とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

夏目漱石の『草枕』を読む。5

2024-04-08 16:51:26 | 夏目漱石
第五章

画工は床屋に行く。この床屋の鏡が歪んでいて鏡の役に立っていない。

今余が辛抱して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向くと蟇蛙を前から見たように真平に圧し潰され、少しこごむと福禄寿の祈誓児のように頭がせり出してくる。

この鏡は歪んでいて、光が乱反射して事実を映してはいない。これは那古井の世界のいびつな空間を象徴している。つまり那古井の内部では真実が見えないのである。那古井の内部では人々は共同幻想に支配されているのだ。狭い村社会ではよくありそうな、噂をみんなが信じ込む社会である。みんながゆがんでいるのであるが、歪んでいるのが当たり前になっているのでその歪みにだれもが気付かない。たまたま外部の人間がそこに来ると気が付くのだが、しばらくいればその社会に取り込まれていく。暴力的な共同幻想である。

画工が志保田に泊っていると聞くと床屋は那美の話をし始める。この那古井の中では那美は気違い扱いされている。村の共同幻想をみなが信じ、那美も自分を気違いのように演じる必要がある。

床屋は那美が観海寺の坊主、泰安に手紙をもらったエピソードを話し始める。その泰安が和尚とお経を上げているところに那美が飛び込み、「そんなに可愛いなら、仏の前で、一所に寝よう」と「首っ玉にかじりついた」という。その話だけを聞くと確かに那美は気違いである。その後泰安はいなくなった。

床屋に了念という小坊主がやってくる。頭をそってもらう。了念の話では、泰安は今は陸前の大梅寺に行き、修行三昧だという。床屋の話とは少し食い違っているようである。
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