とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「『である』ことと『する』こと」③(「自由と権利」)

2017-05-05 17:26:18 | 国語
 「『である』ことと『する』こと」の第1章の批判をするその2回目。
 
 この論説文は講演の原稿なので論理性が犠牲になっている部分がある。この章ので言っているアメリカの自由についての記述は本当に正しいのかということだ。

 よく聞く話だが英語の自由にはfreedomとlibertyの2種類がある。Freedomは「生まれながらの自由」であり、libertyは獲得する自由である。ここで筆者の言う自由とはもちろん後者である。このように英語の自由には2種類あり、しかもそれ現在ではわりと知れ渡っている状況である。それなのに何の説明もなしに「自由は獲得するものだ」という記述を素直に受け入れなさいというのは今日では無理である。

 4月6日に「権利」についても記載した。再掲する。

 きょうの朝日新聞の「福岡伸一の動的平衡 言語が脳に刻みこむ論理」というコラムがおもしろかった。「言語の役割は何か?」という疑問から、「言語は、概念を作り、人間の脳に、その言語固有の神経回路を生み出しうるのだ。」と主張し、次のように言う。

 米国のミーティングにて。英語のネイティブスピーカーがこう話した。rightとprivilegeは何が違うでしょう? 受験英語的には、前者=権利、後者=特権、と暗記させられたから、似たようなものかなと思ってしまう。ところがフロアの人々(これも英語のネイティブスピーカー)、当然のことのように、rightはもともと人間に備わった権利だが、privilegeは本人の努力によって得られるもの、と口にした。

 さらに次のように続ける。

 たとえば当地の子どもは携帯電話を使えるのは、あなたのもともとのrightではなく、privilegeだと厳しく教えられる。宿題予習を終わらせてから初めて親から付与されるものだと。

 子育てでスマホを子供に預ける親が増えていると聞く。実際にそれはしょうがない場面もあるかもしれない。しかし、しっかりとしたしつけなしに行っている親もいるようである。こうやって育った子供はどうなっていくのか。

 日本人は直接的な表現をさける。これは人間関係を円滑にするための知恵である。しかし、この曖昧性を好む傾向は日本人のだらしなさにつながりかねない。ことばを大切にしない社会は、次第に衰えていく。ことばを大切にする社会を作りたい。


 以上のように欧米でも自由は権利は2種類あり、すべてが獲得するものとは言えない。これを見る限り、筆者は欧米人をステレオタイプと考えていると言っていいのではないか。もちろんこれは揚げ足取りのような意見ではある。これが書かれた時代はそこまでの考えにはいたらないのが普通かもしれない。しかし、今日これが教科書に載っているということは時代錯誤と言ってもいいのではなかろうか。
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