とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

シベールアリーナの危機

2020-01-30 18:54:45 | 社会
 山形市にシベールアリーナという劇場があります。その劇場が今、資金不足から閉館の危機に陥っています。

 シベールアリーナというのは、山形市にあるシベールという洋菓子屋が山形市の郊外の洋菓子向上に併設する形で作った劇場です。当時のシベールの社長が、今は亡き井上ひさし氏とともに山形に文化拠点をと、井上氏の蔵書をもとにした遅筆同文庫という図書館とともに作り上げたものです。しかしシベールが倒産し経営者が変わったため、新シベールからは資金援助が得られなくなりました。独自に運営しようとネーミングライツを募集したりしているのですが、応募者がいません。このままでは閉館せざるを得ない状況です。

 劇場としてはいい劇場です。私はここで普段山形では見られないような演劇をいくつか見させていただきました。また、毎年柳家小三治さんが来てくれて落語会を開催しています。毎年聞きにいかせてもたっています。私とってありがたい劇場です。

 しかしこの劇場、問題もあります。郊外なので行きにくいのです。やはり劇場は街中にあってほしいというのが私の希望です。終演後に一杯飲んで帰りたいのです。

 また、一般には貸出ししない劇場なのだそうです。自分たちの見せたいものだけを見せるという方針だということなのです。そのようなことをしながら、支援を受けようとするのは無理があるのではないでしょうか。

 とは言え、一度なくなれば再生の道は厳しくなります。将来に向けて希望を残すべきです。今後も協力できることがあったら協力していきたいと思います。
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映画『風の電話』を見ました。

2020-01-27 18:48:07 | 映画
 映画『風の電話』を見ました。喪失感が映像によく描かれており、絶望からの再生が言葉によって伝わってくる、感動的な映画だった。

監督 諏訪敦彦
出演 モトーラ世理奈 西島秀俊 西田敏行 三浦友和 渡辺真起子 山本未來他

 岩手県で東日本大震災に会い、家族が津波で流されてしまった一人の少女が主人公。この少女は広島県で叔母と一緒に暮らしている。叔母が病気なのか、事故なのか、倒れてしまい心が乱れ始める。少女はひとりでさまよい始める。少女はそこでたくさんの人と出会う。その人たちは多くは心に喪失感があり、少女にやさしく接してくれる。少女はその人たちの助けを得ながら、岩手の実家に向かう。

 少女を助ける人たちの言葉がいい。
「生きていくためには食べなければいけない。」
「(年をとると、ふるさとにもどり)ゆっくり呼吸がしたい。」
「(あなたが死んでしまったら、家族を想いだす人がいなくなる。)
 みんな、喪失感があるからこそ言える言葉である。ぽつんと出てくる言葉が耳に残る。

 映像は生活感のある食事のシーンが多い。台所での食事のシーンなど、リアリティのある映像が印象に残る。だからこそ、福島で原発事故のせいで長い間、人が住んでいない家の中の、時間が止まったままに残された様子は失われた生活を見事に表している。心にささるシーンである。

 無理な演技を要求しない演出で、役者はみんな自然に演技しようと戦っている。役者のやさしさが出ているように感じられる。

 みんなが喪失からの再生を願っている、そんな気分にさせる「やさしい」映画だった。
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やってしまった!

2020-01-26 16:16:22 | 日記
 昨日、放送大学の『現代フランス哲学に学ぶ』について書きました。そして今日試験だと書きました。今日、放送大学の試験場所に行き、学習室で勉強をしていました。試験の教室は座席が指定されているので、座席番号を確認しようと座席番号表を見ました。なんと、『現代フランス哲学に学ぶ』が書いていません。

 あれ?

 日付を確認すると、試験日は25日。そして今日はなんと26日。

 私が完全に試験日を勘違いしていたのです。今日が25日だとばかり思いこんでいました。日付よりも曜日で思い込み、日曜日が試験の日だと前から勘違いしていて。確認しないでいたのです。

 さすがにショックです。

 放送大学の試験は、落としても次の学期にもう一度受けることは可能ですし、そもそも卒業するつもりはないので、実はそんなに落ち込む必要はありません。しかし、日にちを間違えるという大失態をしてしまったことがショックなのです。年をとって注意力が落ちてしまい、かつてならば絶対にしないようなミスをしてしまう。それがショックです。

 まあ、気持ちを切り替えるしかありません。むずかしい内容だったので、もう一度一から勉強しなおしなさいということだったのだと思い込もうとしています。

 本当に情けない。これを書くのも恥ずかしい。
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放送大学『現代フランス哲学に学ぶ』は難しすぎる

2020-01-25 10:52:28 | どう思いますか
 放送大学の『現代フランス哲学に学ぶ』を履修している。これがまったくわからない。むずかしすぎるのだ。それなのに明日試験だ。絶望的になりながら今、勉強している。

 取り上げられている哲学者は、ベルクソン、サルトル、メルロ・ポンティ、フーコー、ポール・リクールなどである。それぞれ、名前は知っているのでどういうことを言っているのかを知りたかったのだが、読めば読むほどわからなくなる。これは困った。

 わからないながらも、自分の少ない知識と関連させて理解しようと努力している。とは言え、その理解が正しいのかどうかがわからない。なんとか自分なりに理解したことも、理屈の上だけの理解なので3日もたつと、すぐに忘れてしまっている。わからないということをわかるということを学んでいると言っていい。本当につらい。

 しかし、頭をものすごく使っているという実感はある。この活動自体はいい経験をしていると言える。この内容が理解できるようになりたいという意欲もわいてきている。これはこれでよかったのかもしれない。

コメント (1)
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1年前シリーズ 「大学入学共通テスト(新テスト)」に関する議論の混乱について

2020-01-21 19:17:23 | 教育
 1年前に以下のブログを書いた。この後、急展開して、英語の民間試験の採用と国語の記述式が再検討となった。この間の議論はいい方向に向かったと思う。しかし、私としては賛成できない点もある。今現在も以下の考え方に変わりはない。現状で、強調したいのはセンター試験は決していい試験ではないということだ。

(以下去年のブログです。)

 今年もセンター試験が実施された。このセンター試験は最後になり、2年後からは「大学入学共通テスト(新テスト)」になる。この導入に対して議論が混乱し始めている。多くの人が共通の土台のないまま議論しているので、「大学入学共通テスト」の方向性に反対なのか、記述式問題に反対なのか、外部試験の活用に反対なのか、早急すぎることに反対なのか、それともすべて受け入れようとしているのかがわからないのである。つまりどのレベルでの賛否なのかが不明なまま、議論が行われているのだ。こうなってしまうと修正しようにもどこに手を付けていいのかがわからない。

 私の意見は次の通りだ。

〔大前提〕
 ①本来一番あるべき姿は各大学の個別試験が充実し、そこで思考力を測ることである。そうなっていれば「大学入試共通テスト」にするまでもなく「センター試験」のままでもいい。
 本来各大学の個別試験が充実することが大切なのだ。ところが個別試験がどんどん形骸化して、場合によっては行わない場合もでてきた。そのため「センター試験」の存在が大きくなりすぎた。多くの受験生は教員の記述力が必要なくなった。これでは言語運用能力や、思考力が必要なくなり、高校の授業もそういう点がおろそかになり、知識偏重になってしまっていたのだ。つまり各大学が努力しないで、何とか国の力で改革しようということが根本的な間違いなのだ。今回の「大学入学共通テスト」の導入は、多くの大学の教員の怠慢から生まれたものであるというのが問題の本質なのだ。

 以上が大前提である。その上で次のように考える

 ②個別試験の導入が困難であるのならば「大学入学共通テスト」への変更には賛成する。
 本来は個別試験の充実が一番であるが、それが不可能だという前提で「センター試験」から「大学入学共通テスト」への変更に賛成する。
 これまでの大学入試が高校の授業を知識偏重型にし、考える楽しみをうばっていたのは明らかである。知識ばかりを問う問題を減らし、すこしでも考える授業をするためには大学入試が変わらなければならない。そのためには「大学入学共通テスト」に変更することは大学入試問題の改善につながる。
 もちろん「大学入学共通テスト」は、ほとんど選択式問題のままであり、「センター試験」と大きな違いはないという意見もその通りだと思う。しかし、プレテストを見るかぎり、思考力を問うための様々な方法が試されているので、改革の方向性としては間違っていない。

 ③国語の立場から「大学入学共通テスト」に記述式問題を出すことは賛成する。しかし問題は残る。

 選択式の問題には限界がある。とくに国語の問題が選択式の問題ばかりであるというのは「国語力」とは別の力しかはかれないのはあきらかだ。だから記述式の問題を出題することには賛成する。

 しかし、問題は多い。
 A まずは問題の質である。モデル問題やプレテストを見る限り、記述式という割には制限が多く、条件に従って書くだけである。これでは思考するまでいかないし、言語の運用能力を問うというまでも至っていない。
 B 採点が可能なのかが問題である。 
 C 記述式の問題を点数化しなく、段階評価にして各大学に扱いがまかされている点も問題である。東北大学は基本的には記述式は見ないと発表した。「大学入学共通テスト」の国後の試験は従来80分で行ってきたセンター試験型のマーク式の問題が4問、それに記述式の問題が1問で100分で行われる。だから単純には記述式の問題に20分与えられていると考えていい。それなのに記述式の問題が必要ないとすれば、選択式の問題に100分使うことも可能になる。とすれば平等性が崩れる。一方ではマーク式の問題に80分しかない受験生もいれば、一方では記述式の問題をはじめから解く必要がなく、100分マーク式の問題に使用できるものもいるのだ。そんなに簡単にわりきれないと言うかもしれない。しかし少なくとも受験生が混乱することは明らかである。

④英語の外部試験の導入には反対する。

 あきらかに無理がある。私は英語教師ではないので、ここでは多くを語らない。

⑤混乱のまま2年後にスタートすることは反対する。

 現在の高校1年生から「大学入試共通テスト」が始まるが、いまだにどうなるのかよくわからない状況である。これでは高校1年生が実験台にさせられると言ってもいい。高校1年生に対してあまりに無責任である。

 ⑥今回の入試改革に乗じて、一部の業者が極めて悪質な営業活動を行っている。許しがたい。

 B社はまだ何も決まっていない段階で、とにかく自社の商品を売らんがために、さまざまな営業活動を行ってきた。不安をあおったり、ダンピング的に導入をおこなったり、人づてに聞いたように間違った情報を流したり、あらゆる手段を行使して、無理矢理に教育現場に入り込んできた。教育の名のもとに悪質な商業活動を行ってきた企業を許すことはできない。
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