動きと人間的な表情があわされて新たな表現を作り上げている。

 「鷺娘」は玉三郎さんの代表作である。私も大昔に歌舞伎座一度見た記憶がある。しかしそのころはもちろん3階席の後ろのほうだったので表情はほとんど見えない。舞台全体の美しさはわかるのだが、表情までは分からなった。今回、映像でみることによって、細かな表現がわかり、鷺の気持ちとともに玉三郎という役者のすごさが迫ってきた。

 シネマ歌舞伎は確かにいい企画だと改めて感じることができた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世田谷パブリックシアター+KERA・MAP#009 『キネマと恋人』を見ました。

2019-06-26 06:44:35 | 演劇
【台本・演出】 
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
【出演】
妻夫木聡  緒川たまき ともさかりえ
三上市朗 佐藤誓 橋本淳 尾方宣久 廣川三憲 村岡希美
崎山莉奈 王下貴司 仁科幸 北川結 片山敦郎

 ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』という映画がある。私の大好きな映画だ。アメリカ映画でありながらワビサビのある、気の利いた泣けるおしゃれな映画だ。もしかしたら本来のアメリカ映画ってこういうものなのかもしれない。DVDも持っている。KERAが『カイロの紫のバラ』の「骨格をそのまんま借りる」と言ってできあがったのが、この作品である。絶対におもしろいに決まっている。

 もちろん『カイロの紫のバラ』をそのままやるわけではない。日本に舞台を移し、日本だからこその風俗や人情が描写される。主人公はつまらない日常の中で映画が唯一の楽しみである。映画があるから生きていける。そんな厳しい現実の世界の中で、夢が現実のものとなる。しかしその夢ははかないこともわかっている。しかしそのはかない夢でありながらその夢に頼る決断をする。そのせつなさが切実に伝わってくる。

 登場人物はみんな愚かで卑怯で、だからこそ逆に人間らしい親しみが感じられる。これはいつものKERAの芝居である。ウディ・アレンとKERAの見事な「アウフヘーベン」としか言いようのないすばらしい舞台だった。

 緒川たまきさんがいい。「ごめんちゃい」を繰り返す控えめな女性でありながら、実はいざとなったら絶対にひかない女性をみごとに表現している。ともさかりえさんは日本の舞台にいなくてはならない女優になってきた。妻夫木聡君は当たり役だ。

 映像の処理もまったく無理がなく、よくここまで作り上げたものだと感心するしかない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』を見ました。

2019-06-25 06:18:09 | 映画
 新宿シネマカリテで『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』を見ました。時代の移り変わりの中で、かつての生き方ができないことにとまどい先行きを悩み始める父親と、未来に向かい自分の選択をしなければならない娘が、最初で最後になるかもしれない親子バンドでの共演をします。未来が見えなくなった父親の再生の物語であり、不器用でぶざまな姿をさらしつつも、前向きにいきようとする姿が泣けてきます。

 監督:ブレット・ヘイリー。

 舞台はブルックリン。フランクはレコードショップを開いていたが、当然のごとく客はこない。しかしかつてミュージシャンであり、音楽に思い入れがあるフランクは店を閉める決断がにぶる。

 レコードショップは私がこどものころはとても輝いている店でした。しかし、それがCDショップとなり、そして今はインターネットの時代になり、全く売れなくなってしまいました。とくに田舎にいればいやというほどわかるのですが、いまや小売店なんていつやめるかだけが問題になっています。それだけ時代の変化が激しいのです。

 本は売れない、雑誌は廃刊だらけ。洋服は普段着だったらユニクロとGUとしまむらがあればいい。その他必要なものはネットで買ったほうが、早いし、安いし、品数豊富である。教育でさえベネッセだけあればいい。こんな時代にわれわれは何を楽しみにいきているのでしょうか。

 いずれにしろ、インターネットの普及は生活を一変してしまい、自信を失う中高年が増えています。われわれ中高年はかつて自分をささえた楽しみを奪われた感覚に陥り、何を目的に生きていけばいいのか、得体のしれないさみしさの中にいます。

 フランクのみじめさは私のみじめさである。だからこそ、フランクの生き方を応援したくなり、寄り添ってくれる友人のいることに喜びを感じます。フランクは自身を受け止め、なんとか前を向き歩き始めます。

 再生のエネルギーをもらう映画でした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三谷かぶき『月光露針路日本』を見ました。

2019-06-24 06:20:14 | 演劇
 歌舞伎座で六月大歌舞伎の夜の部『月光露針路日本』を見ました。作・演出が三谷幸喜。話題の新作歌舞伎です。いわゆる「小ネタのギャグ」が気になり最初はちょっと入り込めませんでした。しかし次第に人間の強い意志で困難を乗り越えていく姿が、義理と人情をからめながら進んでいき、歌舞伎と三谷幸喜の良さが出たいい舞台になっていました。

 この話は事実をもとにしているというのがまず驚きです。伊勢の漁師が嵐に巻き込まれ8か月の漂流の上アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着する。漁師たちは日本に帰りたいと願い、さまざまないきさつの上、ロシアを横断し、ペテルブルグまで行き、エカテリーナ2世に謁見し、日本に帰る許可を得る。しかしその過程でどんどん漁師たちは命を失い、最後に日本についたのは2人だけだった。

 それぞれの登場人物が時には助け合い、時には思いがぶつかり合っていきます。だれもが生きたい、帰りたいと思い、一方では仲間をいたわる気持ちがあり、分裂した心に苦しみながら、過酷な生活が続いていきます。

 歌舞伎ならではの音楽や、舞台装飾が見事であり、その意味でも素晴らしさを感じました。

 ただし、やはり雑な面も見られます。こういう舞台こそ早く再演し、繰り返し上演することで本当に演劇界の財産にしてほしいと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アマンダと僕』を見ました。

2019-06-23 07:49:06 | 映画
 シネスイッチ銀座で、フランス映画、『アマンダと僕』を見ました。悲しみを乗り越えていく姿を静かに描く素敵な映画でした。監督はミカエル・アース。 2018年・第31回東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリと最優秀脚本賞をダブル受賞したそうです。

 この映画のいいところは表情です。こころの動きを目が物語ります。セリフでは多くは語られないのですが、心はよく見えます。不安な目、諦めた目、理不尽な出来事を受け止められず空白を見つめる目、そして希望を見出した目、それぞれの目が物語を作り上げていきます。

 小さなシーンでの心の動きもリアリティがあります。印象に残っているシーンがあります。事件があった後に街で主人公は、事件の被害にあったことを知らない友人と出会います。挨拶程度の話をして、友人は亡くなった主人公の姉にも会いたいと言って、一旦は別れます。一旦別れてしまったのだから、主人公はそのままにしておいてもよかったのかもしれません。特に深い仲ではない友人に一々説明したくはない事件です。しかし、主人公は追いかけて事件を説明します。このシーンは主人公の心を見事に描写しています。こういう表現に監督のセンスの良さを感じます。

 初日の最初の会に見ました。監督の舞台挨拶がありました。監督はインスピレーションを大切にしていると言っていました。人間の心と行動をよく観察して、自分を見つめ直してきた成果がこの映画に現れたのだと思います。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする