五ヶ井用水と西大寺技術集団(4)
加古川下流域左岸の「五ヶ井(ごかい)用水」と西大寺勢力との関係を注目しています。
五ヶ井修築に関係する伝承・寺伝があるのは、加古川市加古川町大野の常楽寺、加古川市加古川町北在家の鶴林寺、そして元は加古川宿にあった加古川市加古川町寺家町にあった常住寺です。
常楽寺は、西大寺の末寺帳にあるように、播磨における筆頭末寺です。
鶴林寺には、叡尊(西大寺中興の僧)が法華山で盛大な授戒活動を行なった後の帰路の弘安八(1285)年八月九日に宿泊しています。
また、鶴林寺の応永の復興の建築物群が典型的な折衷様であり、鶴林寺の大工集団が南都系の姓であることなどから、鶴林寺に西大寺系勢力が入り込んでいたことは確実です。
前回紹介したように、常住寺には、五ヶ井の井堰起工の当初、(日岡の神と聖徳太子)とが常住寺で会議して本尊に祈誓し、工事が成就した」という寺伝があります。
この伝説は、日向明神(日岡神社)が支配権を有していた「原五ヶ井」の抜本的改修を、大野の常楽寺が主導する西大寺勢力が行った事実の反映と考えられます。
西大寺勢力も、熱烈な聖徳太子信仰を有していました。
日岡神社の別当寺であった常楽寺は、日岡神社信仰と聖徳太子信仰とを結合する位置にありました。(no5103)
*写真:五ヶ井用水取水口(二筋の水路に分かれていますが、左の水路は、新井用水の取水口・加古川大堰のところ
加古川下流域左岸の「五ヶ井(ごかい)用水」と西大寺勢力との関係を注目しています。
五ヶ井修築に関係する伝承・寺伝があるのは、加古川市加古川町大野の常楽寺、加古川市加古川町北在家の鶴林寺、そして元は加古川宿にあった加古川市加古川町寺家町にあった常住寺です。
常楽寺は、西大寺の末寺帳にあるように、播磨における筆頭末寺です。
鶴林寺には、叡尊(西大寺中興の僧)が法華山で盛大な授戒活動を行なった後の帰路の弘安八(1285)年八月九日に宿泊しています。
また、鶴林寺の応永の復興の建築物群が典型的な折衷様であり、鶴林寺の大工集団が南都系の姓であることなどから、鶴林寺に西大寺系勢力が入り込んでいたことは確実です。
前回紹介したように、常住寺には、五ヶ井の井堰起工の当初、(日岡の神と聖徳太子)とが常住寺で会議して本尊に祈誓し、工事が成就した」という寺伝があります。
この伝説は、日向明神(日岡神社)が支配権を有していた「原五ヶ井」の抜本的改修を、大野の常楽寺が主導する西大寺勢力が行った事実の反映と考えられます。
西大寺勢力も、熱烈な聖徳太子信仰を有していました。
日岡神社の別当寺であった常楽寺は、日岡神社信仰と聖徳太子信仰とを結合する位置にありました。(no5103)
*写真:五ヶ井用水取水口(二筋の水路に分かれていますが、左の水路は、新井用水の取水口・加古川大堰のところ