とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「羅生門」の「きりぎりす」

2021-05-29 06:51:27 | 国語
 「羅生門」の授業をしていて、思い付きで「きりぎりす」がいなくなったのは下人が食べてしまったのではないかと言った。「きりぎりす」は現在のコオロギだと教科書の注には書いてある。下人は飢えている。そんな下人ならばコオロギを食べても不思議ではない。

 ありえないという批判もあるだろうが、思い付きもふくめて「読解」である。無視されてもいいが、言って悪いということもあるまい。最終的に否定されてもこういう雑音は、読解の幅を広げる。少なくても「飢え」を知らない高校生には「飢え」を意識させる効果はある。 とは言え冗談から始まったものなのでまともに論じるのも気が引ける。

 ちょっと調べてみると、「食用コオロギ」というのがあるのだそうだ。しかも健康によくわりと本格的に売られている。驚いた。

 となるとやっぱり下人は「きりぎりす」を食べてしまったのではないかと思ってしまう。
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深田恭子さん

2021-05-27 18:08:35 | 社会
 深田恭子さんが適応障害で芸能活動を休止することになったそうです。心配です。

 深田さんは主役クラスの俳優ですが、ちょっと変わった感じの役が多く、不思議な扱われ方をしているように感じていました。変わり者感を強調しすぎてたように思われるのです。

 しかし『TOKYOエアポート〜東京空港管制保安部〜』というドラマで芯のしっかりとした演技をしていてとても印象的でした。何でもこなせる役者なんだと思いました。

 勝手な想像ですが、あまりに役の幅が広く神経を使ってきたのかもしれません。

 とにかくしっかりと休んでほしい。そしてまたいい演技を見せていただけたらと思います。

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可能性の問題ですませられない

2021-05-23 13:18:06 | どう思いますか
 オリンピックは開催されそうである。状況を見る限り、オリンピックを開催しても新型コロナが「大きく広がる」可能性は大きくないのかもしれない。しかしそれは可能性の話である。新型コロナウイルスの感染が大きく広がる可能性だってある。それは大「きく広がらない」可能性よりも小さいのかもしれない。しかし決して「想定外」のものではない。無視できないほど小さな可能性ではない。東日本大震災のような地震がおきるよりは、何百倍、何千倍、あるいは何万倍も高い可能性がある。

 確かに選手は「バブル方式」とかいう隔離政策を行えば(選手がそれに黙って従ってくれれば)、感染が広がる可能性は少ない。しかし外国からくる関係者は選手よりも多い。その人たちは東京を動き回る。そんな状況が安全だと言えるのだろうか。みんなが気を付けている状況でも感染は広まっているのである。ごく一部の間違った認識の行動があっても大きな感染につながるのだ。それをコントロールすることは無理だ。

 こんなに大きな感染拡大の可能性があるのにも関わらず、その可能性が「大きく広がる」可能性よりも小さいがためにオリンピックを決行するのだとすれば、危機管理能力の欠如としか言いようがない。そんな無能な政府は今すぐに撤退させなければならない。

 菅政権は賭けに出た。これでうまく行けば支持率が上がり政権が維持できると踏んでいるのだろう。しかしそれはやってはいけないことである。これが許されるのならば、人類が滅亡するような賭けにでるような為政者が出てきてもおかしくない。そこまで菅義偉氏に任せたわけではあるまい。
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映画『ブータン山の教室』を見ました。

2021-05-22 07:13:05 | 映画
 ブータンを舞台にした映画『ブータン山の教室』を見ました。心が洗われると同時に価値観について考えさせられる映画でした。

キャスト シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップ、ケルドン・ハモ・グルン、ペム・ザム
監督 パオ・チョニン・ドルジ

(あらすじ)
ウゲンは教師であったが、あまり教師の職に魅力を感じずいい加減に職に向かっている。彼はオーストラリアに行ってミュージシャンになりたいという夢を持っていた。そんなある日ルナナ村に転任するよう告げられる。彼は仕方なく承諾するが、ルナナ村は到着するのに1週間以上もかかるようなブータン王国で最も辺境の地であった。ようやくルナナ村に到着すると電気もトイレットペーパーもない場所であった。しかしその村の人々の純粋な姿に心を動かされ、次第に村になじんでいく。

 この映画で「世界一幸福な国」と言われるブータンの実際の姿を見ることができます。都会に住んでいる人たちは、どこでも同じです。主人公のウゲンも日本人と同じような考え方をしています。ブータンのステレオタイプのイメージが見事に壊されます。しかし。ルナナ村は想像を絶するような本当の辺境地です。人口が50人くらいしかいない、山の村です。こんな村が村として成立していることにも驚かされます。そしてこういう辺境の地で暮らす人々も日々を幸福に生きています。

 ルナナ村の子供たちは純粋に学びたいと思っています。それが表情によく表れています。その表情に感動します。

 実際に辺境の地で暮らすことはつらいことも多くあると思います。しかし、都会で「裕福」に暮らしている人たちだって「つらいこと」の連続です。本当に幸福なのはどっちか、そんなことを考えてしまします。

 しかし、そうやって比べるしかできないのが都会的な考え方であり、ルナナ村の人たちは人と比べる価値観なんかないんだろうなと改めて反省させられます。

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「探究」とは何か

2021-05-19 17:05:49 | 教育
 今教育界では「探究」という言葉が盛んに使われています。「アクティブラーニング」のブームが去り、今度は「探究」がやってきたというようなイメージです。教育界は流行を作り出し、そしてその流行はきちんと消化されないまま終わっていくのが通例です。しかし「アクティブラーニング」も「探究」も昔から言われ続けてきたことなのです。つまりは「考える」ことの重要性を謳っているのです。私たちはそれをしっかりと見据えた授業をしなければなりません。

 私は生徒に次のように言っています。

 最近の教育界のキーワードは「探究」です。みなさんもいろんなところで「探究」という言葉を言われてきたと思います。私もたくさん聞いてきました。しかしその多くは「探究」という言葉を正しく使っていないように思われます。「探究」を「調べ学習」と同じものと考えているとしか思えないようなことをやっているからです。ネットで検索した資料をまとめるだけというようなことを容認しているのです。さらにはそんな無意味な内容をパワーポイントを使ってプレゼンごっこしています。こんなのは「探究」であるどころか、最悪の時間の無駄です。

 では「探究」とは何か。

 そもそも、昔から日本の教育は覚えることが中心でした。たくさんの知識を得ることが日本の教育の基本だったのです。知識量が頭の良さの基準でした。しかしそれは昔の話です。時代は変わりました。ITの進化によって私たちはそんなに知識を必要としなくなってきました。必要ならばすぐに検索できるからです。頭の中に入れている必要はありません。もちろん知識は多くあったほうがいい。しかしかつての受験勉強にように何でもかんでも覚えればいいという時代ではなくなったのです。

 そこで注目されたのが「探究」です。

 「探究」の根本は「疑問」に感じることです。疑問に思うからこそそれを調べ、多くの人に聞き、それももとに自分で考え、自分で仮説を立て、その仮説を検証していくのです。その過程が「探究」です。だからまず鍛えなければならないのは「疑問」を持つことです。「疑問」を持つ訓練をしなければなりません。その訓練は授業中に質問することです。

 とは言え、教師に質問をするのはむずかしい。だからグループ学習をします。友達同士の方が質問しやすい。だから友達同士でできるだけ聞きあい、教えあってください。そして解決できないときは、みんなにとっての大きな疑問になります。それを教師に質問してみてください。それはとてもいい質問になっているはずです。自信をもって質問してください。

 質問する力が「探究」の第一歩です。

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