ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(93) 平安時代(4) 教信(寺)の話(4)・野口念仏のはじまり(1)

2019-11-16 09:25:41 | 大河・かこがわ

      野口念仏のはじまり

 *一遍(右絵)は、鎌倉時代の僧ですが、教信(寺)の話の都合で、ここに挿入させていただきます。

 

 一遍の念仏踊りが最初に行われたのは、信州の佐久、小田切という場所で念仏を称えていときの事でした。

 この時、念仏が自然に踊りになり、やがて踊りの輪は、急激に広がりました。

 ある者は鉢を叩き、あるものはそれに合わせて手足を動かす。

ある者は踊りはね、あるものは手を叩くといったように、それはまったくの乱舞でした。

 彼らは各人の喜びを、体一杯に表現しました。

 一遍は、その時の気持ちを「はねばはねよ をどらばをどれ 春駒の のり(法)の道をば知る人ぞ知る」と詠んでいます。

 以後、一遍の布教は踊りとともに念仏を広げていきました。

 何が人々をそのような激しい踊りの表現を取らせたのでしょう。

 踊り念仏は、社会の混乱期にはじまっています。

 一遍の生きた時代は、旱魃・水害の自然災害が人々を襲いました。そして、戦乱は続きました。その上に、元軍が攻めてくるという社会不安も重なりました。

 人々は何かにたよろうとしました。それは神様であり仏様でした。

 そんな不安な時代の中で、人々は一遍をとおして阿弥陀様の声を聞いたのです。

 人々のエネルギィーが爆発しました。(no4797)

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