とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

春風亭昇太落語会

2017-10-31 19:56:39 | 落語評
 山形市シベールアリーナで開催された春風亭昇太落語会に行った。サービス精神旺盛の楽しい落語会だった。

 最後の演目は「死神」。この落語の内容についてはウィキペディアなどでごらんいただきたい。ついでにサゲについてもご覧いただければと思う。多くのパターンがあり、それぞれに納得させられる。昇太師匠のサゲもなるほどと思われるものであった。物語として成立している。落語家は役者でもあり、作家でもあるんだと感心させられた。
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Peter Hammill 歌詞イベント

2017-10-29 16:22:06 | 音楽
 今日も昨日に引き続きピーターハミルの歌詞についてのトークイベントに参加した。そのメモ。今日は時間についての話し合いだ。ピーターの歌詞では「NOW」という言葉が多く出てくる。

「NOW」に対するこだわりについての話となる。「NOW」は未来も過去も取り込んでいる。さらに人間が他の動物と違うのは時間の認識があるということである。今ここにいるということは、ピーターの音楽活動の中核にある思想なのだという気がしてきた。

 演奏というのは「今」そのものである。ピーターはこうも言っていた。「過去を裏切らないためにも、今を大切にすることが大切である。」なるほどピーターのライブは「今」を強く訴えており、その一期一会の感動があるからこそ、毎年のように行きたくなるのだ。

 そしてそうやって作られれた曲は、自分自身にフィードバックされる。ピーターは「曲が私を作った」といった。そしてその曲によって聞くものとつながることができる。「今」を大切にすることによって時空を超えることができるのだ。
 
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書評『知ってはいけない』(矢部宏冶著)

2017-10-29 08:39:52 | 書評
 沖縄の基地問題でアメリカに対する必要以上の配慮がなされてきたこと、あるいは東日本大震災後すぐに原発再稼働に動くことなど、日本にはなんらかの隠された外圧があるのではないかという疑念が常にあった。先日池上彰さんの番組でも日本では横田基地の上空は民間機が飛行できないということを解説していた。日本は本当に主権国家なのか疑問に感じる場面に多く出くわすようになった。

 この本ではアメリカと何らかの外圧があるのではないかという疑念に対して解りやすく解答が示されている。外圧というよりも密約だったのだ。日本人の問題先送り体質が西洋では通用しないのにもかかわらず、その場しのぎで密約を交わし、それが今になって大きくのしかかってきている。しかしそれを表ざたにすることはできない。だから釈然としない思いだけが残る。

 この本を読むと沖縄の問題、原発の問題すべての謎が解けていく。もちろんそれを単なるアメリカ批判、現政権批判にしてはいけないが、事実をしっかりと見つめて、それを隠すことをまずやめさせなければならない。日本はいつまでもアメリカの属国であってはいけない。
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Peter Hammill Lyrics Event (10/28 新宿)

2017-10-28 17:13:58 | 音楽
 ピーターハミルというベテランロックシンガーがいる。イギリス人であり、ソロでも活動しているし、ヴァンダーフラフというバンドも率いている。私のとても好きなシンガーだ。ピーターハミルはここ10年以上、毎年のように来日しており、毎年のように私も聞きに行っている。今年も来日した。今年はライブ以外に自身の歌詞について語るイベントも開催された。興味があったのでそれにも参加した。

 印象に残っている話は2つ。1つめは歌詞は自分自身の経験などから自身のストーリーとして作るけれども、それが完成し世に出た後は社会性を持ち、独り歩きし始める。だからもはや自分の手から離れた存在になるという話である。やはりそうだろうなと思った。だから同じ曲を歌っても、その時々で気持ちは全く違うものになる。そうピーターハミルのライブの醍醐味はそこにあるのだ。同じ曲でもまるで違う歌い方になる。

 2つめ。歌詞と普通の詩は違う。詩は1行でとどまることもできるが、歌詞は曲が始まってしまえば止めることができない。これは映画や演劇とも同じである。なるほど、だから歌詞にはドラマ性が含まれるわけだ。歌詞というのはひとつのジャンルとして独立してもいい。すばらいい表現ジャンルであると感じられた。
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『こころ』の授業

2017-10-28 15:49:19 | 国語
 夏目漱石の『こころ』の授業をしています。グループ学習で、各グループがひとつの章を担当し授業をするという形式です。昔からやっているのですが、基本的に3年に1度の授業なのでそれほど回数ができるわけではなく、まだまだ試行錯誤です。

 うまくいくときもあるし、あまりうまくいかないときもあります。それはそれでしょうがない。しかしだんだん形になりつつあります。発表をいやがらなくなってきたし、議論がかみ合う場面も増えてきました。なによりこのような経験を生徒がやるというだけでもいいのではないかという気持ちもあります。

 できるだけ介入したくないのですが、生徒がそこまで育っていない場合介入しないことが逆に満足感を得れれない結果となり、生徒の自信を失わせてしまいそうな気もします。だからつねに授業者も考え、判断にせまられます。この判断が正しかったのか、間違っていたのか。それはわかりません。

 生きている実感のする授業です。
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