山陽巡行(明治18年)
慶応3年(1868)、王政復古の大号令から戊辰戦争を経て、明治政府が誕生しました。
明治政府は、成立とともに「天皇」のありがたさを国民に説明しなければならなかったのです。
そのため、6回もの天皇の全国巡行が実施されました。
そのうち、山陽巡行は、明治18年(1885)7月からはじまり、8月8日の朝、兵庫県入りした。
夕刻、姫路の本徳寺に入り、翌9日、本徳寺(姫路市)を出発した天皇一行は、昼に加古川に到着し、休憩と昼食を旧陣屋(当時、山脇伊平邸)でとりました。
この時、旧陣屋(寺家町)は、立派な松の盆栽を陳列し、天皇を迎えました。
そのため、天皇から「樹悳堂(じゅとくどう)」の名を贈られました。(*悳は徳の本字)
それにしても巡航は、一日50キロ。夏の真っ盛りの強行軍でした。天皇は、猛暑を吹き払うために、北海道から取り寄せた氷を度々食したといいます。
巡行に際し、兵庫県は庶民の歓迎について問い合わせています。
その時、政府からは「立ち止まって帽子を脱ぎ、左脇にはさみ、右手をヒザにあてて礼をする。帽子のない者は、両手をヒザにあてて頭をたれる」
つまり、立ったままでよいというものでした。さらに、天皇の姿も「庶人拝見勝手」でした。
明治後期になるとこうは行かなくなりました。
天皇の行幸時は、車であっても、通り過ぎるまで頭を下げなければならなくなったのです。国家は重苦しさをました。(no5115)
*写真:樹悳堂(じゅとくどう)