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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

銅像から北海道の歴史を辿る

2024-04-17 17:47:20 | 講演・講義・フォーラム等
 道内に建立された銅像の背景を探ることによって、北海道の歴史を辿るということは面白い視点だと思う。講師の武石氏のお話はこれまでも何度かお聞きしたことがあるが、とても興味深いお話を今回も伺うことができた。

 4月15日(月)午後、札幌市高齢者市民講座の中央区会場の講座が開講され参加した。4月の講座は「銅像から北の開拓者の業績を辿る~産業・医学・教育振興編~」と題して、札幌市観光ボランティアの会の会員でいらっしゃる武石詔吾氏が講師を務めた。

     
      ※ 大通公園に建つ石川啄木の像の横に立つ講師の武石詔吾氏です。

 武石氏はまず、戦前に道内に建立された幾多の銅像が戦時の金属類回収令によってそのほとんどが解体され、戦後になって復元されたもの、されなかったものについて触れられた。その中で唯一、中島公園内に建立された「木下成太郎像」だけ供出を逃れたそうである。それは武石氏によると、木下氏の銅像は木下氏の生前に建立され、金属回収令が発せられた時には国会議員をされていたことがその理由ではないか、と述べられたが詳しいことは不明であると話された。
 そして本題に入っていったが、紹介された銅像は次のとおりである。(氏名の後は事績を表し、〇は建立年、△は所在地(設置場所)、□は制作者を表す)
〔産業振興編〕
 ■高田屋嘉兵衛 ~箱館の発展、択捉航路の開発~
    〇昭和33年 △函館市 □梁川剛一
    〇昭和61年 △根室市 □砂原放光
 ■竹鶴 政孝 ~ 国産ウィスキーづくりの先駆者~
    〇昭和34年 △余市町 □本郷新
 ■黒澤 酉蔵 ~ 本道酪農界の先駆者~
    〇昭和37年 △酪農学園大学 □加藤顕清
 ■町村 敬貴 ~近代農業を確立~
    〇昭和48年 △町村農場 □峯孝
 ■佐上 信一 ~根釧地区の酪農経営の基盤形成~
    〇昭和41年 △別海町農業センター □加藤顕清
 ■村瀬 久成 ~開拓使麦酒の生みの親~
    〇平成17年 △知事公館前庭 □中村晋也
        
        ※ 知事公館前庭に建つ村橋久成の銅像です。
    
 ■今井 藤七 ~丸井デパートの創業者~
    〇大正15年 △?(新潟県三条市?) □武石弘三郎
 ■井伊憶右衛門 ~オブラートシェア40%~
    〇 ? △倶知安町 □ ?
〔医学振興編〕
 ■大野 精七 ~札幌医科大学初代学長~
    〇昭和37年 △札幌医科大学 □佐藤忠良
 ■荻野 吟子 ~日本初の女医~
    〇昭和42年 △せたな町 □本田明二
        
        ※ せたな町の公園に建つ荻野吟子像です。

 ■関  寛斎 ~予防医学の提唱~
    〇昭和53年 △陸別町 □小室史
〔教育振興編〕
 ■佐藤 昌介 ~札幌農学校一期生、北海道大学育ての親~
    〇昭和7年 △北海道帝国大学構内 □加藤顕清
    〇昭和31年 △北海道大学構内 □加藤顕清
 ■山田幸太郎 ~札幌一中(現札幌南高校)の名校長~
    〇昭和8年 △札幌一中(現札幌南校) □諏訪頼雄
    〇昭和25年 △札幌南校々庭 □諏訪頼雄
 ■浅羽 靖 ~現北海高校の創設者~
    〇大正15年 △北海中学校庭 □田嶋碩朗
    〇 ?    △北海高校々庭 □ ?
 ■新渡戸稲造 ~世界平和に貢献~
    〇平成8年 △北海道大学構内 □山本正道
      
      ※ 北大構内に建っている新渡戸稲造像です。

 ■三松 正夫 ~ミマツダイヤグラム~
    〇平成5年 △壮瞥町 □米坂ヒデノリ
 ■浅井 淑子 ~服装文化・私学教育振興~
    〇昭和57年 △北翔大学構内 □坂胆道
 ■浅井 猛 ~私学教育振興~
      〇 平成3年 △北翔大学構内 □坂胆道
 ■松尾 三郎 ~道内初、情報系単科大学の創設者~
             〇平成9年 △北海道情報大学構内 □ ?

  以上が今回の講座で武石氏に紹介していただいた偉人たちである。ただ、一覧を眺めてみてもあまりよく知らない方も含まれている。それは今回の「産業・医学・教育振興編」がある限られた地域だったり、産業だったり、私学の関係者だったりで、広く公に活躍された公人の方々とは一線を画す方々が多かったからのようである。
 武石氏は講座の最後に、銅像はある人物の足跡や業績・歴史を知るうえで貴重な財産であると述べられた。さらには、今回提示された銅像の中でも、大正時代や昭和初期に建立された銅像は一度撤去されて、その後再建されたものもある。こうしたことから武石氏は「銅像は動く」と述べられた。つまりそうした過去を紐解くことによって新たな発見・知見が得られるとした。銅像を一つの足掛かりにして地域の歴史を紐解く研究をされている武石氏の着想はなかなか興味深い。
 これからも機会あるごとに武石氏のお話を聴いてみたい。