千一夜第3章第252夜 感動!告井延隆ライブ

2020-11-25 21:44:20 | 音楽

2020.11.25(水)

11月24日(火)、隣市の徳山市のライブハウス「ガンボ」で「告井延隆」氏のライブがあり、久し振りにライブ体験した。

そもそも私は「告井延隆」なるアーティストなど全く持って知らない人物であった。地元紙の紹介で「ビートルズ弾き語らず」という記事を見つけて、そのタイトルだけでこりゃ行かねばと思っただけである。早速「ガンボ」というライブハウスに電話を掛けると、寺ちゃんことマスターが電話に出られ、「告井延隆」の素晴らしさを滔滔と述べられる。そして最後に絶対に感動しますよと付け加えられた。私は告井氏を知らなかったので、そうですかとだけ言い、それよりもチケットを購入しに行く暇が無いのだがと言うと、電話予約でOKですと言われる。まだ席は空いているのかと確かめると大丈夫だと言われる。聞いてみると定員は10人だとのこと。えっ!と思ったが、「ガンボ」というライブハウスでさえ行ったことが無いのでネットで調べて見ると80人入る会場だと書いてある。そうか、コロナのこともありそういう事かと何となく納得。

電話予約で当日地図を見ながら、ほぼ迷うことも無く開演30分前に会場に着いた。想像していたよりも遥かに小さい地下のライブハウスだった。恐る恐るドアを押し開け、ちょっと早かったかなあと言うと、寺ちゃんことマスターはそんなことは無いですよと迎え入れてくれた。そして目の前には告井氏と思われる人物も座っておられた。ドリンクのハイボールを作ってもらい時間までマスターに「ガンボ」のことなど聞く。その内1人2人と客が入って来て開演時間には全員(きっかり10人)が揃った。そして、さあ始めますかと言って立ち上がったのは、やはり入った時に目の前に座っておられた人物であった。

ステージの椅子に座ると直ぐにオープニングの曲、「サージェント・ペパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を弾かれる。オープニングでは歌詞を唄われたので、おや?っと思った。「弾き語らず」じゃなかったかいなと。だがそれはオープニングの1曲だけだった。

告井氏は2008年にビートルズの曲をアコースティックギター1本でコピーするプロジェクトを始め、57歳で初のソロアルバム「SGT. TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」を発表、Beatlesの曲のメロディーを引きベースも入れる、ジョン・ポール・ジョージのパーツを1人でこなすだけでなく、メロディーも入る訳だ。まず最初にそのギターテクニックに圧倒された。まず頭に浮かんだのは、何だこのおっさんは・・・いや失礼、何故こんな人がメジャーになれないんだ?ということ。実際はとてもメジャーな人なのかも知れないが、私が知らないのだからメジャーでは無いと勝手に決めつける。コピーは所詮コピーなのか。いやそんなことは無い。ライブで聞いた人でないと解らないと思うが、素晴らしい演奏である。通常の楽譜では決して弾けない奏法である。

私は告井氏の演奏を見逃すまいとギターに釘付けになる。YAMAHAのアコースティック・ギターでベース音も素晴らしく良い。私も大学生時代の3年間くらいYAMAHAのアコギを持っていたことがあるが、音は頗る良かったもののボディーが大き過ぎて弾き難かったのを覚えている。告井氏のYAMAHAはとてもスリムだった。それよりも、メロディーを弾きながらベースを効かせる正しく弾き語らずだった。ボキャブラリーの少ない私には演奏の素晴らしさを伝えることが出来ないもどかしさがあるが、興味のある人には是非ライブをお勧めしたい。

ライブの前半は告井氏のペースで進んでいったが、休憩を挟み後半からはリクエストタイムである。休憩時間に告井氏が弾かれた「ブラック・バード」について、ポール・マッカートニーはツー・フィンガーで弾いていますが、私はツー・フィンガーの練習はしたことがないのでスリー・フィンガーで弾いていると言うと、それで十分ですよと言われた。しかしツー・フィンガーの方が音に重みがありますよねというと氏も頷かれる。氏は私のはメロディーを弾くので通常の演奏とは違いますけどねと付け加えられた。

リクエスト・タイムでは、まず最初に私がジョン・レノンの「イン・マイ・ライフ」をリクエストする。期待通りの演奏で十分に満足。その後も私は「マザー・ネイチャーズ・サン」や「オール・マイ・ラビング」などリクエスト、特に「オール・マイ・リビング」はまだアルバムにも入れていないので、次のアルバムには入れたいと言われた。

19時30分から3時間強のライブをされたが、最後の曲を演奏し終わってステージから降りられた時に、私が最後の曲はやはり「ジ・エンド」じゃないんですかと言うと、氏もそうだねと頷かれた。ステージ終了後、氏のCDを3枚購入し支援する。後でCDをかけてみたが、やはりライブには敵わない。

告井氏の主な略歴を紹介しておく(ウイキペディアより)

告井延隆 1950.12.19生 もう直ぐよわい70歳。通称「つーさ」
1972年に乱魔堂のギタリストを経て1973ロックバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」を結成。元リーダーである。
1995加藤登紀子のツアー・サポートで函館に向かった際に加藤らと乗った搭乗機が全日空857便ハイジャック事件に遭遇、告井自ら機内のトイレから携帯電話で警察に状況を伝えて事件解決に貢献した。
2008年にビートルズの曲をアコースティックギター1本でコピーするプロジェクトを始め、57歳で初のソロアルバム「SGT. TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」を発表。
2013年センチメンタル・シティ・ロマンスを脱退。
加藤登紀子、竹内まりや、中島みゆき、氷室京介など他のアーティストのライブサポート、レコーディング、編曲を手掛ける。
現在は主にソロ活動 加藤登紀子のサポートを務める。
アルバムは代表作 「SGT. TSUGEI'S ONLY ONE CLUB BAND」

私にとってライブを観るのは久し振りのことである。私のライブ体験履歴は高校時代の西岡たかしと五つの赤い風船や高石ともやとナターシャセブンのライブに始まり、大学生時代(昭和49年度~52年度まで)には外タレ中心に最も盛んにライブに行っている。日本武道館や中野サンプラザに最も多く通っているが、特にエリック・クラプトンは5~6回行った。大学時代には帰省する度に縁あって隣市のレコード店でバイトしていたので、キャンペーンで訪れるタレント等と多く接している。特に印象に残っているのは、”たんぽぽ”という女性2人組のシンガーソングライターで、ステージの設定やギターのチューニングを任され、2人と打ち合わせもしたので記憶に残っている。大学卒業後40数年間は滅多にライブなど行く暇も無かったが、数少ないライブ体験では”憂歌団”のライブが素晴らしかったと記憶に残る。

今回のライブは久し振りだったが、私は一番前の席に座り奏者とは2m程度の距離だったこともあり、ギターテクニックもさることながらCDで聞くのとは全く違う臨場感があり良かった。私は告井氏を無形重要文化財(人間国宝)に指定しても良いくらいだと思った。氏も今年でよわい70歳、後継者はいるのだろうかと気掛かりである。私は既に後継者になる年齢では無いが、弟子入りしてせめて1曲でもマスターしたいものだと願う。

最後に、引退する前に是非とも、日本のビートルズの聖地でもある「日本武道館ライブ」をやってもらいたい。
尚、当ブログ掲載は「告井延隆」氏及びライブハウス「ガンボ」共了承済であります。

【11月25日過去の釣行記録】
・2007年第2埠頭東側、06:20~16:10、大潮、釣果=カレイ3・コウイカ1・キス6・キビレ1・チダイ1
・2017年徳山築港、06:20~12:20、小潮、釣果=カレイ4・ハゼ2・イイダコ1・マダイ1・メゴチ2R

【この日の釣り情報】
・この日の釣り情報はありません。

【旧暦10月11日釣行記録】
・2005年11月12日、新日鐵波止場、昼間、若潮、釣果=カレイ1・キス・ハゼ・サンバソウ
・2005年11月12日、庄の浦港、17:30~22:40、若潮、釣果=2人でメバル4・アジ1・キス1
・2006年12月01日、大島居守、19:00~22:00、若潮、釣果=メバル8・アジ3
・2008年11月08日、笠佐島周辺、06:30~14:00、若潮、船釣り、釣果=ハマチ2・ヤズ1・マダイ1・アジ1
・2012年11月24日、神代港防波堤、12:30~15:30、若潮、釣果=ギザミ1

http://blog-parts.wmag.net/okitegami/base.php?ser=36906&m=219b56b2lb68fdf326a81

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