家にはモンステラの鉢が3つあります。葉がたくさん伸びてきて、出窓に置けなくなりました。
床においてもけっこう広く場所をとります。
それで、春に鉢をひとつ軒下に出しました。枯れてしまったローズマリーを引き抜いて、その大鉢の上にモンステラの鉢を置きました。
以来、とても大きな葉が出てきます。
ますます家の中に入れるのがむずかしくなりました。
家にはモンステラの鉢が3つあります。葉がたくさん伸びてきて、出窓に置けなくなりました。
床においてもけっこう広く場所をとります。
それで、春に鉢をひとつ軒下に出しました。枯れてしまったローズマリーを引き抜いて、その大鉢の上にモンステラの鉢を置きました。
以来、とても大きな葉が出てきます。
ますます家の中に入れるのがむずかしくなりました。
2階のコーヒーの木になった実を蒔いて、芽が出たことを書いたのは9月8日でした。
そのジュリちゃんの記念樹は、今 ぴかぴかしてきれいな双葉を開いています。
1本だけ いつまでも殻がぬげないので、私がはがしてやった木はまだ双葉を開いていません。
これからどんな風に育っていくのか 楽しみです。
今朝は6時半の川原のラジオ体操に行きました。土手で朝日を浴びながらラジオ体操をするのは気持ちいいです。
土手に上るとすぐにツユクサが一面に生えていて、今日は天気がよかったので濃い青色の花がたくさん開いていていました。
ツユクサって、朝咲いて、昼にはしぼんでしまうとウィキペディアなどに書いてあります。そんなことまるで意識したことがありませんでした。
4時47分には咲いていたのを倉本さんが確かめられたそうですが、そんなに早く咲かない寝坊の花もあるのかと思ってました。昼にしぼんでしまうのでは寝坊なんかしてられないですね。
川原は今ツユクサ、イタドリ、エノコログサ、メシヒバなどなどがまとまって盛んに花を咲かせています。
ヒガンバナが咲きそろうのはもう少しあとみたいです。
夫がダーチャからダリアを持ち帰りました。ジュリアに供えました。
もっとあるんですが、それは父と母に。
前に置いてあるのはカリンカの枝とハヤトウリとアケビ(ムベかな?)。あとキュウリ、ナス、ピーマンなど。
ジュリアが逝ってしまったので、私もダーチャに行けるようになったわけですが、すっかり家暮らしが身についてしまって、庭や家の中の植物への水やりをどうするか考えないと家をあけられません。
夫に言ったら、「1,2泊して帰ってくれば」っていうんです。
さて、どうしましょうか。とりあえず、一回目はそれで行ってきましょうか。
パソコン前に座つづけたせいでいためたらしい膝裏と上腕の痛みがぶり返したので、パソコンはしないようにして、ぶらぶらしてます。手持ちぶさたなような、ジュリアにごはんをやったかしら?とか、ジュリアになにかやり忘れたような気持ちがしています。
朝6時前に起きれば ラジオ体操の時間に合わせて散歩に行きます。今朝は間に合わず散歩だけでした。
川原の土手にのぼって最近いつもわーって思うのは、この場所一帯をおおっているツユクサです。
ところどころで濃い水色の花が咲いています。
センニンソウは咲き終えました。これから名前の由来の羽毛がどんなふうにでてくるのかしら?
花ざかりなのはイタドリ。イタドリの花が好きです。
お花で一度はイタドリを活けてみたいと思っていましたが、水あげがむずかしいみたい。
赤味を帯びた花を咲かせているイタドリもありました。
ヒガンバナが咲きはじめました。ちょうどお彼岸ですね。
家では裏においた植木鉢で気づかないうちにコルチカムが咲いていたので、玄関前に持ってきました。
コルチカムは夢色とでもよびたいような花の色です。それで?イヌサフランっていう名でよびたくないです。
三時の天使(ハゼラン)が鉢で大きく育っていて、引きぬけなくて折りました。
あとは雑誌を読んだり、テレビをみたり、レース編みをしたりで一日がおわりました。
レース編みはあたりを散らかさないでできるのが いいです。
先日小学校の同級生の吉沢和子さんの主催する墨童舎の展示会に行きました。若々しくて今も現役で活躍されている吉沢さんにいつも感心しています。小さい体なのにダイナミックな作品を書くんですよ。生徒さんも楽しんで書かれていて、水準も高い。最近のタウン誌に載った吉沢さん。
ジュリアが亡くなってしばらくしてから、レース編みがしたくなりました。
それで、展示会の帰りにこの本を買ってきました。
針とレース糸も買い、昨日から始めてみました。レース編みは何十年も前にやったことがあります。かぎ針編みは好きなんですが、こんなに細いレース糸で編むのは初めてです。針も細くてうまくは編めなかったのですが、私の好きなパイナップル編みで小さなドイリーを完成しました。
つづけられるかどうかは?
それにしても、私のやりたいことって、どれも肩こりしそうなものばかり。それが問題です。
ジュリアが亡くなって2週間がたちます。
goo blogから「1年前の記事」のメールがきました。
「ジュリアはぐっすり眠っていて、電気をつけて、そばでカメラを向けても、目を覚ましません。やっぱり年をとったんですね」とありました。
私が穏やかに話す方にはジュリアも穏やかに接するようになっていたのでした。
2週間がずっと前のような、たった今のことのような、今はそんな、不思議な感覚です。
体そのままにずっしりしたジュリアの存在が、自分の外ではなくて、自分の中におさまってゆくような気持ちが今はしています。
わが家の犬たち、エム、デラ、マイ、パンジー、そしてジュリア。みんな少しも昔のことにならないで、私の中にいます。
もう犬を飼うことはないでしょう。ジュリアはわが家の最後の犬ということになりますね。
ジュリアが亡くなったとき、梳かしたり、拭いたり、移動を中腰でやっていました。2日くらいあとに痛みが出るかと思ったら、出ないのです。私は年なんか関係ないんだと思っていたら、5日目に体中、特に手と足が痛くなって、力が入りません。5日目に出るなんて、さすが喜寿です。
ようやく昨日から、痛いけれど、なんとかふつうに動けるようになりました。
それで、昨日は川原で痛くて手足が十分に伸びないながらラジオ体操だけして帰ってきました。
まだ川の水が多かったです。
今日は大分楽にラジオ体操をしてから、横山橋まで行って、戻ってきました。
咲き終わってしまったセンニンソウ。
まだ咲いているしげみもありました。
オオイヌタデが一斉に花をつけて、川の堤に沿ってずっと群生しています。
これからはイタドリの花の季節です。
家に帰ってリビングに入ったとき、ジュリアが日の当たるガラス戸の前に座り込んで私を待っている気がしました。おもわず、「ジュリちゃん 帰ったよ」っていいそうになりました。
たくさんの方がジュリアを悼んでくださいました。ありがとうございます。
おやつを供えてあげないとね。
2階のコーヒの木についた実がしわしわになっているので、もうこれ以上コーヒーの木は必要ないのですが、5粒もいで、鉢に埋めておきました。
ジュリアが逝ってしまった日 庭に置いた鉢に芽が2個でているのを見つけ、家に入れました。
その後またふたつ芽が出てきました。適当に埋めたので、くっついてしまってます。
この芽が伸びて木になってゆく。見るたびにジュリアを思い出すでしょう。枯らさないように育てていこうと思っています。
ジュリアの記念樹?
ハワイの義妹がジュリアが亡くなったことを知って、すぐに電話をくれました。家に泊まっていたとき、リビングに入ってくるとジュリアは脇にきて、義妹が椅子に座るまでわんわん吠えたっていってました。リビングでは義妹よりえらいと思ってたんですね。
夫の朝食のときは横に立って、パンをねだっていました。バターつきが好き、ジャムはきらいでした。
私はジュリアを一度も叱ったことがありません。しつけなかったともいえますが、今は一度も叱らないでよかったと思っています。一緒にくらしているうちに気持ちは通じあって、私がジュリアの気持ちを分かるように、ジュリアも私の気持ちを分かって、慕ってくれました。
犬は人間の心の友です。
ジュリアは体重を量る機会がなかった(あっても量らせてはくれなかったでしょうが)のですが、火葬を終えて骨を納めるとき、係の方が小さめのゴールデンかラブくらいの大きさでしたねと言われました。21、2キロだったのかな。
家の中ではベッドとマットを置いた1畳くらいが居場所でした。それで私は今でもそちら側の肩先にジュリアがいるみたいに感じています。あとキッチンと私のPC机の下にときどき移動するくらいだったのですが、最後のころはよく玄関にもいくようになってました。私が2階にいくと、階段下でまっているのでした。最初に家にきてから、何年かは2階にリビングがあったのでそこにいたのですが、1階に移ってからは一度も2階にいきませんでしたね。
体は大きかったのですが、いつもは静かで、だれかくると大きな声で吠えていたのも最近は耳が遠くなったので、たまにしか気づかないのでした。大きな声で吠えていたころ、よく「いい番犬ですね」といわれましたが、ひとりで家にいるときは全く吠えず、私たちが帰ってくるまで息をひそめていたようでした。
今、ジュリアはいただいたたくさんの花に囲まれています。
昨日、ちばわんからも可愛くてすてきなアレンジメントとメッセージが届きました。
ちばわんがなかったら、ジュリアは確実に殺処分されていたことでしょう。
(「愛護センターレポート2008年1月31日 https://centrerep.exblog.jp/7407600/)
センターでのジュリアの写真がレポートに一枚あります。収容4日目の部屋で固まったままお行儀よくお座りの姿勢をしています。収容されて、こんな姿勢でいる犬、あまりいないのでは? 翌日には最終日の5日目の部屋に移って、次には処分が待っていたはずでした。一緒に写っている子たちはきっと処分されてしまったでしょうね。
長くつづいている「愛護センターレポート」は貴重な記録ですね。
ジュリアは九十九里浜の旭市で捕獲され、センターに移送、ちばわんに引き出されて、調布の預かりさんのお家に2か月、その後、八王子市のわが家にきて、12年半足らず。私はよく「犬の運命は不思議」って思うんです。野犬だった(おそらく)ジュリアの運命も不思議といえば不思議ですね。
突然なのですが、ジュリアは逝ってしまいました。
ももははさんが「ペーチャのお便りは、ジュリちゃんからのお礼だったのかな?ペーチャの預かり時代を見て 感じています。」ってメールをくれました。
そうなんです、ジャックくんからうれしい幸せ報告をいただいて半日もしない8月30日の午前12時半ころでした。
おしっこから戻って、家にあがりずらそうにしていたようで、夫が「どうした、ジュリア」って声をかけたら、上がってきて、10歩くらいあるいて、突然悲鳴をあげて座り込んだのでした。明らかに大きな異変が今ジュリアに起きたと分かるような悲鳴でした。これからは介護するんだと心の中で決心した、そんな悲鳴でした。腰をさすってあげたら、気持ちよさそうにして、しばらくしたら、驚いたことにたちあがって自分のベッドにいったので、水を飲ませようとしたら、また立ち上がり、キッチンにいって、すわりこんで横になりました。これからの介護にそなえて、今切っておかないとと腰と足あたりの毛をはさみで切りながら、なでてあげていたら、息をしなくなりました。全部で15分くらい。吐きもおもらしもせずに、あまりにあっけなく、まるで「迷惑かけないでいくね」っていうかのように、死んでしまいました。
私が留守のときはずっとリビングの表のガラス戸の前に座って待っているって夫がいってました。最近は耳が遠くなって、私が買い物や散歩から帰ってきて玄関からリビングに入って行っても気づかずにガラス戸の前にいるので「ジュリちゃん、かえったよ」って声をかけてやっと気づくのでした。夫のことも大好きだったと思います。
マイがいなくなってから私たちとジュリアの距離はずっと近くなって、自然に穏やかに暮らしてました。でも写真を撮られるとか必要以上に注目されるのはいやみたいでした。干渉されずに、静かに一緒の空間にいることがすきでした。
人間に飼われたことのない成犬の預かり犬として(センターから一時、預かりさんのところにいてから)家にきたとき2歳くらい、それから12年4か月と20日。途中でうちの子になりました。大体15歳の犬生でした。みごとな最後は野良の身の処し方だったのでしょうか、それともドジなお母さんの介護なんてたよりにならないって逝ってしまったのでしょうか。
8月31日高尾霊園で荼毘にふしてきました。
係の方が「穏やかなお顔をしてますね」といってくれました。
「ジュリちゃん、やすらかに!」
おかあさんはさみしいよ。