氣まぐれ剣士の言いたい放題

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409 水野南北(1)

2006-10-24 18:07:38 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

409 水野南北(1)

水野南北~人相術と粗食開運法~
 水野南北は、1757年に生を受ける。少年時代は、かなり荒れた生活を送っていたらしい。十歳にして酒を飲み始め、チンピラ仲間に入り、古証文を使った恐喝で小金を稼ぐようなことをしていたらしい。役人に捕まり、入牢したこともある。

 彼がこうしたヤクザ家業から足を洗うきっかけとなったのが、とある不思議な老僧との出会いだった。
「お主、死相が出ている。もって1年の命だろう。」偶然街で会った僧に、いきなりこんな不吉な予言をされたのである。
 出鱈目を言うなと思った彼だったが、不思議とその僧の言ってることが真実であるように思われた。

 これをきっかけに彼は、自分の人生を真面目に考えるようになった。このままチンピラのまま死ぬのは御免だ。死ぬときは清い心身を持って死にたい。そう思った彼は、そのまま禅寺へ出かけてゆき、出家を願い出る。

 しかし、僧になるには、いろいろと手続きが要る。寺の住職は、「1年間、麦と大豆以外口にしない生活が出来たら、出家させてやる」と言って、追い返した。寺としては、面倒な奴を追い返すための難題のつもりだったのだが、南北はそれを間に受けて、本当に麦と大豆しか食わない生活を続けた。生活態度も改めて、やくざ業からも足を洗った。

 そして、あの老僧に死を予言されてから1年が過ぎた。それから、また何日も過ぎたが、死なないどころか健康そのもの。
 「あの坊主、ふかしやがった」と腹を立てていると、またもや偶然、あの僧にばったりと出会ってしまう。

 この時、びっくりしたのは、僧の方だった。
「何としたことか! 死相が、まるで嘘のように消えてしまってるぞ!! お主、何か変わったことをしなかったか?」と問いただしてきた。
 南北は、出家を考え、麦と大豆のみの生活をしていることを話した。
「それだ!」と僧は言う。「お主のその清廉潔白な生活が、お主の運を変えたのだ。」
 ・・・このエピソードが、南北が観相学(人相術)に興味を持ったきっかけだったという。

 南北の考えでは、「運命は自ら切り開くもの」である。「占いとは、決定した運を知るためのものではない。運を切り開くための技術である。」
 そう、凶とでたら、その悪運を避ける努力をするべきだし、それは充分可能である。占いとは、そのためにあるのだ。

 南北は、その僧の弟子となる(彼は和漢の学問に通じた真言宗の学僧だった)。その学僧から、人相術と医学の手ほどきを受ける。
 その僧の教えでは、「観相学(人相術)を極めるのは、書物だけでは駄目だ。可能な限り、多くの人間の人相を観察し、その人の人生を知り、これを応用して初めて人相術は的中するのだ。」 南北は、この教えを忠実に守る。

 まず、人の顔を観察するのに最高なのは床屋であろう、と言うわけで髪結い職人に弟子入りすること3年間。また、観相学が扱うのは顔だけではなく、身体全身である。そこで、風呂屋で働くこと3年。さらに、人間の骨格について知るために火葬場で働くこと3年。

 こうして彼は、観相学(人相術)の膨大なデータを蓄えると、今度は途方もない長旅に出るのである。この長旅でも、彼は興味深い経験をする。
 東北を旅した時、たまたま宿泊した町の遊女と懇ろになった。ある日、鏡を見て彼は仰天する。なんと自分の顔に「女が原因で身を滅ぼす相」が出ていたのだ。

 彼は大慌てで宿を引き払い、その町から逃げ出した。そして、郊外に出てから水に写った自分の顔を見ると、先の死相が見事に消滅していたのである。
 この経験は、「占いとは、自ら運命を切り開くための技術である」という確信をさらに高めることとなったのである。

さすが水野南北ですね。髪結い屋で3年、風呂屋で3年、火葬場で3年ですか。石の上にも3年といいますが、何事も最低3年は辛抱して頑張らないと、ものにならないのでしょうか。

占いとはただ“将来どうなるのか”を当てるだけではなく、自らの運命を切り開く技術だったのですね。
氣まぐれ剣士は占いはあまり好きではないですね。なぜって、悪いことを言われると氣になってしまいます。“氣まぐれ剣士の前途はいつもバラ色に輝いています“といってくれる占い師ならいつでも見てもらいたいですね。

次回も続きます。
以上