ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川町旧鳩里村探検(60) 北在家(12) 鶴林寺の鐘楼

2021-10-23 12:41:58 | 加古川町(旧鳩里村)探検

       鶴林寺の鐘楼

 鶴林寺の朝鮮鐘の説明を、まずしなければならないのですが、尾上神社の朝鮮鐘からはじめます。

 世阿弥作の謡曲「高砂」に、「高砂の松の春風吹き暮れて、 尾の上の鐘も響くなり」と尾上の鐘を描いています。

 尾上神社(加古川市尾上町)の鐘がそれです。

 鐘の表面に飛天と楽器、上部には天蓋(てんがい)を浮き彫りにした珍しい朝鮮鐘です。

 この鐘には、顕宗二年(朝鮮の年号・1011)の銘があるので、尾上神社の鐘もこの頃、つまり朝鮮の高麗時代に作られたものと思われます。

 この鐘は、何時どのような経緯でもたらされたのかは分かっていません。

 また、現存する「朝鮮鐘」の多くは、鎌倉時代から南北朝期の「倭寇」の活躍した時代にもたらされたものといわれています。何時のころから尾上神社にあるのかも分かりません。

 朝鮮の高麗時代(日本の平安時代の中期から、南北朝時代にあたる)、仏教は政府に保護され大いに栄えました。

 しかし、次の李氏朝鮮の時代(南北朝時代から明治の中ごろまで)仏教は徹底して弾圧され、多くの寺院は破壊され、朝鮮鐘も潰されてしまいました。その結果、朝鮮鐘は、朝鮮でも数は少なく貴重なものになっています。

 兵庫県には、この珍しい朝鮮鐘が二つも伝わっています。

 もう一つは、鶴林寺の鐘です。

 鶴林寺の朝鮮鐘についての説明が少なくなってしまいましたが、尾上神社に比べて少し小ぶりで、模様はありません。

 この朝鮮鐘についても詳しいことは分かっていません。

 鐘楼は、応永14年(1407)の建立で、その後江戸時代に修理されていますが、形式は建設当時の形式を残してるそうです。(no5671

 *写真:鶴林寺の朝鮮鐘の鐘楼

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 加古川町旧鳩里村探検(59... | トップ | 「ひろかずのブログ」終了 »

コメントを投稿