駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

俳優座『血のように真っ赤な夕陽』

2019年03月21日 | 観劇記/タイトルた行
 劇団俳優座5階稽古場、2019年3月18日19時。

 ニューヨークの株式市場の大暴落に端を発した世界恐慌は、翌年日本にも波及し、特に生糸輸出の激減や米価の下落より農村は壊滅的な打撃を受けた。そんな中、対外膨張に活路を見出そうとした日本は、満州地域の領有をはかった。五族協和、王道楽土を旗印に、全国から開拓民たちが広大な大地を第二の故郷と信じて海を渡った。ソ連との国境近くに入植した池田、森、桑本の三家族も、その中の無名の人々であったが…
 作/古川健、演出/川口哲史。劇団チョコレートケーキの座付き作家が劇団俳優座に書き下ろした戯曲。全2幕。

 親友の知人が出演しているというので、またチョコレートケーキの作品を観たことがなくて観てみたいと思っていたので、誘われたのにホイホイ乗って出かけてきました。
 私は1945年生まれの母親から生まれた町の子供で、農村の暮らしのことも満州のことも戦争のことも、学校で勉強したり小説を読んだり舞台を観たりで得たこと程度の知識しか持っていません。改めて自分の不勉強を痛感し、しかし私よりもう少し上の世代とかの、もっとこういうことが身近で身をもって知っていていろいろ学んでいるはずの人たちが、この過去の事実から何も得ていなくて今また同じ悲劇を繰り返そうとしているようにしか見えないことに、改めて驚き戦くのでした。
 国がなんとかしてくれる、なんとことは絶対にない。世の中に絶対はないものですが、この絶対は絶対です。だってかつても何もしてくれなかったんだから。それを忘れてまたただ無防備に信じる愚かさなど、早く捨て去った方がいい。国は、というか国家の中枢にいる人間はすぐ国民を裏切る。だから主権者たる国民は常に国を、国家を監視しなければならない。国を愛するって、そういうことのはずです。盲目的に隷属することではない。
 植民地支配するのもされるのも、二度と嫌です。戦争も二度とごめんです。私たちは戦争を放棄しました。自衛のためだろうとなんだろうと、二度と武器は持ちたくありません。
 …と改めて私は考えましたが、でも別にこの舞台は、作品としてはそういうことを熱く訴えているわけではないように私には思えました。なんか、言い方はよくないかもしれませんが、オチがあいまいだった気がします。
 途中から、ところでこの話はどうオチるんだろう、とやはり考えながら観てしまったのですが、全員が港にたどりつけたなんて奇跡的すぎるというかそれこそ絵空事にすぎないんじゃなかろうかと思いましたし、船の上で落命した者もいてみんながみんな帰国できたわけではない、というのはありましたが、それでもさらにそのあと、現地の夫婦に譲ってきた子供と再会して終わる、というのはほとんど嘘というか、蛇足に私は思えたのでした。というかそれはそれで絶対に別のドラマや問題があったはずで、ああよかったねってオチに使えるエピソードではないのではないかと私は思ってしまったのです。
 あと、冒頭もラストも、勝(小泉雅臣。というかこのキャラクターのこの名前はどうだ! 何に勝とうというのだ、勝ち負けというのはつまり争うことが前提なのだよ…!?)が歌う歌がさあ…千代子(戸塚梨)が歌う「誰が故郷を思わざる」(という曲名なのでしょうか? 私はこのフレーズのみ知っていて、メロディは初めて聞きましたが、こういう既存の曲なのでしょうか…)じゃダメだったの?という、ね…だってこれは当時の国が、大日本帝国が作って流したプロパガンダ曲でしょう。大地に根付きたい、そこで家族と共に食べるものを作って生きていきたい、という人間のとてもプリミティブな願望を利用した、悪逆卑劣な政治宣伝歌曲だったわけでしょう。でもみんなそれに踊らされて海を渡っちゃったわけでしょう、それを懐かしくてつい口ずさんじゃったんだとして、それでいいのかって話ですよ。もちろん愚かさは罪とは言いきれないのかもしれない、けれど…この舞台はそれを、怖いことだとか恐ろしいことだとしては演出していないように私には見えました。それが私には不満だったのです。声高に戦争反対を唱えなくてもいいけれど、でもそういうことが訴えたくて今この作品を書き、今、なう、上演してるんじゃないの? なのに「なんか虚しいなあ、悲しいなあ…」みたいなオチでいいの? あるいは、家族と再会できた、隣人との友情も健在だ、よかったなあ…でいいの?ってなりません? 私はなりました。
 だから、一幕終盤でダダ泣きし、休憩になったことに動揺してさらに泣くくらいに舞台に没頭していた私が、二幕は全然泣けませんでした。なんかよくわからなくなっちゃったんですよね。わからないといえばベタすぎるタイトルも、それで何を表しているのかやっぱりよくわからなくて、私はあまり感心しませんでした。
 私が泣いたのは、常に安易にダメな方に流れそうになる男たちを常に引き留め、諫め、明るく広く正しい方へ促す女たちの理性や強さ、優しさに、でした。そうしたら人間は踏みとどまれる。人種も民族も越えて友達になれる、ひとつになって進める。その美しさに感動し、でもダメだったんだよね五族協和なんて成らなかったんだよね満州国は崩壊したんだよねそれくらい私でも知ってる…と、悔しくて虚しくてダダ泣きしたのです。でもこのときはダメでも、それで学習して賢くなった私たちはもっと良くなれるはずなのだ、でもまた同じ過ちを犯そうとしているね…?と怖くて悔しくて、ダダ泣きしたのです。
 そこまで心を振るわせられたのに、二幕は尻すぼみになってしまった気がして、私は残念だったのでした。

 でもまた、俳優座もチョコレートケーキも観ていきたいなと思いました。その役そのものにしか見えないくらいに達者な役者さんたちが素晴らしかったです。脚本も、会話や議論ってこうなるよな、というリアリティがあってとても良かったです。
 私は本を読んで漫画を描いて夢想に生きる子供でした。この時代のこうした農村に生まれていたら、私は私ではなかったのでしょう。そこでもそれなりにがんばっただろうけれど、とは思いたいけれど、正直こんなふうにがんばれたかは全然自信がありません。今、私として生きられていて、ありがたいです。それをもっと噛みしめ、今のここでさらにがんばらないといけないな、と思いました。子供の作文みたいなシメですみません。


コメント
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