死地を求めて
一遍は、野口の教信寺で眠りたいと考えていました。正応2 年(1289)季節は夏を迎えようとした頃でした。一遍は、讃岐の善通寺へ向かいました。
それは死地を求めての最後の旅でした。きっと、生涯の終わりを迎えるために空海の故郷を訪ねたのでしょう。
そして、阿波の国から淡路島へ渡り、そして岩屋への旅でした。
教信寺で眠りたい・・・
夏の太陽は、一遍の病躯を容赦なく照りつけました。一遍は、ここで、このまま行き倒れるのだろうかと思いました。でも、できることなら、あの白い砂の輝いている明石へゆきたい。
それから、野口へ行き、心をよせている教信の墓の傍で眠りたいと思うのでした。
幸にして、七月十八日に、ようやく海を渡って対岸の明石の浜辺につくことができました。
明石から、印南野の教信寺までは、すぐ目と鼻の先です。
一遍は、体力の衰えたその瞬間も、ひそかに心に期していました。
「念仏を信じ、念仏をとなえ生涯を終えた教信のそばで眠りたい」と・・・この時、早い秋の雨が、海辺をぬらしていました。
真光寺へ
明石についた一遍の一行を待っていたのは兵庫からの信者の出迎えでした。
ようやく臨終の地に臨もうとした一遍は、もはや生きて野口に行く体力の自信をなくしていました。
一遍は、兵庫の真光寺へ向かい、真光寺で静かに51 歳の生涯を終えました。
この時、一遍にもう少し体力が残っていたなら、きっと一遍は教信寺の教信の五輪塔の傍で眠っておられたことでしょう。(no4799)
*写真:真光寺(神戸市)の一遍上人の五輪塔