河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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フォース・コンサート フィルハーモニック -8-

2006-10-29 16:08:00 | フィルハーモニック・オープニング・ウィーク1962年NYP

フォース・コンサート フィルハーモニック -8-

さて、フィルハーモニック・ホール・オープニング・ウィークも早いもので3日目に突入した。
河童はそろそろ皿が渇き始めた。ジンジャーマンでのアルコール消毒でも足りなくなりつつあるようだ。そんななかクライバーンの出番となった。3日目はこんな感じ。

1962年9月25日(火) 8:30P.M.

ピストン/リンカンセンター・祝祭序曲(世界初演)

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
  ピアノ、ヴァン・クライバーン

コープランド/リンカン・ポートレイト
  ナレーター、スティーヴンソン

ラヴェル/ダフニスとクロエ、第1,2組曲
合唱、テンプル大学コーラス

ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団

電気河童はオーマンディを夢の中で拝見した。太古の時代から日本の評論家、音楽家あがりの評論家含め彼らにとっては、クラシックはヨーロッパだけのものであり、それを踏襲し真似した日本人は偉いのであり、アメリカの音楽やオーケストラなどはケバイものであり、その典型がチャラチャラ音のフィラデルフィア管弦楽団だったのである。結果的には、聴くべきを聴かない耳をもち、考えるべきを考えない評論家たちが、いかに知識・経験・体験もなく狭量な態度で、誤ったことを発信していたかということがわかった。そのような姿勢が音楽を聴く者たちに、間違った情報を埋め込んでしまったのみにとどまらず、聴く範囲を狭めてしまった。その罪は大きい。自分としても後の祭り的なところがあり反省しているが、しかしその責任は彼らにもある。今の時代、情報は充ち溢れ、評論家の言っていることを鵜呑みにする人たちはいなくなったと思えるので、それはそれで大変にいいことだ。
雑誌でいうとレコ芸など大変な情報源であったか、いまはそのようなこともなくなりみんないろいろなところから得ていると思う。河童はレコ芸の月評欄はほとんど見なくなってしまった。昔はお世話になったけど。
広告欄や海外新譜の紹介はメインテーマとしてよく見る。特集記事は興味があればたまに目を通すだけ。新譜といっても国内盤はオペラをはじめとても少なくなってしまい、ライブ録音だらけ。昔でいうところのエア・チェックと発想はたいしてかわらない。それでそのエア・チェックも、今の音楽ソースのまずしさに便乗して、乱発している。キャッチコピーによると全部奇跡的な名演だそうだ。日常の聴きこみを怠ってきた連中の自虐的なセリフのようにしか思えない。
それやこれやで、気がついたときオーマンディはもう逝く寸前であった。その演奏会があったので出かけたことがあるが案の定、指揮者はウィリアム・スミスに突然変更となってしまった。準指揮者なので普段からオーマンディのそれをなぞるのは得意だったかもしれない。本人がオーケストラに移植してきたことを最大限引き出させたのがせめてものなぐさめであったのかもしれない。

1962年のこのコンサートに出演したオーマンディとフィラデルフィアは、前半後半の最初の曲にアメリカの曲を置いている。当然と言えば当然かもしれない。しかしこのときのシチュエーション、自負、責任、など音楽に対し全く誠実・真摯以外の言葉が見つからない。
リンカンセンター祝典序曲は河童が勝手に訳しただけ。原題はLincoln Center Festival Overture.
リンカンセンター開きを祝うこの曲を聴く機会はその後ほとんどない。フィルハーモニックを讃える曲は割とあるようだ。たまには、
モートン・グールド 作曲 フィルハーモニック・ワルツ
なんてどうかしら。自作自演の音源もあるみたいだし。

この日のメインはもちろんクライバーンのラフマニノフである。得意中の大得意曲。この日はこれしかない。やるほうも聴くほうも。ラフマニノフは2番より3番。交響曲も2番より3番。華麗さとともに曲の充実度が全然違う。
このコンサートは目に浮かぶようであり、やる前から演奏後の熱気が約束されていたようなものだ。
オーマンディの伴奏も、全く、自己全う型。16年後、ホロヴィッツが弾いた同一曲の伴奏をニューヨーク・フィルとともにつけている。
とにもかくにも1962年のこの日、フィラデルフィア・サウンドがあとで改築の憂き目をみることになるフィルハーモニック・ホールに響きわたったのである。
(続く)

フィルハーモニック・オープニング・ウィーク1962年NYP