とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

折々のことばより「私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならない」(2018年8月28日)

2018-08-28 16:53:44 | 折々のことば
 今日の朝日新聞の「折々のことば」を引用する。

 読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。
                        皇后美智子さま
 人の思いや立場が交錯する中、複雑さにたじろぎ呑み込んだ息は、それに耐えうる知的な肺活量を鍛えもする。とくに幼時の読書は、人生の「根っこ」と想像の「翼」と「痛みを伴う愛」を育むと、皇后は20年前、インドで開かれた国際児童図書評議会世界大会でのビデオ講演で語った。「美智子」の名で刊行された『橋をかける』から。(鷲田清一)


 人はみんな様々な考え方をしている。もちろん日本人に限定しても同じである。それぞれが様々な考え方をしているのでその「総体」は複雑なものである。その日本人の「象徴」として生きていかなければならない皇族の方たちは、生まれてからずっと複雑さに耐えているのであろう。本当に大変である。結婚して後から皇族となった美智子皇后は、もっと大変であったであろう。このようなことばを聞くと、美智子皇后は尊敬できる人なのだろうなと感じる。

 すべての人の複雑な思いを受け止めること、これは国のトップになる人の必須条件である。他人の悪口を言ったり、馬鹿にしたような態度をとるような人に総理大臣になってもらいたくない。自分の過ちを素直にわびることなく、逆にそれを組織的にごまかそうとする人がトップにいるということはあってはならない。

 人生の複雑さを知っている人は謙虚である。その上でのリーダーシップがとれる人が国のリーダーになるべきである。
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書評『時間の言語学―メタファーから読みとく』(瀬戸賢一著)

2018-08-26 17:00:43 | 読書
 勉強になる本です。この本を読んでたくさんのことを考えさせられました。

 私は最近言語学の一つの分野である認知言語学を少し勉強しています。認知言語学というのはメタファー(隠喩)を主として研究します。従来メタファーは文章技巧とされてきたのですが、メタファーは単なる文彩ではなく、我々の基本的な認知能力のうちのひとつ(概念メタファー)である、と捉えなおされました。たとえば「時間」というのは本来存在しないものです。だから「時間は流れる」というイメージはメタファーです。しかしこのメタファーは科学を発展させました。多くの科学者も時間を「流れるもの」という感がを取り入れることによって科学を進歩させたと言ってもいいのではにかと思います。

 この本において筆者は丁寧に時間に関するメタファーを説明し、時間と言うものを明らかにしていこうという試みています。読者は難解な思考の入り口に誘われ、考えることの楽しさを知ることができます。を認知能力言語学入門として、そして哲学入門としての役割を果たしてくれる本です。人間とは何かを考える上でも重要な視点となると思います。
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キス天

2018-08-25 06:05:09 | お題
 私が一番好きな天ぷらはキス天です。天ぷらはなんでも好きなのですが、その中でもキス天が小さいころから大好きでした。柔らかい身を天ぷらの衣で包みむことによって、サクサク感と適度のフワフワ感を味わうことができます。大根おろしによく合い、天ぷらの中でも傑作だと思っています。

 最近はゲソ天もよく食べます。私は海沿いの出身なのですが、今住んでいる山形県の内陸地方ではゲソ天をよく食べます。そば屋に行くと、ゲソ天そばが普通にあります。店によっては「天ぷらそば」で「ゲソ天」オンリーの場合があります。安い割に味のある優れものです。

 揚げ物は外国でもありますが、天ぷらは日本独特のものです。日本の食文化の財産のひとつだと思います。

 ちなみに、8月23日が「天ぷらの日」だというのは初耳だったので、その由来を調べてみようとしたのですが、7月23日となっています。ふたつ説があるのでしょうか。
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『カメラを止めるな!』盗作騒動について

2018-08-23 17:59:42 | 社会
 話題の映画『カメラを止めるな!』を見てきた。最初はつらかったが、後半はそのつらさが報われたような展開になり楽しむことができた。さて見終わって帰ってくるとインターネット上で盗作疑惑が話題になっていた。この作品はアイディア勝負のところがあるので、基本的なアイディアを使われてしまえば原作者側が「盗作だ」と訴える気持ちはよくわかる。一方では、基本的なアイディアは借用しても、台本などをすべて自分で書いているのだとすれば、「盗作にはあたらない」という映画製作者側も主張も理解できる。私にはどっちも悪いとは思えないのである。

 そもそもこの作品の基本的なアイディアは三谷幸喜の『ショーマストゴーオン』などでも使われているものである。これを2部構成にしたというアイディアは面白いし、発明だと思う。だからすばらしいアイディアであるのは当然認めるが、原作者側としてもどこまでが自分のアイディアで、どこからがアイディアの借用なのかはわからないはずである。だから悩みながらの訴えであったのではなかろうか。映画製作者側としても同様である。どこまでが自分のアイディアで、どこからがアイディアの借用なのかはわからないはずである。だから、両者のどちらかを悪者にするような報道の仕方は絶対にやめてもらいたい。

 両者が善人であるという前提にたって解決をはかってもらいたい。日本では裁判は嫌われるが、このような問題における裁判は悪いものではない。できれば今後のために司法の判断をあおいでもらいたい。著作権がどこから認められるのかきちんと線引きできるようにしておくことも大切なことである。いい機会なのではないかと考える。
コメント (2)
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「入社試験が公平ではない」という理由で大学入試が公平でなくてもいい?

2018-08-20 09:48:13 | 教育
 現在戦後最大の教育改革が進行中である。今回の改革の大きな特徴は大学入試が大きく変わるということである。さまざまな改革が行われても高校の教育が微動だにしなかったのは大学入試が詰め込み教育によって点数があがるようにできていたからであり、大学入試が変わらなければ高校の授業がかわるはずがなかったのである。だから今回大学入試を変えようとしているのである。

 その一環として英語の4技能の問題が浮上した。「4技能」というとなんだかわからなくなるのであるが、結局はスピーキング力のことであり、スピーキング力をつけるためにはスピーキング力を測る大学入試にならなければならない。ところがそれをつくる能力が大学入試センターにはない。だから民間試験を活用しようという話が浮上したわけだ。受験生はセンター試験以外に民間の英語検定試験を受験しなければならない。それは一見よさそうであるが、大きな問題ばかりだった。

 問題の一つ目は経費がかかりすぎること。問題のふたつめは受験場所が限られるということ。そして最大の問題となるのは、公平性が保たれないことである。民間の英語検定試験は何種類かがあり、その検定試験はもちろんそれぞれ違った尺度で点数がつけられている。それを公平に見ることなど不可能なのである。

 さて困った。

 最近、こんな話を改革派の人が言い始めた。
 「入社試験が公平ですか。違いますよね。社会に出れば公平でないことなんかたくさんある。『公平、公平』と言いすぎるのはおかしいのではないですか。大切なのは改革を止めないことです。」

 改革の必要性は多くの人が認めていることである。しかし、それと公平性の話はまるで次元の違う話だ。こういう意見は論点ずらしでしかない。ふざけた発言は慎んでもらいたい。もっと冷静になって解決策を考えべきである。

 改革派の人たちはこれまで必死にがんばってきたのであり、この改革を成功させたいという気持ちはよくわかる。しかし尊敬していた先生たちがこういう発言をしているのを聞くと、ショックである。
 
 私は教育改革の方向には賛成である。この改革は成功させるべきである。しかし様々な問題が出てきている以上、一度立ち止まるべきだと考えている。急ぐ必要はない。犠牲になるのは受験生なのだ。子どもたちを実験台にするような改革はあってはならない。

 この改革のウラに大きな利権のにおいがしてきたため、反対派も賛成派もけんか腰になり始めている。冷静になればきっといい案が生まれる。消費税が簡単に延期になったのだから、大学入試の変更が2、3年先送りになっても問題あるまい。
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