とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

日本語の「パラグラフ・ライティング」序論1

2016-09-14 17:13:52 | 国語
 (日本語の「パラグラフ・ライティング」の原稿のためのものです。これまで書いていたものと重なる部分がありますが、最終的に整理したいと思っています。)

 国語教育において「書く」指導の中心に「パラグラフ・ライティング」を提案します。その根拠と実践レポートです。

【なぜ「パラグラフ」なのか】
 誰もが気付いていると思いますが、日本の国語教育において重要視されてきたのは「読む」ことの指導です。大学入試にせよ、高校入試にせよ、入学試験では読む能力ばかりが試されていました。特にセンター試験の時代になってからは、短い文章さえ書く必要もなくなり、読む能力育成に特化されていきました。

 しかしこのような「読む」能力への特化は間違っているのは明らかです。知識が頭の中に貯め込んでばかりのものならば無用の長物です。無用の知識はすぐに忘却されます。知識が本当の意味の知識になるためには、その知識を活用できなくてはなりません。「読む」ことによって得た知識を「書く」ことによって真の言葉の力はつきます。賛成したり、反対したり、あるいは活用することによって真の国語の力がつくのです。「読む」と「書く」は1セットのもので、本来は切り離してはいけなかったものです。ところがここ何十年か「読む」方ばかりに偏っていたのです。これは「国語」教育の大きな後退と言ってもいい。

 このように国語教育において書く指導はほとんど行われていませんでした。作文を書かせることは小学校ではなされていたのかもしれませんが、論理的に書くための体系的な指導はなされていなかったのです。ですから指導方法も確立していません。文章を書く指導が確立していないということは、我が国の国語教育の欠陥です。

 諸外国では「パラグラフ・ライティング」の指導がなされているそうです。実際に英語の読解の指導では「パラグラフ」という用語は普通に使われています。英語の文章は「パラグラフ」形式で書かれているのです。「パラグラフ」の特徴は論理的でわかりやすいということです。この「パラグラフ」を日本に取り入れようというのが私の考えです。

 これは私の考えというよりも、多くの人の提言がすでにあるのです。しかも、最近いくつかの大学でこのような「パラグラフ・ライティング」の書き方を「アカデミック・ライティング」という名称で指導しています。

 これまで自分勝手な書き方を許してきた日本の「書く」指導を明確に体系化し、そして国際化が進む中でも対応できる力を育成しなければなりません。そのためには日本型「パラグラフ・ライティング」が必要なのです。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-01-15 02:43:01
文章の書き方が統一されていないことが読解力低下の一因とも言えそうですね。
意図が正しく伝わるためには同一のルールで書き読みされる必要があるのに、
その書き方がそもそも教えられていないのですから。

例えばパラグラフ・ライティングでは
段落の最初にその段落の要点を書くルールがあるから、
書き手は段落の要点をその段落の最初に書くし、
読み手は段落の最初を段落の要点だと認識するのです。
お礼 (masasamm)
2020-01-19 08:10:48
コメントをいただきありがとうございます。
書くことと読むことは通じています。おっしゃる通りだと思います。

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