とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『立川志の輔独演会』に行きました。

2022-05-31 08:14:22 | 落語
 5月29日(日)に、仙台市電力ホールで開催された『立川志の輔独演会』に行きました。演目は以下の通り。

  二人癖   志の大
  たけのこ  志の輔
  犬の目   志のほん
  異議なし! 志の輔
  帯久    志の輔

 「帯久」というのは有名な噺なのでしょうか、私は初めてでしたす。本来は上方の落語だったものを、舞台を江戸日本橋に移して江戸の落語にしています。

(あらすじ)
 呉服屋の和泉屋は正直者で人情味が厚く、かつて商売は繁盛していた。しかし、家族を病気でなくし、それに加えて火事で店を失い、失意の中で生きていた。一方、呉服屋の帯屋の主人は、自分のことしか考えない強欲な人物で商売もうまくいかない。そんな帯屋だったが、和泉屋が繁盛していた時にから金を借りて、それを結果的にちょろまかしてしまった。和泉屋もそれに気が付いていたが、証拠もないし、自分の商売もうまくいっていたので、そのままにしておいた。帯屋はちょろまかしたお金をうまく使い、商売がうまくいくようになっていた。10年後、無一文になっていた和泉屋は店の番頭に、自分の店をもたせようと帯屋に借金を申し込むが、帯屋に冷たくあしらわれ茫然自失となる。帯屋の普請中の離れに、自分の吸っていたたばこの火が偶然燃え移り、火付けの罪に問われる。この事件を大岡越前が人情味のある名裁きをする。

 和泉屋は人情味があり、しかもきちんとしていることはきちんとしている。帳面に借りた金額と、それを返した印をしっかりと何度も書いていくところを、志の輔師匠はきちんと省略せずに語ります。客もそれをしっかりと心にとどめます。これがしっかりととどめているからこそ、のちの展開が腑に落ちるのです。噺の肝が見えているからこそできる技です。

 志の輔師匠の語りは、表現、間、テンポを自在に使い分け、くわしく描写すべきところは詳しく、省略してもいいところは思いっきり省略し、飽きさせない工夫をしています。客は自然に集中して噺に引き込まれていきます。

 「自在」と書きましたが、これは練習しなければできやしません。繰り返し稽古してきたことが、自然に自分のものとなっているのです。どっかのお話を語っているのではないく、志の輔師匠自身の語りとして、客に直接とどくのです。お弟子さんたちと明らかに違うのはそこです。これが芸の魅力というものです。

 いいものを聞かせてもらいました。
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「世界をつくり替えるために」2

2022-05-27 14:42:23 | 国語
 東京書籍の『精選現代文B』の冒頭に小林康夫氏の「世界をつくり替えるために」という教材がある。この教材を「クリティカル」に読む。2回目


 この教材の一番のポイントは「第二段落」の形式段落④の部分だ。

 引用する。

 鳥は、本当に自由なのだろうか。私はそうではないと思う。鳥はいわば空の中に閉じ込められている。魚も同様で、水の中に閉じ込められている。鳥は空を「空」とは呼ばず、魚も水を「水」と名付けることはない。人間がするようには自分の住む世界を対象として捉えることがないからだ。人間は言葉を用い、空を「空」と呼び、海を「海」と名付けた。いわば世界と自分をはっきりと分けて認識している。その意味で人間は、世界に閉じ込められてはいない。言い換えれば人間は、鳥や魚と同じような意味では「自然(=世界)」の中に生きていない。恐らくこのことが、人間、とりわけ若い皆さんが世界と自分との間にズレを感じる理由だ。

 人間は若い時に、孤独感や違和感、あるいは世界との「宿命的なズレ」を感じる。筆者はその原因は「人間が自分の住む世界を対象としてとらえるから」だと言う。この「世界を対象としてとらえる」とはどういうことか。

 鳥にとっては「自分が空を飛んでいる」という認識はない。何の認識がないまま生きているだけである。それを人間が「鳥が空を飛んでいる」と認識しているだけである。人間は「鳥」や「空」を対象化し、認識しているのだ。

 人間は自分自身の住む世界も対象化し、そして自分自身をも対象化する。自分を対象化した人間にとって、「自分」は特別な存在である。人間は「自分」を大切にして、自分にとってよりよい世界を望むようになる。必然的に現在の世界が理想とは程遠いものとなる。そのために「孤独感」、「違和感」、「宿命的なズレ」を感じるようになるのである。

 さて、人間が物事を対象化するために必要なものは何か。それは言葉である。言葉を物事に与えたことによって、それが対象化されるのだ。つまり人間は言葉の発明によって、物事を対象化することになり、それによって「孤独感」、「違和感」、「宿命的なズレ」を感じるようになるのである。つまり、言葉を使う人間が世界とのズレによって苦しむのは必然なのだ。

つづく
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「世界をつくり替えるために」

2022-05-25 07:44:00 | 国語
 東京書籍の『精選現代文B』の冒頭に小林康夫氏の「世界をつくり替えるために」という教材がある。来年から新課程になるため教科書が変わり、東京書籍の『精選論理国語』からは外れているようであるが、やさしめの『新編論理国語』には残っている。小林康夫氏は東京大学の先生をしていた哲学者で、東大の教養学部の教科書『知の技法』を作った人である。この「世界を作り替えるために」という教材も、高校生になぜ学ぶのかを考えさせる教材となっている。この教材を「クリティカル」に読んでみたい。(といいながら、まだ私は「クリティカル」の意味が本当はどういう意味なのかがよくわかっていない。)

 この教材のあらすじは次の通りだ。

(第一段落)
・みなさんは自分と世界の間に宿命的なズレを感じることがあるはずだ。

(第二段落)
・人間は他の動物とは違い、ものごとを対象化し、他の動物にとっては「当たり前」であることにも、違和感を覚え宿命的なズレを感じる。
・だから人間は世界を学び、世界を自分に合うように作り替えなければならない。
・学ぶことには二段階ある。自然を学ぶことが第一段階であり、自然を学んだ人間がつくりだしたものを学ぶことが第二段階だ。この第二段階のために学校がある。

(第三段落)
・学ぶことの第一歩は、好き嫌いの感覚を停止して、考えること。もう一つのポイントは、全体を見ること、それと同時にその中の特異点ををつかみ、全体をもう一度作り直すこと。

(第四段落)
・世界と自分の間に感じられるズレの中に未来の「種」がつまっている。考え抜き、心の中に「種」を宿しておくことが今は大切だ。

 (つづく)

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山形県の政治停滞

2022-05-24 21:03:28 | 山形新幹線
 夏の参院選山形選挙区が揺れている。自民党は、当初与党への接近を強めている国民民主党の現職、舟山康江氏を支援し独自候補擁立を見送る構えだった。しかしここに来て一転して公認候補を擁立する方針を固めた。これは山形県の特殊な事情が大きく影響している。
 
 現在の山形県知事は吉村美恵子氏である。吉村美恵子氏は野党系の候補であった。この知事は亡くなった元山形市長の親戚であり、吉村一族は山形では有名な政治一族である。吉村美恵子氏はその中でも柔らかいイメージの人であり、敵をつくらなそうな人だった。だからこそ当選した。

 当初は害のない人という印象だった吉村美恵子知事だが、ここに来てさまざまなことで自民党と軋轢を生むようになってきた。この知事のせいなのか、それとも一族のせいなのか、それとも自民党のせいなのか、ここでは触れないでおく。

 ただし、私の印象としては吉村一族は「山形県の自民党」である。今は権力を持ちすぎている。野党というイメージはもうない。最近の吉村知事は聞く耳を失っているに感じられる。吉村知事の政治は自分勝手な印象が強くなってきた。保守的な山形県民は吉村一族にすりよるようになる。自民党はそれに反発し、吉村知事は自民党を遠ざける政策をとる。現在自民党は吉村美恵子氏に対して明らかに対立姿勢を明確にしている。舟山康江氏は吉村知事と共闘している。だから自民党は舟山氏を支援するわけにはいかないのだ。

 実は私の知っている情報でも、きな臭いものまで含めて本当に大丈夫なのかと思われるものがある。どうも山形県政はうまくいっていないように見える。

 山形県は今、大変な経済的な危機にあるように思われる。県都、山形市ですら中心商店街がシャッター通りとなりつつある。もはや政治の停滞はゆるされない。山形県の政治がよくなることを期待する。
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4630万の男にだって人権がある

2022-05-20 12:18:55 | TV
 山口県阿武町が誤って振り込んだ新型コロナ対策の臨時特別給付金4630万円をだまし取ったとして23歳の男が逮捕された。その容疑者についてTBSが容疑者の小学校のアルバムを紹介した。「もしもタイムマシンがあったなら」という質問に「ロト6のばんごうをみらいにみにいく」と書いていたという。さらに今日の朝のテレビ朝日の番組でもこの話題が紹介され、これを根拠にこの容疑者はお金に執着するとまで言っていた。この報道は何なのだ。小学校時代に書いたことを根拠に、その人の人間性を決めつけるなんてありえないことだ。いい加減にいい加減にしてほしい。

 百歩譲って、この容疑者が極悪な犯罪者ならばまだありうる報道かもしれない。しかしそもそもは町のミスが発端だったわけだし、警察の聴取も受け、さらに反省し返却するとも言っているのだ。ここまでこの容疑者を追い詰めるような報道をする必要があるまい。犯罪者だって人権がある。この報道はあきらかに人権問題である。

 視聴率がとれる話題であるために、この話題で何とか引っ張ろうとするテレビ局の姿勢にはうんざりさせられる。もっと大切なニュースがたくさんある。地味だけど報道すべき問題がたくさんある。こういう報道姿勢が政治をゆがめ、教育をゆがめていくのだ。

 こんな情けない状態だから、今やテレビなんか誰も見ようとしない。ゆがんだ悪循環を断ち切る努力をすることから再出発してほしい。
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