ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(88) 奈良時代(12) 令和について(5)・「令和」の典拠になった歌碑

2019-11-11 08:30:58 | 大河・かこがわ

 令和について(1~4)」は、おせっかいな内容になってしまいました。でも、「令和」の典拠になった公園の歌碑ついて、公園関係者の方々にご検討下さいますようお願いもうしあげます。

      「いなみ野万葉の森」

 「いなみ野万葉の森」の説明には、「この万葉の森は、古代の印南の海を縮景造園した日本庭園です。池は、印南の海、その北の森林は賀古の松原(かこのまつばら)で、池の中の島は淡路島です・・・」とあります。

 池が印南の海をあらわし、その真ん中に淡路島がデンとあります。

 そして、池を囲んで賀古の松原があり、印南川(加古川)が流れています。

 説明にはないのですが、印南の海の周囲には、印南野(台地)が広がっています。

 この公園は、まさに印南野(台地)のど真ん中です。

 そんなことを知って、万葉の森を散策ください。また、違った風景のように見えます。

 万葉の森には、万葉歌碑・万葉の森賛歌があり、万葉植物と共に来園する者の心を和ませてくれます。

     ご一考ください 

 この「いなみ野万葉の森」は、4月1日の元号発表と、元号の典拠になった歌碑があったため、新聞でも大きく報道され、以来華やいでいます。

 『万葉集』は、「高校で学んだだけで、日本最古の歌集である」くらいにしか覚えていません。

 詠まれた場面を、部屋にあった本で調べてみました。

 少し、万葉の森の碑の説明と違っているように思えたので、すこし、おせっかいな内容ですが書いてみました。

 今後「いなみ野万葉の森」は、ますます有名になり、たくさんの人が来られると思います。

  大伴池主の説明は、ご一考ください。

 「いなみ野万葉の森」の一ファンからのお願いです。 (no4792)

 *写真:いなみの万葉の森

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする