とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

現代文の参考書シリーズ 時間論6【「先進国」と「未開国」】

2017-08-12 07:57:49 | 現代文の参考書
 近代化が進んだ国が「先進国」と名付けられ、それ以外の国と区別されました。そして世界中の国が「先進国」目指して近代化を始めるようになりました。これも一概に悪いこととは言えません。近代化は人々をある意味で幸福にしているのは事実だからです。例えば医療の進歩は、近代化のおかげです。

 しかし、いわゆる「未開国」に住んでいる人は不幸なのでしょうか。飢餓の問題や伝染病の問題もあるのでそういう意味での改善はあるべきだとは思うのですが、しかし、不幸なわけではありません。近代人とは違う価値観の中でそこに住む人々は幸福に暮らしているのだと思います。

 先進国の人々はそこを植民地にして、悪い言葉で言えば「食いもん」にしてきました。その理不尽さに気づいた原住民は、近代化しなければならないと思い始めました。本来の自分たちの価値観を捨ててしまって、近代化の文脈で物事を考え始めてたのです。長い歴史を考えたら、もしかしたらその未開国の価値観の方がすばらいいものだったかもしれないのに、先進国のわがままのせいで、その価値観が失われてしまったかもしれないのです。その意味で押しつけがましいグローバル化は大きな問題があります。

 もしそうだとしたら人類は大変な失敗をしたかもしれない。だとしたら取り返しがつきません。
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現代文の参考書シリーズ 時間論5【円環的時間観と日本思想】

2017-08-10 14:25:45 | 現代文の参考書
 古代における時間観は円環的と説明してきました。それは様々な文芸作品にも表れてきます。日本文学においては、「もののあはれ」「栄枯盛衰」などの言葉によって表されています。

 『源氏物語』は最初は光源氏の栄華を極めるまでのサクセスストーリーのように思われます。もしそうだとしたら直線的な時間の物語と言ってもいいかもしれません。しかし次第にそうではなくなっていきます。光源氏の晩年は、女三宮の不義があり、また紫の上とも死別するなど、あまりうまくいっていないと言ってもよい。しかも宇治十条はもはや突破口を失い、同じところをぐるぐる回っているような展開となってしまっている。あきらかに現代的なストーリーとは違っています。

 物語論には貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)という類型があります。貴種流離譚とは若い神や英雄が他郷をさまよいながら試練を克服した結果、尊い存在となるとする説話の一類型のことです。自分のいた場所から、物理的にぐるっと一周回ってくると偉くなっているという物語のパターンです。『源氏物語』では須磨・明石のあたりがそのパターンになっています。これも円環的時間による物語展開と言ってもいいでしょう。

 『奥の細道』における冒頭の文句、
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」
も、あきらかな円環的時間観をしめしています。

 このように古代の人間は円環的な時間を自らの根本に持ちながら生きていたのはあきらかですし、その思想を抜きにして古典文学を語ることはできません。現代を相対化する意味においても重要な視座であることは明らかです。
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現代文の参考書シリーズ 時間論4 【直線的時間観と進歩思想】

2017-08-07 07:54:24 | 現代文の参考書
 この直線的時間観は人間の進歩思想と直結しています。

 日本人は「夢」という言葉が好きです。多くの人たちは子どものころ夢を持ち、その夢に向かって努力するように言われます。時には無理な努力もしながら、自分を鍛え、成長していきます。私もその考え方は好きです。「夢」という言葉は「進歩思想」が形になって表れてきたものです。

 しかし昔の人は大きな夢なんて持たない人の方が多かったはずです。そもそも「夢」は寝ながら見るものであり、今のような未来の希望という意味での意味はなかったのではないでしょうか。毎日毎日を生きていくことそれが人々にとっての一番大きな課題です。必要以上のことはしない。してもしょうがない。長生きしたくとも、それは自分がなんとかできるものではない。神や仏にすがるしかないのだ。それが近代以前の考え方だったのです。

 近代になって、人々は幸福になったように見えます。近代化は間違っているわけではありません。しかし、一方では近代化によって、人間は思い上がってしまったのは事実です。「夢」を追い続けすぎて追い込まれてしまっています。心が常に時間に追い立てられるようになってしまったのです。

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現代文の参考書シリーズ 時間論3【円環的時間から直線的時間へ】

2017-08-06 08:06:09 | 現代文の参考書
 古代は神の時代でした。古代は自然を受け入れる時代です。だから人々は円環的な時間観を常識としてていたものと思われます。しかし近代は人間が世界の中心になった時代です。人間が自然をも支配しようとします。自然を人間のために加工していくようにもなります。経済的も時間的にも効率的に工事が行わなければなりません。このような社会の中では直線的な時間観が常識となっていきます。

 昔は働くことは神への奉仕でした。しかし今は自分の生活のためです。つまり給料のためです。給料は労働時間と比例するというのが基本的な考えです。「時給」ということばがありますが、これはあきらかに「近代」の発想です。時間はお金です。ですから計算しやすい直線であることが必要になるのです。

 以上のように近代になるにしたがって、人々は時間を直線のように考えるようになりました。このような直線的時間観は近代人にとっては「当たり前」ですが、近代以前には「当たり前」の考え方ではなかったのです。そして、ポスト近代には、またあたらしい時間観が誕生する可能性があります。つまり、直線的時間観は近代特有の考え方なのです。
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現代文の参考書シリーズ 時間論2【円環的時間観】

2017-08-02 07:44:35 | 現代文の参考書
 一方で私たちは時間が円環的だと言われて、ある程度は納得できるのではないでしょうか。
一日は、東から太陽が昇って始まり、空をぐるっと回って西に沈んで終わります。その繰り返しです。円運動が何遍も何遍も永遠に繰り返されるのです。

 一年は、春夏秋冬の繰り返しです。時には異常気象があり、台風が来たり日照りがきたり、人間にとって苦しい時期があるかもしれません。しかし、季節が逆転することはありあません。春は次第に暖かくなり、花が先はじめ、新緑の季節となります。夏は暑くなり、さまざまな野菜の収穫が始まります。秋は次第に寒くなり、木々の葉が紅葉し散っていきます。冬は寒く、日が短く時には雪が降ります。冬になる前に、人々は食料や、暖房に必要な薪などの準備をしなければなりません。季節は規則正しく繰り返され、だからこそ人間はそれに対応して生きていけるのです。

 この永遠の繰り返し、円環こそが、昔の人間にとっての普通の時間のイメージでした。

 かつての人間にとって自然とは神が創り出すものでした。特に日本においては神は自然と同じものであったのです。そして自然の永遠の営みこそが時間であったのです。自然の創り出す永遠の繰り返しの中で、人間はその中で生かしてもらっているという感覚であったのだと思います。
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