とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

2021年に見た映画

2021-12-29 08:37:13 | 映画
 今年はコロナの影響で観劇のために東京に行くことがほとんどありませんでした。その結果と言ってもいいのですが、地元の映画館で映画をたくさん見ました。数えると51本。週に1本の計算になります。たくさんいい映画と出会うことができました。

1 私をくいとめて
2 燃ゆる女の肖像
3 アーニャは、きっと来る
4 声優夫婦の甘くない生活
5 ヒトラーに盗まれたうさぎ
6 ニューヨークの親切なロシア料理店
7 シラノドベルジュラクに会いたい
8 この世界に残されて
9 ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった
10 すばらしき世界
11 わたしの叔父さん
12 あの頃。
13 パリの調香師
14 あのこは貴族
15 キンキーブーツ
16 夏時間
17 ノマドランド
18 ラストフルメジャー
19 シカゴ裁判
20 水を抱く女
21 サンドラの小さい家
22 ジェントルメン
23 パーム・スプリングス
24 ブータン 山の教室
25 茜色に焼かれる
26 ファーザー
27 シネマ歌舞伎「鰯売戀曳網」
28 海辺の家族たち
29 アメリカンユートピア
30 アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン
31 ジャニス・ジョップリン
32 逃げた女
33 ブラックバード
34 ベルエポックにようこそ
35 インザハイツ
36 パンケーキを毒味する
37 83歳のやさいいスパイ
38 スーパーノヴァ
39 沈黙のレジスタンス
40 テーラー 人生の仕立て屋
41 アナザーラウンド
42 MINAMATA
 43 きのう何食べた?
44 リスペクト
45 モーリタニアン
46 幕が降りたら会いましょう
47 tick,tick…Boom!
48 コレクティブ 国家の嘘
49 sweetthing
50 ディア・エヴァン・ハンセン
51 リトル・ガール

 ベスト5を選ぼうとしたのですが、ベスト8になってしまいました。以下の作品は特に印象に残っています。

5 ヒトラーに盗まれたうさぎ
7 シラノドベルジュラクに会いたい
10 すばらしき世界
29 アメリカンユートピア
30 アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン
35 インザハイツ
42 MINAMATA
47 tick,tick…Boom!

 以上です。順番はとても付けられませんし、明日選べば変わるかもしれません。どれもすばらしい作品でした。
 
 来年は今年ほどは見ることはないと思いますが、いい映画と出会うことを期待します。

 
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古典の参考書第1回 「男もすなる」3

2021-12-27 13:35:54 | 国語
〔「男もすなる日記」の「も」は不自然である〕

 「男もすなる日記」の「も」は不自然に感じられる。普通に考えれば「男のすなる日記」という表現が適当である。
「男もするという日記というものを、女もしてみようとするのである。」
よりも
「男がするという日記というものを、女もしてみようとするのである。」
のほうが、自然な日本語である。なぜ「も」が使われたのであろうか。

 これを疑問に感じたのは国語学者の小松英雄氏の考察があったからである。小松氏は『古典再入門』(笠間書院)で「をむなもしてみん」には「をむなもじ(女文字)」という語が隠されていると指摘している。和歌には掛詞という技法があり、特に紀貫之が選者のひとりであった古今和歌集は掛詞が多用されている。ここでも掛詞のように「女文字」という言葉が隠されていたのだという指摘である。もちろん「女文字」とは仮名文字のことである。なるほどと感心させられる。

 さらに小松氏は「をとこもすなる」という不自然な言い回しに「をとこも(じ)(男文字)」という語が隠されていると言う。小松氏のこちらの指摘は私には無理があるように思われる。

 現存するものを間違いのないものとして解釈するのが解釈の基本的なルールである。「男もすなる」は「男もすなる」という表現が正しいものとして解釈しなければならない。だとすると「男もすなる」の「も」にはどういう事情があるのであろうか。私の思い付きの考えを紹介するのは気が引けるが、ここで紹介させていただく。
 
 「男もすなる」がある以上、その前に「(誰か)のする日記」があるはずだ。それが省略されたと考えるのが自然である。この「誰か」はおそらく公的な記録文書を書く人である。当時、宮中では当時公的な記録文書が書かれていた。それを真似て私的に日記を書いていた男がいた。だから「男も」と「も」を使っているのだ。「公人」ではない「男」という意味で「男」が使われたのである。

 つまり、
 「(宮中では公的な日々の出来事の記録として『日記』というものかれているそうだ。それを真似て)男の人も私的な『日記』を書いているという。その『日記』というものを女の私も書いてみようと思って書くのです。」
というのが冒頭の文の意味であるというのが、私の解釈である。

 この思い付きいかがであろうか。やさしいご批判をいただければ幸いである。

 1回目ということで調子にのっていらないことまで書いてしまったかもしれない。いずれにしてもいずれにしても、土佐日記の冒頭文はいろいろと考えさせられる。まずは暗唱し、文法を説明できるようになってもらいたい。そのあと、文学史的な意味を考え、古文の世界への幹を作っていただきたい。
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古典の参考書第1回 「男もすなる」2

2021-12-26 06:21:16 | 国語
【なぜ紀貫之は女のふりをしたのか】

 土佐日記の作者は紀貫之である。紀貫之は当時から有名な歌人であり、古今和歌集の選者でもある。古今和歌集の仮名序を書いた人でもある。紀貫之がどうして『土佐日記』を書いたのか。しかも女性の文章として書いたのかを考えてほしい。

 『土佐日記』の語り手は女性である。紀貫之と思われる土佐の国司が任を終え京に帰るまでを、国司の使用人である女性が記載したという形で書かれている。紀貫之自身が語り手でにならないで、なぜ女性を語り手にしたのだろうか。

 理由の一番最初に来るのは、仮名文字を使った文章を書きたかったということだろう。当時男性貴族が物事を記録するのは漢文であった。男性貴族が仮名文字を使うことはタブーであったと言われている。サラリーマンがスーツを着なければいけないように、男性貴族は漢文で文章を書かなければいけなかった。しかし漢文で文章を書くと言うことは面倒くさいことだ。日本語が母語の現代人が英語で文章を書くというのと同じだ。言いたいことが的確に表現できない。仮名で書くと言うことは、しゃべるように書くことができるということである。細かなニュアンスを表現できる。それまで表現できなかったことが表現できるようになる。仮名文字を文章を書くということは、文章表現を進歩させる歴史的な大事件だったのだ。

 ただし、紀貫之が仮名文字によって表現を広げるという意図があったのかどうかは言い切れない。

 私は紀貫之は物語を書きたかったのではないかと思っている。自分を主人公にした物語である。『伊勢物語』のような歌物語を作ってみたかったのではないか。

 『土佐日記』は「日記」の体裁をとっているが、亡き娘の追憶、土佐と京の人々の人情比較、そして海賊という冒険サスペンスなど、文学的な要素がちりばめられていて、ひとつの作品としてきちんと構成されている。物語として成立しているのである。物語は『竹取物語』にせよ、『伊勢物語』にせよ、仮名文字で書かれ、読まれていたはずだ。だからこそ仮名文字で書いたのではないだろうか。つまり、仮名文字を使うのが目的ではなく、物語を書くのが目的であり、そのために女性を語り手にするという方法を発明した。これが私の仮説である。

(つづく)
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古典の参考書第1回 「男もすなる」1

2021-12-25 08:06:15 | 国語
 男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり。

【品詞分解】
 男  名詞
 も  係助詞
 す  サ行変格活用動詞「す」の終止形
 なる 伝聞の助動詞「なり」の連体形
 日記 名詞
 と  格助詞
 いふ ハ行四段活用動詞「いふ」の連体形
 もの 名詞
 を  格助詞
 女  名詞
 も  係助詞
 し  サ行変格活用動詞「す」の連用形
 て  接続助詞
 み  マ行上一段活用動詞「みる」の未然形
 ん  意志の助動詞「ん」の終止形
 とて 接続助詞
 する サ行変格活用動詞「す」の連体形
 なり 断定の助動詞「なり」の終止形

【現代語訳】
 男もするという日記というものを、女もしてみようと、書くのである

【重要文法事項】
 助動詞「なり」の識別を覚え、確認するために便利な例文でる。
 助動詞「なり」は2種類ある。この例文でも「すなる」の「なる」と「するなり」の「なり」の2種類の「なり」が登場している。これらがそれぞれ違うのだ。
 ひとつは「断定」で、ひとつは「伝聞・推定で」ある。

①断定の助動詞「なり」
 断定の「なり」は、現代語でいえば「だ・である」である。だから基本的には体言に接続すると考えていい。ただし活用語の場合は体言に準ずる形の連体形に接続する。
 ここでは「するなり」の「する」は連体形なので、この「なり」は断定の助動詞である。

②伝聞・推定の助動詞「なり」
 伝聞・推定の「なり」は終止形接続である。「すなる」の「す」は終止形なので、この「なる」は伝聞・推定である。

 この例文とその現代語訳を丸暗記してしまえば、「すなる」の「なる」は伝聞で、「するなり」の「なり」は断定だということを現代語訳から判断できる。そこから「す」はサ変の終止形なので、伝聞・推定の「なり」は終止形接続であり、「する」は連体形なので断定の「なり」は連体形接続だということを思い出したり、確認できる。

 ただし、この方法で識別できない場合がある。例えば次の例文の「なり」は表面的には識別できない。

 「書くなり。」

 「書く」はカ行四段活用であり、終止形も連体形も「書く」になる。だからこの例文の「なり」は断定の場合も、伝聞・推定の場合もある。

 また、ラ行変格活用に接続した場合も注意が必要である。これは別の項で詳しく説明する。

(つづく)
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古典の参考書 序文

2021-12-23 17:17:37 | 国語
 高校生向けの古典の参考書を作る。古典文法を一通り理解しているという段階での参考書である。

 古典文法を一通り勉強してもそれが定着しない。定着するためには実践的な理解の過程が必要である。そのために効果的なのは、重要文法事項や重要語法が入っている有名な文や和歌を覚えることである。もちろん暗唱できることだけではない。その意味も理解し、その文法事項も説明できるようになっていることが大切だ。

 物事を覚えるためにはその幹になる部分が頭の中にきちんと育っている必要がある。断片的な知識をいくら暗記しても、幹がなければすぐに忘れてしまう。幹ができていればそこに立ち返ることができる。そしてしっかりとした幹があれば枝葉は自然と伸びてくれる。

 そんなに数はいらない。参考書と言うと一冊の本にするために何百という文や和歌を覚えるのではないかと思うかもしれないが、そんなに覚えきれるはずがない。覚えきれないものは幹にはならない。

 古典文法の幹は、基本的な有名な文や和歌の丸暗記であり、それが説明できるような文法語法力である。その基礎的な幹を育てることが一番効果的である。

 今後、具体的にいくつか示していきたい。

 といいながら時間がなくて中途半端になってしまいそうだ。そうならないように頑張りたい。
 
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