とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を見ました。

2022-03-27 16:13:45 | 映画
 アカデミー賞の候補になっている映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を見た。象徴的な事物をちりばめながら、登場人物の心理を描く。さらに見るものに精神的な圧力を与えていく心理戦を挑む。緊張感が最後まで続く見事な作品だ。ただし主人公のフィルと、その弟ジョージの妻ローズの子供のピーターとの描写がたりないような気がする。そのために最後が唐突な感じがしてしまい、あざといストーリーのような印象を受けてしまう。

監督       ジェーン・カンピオン
出演  フィル・バーバンク、ローズ・ゴードン、ジェシー・プレモンス、コディ・スミット・マクフィー

 いくつかのポイントを上げる。

 1.ピアノ
 フィルは、妻にピアノを買ってあげる。ローズは実はピアノがそんなにうまいわけではなかった。一人で練習を続けるがうまく弾けない。フィルがそれを見て、馬鹿にするシーンがある。なんということのない場面であるが、精神的に追い詰められていく状況が、象徴的にに描かれている。すごい場面だ。

2.ウサギ
 ウサギが何度か出てくる。ピーターが捕まえたウサギを母に見せる。ローズはかわいがるが、次の日、ピーターはウサギの解剖をしている。ピーターの異常性が描かれる。さらにピーターとフィルがウサギを追い詰めるシーンがある。けがをしたウサギをピーターは簡単に殺してしまう。いよいよピーターの残忍さが観客の心に刻まれる。同時にその場面で、フィルが手にけがをすることが最後につながる。構成がうまい。

3.ロープ
 フィルとピーターは仲良くなり、ロープをあげることを約束する。そのロープが「事件」の鍵になっている。しかしそれはその時点ではわからない。わからないながら、何か「意味」がありそうだという予感を、そのころには観客も感じ始めている。そして後で思い返してみれば、ピーターの行動の意味が見えてくるのだ。

 以上のように象徴的なサインがちりばめられ、そのサインが重苦しい緊迫感を作りながら、直接見えてこない真実のストーリーを語るのである。見事としか言いようがない。

 ただし、このサインの意味は後になってやっとわかってくるのだ。しかもゲーム的にわかってくる感じもする。それはフィルとピーターの描写が物足りないからである。もちろん、映画評論家はこれで十分だと言うだろう。しかし一般の観客がそれで足りるだろうか。今後の評価を待ちたい。
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橋下徹の頭の悪さ

2022-03-25 13:06:04 | どう思いますか
 とにかく橋下徹はなんとかしてほしい。

 今日は精神的なことが原因で仕事を休んでしまった。仕事を休んでしまったことによってさらに精神的には追い詰められている。

 気を休めようとテレビをつけたところで、橋下徹が出ていた、すぐにでもチャンネルを変えようと思ったが、ついつい見てしまった。

 橋下徹はウクライナ戦争に対して、徹底的にプーチンを倒すか、妥協するかの2択しかないと言っていた。プーチンを倒すことは核戦争につながる。だから妥協するしかないと言う。それはそうだろう。しかし妥協するしかないのだから、ロシアに妥協しなさいというような趣旨の発言をし始める。馬鹿か、橋下。

 妥協するしかないという趣旨では多くの人が賛同するであろう。かといって理不尽なロシアと簡単に妥協しなさいというわけにはいかないからこそ、みんな苦しんでいるのだ。妥協のあり方はいろいろあり、そこの妥協点が見つからないからこそ苦しんでいるのだ。ロシアのやり方を肯定するような妥協点があるはずがないのに、ロシアが勝手に攻撃を緩めないからこそうまくいかないのだ。

 みんながウクライナの民間人を助けたいと思っている。しかしロシアのいいなりになったら、結局は不幸になるだけだ。その中で命を守りながら、人間の尊厳を保つことためにどうすればいいのか。そこでみんな悩んでいるのだ。橋下徹のわかったような言動に、その視点はない。戦うか妥協かの2者択一であり、それがわからない奴は馬鹿だというわけのわからない意見を正当化しようとしているだけなのだ。

 橋下徹は自分の意見を引けなくなって、自分の意見を無理矢理通そうと、屁理屈を大声でまくしたてる。こんなに自分勝手な人間はいない。悪いことをして、誤る前に自分を正当化するために屁理屈をこねくり回す子供と同じだ。子供ならば、大人になればきっとわかってくれる。しかし橋下徹はもう大人だ。

 こんな人を出すテレビ局も、終わったほうがいい

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映画『偶然と想像』を見ました。

2022-03-22 15:49:09 | 映画
 『ドライブ・マイ・カー』を監督した濱口竜介監督の3つの短編からなるオムニバス映画です。偶然の引き起こす人間の心の揺れを丁寧に描写する名作です。

「魔法」
古川琴音 中島歩 玄理
「扉は開けたままで」
渋川清彦 森郁月 甲斐翔真 
「もう一度」
占部房子 河井青葉

 濱口監督の最大の特徴は、抑揚のほとんどない棒読みのようなセリフです。役者は他の演劇だったら下手だと思われるようしゃべり方をします。しかしこの演出は観客をセリフに集中させます。セリフひとつひとつが、役者の余計なフィルターを通さずに、観客に直接とどくのです。不思議な効果があります。

 役者が演技をしていないわけではありません。役者はセリフに集中し、そのセリフを自分のものにしていきます。そして普段の自分のしゃべり方になるまで自分の中で育て上げています。他の人のまねをしているのではなく、自分の身体から発せられる自分の言葉になるのです。だからいつの間にか不自然さは感じられなくなります。

 セリフは時にはかみ合いません。時にはかみ合います。時にはぶつかり、時にはすれ違います。集中したセリフはそれ自体がドラマを生みます。退屈になりそうでありながら、逆に濃密な時間の中で時間を忘れます。

 小津安二郎以来、日本の伝統的な手法なのかもしれません。あるいは世界的にも確立したひとつの方法論なのかもしれません。それを見事に作品として具現化するのは並大抵の力ではないはずです。

 すばらしい映画でした。
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ドキュメンタリー映画『テレビで会えない芸人』を見ました。

2022-03-20 06:39:05 | 映画
 ドキュメンタリー映画『テレビで会えない芸人』を見ました。芸人・松元ヒロさんを追ったドキュメンタリーです。テレビが主流だった日本で、テレビがその力を失っていく姿を描いているように感じました。

 松元ヒロさんは、かつて社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」のメンバーとして活躍していました。しかしテレビ局からの要求が強くなったために、テレビを離れ舞台に活動の主戦場を移しました。現在政治や社会問題を題材にした1人の語り芸で活躍しています。

 社会を風刺する芸は、現在の日本では嫌われます。社会風刺は悪だという「空気」を経済界と自民党と電通が作り上げたのだと思います。テレビは当たり障りのないものだけになってしまい、もはや時間つぶしにもならなくなってしまいました。まともな批判さえもされなくなったこの国は、どこに行くのでしょうか。

 松元ヒロさんの芸は社会風刺を題材にしていますが、そこから生まれてくるのは「人間の心」です。松元さんの心が伝わらなければ芸になりません。映画はその努力を伝えます。その姿に教えられます。

 監督は鹿児島テレビのディレクター、四元良隆と牧祐樹です。テレビ局の人間がテレビの終わりを描くことにも、この作品のおもしろさがあります。

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夏目漱石の「文鳥」

2022-03-19 09:48:58 | 夏目漱石
 夏目漱石の短編小説「文鳥」を読んだ。エッセイのような作品だが、小説としての虚構性も十分感じさせる、見事な作品である。

 語り手の「自分」は小説家である。「三重吉」から文鳥をもらう。文鳥を育てるし、可愛がるのだが、仕事が忙しくなり、時々手を抜いてしまい世話をしなくなることがある。そのために文鳥を死なせてしまう。「自分」はやけになり文鳥の死を他人のせいにする。

 明らかに「自分」は夏目漱石である。「三重吉」は鈴木三重吉であり、小説の中には「筆子」という漱石の長女の名前の子も登場する。だれがどう見ても夏目漱石の事実を綴っただけの作品のように見える。しかし、「自分」のやけになった様子をそのまま描くというのは「自分」を対象化しているとしか思えない。「自分」を戯画化しているのである。写実的なエッセイのように見えながら、そこには小説的な心理が描かれているのだ。

 もう一つ小説的な手法として、突如として「美しい女」が出現するという技巧が目立っている。「美しい女」は文鳥と呼応する。『文学論』における「連想法」というのがこれに当たるかもしれない。また俳句における「取り合わせ」とも似ている。「女」と「文鳥」の関係については何の説明もないのだが、読者はその関連性を感じ、より複雑な情緒が引き出される。

 最近『文学論』を読んでいるのだ、漱石は理論的に小説を書こうとしているがわかる。「文鳥」も、漱石が様々な理論をしっかりと自分のものとして書かれた名作である。
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