野口念仏のはじまり
*一遍(右絵)は、鎌倉時代の僧ですが、教信(寺)の話の都合で、ここに挿入させていただきます。
一遍の念仏踊りが最初に行われたのは、信州の佐久、小田切という場所で念仏を称えていときの事でした。
この時、念仏が自然に踊りになり、やがて踊りの輪は、急激に広がりました。
ある者は鉢を叩き、あるものはそれに合わせて手足を動かす。
ある者は踊りはね、あるものは手を叩くといったように、それはまったくの乱舞でした。
彼らは各人の喜びを、体一杯に表現しました。
一遍は、その時の気持ちを「はねばはねよ をどらばをどれ 春駒の のり(法)の道をば知る人ぞ知る」と詠んでいます。
以後、一遍の布教は踊りとともに念仏を広げていきました。
何が人々をそのような激しい踊りの表現を取らせたのでしょう。
踊り念仏は、社会の混乱期にはじまっています。
一遍の生きた時代は、旱魃・水害の自然災害が人々を襲いました。そして、戦乱は続きました。その上に、元軍が攻めてくるという社会不安も重なりました。
人々は何かにたよろうとしました。それは神様であり仏様でした。
そんな不安な時代の中で、人々は一遍をとおして阿弥陀様の声を聞いたのです。
人々のエネルギィーが爆発しました。(no4797)